26.エドガン
エドガン回ですが残酷描写ありです。
「あ、やっぱりジークだ」
「マリエラ! 無事で!」
「ウキ!」
「うん、ユーリケたちが守ってくれたからね」
「そうか……。マリエラ、すまなかった……」
「ウキィー」
マリエラとジークは、次の夜、無事に再会を果たした。
フランツのいた北西の塔から南東の塔までは、ラプトルを走らせて間に合うかどうかの距離で、ラプトルに並走するフランツの脚で短い夜の間に南東の塔までたどり着けるか心配だったのだけれど、フランツとエドガンという二人の門番を失ったぶん、夜の時間が長くなったようだ。
新たに生じた北の塔のお陰で、雪崩れ込む黒い魔物は減ったのだけれど、昼間に生じる魔物だけでどれだけ持ちこたえられるのだろう。
そんな懸念はあるのだけれど、ジークとマリエラ、そして黒鉄輸送隊の面々が一堂に会せた現状をしばし喜んでもいいだろう。
もっとも、フランツは手も足も顔まで竜の特徴が表れているし、エドガンに至っては内面の猿ぶりが前面に押し出されている。
「マリエラ、あの、俺」
「ウキキー、ウキ、ウキ」
ようやくの再会だというのに、乱入しまくる猿のお陰で会話がちっとも進まない。マリエラは、もう怒ってはいないのか、あっさりとした対応なのだけれど、マリエラにようやく会えたと感極まっているジークからしてみれば、マリエラの対応は怒りが収まらぬがゆえの塩対応のように感じてしまう。
もっとも、マリエラとジークでは離れて過ごした期間の体感時間が異なっているから、ジークが大げさすぎるだけれど。未だ十分な交流も図れていない二人は、そんな情報交換どころか仲直りさえできてはいない。
とにかくジークとしてはきっちりしっかり弁解をして、マリエラに許してもらいたいのだけれど、さっきからウキウキと二人の間に割り込んでくるエドガンが、驚くほど的確にジークの邪魔をしてくれる。
「えぇい、エドガン! 邪魔だ!」
ついにキレたジークがエドガンを捕獲しようとするけれど、これはエドガンを喜ばせるだけだった。文字通りウキウキと嬉しそうに逃げ回るエドガンに追うジーク。
「仲良しだねー」
二人を眺めるマリエラの口調は呆れたようにも、ほかのことを考えているようにも見える。
(北東の塔で最後に見た精霊の夢、あれで終わりじゃないはず。中庭にいた黒い戦禍は一体……)
黒い戦禍を抑えて石化したラミアを助けることはできる。
あれは単なる石化だと思うけれど、かつてレオンハルトに作った解呪のポーションも作ってあるのだ。
けれど、どうすれば黒い戦禍を倒せるのかがわからない。それに、神殿めがけて夜ごと流れ込んでくる黒い魔物だってそうだ。精霊の夢から推測するに、神殿めがけて流れ込んでくるあの黒い魔物の群れは人の発する穢れの集合体なのだろう。川の流れのように定まってしまったそれを変えるだなんて、マリエラどころか、きっと人の手に余る。
(たぶん、中央の神殿に駆け込んだらゴールってわけじゃないんだと思う)
一生懸命考えるマリエラを、「まだ怒っているのだ」と勘違いしておろおろと謝罪の隙を伺うジークと、その視線の先に現れたり、荷物を奪おうとしてみたり、いたずらの限りを尽くす猿。
「あぁ、もう、鬱陶しいし!」
最初に堪忍袋の緒が切れたのは、邪魔をされたジークではなく、それを見ていたユーリケだった。
パアン! 高い音を立て、石の床を打ち据えるユーリケの鞭の音に、一同は思わず背筋を伸ばす。
「エドガン! ハウス!」
「ウキッ」
マリエラやジークは急に響いた鞭の音に驚いただけだったけれど、エドガンやラプトルへの効果はてきめんで、鞭の音が響くなりピシッと背筋を伸ばした後、「ハウス」と言われたエドガンはクーの隣にお座りしている。
「《調教》スキルが効くんだ……」
「エドガン、お前……」
驚くマリエラと、先ほどまでのいら立ちはどこへやら、目頭を押さえるジーク。ここまで猿が前面に出ると、思うところがあるらしい。
「エドガン、飲むし」
「ウキィ……?」
《調教》スキルで大人しくなったエドガンの前に、一本のポーションを置くユーリケ。
エドガンはおずおずとポーションを持ち上げると、これは何だろうと匂いを嗅いだり透かして見たりしている。
「飲むし!」
「ウキッ!」
Sir, Yes, Sir!
ユーリケズ ブートキャンプに口答えは許されない。
僅かでも躊躇う様子を見せたなら、鋭い鞭が飛んでくるのだ。
いや、ユーリケは女の子だからYes, Ma'am.か。
もっともエドガンは人語を喋っていないから、なんと返事したかは定かではない。
お猿の割にはよい返事をした後、渡されたポーションをぐいっとあおったエドガンは、あおった反動のままバタンと後ろに倒れて動かなくなった。
「さすがマリエラのポーションはよく効くし」
「ユーリケ、あれは何のポーションだ?」
「即効性の眠りのポーションだし。フランツが塔から動いてくれない場合に備えて、マリエラに作ってもらっていたし」
「え……」
フランツの質問に悪びれる様子もなく答えるユーリケ。状況次第では、フランツがあのポーションを飲まされて、眠っている間に北西の塔を連れ出されていたらしい。ユーリケはなかなかに容赦がない。悪びれもせず答えるユーリケに、フランツは少々言葉を詰まらせていた。
「マリエラ、とっととエドガンの記憶戻すし。うっとうしくてかなわないし」
「そうだね。エドガンさんにも頑張ってもらわないといけないしね」
マリエラには、何やら案があるらしい。
「まだ、ざっくりとした案なんだけど……」
マリエラから作戦の概要を聞かされたドニーノ、グランドル、フランツはそれぞれ必要な材料集めに向かった。
「万一にも、エドガンが暴れないように、僕はここで見張りをしてるし」
ユーリケの言葉に安心したマリエラはエドガンの隣に横になると、
「………………」
ジークがムスっとした表情でマリエラとエドガンの間に割って入って横になった。
「ジーク?」
「………………二人きりは駄目だ」
マリエラの方を向くでなく、もちろんエドガンの方を向くでもなく仰向けのまま、短く反対するジークは、きっと苦虫を噛みつぶしたような表情をしているのだろう。
マリエラとの仲直りを散々エドガンに邪魔されたのに、記憶を取り戻すためとはいえ、エドガンとマリエラを二人で眠らせるのは嫌らしい。分かりやすいやきもちだ。
「ふふっ。じゃあ、ジークも一緒に。はい、眠りのポーション。一口で十分だからね」
そんなジークの様子になんだか心がこそばゆくなったマリエラは、眠りのポーションを一口飲むと、ぽかぽかと温かいサラマンダーをお腹に載せてくすくす笑いながら瞳を閉じた。
ジークを挟んで三人「川」の字で眠るマリエラたちを見ながらユーリケは、「なんだかなー」と頭を掻いていて、ポーションの効果でぐっすり眠り込んだエドガンは、だらしなくよだれを垂らしながら、時折尻を掻いていた。
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眠りはすぐに訪れた。
柔らかそうな鳶色の髪の女性の笑顔が、ここがエドガンの過去の記憶なのだとマリエラに教えてくれた。
この人は、なんて優しく温かく微笑むのだろう。
師匠も幼いマリエラに、やさしい笑顔を見せてくれたけれど、もっとずっと柔らかく、無限の愛情に満ちているようにマリエラには思えた。
エリアーデ。
鳶色の髪と瞳を持つ、エドガンにとって、この世で最も美しく優しい女性。
エドガンが初めて殺めた、彼の母親だった人――。
エドガンが十歳に満たない子供の頃だ。
迷宮の低層に潜ったきり、夕餉の時間になっても帰ってこない母を探しに行ったエドガンは、いつもならば戦えない母でも問題なく採取が行える浅い階層に、人喰いの植物の魔物が湧いたと耳にした。
育ち盛りのエドガンに味はともかくお腹いっぱい食べさせるため、母は木の実や食べられる茸を取りによくその階層へ採取に出かけていた。
イモに似た植物が採れるいつもの採取場所に駆け付けたエドガンは、そこで咲き誇る母を見つけた。
何と言う魔物なのか、当時のエドガンには分からなかったが、捕らえた獲物を生かしたまま喰い進み、血肉をすすって花を咲かせる人喰いの植物なのだろう。
植物に内側を喰われた体は、足元から大地に広がる根と、体内に張り巡らされた枝葉によってしゃんと姿勢が良すぎるほどに支えられていたし、血を失ったその肌は日々の労働による日焼けが嘘のように白く、所々皮膚を破って咲く真っ赤な大輪の花が、まるで豪華なドレスを着ているように母を美しく飾り立てていた。
その姿は、幼い日のエドガンに美しいものとして映ったことを覚えている。
そして、その口から吐き出される切り裂くような悲鳴もまた、エドガンは忘れることができない。
「イダイイダイイダイイダイイダイイダイィィィィィ!!」
内側を喰われる痛み、皮膚を突き破り花咲く苦痛に苛まれながら、母はまだ生きていた。
ゴギリ。
関節が外れるような音がして、母の背が伸びた。
つんざくような悲鳴は、もはや人の言葉を取ってはいない。
この植物が痛みを感じた時に分泌される成分を糧に成長するのだと知ったのは、何年もたった後で、このような状態でなぜ母が生きていられるのか、その頃のエドガンには分からなかったけれど、もう、母が助からないことと、この痛みが残り少ない母の命が尽きるまで止むことがないだろうことは理解できた。
だから、エドガンは、採取のために母が持って来た鉈を拾うと、母に向かって振り下ろした。
幼いエドガンの身長は低い。飛び掛かっても一太刀で首を切り落としてやれるほどの脚力も腕力も持ち合わせてはいない。
あの時の、耳をつんざく叫び声が忘れられない。
泣きながら、叫びながら、何度も何度も鉈を振り下ろした感触も。
「ああああああああああああぁぁぁ!!」
「イ゛イ゛イ゛イ゛イイイイィィィィーーー!!」
二人の絶叫は混じり合い、ただただ不快な音として、エドガンの脳裏に刻み込まれる。
まるで地獄のような記憶。
けれど、最後に「ありがとう」と笑った母の笑顔もまた、エドガンは忘れることができない。
エリアーデ。
鳶色の髪と瞳を持つ彼女は、エドガンにとって、この世で最も美しく優しい女性だった。
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ホーリス。金の髪と小麦色の肌が悩ましい、快活で愛らしい初恋の人。
迷宮討伐軍で出会った彼女は、その面倒見がよく開放的な性格から入隊したばかりのエドガンとすぐに親しくなった。
エドガンより先輩で強かったホーリスは、双剣が上手く扱えないエドガンを「へたくそ」とからかい、ムキになるエドガンを見て楽しげに笑った。
戦士らしく腕と肩の筋肉が発達した彼女のお気に入りの私服はどこか可愛らしさのあるワンピースで、「似合わないんだ」とうつむくホーリスに「似合ってる」と笑いかけると、耳まで真っ赤になってはにかむとても可愛らしい人だった。
迷宮で戦う度に傷が増え、ワンピースの袖や裾から傷跡が覗くようになっても、ホーリスの愛らしさは変わらないとエドガンは思っていた。
「可愛い」と囁いた時の喜ぶ様子や、照れを隠そうとする言葉や仕草は、お世辞でも何でもなくホーリスをますます可愛らしい女性に見せていた。
彼女が彼女である限り、エドガンにとってホーリスの愛らしさに変わりはなかった。
そう例え、迷宮で受けた毒で、脚が腐り落ち、足元から頭部に向けて徐々に皮膚が青黒く変色していても。
迷宮都市にはポーションが枯渇していた。一軍の精鋭ならばまだしも、予備兵力に支給されるものではない。薬ではとても癒やせず、ポーションのある帝都まで連れて行ったのでは間に合わない、そんな毒だった。
「顔がさ、変色する前に逝かせてよ。似合ってるって言ってくれたあの服が似合ううちにさ」
ホーリスの願いを叶えたいのに、彼女の心と体を蝕む毒から彼女を救ってあげたいのに、エドガンの手は震えて上手く狙いが定まらない。
「へたくそ」
激痛に耐えていつもの笑顔を向けてくれるホーリスに、エドガンはいつもの顔を返せない。
「可愛いって言ってくれた、あたしのままで逝けてよかった……」
そう言い残したホーリス。
何とか彼女の望みをかなえた後、気に入りのワンピースを着せた彼女に、エドガンは「可愛いよ、似合ってるよ」と語りかけた。
ホーリスの小麦色の肌は、照らす夕日に赤く染まって、はにかんで笑っているように見えた。
ホーリス。金の髪と小麦色の肌を持つ彼女は、最後まで快活で愛らしい人だった。
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ミルメット、マルガリタ、ドーリス、アルマ。
誰もに何か事情があって、それでも明日を信じていた。
エルダ、イレーネ、ヨハンナ、カミラ。
誰もに何か長所があって、そこがとても愛おしかった。
クラリッサ、リーゼ、ソフィー、ローザ。
誰もが微笑みかけてくれたのに、
誰もずっとそばには居てくれなかった。
テレーゼ、ヴィルマ、クラリナ、ナターシャ。
エドガンは彼女たちに愛を乞う。
笑顔を向けて欲しいと願う。
彼女たちが笑ってくれている時だけは、目蓋の母も微笑んでいる。
“笑って、癒やして、オレを愛して――”
等しく優しく、等しく愛しい、オレの運命の女性たち――。
とても静かなはずなのに。
「イ゛イ゛イ゛イ゛イイイイィィィィーーー!!」
咲き誇った大輪の、つんざく悲鳴が耳に残って止んでくれない……。
ざっくりまとめ:エドガンの女運、いろんな意味で可哀そう。




