ロバートの不信感
「今月のポーションの売渡請求はこれだけなのですか?」
ロバート・アグウィナスは年老いた家令に尋ねる。
「はい。ロバート様。先日の値下げ要求の際、ご指示通り従来価格でのお取引をお願いしましたところ、このような本数に。なにやら予算の削減が有ったようでございまして。」
迷宮討伐軍が提示してきたポーションの売渡請求は従来の半分に満たない本数だった。
「おかしいですね。迷宮討伐軍は先の遠征で多数の負傷者を出しているはず。ポーションに余裕があるはずはないのですが。」
アグウィナス家はポーションの管理と研究に重きを置く家柄だが、情報収集を全く行っていないわけではない。市井に出回っていない情報であっても、迷宮討伐軍の診療所内に多数の負傷者が収容されていた程度の情報ならば把握している。他にもアグウィナス家が提供した上級ポーションの残数を把握する術はあるのだが。何れにせよ、先の遠征は苦戦を強いられたようだ。遠征から一月半、負傷者の治療が完了し小規模遠征の開始も確認されている。小規模遠征前に用立てたポーションも殆ど使い切っているはずだから、多量の売渡請求がある物だと思っていたが。
「買い控えて値引きを誘う算段でしょうか。それにしては時期が遅い。今から駆け引きをするなどと。小規模遠征は既に始まっているはずですから。」
ロバートの思案に家令が答える。
「情報屋の話では、埋蔵されたポーションが見つかったのではとのことでして。」
「それは『ありえない』。爺だって分かっているでしょう。ですが、『その噂』の通り新たなポーションが見つかったのならば……。」
まさか。ロバートは考える。
埋蔵されたポーションが見つかることなどありえない。
なぜならば、アグウィナス家に設置された最高のポーション保管設備でさえ、100年ほどしか命の雫の効果を維持できない代物なのだから。
200年前の魔の森の氾濫の後、ポーション保管設備の開発で魔道具技術は飛躍的に向上した。帝都で最高の頭脳を誇った学者達が考案した保管設備は、ポーションの魔法効果の源である命の雫をポーション内で対流させ、錬金術師がポーション作成の最終工程で付与する《薬効固定》に似た効果を常時与えることで、ポーションの劣化を抑えることに成功した。
その効果は『理論上は』200年。
これまでの保管容器に比べればたとえ途中で劣化が始まろうと、100年もの間ポーションの保存を可能にした保管設備は賞賛すべきものだったのだろう。けれど100年。魔の森の氾濫直後に作られたポーションが残っているはずはないのだ。勿論この情報は秘匿されている。迷宮討伐軍やシューゼンワルド辺境伯家を初めとする各家が保有するポーション保管設備内のポーションは、アグウィナス家からの定期的なポーション供給によって古いポーションの入れ替えが行われているから、彼らも真実には気付いてはいないはずだ。ポーション保管設備の保管可能年数と共にアグウィナス家の秘密は秘匿され続けている。
だから、新たなポーションが世に出たならば、それは、アグウィナス家の地下に眠る者と『同じ者』が目覚めたということ。
ありえない話ではない。同じ手段を持つものが居ないと言い切れるものではない。
しかしにわかには信じがたい。
魔の森の氾濫後の状況は詳細に語り継がれているのだから。迷宮都市の復興に携わった錬金術師たちは一人残らずアグウィナス家が把握している。
(一体、何者ですか?)
ロバートは家令に命ずる。
「探し出すのです。錬金術師であるならば、わが家に迎え入れねばなりません。」
家令は深々と頭を下げて部屋を後にする。彼もまた、アグウィナス家に連なるもの。家令は信の置ける部下に命ずる。情報屋に連絡を。ポーションの運搬人を洗い出せ。運搬人の通う先も忘れずに、虱潰しに調べよと。
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「ご報告いたします。」
レオンハルト、ウェイスハルトの元に、迷宮54階層を調査していた斥候からの報告が届く。
その調査内容によると、54階層に広がる水は実在の海と殆ど変わらない海水であり、深さは不明であるとのこと。階下へ繋がる階段は深度200m付近まで継続していたがそれ以降は斥候の潜水能力の限界を越えたため確認できていない。深さに関しては音使いの調査によると水中探索限度の1000mを超えるという。
「つまり、果ても、底も見えず、無限の広さを有する可能性があるということか。」
「54階層自体を空間操作しているのでしょう。して、魔物は?」
「はっ。魔物ですが、空中には一体も確認されませんでした。海中も音使いの探索範囲には小魚一匹見えなかったとのことです。魔力が感じられるのは、例の柱だけだとのことです。」
斥候の報告に、レオンハルトとウェイスハルトは顔を見合わせる。
広大な海原にぽつんと立つ一本の柱。
怪しくないと思う者などいないだろう。
「それで、その柱は?」
ウェイスハルトに促され、斥候は現在の調査状況を報告する。
柱の海上部分は3階建ての建物よりも高く、太さは城壁の尖塔よりも太い。
柱の上端には頭部らしきものが4つ付いており、それぞれ直角に違う方向を見据えていて360度死角はない。頭部の形状は竜を思わせる形だが、眼は通常の位置と額の三箇所にあり、どれも異様に大きく飛び出している。口は上下に開くあごの代わりに筒状に飛び出している。海中部分が何処まで伸びているのか見当が付かないが、波にあわせて極僅かに上下に動くことがあるため、浮遊体である可能性が高い。
蟲使いが羽のある魔蟲を向かわせたところ、塔からおよそ1kmの地点で頭上部の筒状に伸びた口から光線が発射され、魔蟲は1匹残らず蒸発した。光線の発射条件を検証したところ、塔の頭頂部を中心とした半径1kmの球が射程範囲で海面であろうが、空中であろうが侵入した物体に対して光線が発射されるとのこと。光線が発射されてから次の発射までの時間は5分とかからない。たとえ陸上であっても光線の待機時間中に接近することは困難だろうに、光線の待機時間中には高圧の水撃が発射されるという。水撃は連続発射が可能で何発まで連続発射が可能かは、蟲使いの消耗が激しく計測ができていない。
蟲使いは卵から孵した特殊な魔蟲を操り、感覚を共有することで遠隔から安全に情報を得ることができる。どんな危険が潜んでいるか分からない迷宮の新たな階層の探索には欠かせない存在だが、魔蟲が殺されるとその感覚のフィードバックも受けるため、スキルの稀少さもあって運用は慎重に行なわれる。今回は何匹もの魔蟲を殺されながらも、だいぶ無理をして何とか海上部分の検証は終わらせたようだ。
蟲使いに十分な休息を取らせるように申し伝えた後、レオンハルトは報告のあった遠距離攻撃について質問する。
「光魔法の一種か。ミラーシールドで反射できんのか?」
「はい。ミラーシールドを固定した筏を射程範囲に進入させましたところ、光線によって盾ごと瞬時に蒸発いたしました。」
どうやら塔が放つ光線は、一撃必殺の魔法らしい。水撃も強力で筏は大破、直撃を受けたミラーシールドはへこんだ状態で吹き飛ばされたという。これでは海上から正攻法で攻めるのは困難だろう。
「次に海中部分ですが、光線の射程ぎりぎり外に筏を浮かべ、水魔法で銛を射出して検証いたしましたところ、水深10m以深では光線が発射されないことが確認されました。現段階における検証結果は以上です。」
斥候の報告に、再び顔を見合わせるレオンハルトとウェイスハルト。
斥候の退室後、ウェイスハルトが話し始める。
「潜りますか、兄上。」
「1kmを息継ぎなしでか?」
「重石をつけた空気袋でも準備しますか?長い送気管の方が良いですか?」
「それで近づけたとして、どのように塔を破壊するのだ?」
「そうですね。詳細な調査結果を待ちましょう。水中行動を可能にするポーションが無いか調べさせましょう。」
「ポーションか。そういえばあの聖水は素晴らしい効き目だったな。」
「聖水は材料によって効果が大きく異なるといいますから、よほど良い材料を使ったのでしょうね。」
「材料?何だ?」
「乙女の髪らしいですよ。若く清らかな娘の髪ほど強い効果を発揮するとか。」
「何!?」
がたりとレオンハルトが立ち上がる。乙女の髪。うら若き娘が迷宮討伐の為とはいえ、その髪を切り落としたというのか。
レオンハルトはキャロライン嬢のような若く美しい乙女が、その長い髪をばっさりと切り落とす様を想像していた。実際は、『ヤグーの跳ね橋亭』の看板娘エミリーちゃん10歳の揃えた髪がちょっぴり使われているだけなのだが。
(その献身に報いるためにも、必ずや迷宮を斃して見せる。)
決意を新たにするレオンハルト。乙女の髪の件を聞き、空気袋を背負おうが、長い送気管を咥えることになろうが、海中を塔へと進む気構えができたようだ。
「マリねーちゃーん、父ちゃんが髪ぎざぎざに切ってごめんってすっごいキレイなリボンくれたー。」
呪い蛇の王討伐の影の功労者のエミリーちゃんは、『ヤグーの跳ね橋亭』のマスターにもらった新しいリボンで髪を結わえて『木漏れ日』に遊びに来る。自分で結んでいるのか、髪をくくる高さが左右で違っていたり、リボンが縦結びになっているのもいつものことだ。
マリエラやキャロラインがきれいに結びなおしてやり、一緒におやつを食べる。何時もの平和な情景だ。
エミリーちゃんのリボンは聖水の代金と共に届けられた布地で作られている。布地を言付かったマルロー副隊長の説明によると、『聖水の材料のお礼にレオンハルト将軍から賜った』とのことだった。迷宮都市ではなかなか手に入らない立派な布地だ。レオンハルト将軍が何を何処まで知っているのかは分からないけれど、たぶんエミリーちゃんへのプレゼントだろうから、マルロー副隊長経由で『ヤグーの跳ね橋亭』のマスターに渡してもらった。
高価な品だから理由にとても困ったけれど、『水濡れ品で売れない』布地で『黒鉄輸送隊の定宿で迷惑を掛けているから』と理由をつけて受け取ってもらった。マスターは布地をじっと見つめると、しんみりした様子で「エミリーの花嫁衣裳に……」などと言っていたそうだ。気が早すぎる。
結局、すぐにエミリーちゃんに渡されたのは、布地の端で作ったリボンだけだったけれど、エミリーちゃんは超ご機嫌だ。
ちなみにマリエラの至福のお寝坊タイムには、なんのボーナスも付いてこなかった。そう言ってむくれると、ジークがココアにマシュマロを三つも入れてくれた。
迷宮都市はもうじき冬を迎える。冷え込む夜に暖炉の前でココアを飲みながらジークと寛ぐ時間はプライスレスだとマリエラは思った。




