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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第二章 迷宮都市での暮らし
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逃走劇

「ヒッ、ひえあぁぁあ!?」


 突如眼前に現れた巨大な巨大スライムに腰を抜かすキンデル建材部門長。


 本来スライムは卵の黄身ほどの核をもつ両手の平を合わせたくらいの魔物だ。

 しかし、キンデル建材部門長の前に現れたのは核だけでも人の頭ほどある巨大なものだった。

 陥没するように溶け落ちた雨水枡付近の穴から、しゅうしゅうと煙をあげて軟体がごぶりと溢れ出す。見上げるほどの高さにせり上がった軟体中に、巨大な核がどるんと蠢き目玉のようにも見える。まるでスライムとは異質な魔物のようで見る者に威圧と不安を感じさせる。


 ごぷごぷごぼりと粘度の高い液体のような体の大半が穴から地上に這い上がると、馬車ほどもある巨大スライムは近くにいる餌を捕食するため体をせり上がらせ、キンデル建材部門長と近くにいたスラムの住人に覆いかぶさるように襲い掛かってきた。


「危ない!」


 叫んだのは、朝からキンデル建材部門長の護衛としてスラムを回っていた都市防衛隊の兵士。名をカイトという。

 彼はとっさに《シールド》のスキルを使い、自ら盾を構えて巨大スライムの前に立ちはだかった。

 カイトのシールドスキルは装備した盾の性能を短時間だけ向上させるもの。例えば木製の盾であれば火炎に弱く、金属であれば酸に溶ける。そういった材質の弱点さえ補い盾の面積以上の攻撃をごく短時間だけ防ぐものだ。勿論、強い攻撃は防ぎきれない。迷宮討伐隊の盾職には及びも付かない弱い能力だった。


 しかし彼は飛び出した。いくら巨大であろうと相手はスライム。スライムの溶解液であれば自分のスキルでも防ぐことができる。


 カイトが繰り出したシールドバッシュは獲物を飲み込もうとする巨大スライムの攻撃をはじき返し、吹きかけられる溶解液すら防ぎきった。

「大丈夫か、今のうちに早く行け!」

「あっ、ありがとうっ」

 カイトに助けられ、感謝の言葉を述べて走り去るスラムの住人。


 カイトは朝からずっと耐えてきた。スラムにあっても懸命に暮らす人々が虐げられる様を見続けて、それでも何もできない自分が歯がゆく、悔しく、惨めに思えた。良かった。一人でも助けることができて。

 カイトは盾を構えなおすと、仲間に向かって住人の避難を呼びかけつつ、部隊に合流するため走っていった。


「ひょっ、ひょんなぁ~、あば、あばば、とけっ、とけう~」


 カイトはスラムの住人を守った。彼のスキルで守れるのはせいぜい一人だけ。

 彼は全力を尽くしたのだ。

 スラムの住人より、ほんのちょっと遠い位置にいたキンデル建材部門長が巨大スライムに飲まれてしまったのは仕方がない。

 力が及ばなかったのだ。悲劇だったと嘆く以外ないだろう。

 彼は全力を尽くしたのだから。


 巨大スライムの中で、見る間に溶けていくキンデル建材部門長を目の当たりにして、スラム街の大通りはパニックに陥った。蜘蛛の子を散らすように逃げ出すスラムの住人たち。彼らも元は冒険者だ。安全な部署でのうのうと過ごしてきた都市防衛隊より、よほど危険予知に優れている。あれは巨大だがスライム。目も耳も鼻もない。獲物の魔力を察知して襲い掛かってくるものだ。だから感知されないよう魔力を潜め、一箇所にかたまらないようばらばらに逃げる。


 スラムの住人の判断は的確だった。巨大スライムからすれば、折角餌が豊富にある場所に来たのに、餌場に着くなり獲物が方々に散ってしまった状態だ。獲物が逃げるならば逃げられないように攻撃するのは魔物の本能。巨大スライムは空気を吸い込みその体を倍ほどにも膨らませると、その圧力で溶解液を四方に大量に吹きだした。巨大スライムの溶解液を避けられたのは、とっさに建物に隠れた者とシールドスキルをもつ僅かな兵士だけで、スラムの大通りは阿鼻叫喚に包まれた。


「きゃあぁぁぁっ」

「うっぎゃー」

「ああぁっ、あつい、あついっ」


 肉が溶ける痛みを灼熱感として訴える人々。溶解液の射程は長く、騒ぎを遠く覗き見る迷宮に近い環状道路にさえ被害が及ぶ。


「水だっ。大量の水で洗い流せっ。急げっ。」


 盾使いのカイトが声をあげる。本来現場の指揮を執るべきテルーテル大佐は、唖然として離れた場所に突っ立っており役に立たない。仲間達もおろおろと指示を待つばかりだ。


「しっかりしろ!相手はたかがスライムだ。俺たちは都市防衛隊だろう。」

 カイトの声になすべきことを思い出した兵達が動き出す。

「住人の避難を。負傷者は優先的に。」

「伝達兵は迷宮討伐隊に応援要請を。ここからならば迷宮討伐隊の治療所も近い。重傷者を運び込め。」

「盾持ちは巨大スライムの溶解液を防げ。他の者は集められたデイジスでバリケードを築け。巨大でもスライムならば来ないはずだ。攻撃魔法が使えるものは打ち込んでけん制しろ。」

 互いに声を掛けあい、動き出す都市防衛隊の兵達。


 折角地上まで登ってきたのに、獲物は散り散りになって残った餌も酷く食べづらくなってしまった。

 それでも巨大スライムは捕食をやめない。それなりの魔力をもった餌が、近い場所に無防備に突っ立っている。

 巨大スライムは未だ唖然としているテルーテル大佐に襲い掛かった。


「なっ、なぜだね?なんでなんだねー!?」


 はひはひと息をきらしながら逃げ出すテルーテル大佐。地面を溶かしながらずるずると追いかける巨大スライム。

 多数の負傷者を出し、危機的状況だったスラムの大通りから、巨大スライムは離れていく。

 どうする?そんな空気が都市防衛隊の中で流れたその時、

「テルーテル大佐が身をもって巨大スライムを引き付けてくださった!この間に、負傷者の救助と住民の避難を急ぐぞ!」

 またもや盾使いのカイトが叫んだ。


 流石はテルーテル大佐!隊を預かるだけはある。俺たちは貴方の雄姿を忘れないかどうかは分からないが、都市防衛隊の大多数は負傷者の救助に向かい、いつもテルーテル大佐にへばり付いていた家柄組の数名が、救助に向かうような素振りでゆっくりとテルーテル大佐の後を追っていった。




「ジーク、なんか騒がしいね。お祭りかな?」


 昼食を済ませ、孤児院にアプリオレの代金を届けたマリエラとジークは迷宮のスラム側の出入り口に向かっていた。孤児院は迷宮都市の西側、スラムと住宅街の境目にある。迷宮を囲う防壁は冒険者ギルドのある北東側と、スラムのある南西側の2箇所に出入り口が有るから、孤児院から卸売市場に行くには、迷宮の囲いの中を突っ切るのが一番早い。折角外に出たのだから、夕食の買出しを済ませて帰るつもりだ。

 少しだけスラムを抜ける必要があるが、迷宮に近い場所はさほど治安も悪くない。こんな昼間なら子供でも出歩いている。まして2人は気配や魔力を潜めているから、おかしな者に出会う可能性は低い。


 そう思ってスラムの路地を歩いていたマリエラとジークのところに、巨大スライムを引きつれたテルーテル大佐が駆け込んできた。


「わっ、わしを助けてくれ~」

「えええぇ!?」


 慌てるマリエラと、状況を瞬時に把握するやマリエラを肩に担いで走り出すジーク。


「ままま、まってくれぇ~」


 なぜかジークに追いすがるテルーテル大佐。意外と俊足だ。


 ジークは左肩にマリエラをうつぶせになるように担ぐと、マリエラの足を左手で抱えて大股で走っていく。マリエラが両手両足をぶらーんとさせながら追ってくるテルーテル大佐と巨大スライムを眺めていなければ、人攫いに見えなくもない。


 巨大スライムの弱点は核だが、分厚い粘液が邪魔をして、剣では攻撃が通らない。逆に巨大スライムの溶解液で剣が溶けてしまうだろう。相対するにもここではマリエラを巻き込んでしまう。飛んでくる溶解液をマリエラが避けられるとは思えない。

 スラムの細い路地を右へ左へ。ジークはマリエラを担いで、巨大スライムが時折飛ばす溶解液を躱しながら駆け抜ける。前ぶれもなく方向を変えているのに、まるで示し合わせたようにテルーテル大佐は付いてくる。


「バラバラに逃げた方が良いと思うのだが。」


 巨大スライムがジークとマリエラの方に来たとしても、人目さえ無ければ魔物除けポーションでなんとでも出来る。巨大スライムがテルーテル大佐を追いかければ、それもまた良しだ。ジークにとってマリエラの身の安全は何物にも勝る。このまま3人で逃げていたのでは埒が明かないと、ジークはテルーテル大佐に提案する。


「わっ、わしのスキル《同調》がっ、勝手にっ、働いとるんだ~。」


 テルーテル大佐のスキル、《同調》は、相手の思考の内、自分にとって有利に働く内容に関してなんとなく同調するという、戦闘ではあまり役に立たないが、処世では抜群の効果を発揮するものだ。


 彼がこのスキルに目覚めたのは、十年以上も前、テルーテル大佐がまだ中堅だった頃だ。例年よりも大規模なオークの襲撃があり、迷宮討伐軍と都市防衛隊が合同でオークの鎮圧に当たった事があった。


 金獅子将軍レオンハルトは、迷宮討伐軍の将軍として既に頭角を現していた。個としての戦力はもちろんのこと、レオンハルトの鬨の声に、兵の士気は見る間に上がり、先陣を切ってオークを薙ぎ払う様に、テルーテルの心は震えた。

 作戦会議の席に同席出来た時は、少しでもレオンハルトの目に止まる席に付けないものかとウロウロしたものだ。


 けれど既に有能な将軍であり、辺境伯の後継者でもあったレオンハルトを取り巻く者は数多く、テルーテルは近寄ることさえ叶わなかった。それでも同じ場に居られて嬉しいと、キラキラした目で見つめるテルーテルにチャンスが訪れた。


「物資の在庫量は如何程か?」


 レオンハルトがテルーテルに尋ねたのだ。物資管理はテルーテルの管轄だ。正確に報告しなくては。

 テルーテルは胸ポケットから手帳を取り出して在庫量を報告した。その時。


 トントン


 レオンハルトの側をまんまと陣取ったセコイアスという同僚が自らのこめかみあたりをつつき、テルーテルに向けて兜を示す仕草をして見せた。


(かっ、兜が汚れているのかっ。)


 焦ったテルーテルは、慌てて兜を脱ぐとハンカチでせっせと磨き始めた。


「テルーテル君、違うよ。兜が汚れているんじゃない。

 それ位、頭に入れておいたらどうかと言ったんだ。」


 ニヤリと笑うセコイアス。作戦会議の場にどっと笑いが起こる。レオンハルトの前で笑い者にされ、火が出る程に赤面するテルーテル。

「くだらん事を言うな、セコイアス。ご苦労だったな、テルーテル。」

 レオンハルトはそう言って取り成してくれたが、憧れの将軍の前で恥をかかされたこの事件は、テルーテルの心に深い傷を残した。

 レオンハルト近くの席をまんまと射止め、大勢の前で自分を貶めたセコイアス。家柄も武力も知力も大して変わらないのに、処世術の差でこのような恥をかいた。

 悔しい。悔しい。悔しい。

 その思いがテルーテル大佐に《同調》のスキルを芽生えさせた。


 同調スキルとその後セコイアスが失脚した事も相まって、テルーテルは大佐にまで昇進することが出来た。


 巨大スライムに追われる今も、ジークの反射的な逃走の判断に同調し、巨大スライムが飛ばす溶解液を避け、足元の障害物を飛び越し、急カーブを曲がり、自らの運動能力を遥かに超える逃走を繰り広げていた。

 事実、ジークとマリエラは魔力を抑えていたから、テルーテル大佐が2人と離れたならば巨大スライムはテルーテル大佐を追いかけただろう。テルーテル大佐本来の運動能力で、ここまで逃げ延びれたかは定かではない。


 けれどそんな逃走劇は唐突に終わりを迎える。


「いっ、行き止まり……。」


 3人が辿り着いた先は、スラムの路地の突き当たりだった。

 巨大スライムは直ぐそこまで迫っている。じきに角を曲がって姿を見せるだろう。


 テルーテル大佐は、眼前にそびえる壁を見上げる。壁は酷く高く見え、テルーテル大佐が手を伸ばしても頂きには届かないだろう。

(ここまでか……。)


少女を護りながらここまで一緒に逃げてきた男にテルーテル大佐は話しかける。


「巻き込んで済まなかったね。わしが時間を稼ぐから、出来れば逃げ延びてくれ。」


 マリエラを守りたいというジークの思いに同調したのか、テルーテル大佐はジークに背を向けると、すぐに姿を現すであろう巨大スライムに向けて炎の魔法を繰り出すべく右手に魔力をこめた。




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生き残り錬金術師短編小説「輪環の短編集」はこちら(なろう内、別ページに飛びます)
改定&更新中!『俺の箱』もよろしくお願いします(なろう内、別ページに飛びます)
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