08.猫のいる朝
前回までのあらすじ:帝国、錬金術師と縁が深そう。あと闇も深そう。だが、そんなことより獣人だ。
シューゼンワルド辺境伯の帝都の屋敷には、豪華絢爛な母屋の他に二つも離れが立っている。
一つは、兵士用の宿舎。
シューゼンワルド辺境伯が迷宮都市から帝都を訪れる際は、迷宮討伐軍を伴うことが多く、彼らの宿泊先として建設されたものだ。隊長クラスも泊るから華美ではないが調度品の質は良いし、武装して動き回ることを考慮に入れた広々とした造りで、街の上等な宿屋よりもよほど居心地がいい。
2階から上は宿泊用の個室を備えた兵舎のような雰囲気で、大小複数の会議室の他、朝昼晩と旨い料理が食べられる食堂や、魔道具完備でいつでも入れる浴場、十分な広さの訓練場があるのも評価が高いポイントだ。
今回の滞在ではこちらの建物が男性用の宿舎になっていて、ジークたちの部屋もここに用意されている。ウェイスハルトの供として来た兵士十数名がすでに滞在し、調査部隊を中心に帝都での活動を開始している。
もう一つの離れは、数代前の辺境伯が住居として建設したものだ。
豪華絢爛な母屋は権勢を示すために必要なものだが、迷宮討伐に明け暮れた辺境伯は落ち着けなかったらしい。豪華な母屋の裏に、こじんまりとした邸宅を増築して暮らしていたとか。
貴族の体面とは面倒なものだと呆れてしまうが、この離れ、その後の辺境伯たちも、時に嫁と折り合いの悪い姑の隔離場所として、時に夫婦喧嘩した時の別居場所として、わりと活躍してきたそうだ。
質実剛健と言った内装のこの離れは、今回は女性用の宿泊施設になっている。
マリエラにあてがわれた部屋はその中でも良い部屋で、大きなガラスをはめ込んだ窓からは朝の光が差し込み、すぐそこの梢に止まった小鳥のさえずりが朝の訪れを告げている。
やたらめったら広いベッドのど真ん中には、白猫娘のナンナが丸くなっていて、その横に添え物のようにマリエラが寝ていた。
チュンチュンチュン、チュンチュクチュン。
「うーん……」
小鳥の囀りに、マリエラが眠い目をこすりつつ伸びをする。
いわゆる朝チュンというやつだ。
昨夜はお楽しみだったのだ。
マリエラとナンナのお世話係のメイドさんも参加して、ブラッシングという名目でナンナをモフり倒してやったのだ。おかげで毛だらけになったけれど、一生分もふった気がする。
おかげさまで、我が人生に一片の悔いなしとばかりに眠りについたマリエラだったが、朝は容赦なくやってくるし、起きてこないマリエラとナンナを起こしにシューゼンワルド辺境伯家のエリートメイドはやってきて、あれよあれよという間に支度をされて食堂に送りだされてしまった。一緒になってモフっていたのに元気なことだと感心してしまう。
「マリエラ、今日もモフるといいなんな」
「そうしたいのはやまやまなんだけど、やることあるし出かけないと」
「んなん。ナンナも行くなん。ずっとお屋敷退屈なん」
毛づくろいはコミュニケーションとして最適だったらしい。お互いの身の上話だとか目的だとかそういう会話は全くしていないのに、マリエラとすっかり仲良くなったナンナは、屋敷の外でもマリエラを守ってくれると言いだした。
それ自体はありがたいのだが、いかんせんナンナは獣人だ。あまりにも目立ちすぎて認識阻害の魔法陣でも隠しようがない。せめて一見普通の人間に見えるならやりようはあるのだが。
「マリエラは座って待ってるなん。ナンナが肉を捕ってくるなん」
食堂はそれなりに混んでいて、ジークたちは料理を取り終え席に座って待っていた。ナンナはマリエラに待っているように告げると、「一狩り行ってくる」みたいなノリでカウンターに向かった。
「おはよう、ジーク、エドガンさんにヴォイドさん」
「おはよう、マリエラ。ナンナと随分仲良くなったようだな」
「そりゃーもう。もっふもふにモフったからね」
ジークの問いに、にへらと顔が緩むマリエラ。
対するジークはどことなく不満顔だ。当然だろう、ちょくちょく『木漏れ日』にやって来る義母もどきから離れてマリエラと帝都旅行と思ったら、引率の先生を付けられた。ここまでは、まだいい。ヴォイドの同行は正直心強いし、何より宿泊は別だろう。そう思っていたのに、なんということでしょう、宿泊先は超豪華だが男女別だったのだ。
これはもう、旅行じゃなくて合宿だ。
今朝だって、顔見知りの迷宮討伐軍兵士に「朝練しようぜ」なんて誘われたばっかりだ。
それでもマリエラが寂しがってくれるとか、夜中に会いに来てくれるとかしてくれれば、それはそれでアリだったのに、肝心のマリエラは白くてデカい猫ちゃんとキャッキャウフフで昨夜はさっさと部屋に引き上げたきり会うこともなく、今朝はやたらとツヤツヤしている。
解せぬ。不服だ。ジークの献身は無償ではないのだ。
ちょっとくらいはマリエラのねぎらいが欲しいし、本音を言うと混ざりたい。
だがしかし、獣人はケモノと言えど人なので、さすがにモフらせてと言うわけにはいかない。そんなことを臆面もなく口に出せるのは、このメンツでは一人しかいない。
「いいなー。オレもナンナたんとモフいちゃしたいぜ」
「エドガン君は、朝からブレれないね」
言葉だけでなく、手をワキワキさせるというある種パーフェクトなエドガンに、冷静にヴォイドがツッコむ。
ナンナを女性として見ているのか、それとも猫の扱いか。勇者なのか愚者なのか。
安定のエドガンのお陰で和やかな空気のなか、ジーク達と合流したマリエラは今日の予定について相談を始めた。
「申し訳ないのだが、義理父に挨拶に行かなくちゃいけなくてね。ダンジョンに向かうのは明日以降にしてもらえないか」
「俺はギルドの受付嬢ちゃんとデートなんだ」
ヴォイドとエドガンは、今日は予定があるようだ。あと、エドガンはいつの間に約束を取り付けたのか。なんにせよ、エドガンにしては気が利いている。おかげで今日はマリエラと二人きりで過ごせそうだ。
「じゃあ、俺たちは買い物にでもでかけるか」
さりげなくスマートにマリエラを誘うジーク。
もともと到着した翌日は休みにする予定だったから、それぞれの行動は予定通りだ。帝都観光を楽しみにしているマリエラのために、最新の帝都情報だってリサーチ済みだ。
しかし誰よりも自由時間を楽しみにしていたマリエラは、先ほどから浮かない様子でジークの提案にも口を閉ざしている。
その視線の先には、朝食の受け取りに並ぶ列に割り込んで、カウンターに向かって「マリエラと二人分なん、大盛りなん」と大盛の肉を要求するナンナ。兵士も多く並んでいて、ナンナより強い者も多いのだけれど、皆ナンナの非常識さを了解しているだろう、注意しないどころかニコニコと順番を譲ってくれている。みんな、猫、大好きか。
「はぁ……。並ばないと駄目だよ、ナンナ。それじゃ、変装したって連れていけない……」
マリエラの口から、ため息とともに呟きが漏れる。
ずっと森で暮らしていたナンナにとって、広大とは言え屋敷の敷地から出られないのはストレスだろう。本人も出かけたがっているし、せっかく帝都にいるのだから、できれば一緒に観光したいとマリエラは思っていたのだ。けれど獣人というのは珍しすぎて、フードや仮面で変装したって突拍子もない行動をとられたら台無しだ。
思わず零れた声だったのだが、獣人の五感はとても鋭いらしく、ナンナにはマリエラの呟きが聞こえたようだ。
「うなん! 並ぶなん!」
しゅたっと姿勢を伸ばしたナンナは、ぴゅっと列の最後尾に並びなおした。どうやら、順番に並ぶもの、という決まりは分かっていたようだ。分かっていても守らない。さすがは猫畜生である。
マリエラに言われて並びなおすナンナの様子に、食堂にざわめきが走る。
「……おい、あれホントにナンナだよな?」
「あぁ、並べって言ったら勝負を挑んでくる肉体言語のナンナだな」
「あぁ、弱肉強食を地で行く猫畜生のナンナだわ、つか獣人ほかにいねーし」
「一緒に来たのってマリエラちゃんだろ? 迷宮討伐ん時の。一撃瀕死になるから絶対に攻撃が当たらないようにってヴォルフガング隊長が守りまくってた激弱錬金術師の」
「さっきマリエラちゃんの分もって言ってなかったか」
「なんであんな筋肉に見放された娘の肉を、ナンナが取りにいってんだ?」
「最弱すぎてナンナたんが母性に目覚めたとか? 給餌的な」
「ナンナたんってなんだよ、ナンナたんって……」
「だって、みんながそう呼ぶから……」
ざわざわ、ざわざわ。
あの猫畜生が一体どうして……。
食堂のざわめきは止まらない。あと、やっぱりニャンカス扱いだったのか。
マリエラが錬金術師であることを知っている何人かが、マタタビ的な薬でもって洗脳したのではないか、いやいや、マタタビ漬けにした中毒猫にマタタビ欲しくば~的なことをしたのではないか、などと話はどんどん飛躍していく。
酷い言われようだ。ひとえにサラマンダーとモフリケーションの賜物なのに。
ちなみに、メイドの女性たちに対してはナンナは比較的おとなしいから、モフリケーションは思いのほか有効なのだが、これは男性諸氏には秘密である。二足歩行の猫という容貌なのに、一目で女の子だと分かるほど、ナンナは可愛い美猫なのだ。
「ナンナたん、今でも十分可愛いけどさ、人間だったらスッゲェ美人だろうなー」
「エドガン、お前……」
食堂中の話題をかっさらうナンナを眺めつつエドガンが何気なく呟く。
ジークは呆れているけれど、エドガンみたいな下僕候補がこれ以上増えては、危険が危なくてリスクがデンジャーじゃないか。エドガンは昔ニードルエイプにすら愛を語ったと聞いたことがある。その時は「ふーん」で済ませたけれど、目の前で目撃するとマリエラはちょぴり引きそうになった。
「……ん?」
エドガンの変態加減に流されそうになったけれど、今すっごくいいことを言った気がする。
「エドガンさん、今なんて……」
「え? ナンナたん、モフカワ」
「その後」
「人間だったらゲキカワ」
「それだ!」
え、どれ? という顔をする一同を前にして、マリエラはすっくと立ちあがる。
マリエラは思いついちゃったのだ。
この世には、人間を魚人に変えるポーションがある。
変身薬というものだ。
だったら獣人を人間に変えるポーションだってあってもいいはずだ。もっとも、そんな需要は今までなかったようでマリエラのライブラリには作り方は載っていないが、変身薬のバリエーションは豊かで法則性はシンプルだ。変身を促す『オーロラの氷果』に変身時間を調節する『時騙しの花蜜』、それに変身対象を象徴するような何かがあればいいはずなのだ。
獣人と人間との違い、人間を象徴するもの、それは一体なんだろう。
マリエラは列に並びながら機嫌よく尻尾を振るナンナを見ながら頭を悩ませた。
【帝都日誌】マリエラは猫付き帝都旅行だが、俺の方は合宿だった。byジーク




