ディックとアンバー
「こんにちは、マリエラさ……」
木漏れ日の扉をあけたのは黒鉄輸送隊のマルロー副隊長だった。
「あ、マルローさん、珍しい。いら……」
いらっしゃい、とマリエラが言うより早くマルローは店の中に入らずそのまま扉をパタンと閉めた。
「ちょ、マルローさん!?」
慌てて外に出るマリエラ。
「な、ななななんでニーレンバーグ先生が!?」
ナイスリアクションだ。ウェイスハルトの説明通りニーレンバーグ先生の番犬効果は抜群だ。悪人どころか味方までも逃げ出してしまうのだけれど。
「マルローか、入れ」
まるで自分の店のように指示するニーレンバーグ。
「リンクスめ……」
リンクスから報告を受けていなかったのか、ニーレンバーグに聞こえない小声でぶつくさ言いながら『木漏れ日』の中へ連行されていくマルロー。
ちなみにニーレンバーグを恐がっているのは、キャロラインに要らぬ手出しをしようと目論む人たちと迷宮討伐軍の兵士だけで、ニーレンバーグが配慮していることもあるのだろうが『木漏れ日』のお客さん達はあっと言う間に馴染んでしまった。
「腰がのー」
「フム、この薬を湯上りに塗れば治まるだろう」
「先生、うちの子が」
「む、唯の風邪だ。咳がつらそうだから、熱さましに加えてこの薬を飲ませるといい」
『木漏れ日』の少女たちが普通に接しているので、恐いのは顔だけなのだと判断したのかもしれないが、ニーレンバーグの顔を見て泣き出す子供に、「大丈夫よー、見た目と違ってやさしい先生よ」などとあやす母親は命知らずすぎやしないか。
ニーレンバーグは怪我だけでなく、病気や老化による不調にも詳しいから、マリエラやキャロラインはとても勉強になっている。キャロラインなど、「こういう薬があればと思うのですけれど」と積極的に相談し、新しい薬をどんどん作っている。
ウェイスハルトが言った通り、キャロラインが婚約を解消してしばらくは、面倒臭い貴族や商人たちが『木漏れ日』にやってきていた。
「こんな小汚い店で……ェェエ!?」
「これはこれはキャロラ……ァァア!?」
薬を求めてやってくるお客さんと違って、キャロラインに手を出そうとする人はニーレンバーグについても知っている情報通の人ばかりなので、『木漏れ日』の扉をあけてニーレンバーグを見るや、皆面白い奇声をあげて帰っていった。
裏から手を回してマリエラやキャロラインに強硬手段を取ろうとする者達もいたが、ウェイスハルトの指揮のもと諜報部隊や黒鉄輸送隊の活躍で片っ端から粛清されている。迷宮都市の風通しが少し良くなったのだけれど、それはマリエラ達の知らないことだった。
「あの、ニーレンバーグ先生、私はマリエラさんに用事がありまして」
「私に用事ですか、マルローさん。なんでしょう?」
いつもは夜のポーション引渡しの時か、リンクスが買ってくる昼食の包みに用件を忍ばせてくるのに直接用事とは珍しい。
「実は、ディックとアンバーが結婚することになりまして」
なんと。ディック隊長にようやく春が訪れるのだそうだ。プロポーズを成功させ、ウッキウキで帝都に仕事に出かけているディックに代わってマリエラ達を招待しに来てくれたらしい。
「この仕事が終わったら、俺、結婚するんだ」なんて浮き足だっているときは、高確率でトラブルが発生し、非情な運命に飲まれてしまうものだけれど、マルロー副隊長の情報によると、いつもよりも早いペースで魔の森の街道を爆走し、ラプトルが疲れるとユーリケを怒らせているらしい。安全運転でお願いしたい。アンバーさんは逃げないんだから。たぶん。
「ほう、その内容で私は関係無いというのか?」
「い、いえいえ勿論先生も!先生も是非お越し下さい!」
「まぁ、結婚式ですの?」
「わぁ、私も見たいわ。いいでしょ、パパ」
美少女二人はどんなドレスだろうなどと年頃の娘らしく盛り上がっている。
(どんなご馳走が出るのかな!?)
なんて考えてしまった微少女も「た、たのしみだネー」などと、取って付けたような台詞で会話に混じっていった。
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「ア、アアアアンバー、この槍をやる!」
「いらないわよ、そんな棒ッ切れ」
「たいちょーはさー、このプロポーズの台詞寝ずに考えたらしいんだけどさー」
いつもよりいい服を着て、髪をパリッと撫で付けたリンクスが、身振り手振りでディック隊長のプロポーズの様子を話してくれる。リンクスは『影使い』のスキルと黒鉄輸送隊で磨いた斥候能力を駆使して、ディック隊長のプロポーズシーンに潜入したらしい。能力の無駄遣いか。
「これからは! 俺がこの槍でお前を護るから!」
何度も死線を共にした半身とも呼べる槍を要らないと断られたディック隊長は、ちょっぴり泣きそうになりながらも、めげずにアンバーさんに食いついたそうだ。
「何言ってるのよ。今までだってずっと護ってくれてたじゃない。アタシは槍よりアンタがいいよ」
そう言ってディック隊長の槍を持たない左手をアンバーさんは取ったそうだ。
Aランクの槍使いでなくても、例え戦えなくたってディック隊長がいい。そんなアンバーの返事に、ディック隊長はまるでプロポーズされた乙女のように目を潤ませたそうだ。身の丈2mの厳ついおっさんの癖して、心はピュアな少年か。
「アンバーさん、男前ですわね」
「アンバーさんが、カッコイイわ」
「さすがアンバーさん」
意気投合する3人のビ少女。知り合いだけの小さなパーティーということもあり、三人とも普段よりは余所行きのワンピースといった服装だ。髪も綺麗にセットしているので、美少女度がいつもより数割アップしている。勿論、微少女も含めてだ。酒の勢いが手伝えば、美少女三人組といえなくも無い。
けれど、今日の主役には美少女三人も遠く及ばないだろう。いつもの扇情的な赤のドレスではなく、首元までを肌を覆った白のドレスに身を包んだアンバーさんは誰よりも綺麗で幸せそうに見えた。いや、もっと幸せそうな人がいた。もう一人の主役、ディック隊長だ。花嫁姿のアンバーさんを見るや、両手で口元を覆い、そしてこっそり涙を拭いていた。
(なに、その乙女みたいな反応……)
会場の全員が思ったに違いない。
あとはひたすらデレデレにやにや、デレデレにやにや、見ているほうが、「ごちそうさま」を言いたくなるような幸せオーラを振りまいていた。
『ヤグーの跳ね橋亭』で開いた来るもの拒まずのラフなパーティーなので、話を聞きつけた元同僚だと言う迷宮討伐軍の人たちや、黒鉄輸送隊の取引先の人たちが次々とやってきて、いつしか大宴会になってしまった。
迷宮都市の庶民の結婚式は、たいていが人前式で多くの人に祝ってもらうほど幸せになれるとされているから、キャロラインやシェリーのように『木漏れ日』でアンバーと知り合った人たちも祝いの品を片手に大勢詰め掛けている。
幸せそうな新郎新婦にあやかって、会場でひときわ目を引く美少女三人組に声を掛けようとする者はいない。三人の背後にはニーレンバーグを初めジークやキャロラインの護衛が目を光らせているからなのだが。お陰で、迷宮討伐軍が持ってきた迷宮産の口の大きな怪魚料理を堪能できたのだから、マリエラとしては大満足だっただろう。
凍てつく冬の只中で、心から暖かくなるような宴はマリエラ達が帰った後も夜が明けるまで続いていた。
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「迷宮討伐軍に戻ってもいいのですよ。必要な金額は貯まったのでしょう、ディック。貴方はそのために迷宮討伐軍を抜けたのですから」
ディックがアンバーにプロポーズする前、マルローはディックと話をしていた。
「そうだな……。迷宮討伐軍を抜けて、もう十年近くたつのか……」
ディックは過ぎ去った日のことを懐かしく思い返していた。
ディックが初めてアンバーを意識したのは二人がまだ十代の少年少女だった頃だと思う。
「やーい、牛女ー」
「うっさい、はったおすよ!」
「ぎゃー、蹴ってからいうなよ!」
「あああ、アンバーをいじめるなー!!」
「わ、ちょっとディック、やりすぎ!」
よくある話だ。ディックとアンバーは同じ孤児院で育った。アンバーはディックより一つ年上で、気が強くて面倒見が良いアンバーと力任せなディックとは姉弟のように仲がよかった。歳不相応なスタイルを誇るアンバーがいじめっ子にからかわれる度に、ディックは何処からか駆けつけた。大抵はディックが乱入する前に、アンバーが自力で解決していたのだが。その頃からだ。ディックはなぜだかアンバーをからかう者を見過ごせなくなっていた。
孤児院を巣立った後、低レベルながら人物鑑定のスキルを持つアンバーは商店へ、槍のスキルを持つディックは迷宮討伐軍へとそれぞれ就職した。アンバーの人物鑑定スキルはレベルが低く、相手のスキルなどを見抜くことなど到底出来はしなかったが、相手の性格や好み、考えなどはなんとなくわかったから、アンバーの接客によって商店はどんどん売上を伸ばし彼女も頭角を現していった。
同時にディックも槍の才能を評価され、平民の若造でありながらレオンハルトという理解ある上司の下、迷宮討伐軍の隊長にまで昇進していった。
忙しい合間を縫って二人は逢瀬を重ねていった。口下手でいつまでも手がかかるディックの世話を焼くアンバー。姉弟のようだった二人の空気は次第に様相を変えていった。
商才も美貌も咲き誇る花のように満ちていくアンバーに、帝都から来た評判の悪い貴族が目をつけるなど、ありふれた話なのだろう。
セコイアスというその貴族が、都市防衛隊の新しい大佐で、ディックよりも身分も立場も上であったことも。
商談と偽り、アンバーを都市防衛隊の私室へ招きいれたことも、それを聞きつけたディックが間一髪その部屋へ駆けつけたことも、物語や芝居で幾度と無く繰り返された、ありふれた話だった。
ディックがセコイアスの私室に飛び込んだ時には既に、床には割れた花瓶の破片が散らばっていて、アンバーの近くにはセコイアスが無様に気絶していたことを除けば。
アンバーは昔からちょっぴり気性が荒かった。大抵はディックが乱入する前に、自力で解決していたのだ。
邪な行為に及ぼうとするセコイアスに対し、記録の魔道具でキッチリ証拠を押さえた上で、自己防衛よろしく蹴り倒したらしい。
「花瓶はもみ合ってるときに落ちて割れたんだよ。こんなんで殴ったりしないさ」
証拠もちゃんと押さえてある。レオンハルト将軍の差配でセコイアスの罪は暴かれ、全ては笑い話で終わるはずだった。セコイアスが迷宮都市を去った後、代理人だと言う男が割れた花瓶の賠償を請求してきたのだ。
「あの花瓶が金貨100枚だって?」
どの部屋にも備えてあるような安物の花瓶だったはずだ。だから割れた花瓶はそのままにしてしまっていた。けれど、記録の魔道具で音声は残されている。『花瓶が割れた』という証拠はあるのだ。
セコイアスが立てた代理人は、「金貨100枚の値打ちがある花瓶の破片を見た」と宣言魔法で証言していた。「その破片を見せてくれ。自分が割った花瓶かどうか証言するから」というアンバーの申し出は叶わなかった。
職を追われたセコイアスは、後始末を代理人に託すや迷宮都市を去り、帝都に向かう山脈沿いの街道でヤグーごと谷底に転落して世を去ってしまったからだ。
問題のある人物であったとはいえ、後継者を失った貴族家と平民の娘。花瓶の代金金貨100枚をアンバーが払えば、これ以上問題にしないと言う代理人の言い分はアンバーにとって穏当な落とし所に思えた。
レオンハルトが仲裁に当たってくれたのは、ディックが迷宮討伐軍の隊長だからだ。姉弟のように育ったけれど、アンバーとディックに血のつながりは無い。何よりも、孤児から迷宮討伐軍の隊長にまで昇進したディックの将来を潰したくはなかった。
「これ以上迷惑はかけられないよね」
アンバーはディックに相談することなく、その身をもって金貨100枚を工面した。
よくある話だ。いくら若く美しいとはいえ、金貨100枚など返せる額ではない。アンバーは終身奴隷に落ちるはずだった。アンバーは忘れていたのだ。アンバーの危機には何処からとも無くディックが駆けつけるということを。
「俺が必ず払う」
アンバーが終身奴隷に落ちる寸前に現れたディックは、奴隷商人相手にゴネにゴネ、利子相当を払うことで借金奴隷に留めることに成功した。
しかし、迷宮討伐軍の隊長の給料ではその利子にさえ足りはしない。困りきったディックの前に、「良い話があるのですよ」とマルローが黒鉄輸送隊の話を持ちかけたのだ。
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「マルロー。お前のお陰だ」
「いえ、マリエラさんが現れなければ、これほどの額をこの短期間に稼ぐことなど出来なかったでしょう」
アグウィナス家の一件以来、キャロラインだけでなくマリエラについて探ろうと暗躍するものが増えた。その粛清も含めて黒鉄輸送隊が受け取ってきた報酬は彼らの働きに見合うものだったけれど、対価として妥当かという以前に、これだけの機会に恵まれたのはマリエラがいたからだ。感謝しても仕切れないとディックは思っている。
マリエラが黒鉄輸送隊の前に現れなければ、ポーションの売買を任せてくれなければ、きっと死ぬまでアンバーを自由にしてやれなかっただろう。
「これからどうします?」
黒鉄輸送隊がマリエラと結んだ守秘の契約は破られていないけれど、マリエラの存在はウェイスハルトの知るところとなった。不穏なやからの粛清も一段落ついた。これからもマリエラはどんどんポーションを作るだろう。魔物除けのポーションが流通するようになれば、200年前のように黒鉄輸送隊が使っている魔の森の街道が流通の主流となり、人や物の往来も活発になっていくだろう。
状況はこれから大きく変わっていくに違いない。
「何れにせよ、もう少し先の話だ。まだ、あの街道には人狼なんぞが稀に出る。アイツラだけに任せてはおけんだろう」
「ふ、そうですね。まだプロポーズも成功させていないわけですから」
「……、不吉なこと言うなよ」
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結婚式の会場で、マルローはディックを祝福する。
「おめでとうディック。ようこそこちら側へ」
「……、だから、不吉っぽく言うなよ」
交わす言葉は少なくとも、通じるものがあるのだろう。
友と酌み交わしたその日の酒は、今までのどの酒よりも旨かった。絶える事無い祝い客に注がれるままに酒を飲み、ディックは心行くまで酔いしれた。
花嫁をほっぽって。
宴会場でいつもの様に酔いつぶれ、かつて無いレベルで醜態を晒しまくったディックは、次に迷宮都市に帰ってくるまでアンバーに新居に入れてもらえなかったと言う。
「マルローが不吉なことを言うからだ……」
完全に責任転嫁してぶーたれるディックに、マルローは爆笑しながら仲直りの秘訣を教示するのだった。




