きっと心地好い/
きっと心地好い
次の発語こそ
今のいちばんあまい声
優しく触れると
そっと触れてくる声のてざわり
話すように歩き
踊るように挨拶をして
くるくるとまわるように
わたしたちはいれかわる
猫が猫であるような気安さで
通りすぎる飾らない足取りが
とても高度な芸術みたいで
晴れている冬空のしあわせが
泣きそうなほどに美しいなんて
わたしたちは帰ってきたんだ
そしてまた反落する感情の陰線が
突き落とす暗渠の水底へ溺れ
胸苦しく息も出来ずに
さ迷いでる石の上に
煌々と月は冷え
また日が昇る
人々の向かい合うシンクロ能力が起動する
我々のどこまでが自動機械で
どこまでが自由意思であるか
そんなことを同調して迷おう
旗などには触らないで
数にも依らないで
何も決めようとはしないで
染み透るような水みたいに
それだけになってしまって
わたしは政治思想を語りたくはない。詩の失速はそれらからの利用に無関係でないと感じている。先人たちはもっとスマートに流麗に隠喩していた。もっとシニカルに斜めに批判的精神をわすれたくない。また表現や意味を意識し過ぎて、本体と文がバラバラになるのは稚拙である。しかし過渡期としてはありだ。むしろそれよりもっと見苦しいのは阿りによるぐにゃぐにゃとした文である。読み手と書き手は対等であり、時に挑戦しあうライバルであるべきではないか?
長文失礼。