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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
外伝 生き残り錬金術師と魔の森の深淵
213/304

30.野が原

「行こう」


 マリエラの一声に、エントランスに集まった一同は頷く。

 あと少しで日が沈み、夜の闇と引き換えにマリエラたちの行く手を遮る水はこの世界から消えていく。


 この水は、マリエラたちをこの世界に閉じ込め、行く手を阻んでいるのか、それとも黒い魔物からマリエラたちを守っているのか。

 それも、この先の中庭を越えて中央の神殿へとたどり着ければ明らかになる。


 そしてそのために、石化したラミアが足止めしてくれている、あの戦禍が形を成した魔物を倒さなければならないだろう。


 このエントランスの扉を開ければ、最後の決戦が始まってしまうのだ。


 最後の決戦……。

 迷宮の最下層攻略の時は、迷宮討伐軍の精鋭が階層主に数度挑めるほどの装備を整えて向かったのだった。それに対して、ここには戦える者の数は少ない。


 いや、単に数だけで判断するのは早計だろう。迷宮討伐を果たしたレオンハルト率いる軍団さえも、ポーションの登場でその威力を大きく増したのだから。

 この戦いには、迷宮討伐に大きく貢献した『精霊眼』の持ち主、ジークムントもはせ参じたし、一身上の都合によって迷宮討伐軍にはいられなくなったものの、Aランカーとして成長し、2属性を同時に使う『総属性使い(オールラウンダー)』のエドガンもいるのだから。

 竜人化して肉体能力が大きく向上したフランツも、ドニーノやグランドル、ユーリケだって敵の強さを分析し、十二分に備えさえすれば、黒い魔物ごとき恐れるに足りない。


 マリエラは心強い味方を見回す。覚悟を決めた表情の、ジーク、エドガン、フランツ、ドニーノ、グランドル、ユーリケ、クーに樽。樽に樽に樽に瓶に樽に樽に瓶に瓶に瓶。


「……思ったよりもたくさん採れたね」

「量は多いほどいいだろう」

 そう、今から決戦だ。決戦に備えはつきものだ。とはいえ、その備えとやらはラプトルに積み切れないほどの大量の樽や酒瓶で、全員で分担して持っているから、どうにも決戦というより配達に行くような雰囲気を醸し出している。

 ラプトルのクーが引く荷車など、ドニーノが“首飾り”の残材で作った幅の狭い二輪の荷台の上に、大量の樽を積載している。側面は荷が落ちないように壁があり、グランドルが乗り込むことで攻撃も防げる簡易の装甲馬車なのだけれど、荷を山積した荷車を操るユーリケは、どうみたって配達の少年にしか見えない。


 この荷車を作ったドニーノは、

「思ったよりも小回りが利くな。帝都の最新式の軸受けにスプリングでもつけて、タイヤも加工してやりゃあ、かなりの速度が出そうだぜ」

 と、楽しそうに話していた。木材の滑り軸受じゃ、速度がどうのと饒舌に話すのをふんふんと聞き流しながら、『黒鉄お急ぎ便』なんてサービスができるのではとマリエラは想像した。


 とにもかくにも、大量の樽に大量の瓶だ。

 中に詰められた液体は、魔物鯨グラドエールから採取したもの。

 加工はマリエラが、有り余る魔力にものをいわせて《錬成空間》内で分厚い皮と頭部の中身を一気にミンチにして、煮立て、分離したから、大した手間ではなかったけれど、グラドエールの死体を餌だと寄って来る魔物魚たちをジークとエドガンでけん制しながら、フランツが解体していく作業はかなり骨が折れたし、精製物を入れる樽や瓶を運ぶ作業もかなりの重労働だった。

 “首飾り”を倒したことで、外に水が満ちていても移動できる場所が広がったのだけれど、これだけ大量の樽や瓶のほとんどが、南東の塔にあった、つまりは師匠が飲んだ酒の空き瓶や空き樽だろうという事実に、マリエラは呆れるほかはない。

 それとも、これすら意識的にしていたことなのだろうか……


(いけない、集中しなきゃ)

 マリエラは雑念を払うように軽く頭を振ると、中庭に続く扉へと歩みをすすめた。




 肺まで水で満たされるような水気と世界を覆う夜の闇。

 そんなこの世界の夜の訪れも、あの夢を見た後では、この世界のありようを象徴する事象のように思えてしまう。


「はじめるとしよう」

「マリエラも気をつけるし。いくよ、クー!」

「ギャウ!」


 フランツとユーリケを荷台に乗せたラプトルが走り出すのを合図に、マリエラたちもエントランスの入り口からそれぞれ走り出していく。


「おう、パスだ、ジーク!」

「よしこい、ドニーノ! さあ、エドガン、これは向こうの端っこだ!」

「おうよ! 任せとけ」


 ドニーノがエントランスに置かれた樽や瓶を担ぎ出し、ジークに渡す。渡されたジークはあたりの状況を見渡して、エドガンに運ぶ場所を指示して渡すと、エドガンが樽を担いでエッサホイサとと運んでいく。

 傘より重い物の持てないグランドルは扉を抑える係で、もっと戦力にならないマリエラは安全なジークのそばで応援係だ。

 あちこちから染み出るように湧き出してくる黒い魔物は、ジークがピシピシと弓で牽制している。たった1射で数匹の魔物を射貫くでたらめぶりは、そばにいるマリエラにいい格好を見せるためにちょっぴり無理をしているのかもしれない。

 それから、弓を射るジークと、広い中庭を黒い魔物を避けつつ樽を担いで走り回るエドガンとでは運動量に差があり過ぎる。


「ぜぇ、はぁ。なぁ、ジーク、ちょっと代わらね?」

「エドガンは遠距離攻撃できないだろう? はい、これは向こうで」

「エドガンさん頑張って!」

「任せとけ! マリエラちゃん!」


「さすがはエドガンだ!」とたたえつつ、樽を手渡すジーク。一体どの辺が流石なのか、便利さをたたえられているだけではないのかと、エドガンがようやく気が付いたのは、ユーリケたちが北側に樽を置き終えて、残った内容物を樽と樽を繋ぐようにぶちまけながら帰ってきたところだった。


「グランドルさん、これ、石化を解除する解毒のポーション。念のために解呪も。それから上級ポーションも使ってあげてください」

「ありがたく。ここまで堪えたあの蛇を、ようやく助けてやれますぞ」


 マリエラからラミアの石化を解くポーションを受け取るグランドル。この中庭のグランドルのそばで成長し、共闘さえした蛇の魔物。彼女が黒い戦禍に巻き付いて動きを止めたのは、黒い魔物を亡ぼすために生まれてくるこの地の魔物の性なのかもしれないけれど、短い時間を共に過ごしたグランドルを助ける意図もあったのだと、マリエラもグランドルもそう信じたいに違いない。


 中に閉じ込められた黒い戦禍が、マリエラたち人間の存在に気付いて暴れているのだろう。石化したラミアの体は幾筋もひびが入っていて、ギシギシと時折細かく振動する度に、亀裂は広がりを見せていた。


「よく頑張ったのですぞ」

 そう言ってグランドルは、準備を終えた一同が黒い戦禍との戦いに備えて身構える中、上級の解毒ポーションをラミアへと振りかける。たったそれだけで、ラミアの肌には血が廻り始め冷たい石の色から人肌と、紅色をした蛇の色へと変わっていった。石化した状態でひび割れていた皮膚は裂傷に変わって、石化が溶けていくのに合わせて血が滲み始めている。

 その傷をいやすために、上級ポーションを重ねてかけると、たちどころに皮膚は滑らかな人と蛇のそれに変わって、ラミアは「シャウゥ……」と息を吐きだしながら光を取り戻した瞳でグランドルを見つめた。


(やっぱり、解呪のポーションはいらなかった)

 石化の解けたラミアがどう動くのか、閉じ込められた黒い戦禍は今にも飛び出してくるだろう。そんな張り詰めた状況の中、マリエラは解呪のポーションが必要なかった事実に納得にも似た感覚を得ていた。


 石化には、単なる状態を変化させるものと、呪いによって石化させるものの2種類がある。単なる状態異常の場合、状態によって上級の解毒のポーションがあれば解くことができる。けれど、呪いによる石化の場合は、解呪のポーションを使うか解呪の儀式を行わなければならない。

 かつてレオンハルトがバジリスクの呪いを受けた時、命を落としかけたのは、そのどちらもなかったからだ。

 幸運にもマリエラの解呪のポーションのおかげで石化の呪いは解かれたが、魔物の領地であったあの頃の迷宮都市では、精霊の力を借りる解呪の儀式は行えなかった。


(ここの精霊が、石化の呪いを放っておくなんて思えないんだよね)


 あの湖の精霊が石化の呪いを放っておくとは思えなかったし、何よりここの魔物が“呪い”を使うこと自体、考え難いことだった。

 恐らくここに繋がっているのだろう、魔の森の沼地に辿り着いた時、対岸に四つ足の強そうな魔物がいたけれど、マリエラたちを襲うことなく森の中へと消えていった。ここの魔物は、あの沼を、この水の世界と湖の精霊を穢すことはしないのだろう。


 その証拠にとでもいうべきか、ジークがつがえた矢に、精霊の力が宿っていることに気が付くや、ラミアは「シャアァ」と威嚇するのをやめて、ギリギリと黒の戦禍を締め上げていたとぐろを解いて、グランドルにやや近い、けれど十二分に距離を置いた場所へと滑るように退避した。


 間髪入れず放たれる精霊の矢と上がる咆哮。

「オォオオオ!」とも「ゴオオォオ!」とも聞こえる音は、戦うべき人間を得た黒い戦禍の歓喜の声だったのか。それとも精霊の矢が命中し、その体幹に大穴をうがたれた痛みや怒りによるものなのか。


 ぬちょりと崩れるように広がって、そこから棘のように4本の脚が、槍が生え、ゆらゆらとぶるぶると震えるように歩兵や騎兵の形をとっていく黒い戦禍。


(まるであの、悪夢みたいだ……)

 あの戦争を見ていた動物たちや精霊たちは、あの光景をこんな風に認識していたのかもしれない。あの戦争を生き残った人は、きっとこんな悪夢を日々夢に見たに違いない。


 先ほどまでは石化したラミアの内側に閉じ込められていたことが信じられないほどに広がった黒い戦禍は、そこここに湧き上がる黒い魔物を吸収しながら液体のように広がって、たちまちのうちに軍団のごとき規模にまで膨れ上がる。

 ジークの放った精霊の矢さえ、それがこの地で優位な水属性のものだからか、さしたるダメージを受けていないようで、えぐり取られた傷口ごと飲み込み癒着し、跡形もない。


 その数は街を蹂躙する軍隊のようで、その増殖する速度は得体のしれない魔物のようで、その広がり避けられないさまは、迫りむしばむ呪いのようだ。

 さらに面倒なことに、抑える者のいない、城壁の崩れた北側から、黒い魔物が土砂崩れにようにマリエラたちへと押し寄せてくる。

 こんなもの、どうすれば押しとどめられるのか。

 どうすればこの状況を覆し、戦禍を清め祓えるのだろうか。


「よし、今だ。火を放て!」

「おぉ!」

 ジークの合図で、エドガンは双剣に火を宿し、ジークは火矢をつがえて引き絞る。ユーリケやフランツ、ドニーノ、グランドルにマリエラまでも、この場所に運び込んだ樽や瓶、そこまでまき散らした液体へと大小さまざまな火魔法を放った。


 マリエラだけが生活魔法の着火魔法で、魔法を使うより着火した木片でも投げた方がよっぽど効率が良かったのだけれど、その辺は置いておく。

 当の本人は自分のことで精いっぱいで、自分の駄目っぷりに気が付いていないし、他のメンバーはそもそもマリエラの火魔法などあてにしてはいないのだから、参加することに意義があるのだ。


 着火と同時にまき散らされた液体は燃え、その炎は広く樽へと延びていった。


 鯨油。

 魔物鯨グラドエールから抽出したそれは、灯火として最適な鯨から採れる油だった。

 魔道具技術が発達する前、長時間、魔力の供給なしに灯り続けるランタンは、広く使われていて、その燃料の中でも大量に得られる鯨油は人口の多い都市部で広く流通していた。


 めらめらと灯火のような明るい光に黒い戦禍は一瞬たじろぐけれど、にやりと笑うように歪に揺らめくと、すぐに炎を踏みしだきつつ、マリエラたちへと進軍を始めた。

 灯火など、街を照らす明かりなど、自分たちが壊し燃やしてきた炎の激しさに比べれば何のものでもないというように。


 まるで炎は我が統べるものとでもいうかのように、周囲を赤く染める炎の中へと迷わず足を踏み入れる、黒い戦禍。そして炎をかいくぐるように進路を変えつつ侵攻を止めない黒い魔物たち。


 それがただの鯨油であったなら、呑み込まれたのは炎のほうであったろう。

 炎を統べる存在が、侵略者のごとき黒の戦禍であったなら、消しつくされたのは炎の方であったかもしれない。


 けれど、これはただの油ではない。そんな油であったなら、マリエラたちは一夜を無駄にしてまで捕獲し精製したりはしない。

 グラドエールの鯨油は普通の鯨油より少ない量で長時間燃え、さらに少ない魔力で点火すれば低温で長時間、大きな魔力で点火すれば高温で短時間燃えるという変わった特性を持つため、用途が広く、今でも高値で取引されているのだ。


 そして、真に炎を統べるのは――。


 マリエラは、それまで襟巻よろしく肩に巻き付いていたサラマンダーをむんずとつかむと、黒い戦禍とマリエラたちのあいだ、めらめらと炎をあげて燃え盛る樽が幾つも置かれた場所に向かってぶん投げた。


「キャウゥ!?」

 この展開は予想していなかったのか、「え? ちょ、ここで!?」とでも言いたげに目も口もぽかんと開けて飛んでいく蜥蜴に向かってマリエラは叫ぶ。


 その声に、ありったけの魔力を込めて。彼女と地脈を繋ぐラインを通じて、その先にいる師匠に届けるように。


「《来たれ! 炎の精霊、フレイジージャ!!!》」


 その瞬間、黒の戦禍も黒の魔物も中庭ごと全てを吹き飛ばすような巨大な火柱が中庭全体から立ち上った。

 結界で守られるように炎を逃れたマリエラは、ありったけの魔力を失って朦朧とする意識の中で、炎の中に立つ師匠フレイジージャの姿をみつけ、そしてその声を聞いた。





ざっくりまとめ:サラマンダーは偽物だった!

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