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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第1部 天の導き【第2章 羊たちと歌】
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9:羊飼いの仕事2

前回のざっくりあらすじ:ニースは、生まれて初めて雪を見た。

 ニースが初めて雪を見た日から、一ヶ月が経った。山間にあるクフロトラブラの雪は深く、吹雪く日も多い。吹き荒れた嵐は多くの雪を運び、すっぽりとマシューの牧場を覆った。


 一面の銀世界に、キラキラと日の光が輝く。雪かきと朝食を終えたニースは、牧羊犬シェリーを連れて裏口から家を出た。灰色の雪雲を割る光の筋に目を細め、ニースは鼻歌を歌いながら羊舎に向かった。

 冬の羊飼いの仕事は、それまでの季節とは少し違う。厳しい冬の寒さは暖かな毛を蓄えた羊でも、寄り集まり暖を取らねば耐えられない。羊たちは羊舎に集められており、ニースは一日のほとんどを羊舎で過ごしていた。

 ニースは木製の突き出し窓を開けると、冬になる前に蓄えておいた牧草と、麦や豆を餌箱に入れた。


「ほら、みんな。ご飯だよ。……シェリー。ぼくは、あっちを掃除するから、羊をお願いね」


 シェリーが羊を見ている間に、ニースは床の藁を取り替える。羊たちは秋に繁殖期を終えており、妊娠している雌も多くいるのだ。ニースは、出産に向けて丁寧に羊たちの世話をしていた。

 作業をするニースの口からは、自然と歌が溢れ出す。羊とシェリーは、響く歌声に気持ち良さそうに目を閉じ、ニースの仕事が終わるのを穏やかに待った。



 一方その頃。ニースに羊の世話を任せ、マシューは家の前で雪かきをしていた。粉雪の混ざる冷たい風に乗り、ニースの優しい歌声がマシューの耳に届く。マシューは時折手を止めて歌に耳を傾けては、活力が湧いてくるのを感じ、仕事に精を出した。

 雪の中、訪ねて来る者など滅多にいないが、定期的に雪かきをしなければ、家がどこにあるのか分からなくなってしまう。家の周囲に、人が一人通れる程度の道を作ろうと、マシューは雪を除けていった。


「こんなもんでいいか」


 一通り雪をかき終え、ふぅと大きな息を吐いたマシューは、ふと人の気配を感じて振り返った。


 ――やっぱり来たか。


 マシューが手を付けていない町の方角から、雪をかき分け踏みしめて、のしのしとマーサが歩いて来ていた。


 ――転んだら、あっという間に立派な雪だるまになりそうだな。


 マーサは冷え性だ。冷え性は女性の天敵であり、冬になるとより強さを増す強大な敵だ。マーサは、そんな強敵に対抗するべく、何枚もセーターや外套を着込んでいたため、いつもより何倍も丸くなっていた。

 マシューは、マーサに決して言えない感想を胸に抱きながら、マーサが進みやすいように雪をかいた。


「どうしたマーサ。何かあったのか?」

「ああ、マシュー、ほんとすごい雪ね。ここまで来るのも一苦労だわ」


 マーサは、マシューの元へたどり着くと、体についた雪を払い、言葉を継いだ。


「私に何かあったんじゃなくて、あなたたちに何かあるんじゃないかって気になって来たのよ。雪が解けるのを待ってたら、ニースが埃に埋まっちゃうわ」


 降り積もる雪のせいで、マーサはしばらく家から出れなかった。マシュー家の()()を心配していたマーサは、雪の勢いが収まったのを見て、使命感を胸にやって来たのだ。

 マーサの話を聞いて、マシューは、はははと笑った。


「ひどい言い草だな。だが、ありがとうな。お前さんが来たと知ったら、ニースも喜ぶよ」

「ニースは羊の世話をしてるの?」

「ああ。あの子は熱心でな。本当に助かるよ」


 マシューはマーサを連れて家へ向かった。ふわふわと舞う粉雪が輝き、小さな歌声が風に乗る。マーサは、不思議そうに首を傾げた。


「この音は何かしら? 鳥の声みたいだけど、すごく綺麗な音ね」


 マーサは、クフロトラブラの町から出た事は、ほとんどない。歌はもちろん、黒が歌い手の証である事も知らなかった。

 マーサの呟きに、マシューは、はっとして唇を噛んだ。


 ――まずい。マーサに聞かれてしまった……。


 マシューは、ニースが歌い手である事をマーサに伝えていなかった。マーサに話していたのは、ニースが伯爵家の子どもだった事。詳しくは言えない()()()()()のために、リンドがニースを引き取り、マシューの孫になったという事だけだった。

 マシューは、どう話そうかと迷いながら、無言で足を進めた。


 ――マーサがニースを傷付けることはないだろうが……。


 マシューに初めて歌を聞かれた時のニースの、不安と恐怖にまみれた顔を思い出すと、マシューは胸が痛んだ。


 ――ニースは、わし以外に歌を聞かれるのは怖いはずだ。どうしたらいいか。


 ニースは、歌う楽しさを取り戻して以来、家や牧場で歌を口ずさむ事が多くなった。しかしそれでも、マーサが家へ来ると約束した日は歌おうとしなかった。

 マシューは、ちらりとマーサを盗み見た。マーサは気持ち良さそうに、ニースの歌に耳を傾け、歩いていた。

 マシューは、ふぅと息を吐いた。


 ――マーサに話さねばならんな。ここで誤魔化したとしても、一時しのぎにしかならん。春になれば、町の連中にも聞かれるかもしれんしな……。


 クフロトラブラの町の人々は、歌や歌い手の存在は知っていても、具体的にどういうものかを知らない。歌の力が必要な古代文明の発掘品は、庶民には手を出せない代物で、町長の家にあるかないかという品だ。ニースの歌を聞けば、マーサのように驚いたり、騒ぎ出す者が出るとマシューは考えていた。


 ――変なことを考える奴が出る前に、マーサを味方につけておく必要があるだろうな。


 町には旅人や商人も訪れる。ニースが歌を歌えると噂が立てば、利用しようとする者も現れるだろう。マシューは、ニースが歌の力を持たない“調子外れ”だという理由で、再び傷付けられる事を強く危惧していた。


 雲間から射す光に、透明感のあるニースの歌声が、淡く煌めく。マシューは、決意を込めて玄関扉を開けた。


「マーサ。ちょいと話がある。ここに座ってくれんか」


 マシューは外套を脱ぐと、暖炉前の椅子にマーサを誘った。マーサは、マシューがいつになく真剣な面持ちであるのを見て、顔を曇らせた。


「どうしたのよ、突然」

「とにかく、座ってくれ」

「……分かったわ」


 マーサは着込んでいた外套やセーターを次々と脱ぎ、いつもの姿になると、マシューの向かいへ腰を下ろした。



 パチパチと暖炉の炎が爆ぜる音に、ニースの歌声が混ざり合う。マシューは、ゆっくり口を開いた。


「マーサがさっきから気になっている、この綺麗な音なんだがな。……これは、ニースの()なんだ」

「歌? 歌って、歌い手様が使()()って言われてるものだったわよね?」

「そうだ。その歌だ」

「じゃあ、ニースは歌い手様だって言うのかい?」

「いや、違う。ニースは歌を歌うが歌い手様じゃないんだ」

「歌うけど、歌い手様じゃない? どういう意味なの」


 ぽかんとしたマーサに、マシューは話を続けた。


「お前さんが理解できないのは、わしにもよく分かる。これには、ニースがなぜ伯爵様の所を追い出されたのかが関わってるんだ。今まで話していなかったことだが、お前さんなら信用できる。ちょいと長くなるが、聞いてくれるか?」

「ずいぶんと、ややこしい話みたいね……」


 マーサは考え込むように、暖炉の炎を見つめた。マシューは、じっとマーサの答えを待った。マーサは小さく頷くと、ポンと膝を叩き、立ち上がった。


「それなら、温かいミルクを飲みながら聞きましょうか。雪の中を歩いて来たから、体が冷えちゃって大変なのよ。これだから冷え性ってほんと嫌よね」


 にっこり微笑んだマーサは台所から戻ると、暖炉でヤギの乳を温めながら、マシューに話を促した。マシューは表情を引き締め、静かに語り出した。



 暖炉の赤い炎が、寂しげに揺れる。ニースの過去を聞いたマーサは悲しげに、はぁとため息を吐いた。マーサが手に持つカップには、少しぬるくなったヤギの乳が半分ほど残っていた。


「じゃあ、その“調子外れ”とかいうのだと、伯爵様にはとんでもない恥になるっていうのかい?」

「そうみたいだな」

「私にはさっぱり分からないわ。そんなに可愛がってたのに、歌の力とかいうのがないぐらいで、殺そうとするなんて。あんまりじゃないの」


 悔しそうに憤るマーサを見て、マシューは安心して微笑んだ。マシューのカップは、すでに空だった。


「まあ、だからな。ニースの歌のことを、あまり言いふらさないでもらえるか」

「もちろんよ。可愛いニースを傷付けるようなことは、私だって許さないわ。わけのわからない歌の力とやらがなくたって、あんなに綺麗なんだから。ニースの好きなことなら、なおさら大事にしてやらないと」


 マーサは、ふんと荒い鼻息を吐き、胸を張った。


「何か言うやつが町にいたら、私がきっちり()()()やるわ。私たちがニースを守ってやらないで、誰が守るっていうのよ」

「そいつは心強い」


 力強く決意を述べたマーサに、マシューは苦笑しつつも、ほっと胸を撫で下ろした。



 マシューとマーサの話が終わる頃。ニースはシェリーの力を借りて、ようやく羊舎での仕事を終えた。


「シェリー、ありがとう。助かったよ」


 シェリーは、どういたしましてと言うように、わんと吠えた。羊たちの動きを操るシェリーは、ニースにとって頼りになる先輩だった。

 仕事の後片付けを終えたニースは、シェリーと家へ戻る。羊舎と家を繋ぐ小道は、朝のうちにしっかり雪かきをしたはずだが、再び雪が積もっていた。


 ――お昼ご飯を食べたら、また雪かきをしなきゃ……。


 ニースがシェリーと家の裏口から入ると、中から話し声が聞こえた。


 ――誰か来たのかな?


 ニースは、靴の雪を払おうとしてしゃがみ込み、はっと息を呑んだ。


 ――さっき、歌を歌っちゃった……。


 誰がいるのかは分からないが、自分の歌を聞かれたかもしれないと思うと、ニースの心にはぐるぐると不安が渦巻いた。


 ――どうしよう。誰がいるんだろう。また怒られたら……。


 シェリーが、大丈夫だよと言うように、ニースの頬をぺろりと舐めた。ニースは、ぬるりとした頬の感触に、不安の渦から意識を現実へと引き戻した。


 ――きっと大丈夫。聞かれてない。もし聞かれても、おじいちゃんがいる。シェリーだって、ぼくを守ってくれる……。


 ニースは自分に言い聞かせながら、シェリーと自分の雪を払い、手を洗う。しかしニースの心の騒めきは、なかなか落ち着かなかった。

 ニースは、台所の入り口からそっと顔を出した。


 ――誰なのかな。誰が来てるのかな……。


 ニースが中を(うかが)うように顔を覗かせた時、ちょうどマーサが立ち上がった。マーサと視線を合わせたニースは、びくりと身体を震わせ俯いた。


 ――マーサおばさんだ……。歌、聞こえてたのかな。マーサおばさんに嫌われちゃったら……。


 小さく震えるニースに、マーサは、にっこり微笑んだ。


「素敵な歌声だったわ。また聞かせてくれる?」


 マーサの優しい声を聞き、ニースは恐る恐る顔を上げた。


 ――やっぱり聞こえてたんだ。でもマーサおばさんは、怒ってない……。


 マーサの微笑みは、ニースの心に優しく光を差した。ニースは絞り出すように、小さな声で答えた。


「うん。ぼくの歌でよければ……」

「あなたの歌じゃなきゃ嫌よ、ニース。私はあなたのファンになったんだから」


 マーサはパチリと片目を瞑り、茶目っ気たっぷりに言った。マーサの後ろで、マシューが、ぷっと噴き出す。マーサは、じろりとマシューを一瞥し、また微笑んでニースに目を向けた。

 ニースは、いつもと変わらぬ二人を見て、ようやく落ち着いた。


 ――良かった……。ぼくの歌、好きになってもらえたんだ。


 ニースは肩の力が抜けるのを感じ、ふわりと微笑んだ。大丈夫だったでしょと言わんばかりに、シェリーが、わんと吠えた。

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