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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第1部 天の導き【第2章 羊たちと歌】
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8:羊飼いの仕事1

前回のざっくりあらすじ:恐怖を克服して、ニースは再び歌うようになった。

 ある朝。ニースが肌寒さを感じて目を覚ますと、いつもより空気がしんとしているようだった。まだ眠い目をこすりながら起き上がると、カーテンの隙間から、何かがちらりと動いて見えた。


 ――なんだろう?


 ニースは肩をさすりながらカーテンを開け、歓声を上げた。


「わぁ! 真っ白だ!」


 動いて見えたのは、丸いほわほわとした綿雪だった。ニースが初めて見る雪は、見慣れた山や森を白く染めていた。


 ――もしかして、お山の帽子になる雪って、これのことなのかな? 羊の毛みたいに柔らかそうだけど、ずっと白い。


 アートル大陸は、ほぼ中央に国境線があり、大陸北部がアマービレ王国、大陸南部がアニマート共和国となっている。ニースの生まれた伯爵領は王国南部に位置し、温暖な気候のアニマート共和国に近く、冬でも雪が降る事は滅多になかった。そのためニースは、クフロトラブラで初めて雪を目にしたのだ。

 窓越しに見える雄大なラース山脈は白く覆われ、家の庭のように広がる牧場は、分厚い雪の絨毯で覆われていた。綿雪は白化粧をした木々を彩るように、ふわふわと風に乗って舞い踊る。顔を出したばかりの日の光を浴びて、雪はキラキラと輝いた。


「綺麗だなぁ……」


 感嘆の声と共に漏れ出たニースの息は、ガラス窓に当たって、じんわりと広がる。ほのかな熱は、もやのように白い膜を形作ると、すぐにふわりと消えてしまった。


「ふふ。面白い!」


 決して透明度が高いとはいえない粗末なガラスでも、ニースの吐息の熱と冬の冷気との間で白く曇る様は、ニースにはいつもと違う、特別なものに感じられた。



 ニースは、マーサに編んでもらった羊毛のセーターや靴下などで、いつもより念入りに暖かく体を包みこんだ。

 着替えを終えたニースが一階へ降りると、暖炉と(かまど)には、すでに火が付いていた。


 ――おじいちゃん、もう起きてたんだ。


 じんわりと暖かな空気の中、ニースは台所へ向かい、顔を洗おうと水道の蛇口をひねった。しかし、どうしたことか水が出なかった。疑問に思って首を(かし)げていると、羊舎と家を繋ぐ小道の雪かきを終えたマシューが、裏口の扉を開けて入ってきた。


「ああ、すまんすまん。水が出なかったか。元栓を開けるから、ちょっと待ってくれんか」

「もとせん……?」


 ニースは聞いた事のない言葉を不思議に思ったが、言われた通りに待った。マシューは頭や肩に積もった雪を、土間(どま)で払い始めた。


 土間は、靴に付いた土や泥を落とすため、玄関や裏口に設けられている石床の小さな空間だ。この世界の家々には必ず土間があり、外の汚れを屋内に持ち込まないようにする習慣があった。


 ニースは興味深げに、マシューが払った雪を見つめた。


 ――雪って柔らかそうに見えたけど……なんかちょっと違う? あ! お水に変わってく……!


 外で雪と遊んできたのだろう、牧羊犬のシェリーが、マシューの後ろから家へ入ってきた。土間で身体をぶるりと震わせるが、シェリーの長い毛には、毛玉のように雪がこびりつき、ほとんど取れなかった。

 ニースは、くすりと笑い、問いかけた。


「おじいちゃん。これが雪なんだよね?」

「そうだ。雪はとけると水になるんだがな。押し付けると固くもなるんだ」

「水になるけど、固くなるの?」

「ああ。あとで教えてやるからな。まずは水を出そう」

「うん」


 マシューは、シェリーについた大きな雪の塊を取ると、湿ったシェリーの体を布で軽く拭いた。そして、自分の靴の雪を降ろす前に、もう一度外に出た。

 マシューは裏口のそばでしゃがみ込み、何やらごそごそと動くと、家に入り靴の雪を落とした。


「もう大丈夫だ。水を出してごらん」


 マシューに言われてニースが蛇口をひねると、少ししてから水が出てきた。


「出てきたよ、おじいちゃん!」

「はは。そうだな。しっかり洗うといい」

「うん!」


 出てきた水はひんやり冷たかったが、凍えるほどの冷たさではなかった。ニースは微笑みを浮かべ、顔を洗った。



 マシューが家に入るのを見ると、シェリーはとてとてと暖炉の前へ歩いて行った。ニースは歩くシェリーを横目に顔を拭い、問いかけた。


「おじいちゃん。どうしてさっき、水が出なかったの?」

「ああ、そうか。お前さんは知らんのか。確かに元の家では必要なかったかもしれんなぁ」


 マシューは竃の火に薪をくべると、手を温めながら質問に答えた。


「ニースは、寒いところだと水がどうなるか知っているか?」

「うん。確か氷になるって、先生が言ってたと思う」


 ニースは、家庭教師から知識としては教えられていたものの、実物の氷を見たことはなかった。

 ニースの暮らした伯爵家には、冷蔵庫はあったが冷凍庫はなかった。冷蔵庫は、周囲の空気を冷やす氷石(こおりのいし)と雷石を利用して動く古代文明の発掘品だ。氷石は出力を上げれば物を凍らせる事も出来るが、伯爵家では冷蔵庫として使われていたため、氷は出来なかった。

 伯爵家の冬の庭では、雪こそ降らないものの、霜が降りたり、薄っすらと池に氷が張る日もあった。しかし朝日を浴びればすぐに消えてしまうため、幼いニースが目にする機会はなかったのだ。


 ニースの返事を聞いて、マシューは微笑んだ。


「その通りだ。ここいらでは冬になると、水が凍って氷になるんだ。地下にある水は凍らないが、こういう蛇口のあたりに来ている水はみんな凍っちまう。蛇口の中の水が凍ると、どうなると思う?」

「んー。水が出なくなっちゃうのかな。氷って確か硬いって聞いたから」

「知らないのに、よく分かったな。当たりだ」


 マシューは竃から離れ、蛇口をひねり水を出すと、石鹸で念入りに手を洗った。布で手を拭うと、朝食の支度をしながら話を続けた。


「でもな、水が出ないだけならまだいい方だ。凍った水を温めて溶かせばまた出るようになるからな。だが、水は凍ると、少しばかりかさが増えるんだ」

「かさが増える? おじいちゃん、それって何?」


 ニースは棚からカトラリーとコップを取り出し、首を傾げた。かさが増えるというのがどういうことなのか、ニースには想像もつかなかった。

 マシューは、ニースから受け取ったコップにヤギの乳を入れ、ニヤリと笑った。


「まあ、今度コップか何かに入れて、水を凍らせてみればわかるだろう」

「分かった。ぼく、今日寝る前にコップを外に出してみるよ」

「そうだな。やってみるといい」


 ニースは、カトラリーとコップをテーブルへ運んだ。マシューは、温め直した前の晩のスープを皿によそった。


「まあ、とにかくだ。水が凍ってかさが増えると、水の通る管がパンパンに膨らんで歪んでしまう。ひどい時には管が裂けて水が出なくなるんだが、町で配管工をやっているのは一軒しかなくてな。直してもらうのも一苦労なんだよ」


 肩をすくめたマシューは、ニースにスープを渡した。ニースは、温かな皿にずっと手を添えていたいと感じながら、テーブルへ運んだ。

 マシューは大きな丸パンを二枚切り分け、竃の炎で炙りながら話を続けた。


「それでだ。凍って水道が壊れないように、夜寝る前に地下から伸びている水道の元栓を閉めて、地上に出てる管の中の水を全部出すんだ。そうしておけば、夜も凍らないから、朝にまた水が出せるってわけだ」

「土の下だと、水は凍らないの?」

「ああ、そうだ。土の中は外より暖かいからな」

「そうなんだね」


 冷たく硬くなったパンを炙ると、わずかだがふんわり柔らかさが戻る。ニースはパンに焦げ目が少しついたぐらいが好きだった。

 ニースは、マシューが炙るパンの焦げ付き具合を確認しながら尋ねた。


「でも、昨日までは朝も水が出てたから、元栓っていうのを閉めたのは昨日が初めてなんだよね? 今朝雪が降ってきて、水が凍っちゃうぐらい寒くなるって、おじいちゃんはどうやってわかったの?」

「ははは。さすがにそんなことまでは、わしにもわからんよ。昨日もその前も、冬になってから毎晩元栓は閉めていたんだ」

「冬になってからって、羊を羊舎に閉じ込めてから?」

「はは。閉じ込めるか。まあ、そうだな。羊舎で飼い始めだ頃からだ」


 冬になれば、牧場の草は枯れ、気温もぐっと下がる。冬の間、羊たちは暖かい羊舎の中で過ごしていた。

 マシューは穏やかに言葉を継いだ。


「いつもはニースが起き出す前に元栓を開くんだが、今日はそれより先に雪かきをしていたからな。それで水が出なかったわけだ」


 パンの表面がニースの好きな頃合いに色づくと、マシューは焼いたベーコンと共に皿に乗せ、これぐらいでいいかと目線で尋ねた。

 ニースは嬉しげに微笑んでマシューに答えを返すと、テーブルへ皿を運び席に着いた。


「そうだったんだ。ぼく全然知らなかったよ。ねえ、おじいちゃん、雪かきって大変?」

「雪かきは、まあ大変ではあるな」

「じゃあ、ぼくも明日から手伝うよ」


 手を洗い、席に着こうとしたマシューは、ニースの言葉に優しく微笑んだ。


「雪かきは力仕事だ。なかなか骨が折れるぞ?」

「大丈夫だよ。おじいちゃんみたいには出来ないと思うけれど、ぼくに出来ることで、ちょっとでも役に立ちたいんだ」


 椅子に座ったマシューは、ニースの返事を聞いてふっと笑みをこぼした。


「よし、それなら明日は早起きしないとな。まずは今日の朝飯だ。冷めないうちにしっかりお食べ」

「うん。ぼく、明日からがんばるね」


 ニースがにっこり笑うと、二人は食前の挨拶をして朝食を食べ始めた。暖かなスープやパンに負けないぐらい、ニースの優しさがマシューの心を暖めていた。

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