人狼
ガラガラと車輪の音が魔の森に響く。
2騎の騎兵と3台の装甲馬車が森を行く。
黒鉄輸送隊の装甲馬車だ。
彼らにとっては何度も往来した道だ。
迫る魔物を振り切り、走行の邪魔になる魔物だけ切り捨てて、騎馬と馬車は魔の道を往く。
それが何時ものやり方だった。
しかし、今回は。
「いやー、魔物除けポーションの効果、マジすげーわ!ほっとんど魔物こねーのな。」
ラプトルを駆るリンクスが声を上げる。今回は魔物除けポーションを使用している。もともと迷宮都市と帝都を結ぶ街道には、さほど強い魔物は出てこない。フォレストウルフや黒狼、ゴブリン、稀にオークやオークジェネラル辺りが出るくらいだ。どの魔物も数体であれば、Bランク冒険者ならば問題なく対処できる。しかし数が多く昼夜を問わず襲ってくるから、単身で抜けるのであればAランク冒険者程度の実力が必要になる。
黒鉄輸送隊の場合は2騎の騎兵が露払いをし、分厚い装甲で押し通るから、脚の遅いゴブリンやオークは問題にならない。
逆に面倒なのが、フォレストウルフや黒狼で、大群で押し寄せてはラプトルの装甲が無い露出した脚や、馬車の装甲の薄いところを狙って、何度も攻撃を仕掛けてくる。
しかし魔物除けのポーションを使ってみると、臭いに弱い狼系の魔物は寄っても来ない。
稀に臭いに疎いゴブリンが街道にまろびでて、馬車に跳ね飛ばされているくらいだ。
狼系の魔物の襲撃を受けるたび、馬車の走行速度を落として追い払っていたため、魔の森を抜けるのに片道で2日半掛かっていた行程が、2日掛からず済んでしまった。これならばここまで厚い装甲と、重装備での騎乗は必要ないと、復路は馬車の装甲を薄くし、装備も軽量化している。軽量化により隊の進行速度はますます速く、この調子ならは1日半で迷宮都市に到着できそうだ。
「油断するなよ、リンクス。魔物除けポーションが効くのは雑魚だけだ。Bランクくらいになると犬コロにだってきかねえぞ。」
リンクスにもう一人の騎兵、双剣使いのエドガンが声をかける。
「わーってるよ、エドガン兄。そんなこと言うからさ、ほれ、丁度めっずらしいのがでてきやがった。」
リンクスとエドガン、2騎の騎兵は速度を上げ、前方から飛び出してきた3体の赤黒い塊に切りかかる。エドガンへ2体、リンクスへ1体。
エドガンの双剣は喰らい付こうと牙をむく魔物の口をそのまま捉え、口蓋の奥からそのまま後頭部までを切り裂く。右手の剣を振りぬきざまにもう1体へ突き刺すが、2体目は切り裂かれた1体目の体躯を足場に背後へ飛び退る。
リンクスに向かった1体も、リンクスが投擲した5本の短剣のうち3本を躱し、4本目に齧りつく。5本目が身体を掠ったが、べったりと表皮をまとう赤黒い瘴気に阻まれ、致命傷になりきらない。
「うへー、あれ避けちゃう?」
リンクスは、ラプトルから降りて魔物と対峙する。こっちのほうが、戦いやすい。ラプトルは素早く装甲馬車の元へ駆け戻る。
「さぁ、こいよ、犬っころ。楽にしてやるからさ。」
ぐぅるるるると、うなり声を上げる魔物。
見た目は大型の狼だが、その体表面はまるで血糊に浸したように赤黒く滴る瘴気で覆われている。ぼたり、ぼたりと滴った瘴気は、大地に触れると、まるで小ハエが生じて湧き立つように、不気味に蠢いて消えていく。眼光は血走っていて、眼球はビクビクと震えるように動き回り何処を見ているのかわからない。体に比べると異様に大きく裂けた口には、何列にも渡って鋭い牙が生えていて、口からも血のような唾液を垂らしている。
――黒死狼
黒狼が人を喰らって進化した姿だ。
そういえば、1月ほど前、帝都の愚かな商人がろくな装備もなしに魔の森に立ち入り、壊滅したと聞いた。兵の代わりに何人もの奴隷を連れて行ったと。
彼らの死肉を喰らったか――。
リンクスの挑発に3頭の中で最も大きな黒死狼が牙をむく。ラプトルから降りたリンクスに向かって、疾風の如く迫り来る。
ばくん
黒死狼の巨大な口が、リンクスの頭部から左肩までを一口で噛み千切り、そしてリンクスの身体はその瞬間に、黒死狼の影に飲まれて消えた。
「ギャン」
リンクスを喰らったはずの黒死狼は、一声鳴くとぶるりと身を震わせる。腹から背に向け、小剣を無数に生やして。
痙攣しつつ地に倒れた黒死狼の影からリンクスが立ち上がる。
「おつかれ、リンクス。腕上げたな。」
もう一体の黒死狼を危なげなく始末して、エドガンが声をかける。
「まだまだだよ、エドガン兄。スキル使わずに剣術だけで倒したいんだけどさ。って、っ!」
気安く答えたリンクスは、次の瞬間2メートルほども後ろに跳び退る。
エドガンも同時に後退している。
「うっへ、あんなの出て来ちゃう?流石にあれは無理なんだけど。エドガン兄いける?」
「あれは俺も無理。死ぬ。」
二人の前に現れたのは、熊ほども大きさがある、二足歩行する狼。人狼。Aランクの魔物だ。
しかも、黒死狼から進化したものらしく、立ち上る瘴気に全身が赤黒くかすんで見える。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……」
狼よりも人に近い声帯を持っていながら、上げる声はまるで火の中でのたうつ獣のようだ。
「どんだけ人間喰ったらああなるの?」
「知るかよ。共食いでもしたんじゃね、ほれ、今も喰ってる。」
軽口を叩く二人だったが、じっとりと冷や汗が背を伝い、脚は縫い付けられたように動かない。切り捨てられた黒死狼を喰らう人狼から目が逸らせない。アイツがこちらを獲物と捉えれば、Bランクの自分たちなど一溜りも無いだろう。
「エドガン兄、ちょっとだけでも闘ってみる?」
「パス。即死する。」
「だよな、しゃーねぇな。」
「「たいちょー、出番だぜー」」
装甲馬車のドアが開く。馬車を降りる動きに、恐れも動揺も見受けられない。
「まかせろ。」
一声応え、黒鉄輸送隊の最強戦力、Aランク冒険者のディック隊長が、装甲馬車から降り立った。
ディックは1本の黒い槍を手に人狼へと歩み寄る。装備は急所を覆うだけの軽鎧で、従来身に纏っていた重鎧ではない。
重鎧では闘えない。向かってくる雑魚を跳ね飛ばすのに使えるくらいだ。
黒鉄輸送隊の仕事は稼ぎがいい。商人に向く己らではないが、黒鉄輸送隊は運賃で稼ぐ。ヤグー商隊では賄いきれない商品の運搬を高値で請け負う。どんなものを運んだって、馬車1台で幾らの仕事だ。危険の多い仕事だから、荷を受け取った段階で代金を肩代わりして支払うが、荷の買い付け先と売り先で話が付いている場合が殆どだ。
3日掛けて交替でラプトルを駆り、雑魚ばかりを相手にしながら、休まず魔の森を抜けるのに、少々退屈していたところだ。
にやり、とディックは笑うと槍先を人狼に向ける。
「食事中に悪いんだがな、こっちは急ぐ道行きなんだ。続きはあの世で味わってくれや」
ヒュォ
先ほどまで四足で獣のように黒死狼の屍骸を喰らっていた人狼の姿が消えたかと思うと、ディックの目の前に現れ鋭い爪先が振り下ろされる。
「おせぇ」
しかし、人狼の振り下ろされた爪は、ディックの槍先で刎ね飛ばされる。何度も何度も振り下ろされる人狼の両腕はディックの1本の槍先に尽くはじかれ、爪はディックに届かない。
ガンっとディックの蹴りが人狼の腹に入る。後ろによろめく人狼。
「犬っころがいつまでも立ってんじゃねぇよ。」
「ヴゥゥ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……」
ディックの挑発に、人狼の毛が逆立つ。両手を地につけ、ヴルヴルと震わせる体からは、渦を巻くように瘴気が立ち上がる。ぐぐぐと口の端が裂け、まるで上半身が口になったかのようなおぞましい姿だ。裂けた口の端から新たな牙が肉を突き破って幾重にも生えてくる。血とも瘴気とも付かない赤黒い液体が裂けた口から滴り落ちる。
人狼がドッと地を蹴る。瞬きよりも短い時間で人狼の牙は、ディックの左肩に喰らい付こうと迫るが、ディックは左足を半歩ひいて身を躱し、すれ違いざまに人狼の右腕を切り落とす。
「ヴヴヴルルゥ……」
人狼に痛覚は無いのか、腕を切り落とされた痛みにもだえる様子も見せず、地に脚をつけるや否や、再びディックに飛び掛る。切り落とされた切り口は、見る間に肉が盛り上がり、その傷口さえも口咽のように裂けて、ディックに喰らい付かんばかりだ。
人狼の口が、今度はディックを正面に捉える。大柄なディックを一口で食いちぎれるほどの大きな口咽には、鋭い牙が全面に生えていて、どのような刃物でも食い止めるに違いない。どこか一部を貫いたとして、人狼の残った左腕が、口のように裂けた右腕が、ディックに襲い掛かるだろう。
けれど。人狼の口咽をディックの槍が突く。1本しかないディックの槍が、まるで槍衾のように人狼の口咽を、胴を、左腕を、脚を次々と『同時に』貫く。その速度は人狼の回復速度を遥かに超え、たちまちのうちに人狼をぐずぐずとした肉塊に変えていく。そして、最後に心臓を一突き貫くと、まるで雑用でもこなしたかのように、「終わったぞ」とリンクスたちへ声を掛けた。
「さすが隊長」
お世辞ではなく、リンクスが賛辞を送る。
「この姿を見せれば、アンバーさんもほれるのに。」
最後の一言は余計だが。
「アンバーは分かっている、はずだ。」
変なところで言葉を切るディック隊長。
「まっさか、夜も『俺の槍働きを御覧じろ』とか言ってんじゃねぇよな?」
「む…ぅ…?」
「うっわ、マジ?マジそんなこと言っちゃってんの?」
「ないわー、隊長マジないわー。」そんな風にからかいながら、リンクスは倒れた人狼から素早く素材を回収する。リンクスにとってディックは憧れの隊長だ。からかってはいるけれど、こんな揶揄を受け入れてくれるところも含め、頼もしいと思う。今日は久しぶりに闘う隊長を見られた。人狼を軽くあしらって沈めるあの槍さばき。黒鉄輸送隊の隊員であることに誇りを感じる。
人狼からは、それなりに大きな魔石が取れた。Aランクの魔物の割に小さいのは、進化して間もないからだろう。3匹の黒死狼も魔石を持っていて、リンクスが倒した黒死狼からはとある素材が得られた。
「お、『地脈の欠片』だ。余所ならそれなりの値がつくけど、ここじゃなぁ。」
『地脈の欠片』は同種の中でも比較的強力な魔物が稀に宿している、薄い黄金色をした爪の先ほどの透き通った欠片で、特級ポーションの原料として高値で取引されている。地脈の外に持ち出すと、たちまち小さくなって消えてしまうことから、『地脈の欠片』と呼ばれているらしい。この地脈に錬金術師はいないから、研究材料として迷宮都市のアグウィナス家が安値で買い取るくらいで、ここでは余り価値の無いものだ。
アグウィナス家に買い叩かれるくらいなら、『きれいな石』だと喜んでくれる者にあげるほうがいいだろう。
「これも、マリエラの土産にすっか。」
迷宮都市まであと少し。
人狼と黒死狼の骸を焼いて処分し、黒鉄輸送隊は再び迷宮都市に向けて走り出した。




