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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
外伝 生き残り錬金術師と魔の森の深淵
208/297

25.黒き湖

「今のフランツさんは、お魚みたいに泳げるんですか?」

「いや、長時間潜ってはいられるし、水の中でもかなり自由に動けるが、エラ呼吸というわけではないな」

「マリエラ、フランツに何させるつもりだし?」

 再び夜が訪れるまでの間に、マリエラたちは水の世界をぼんやりと眺めながらそんな会話をしていた。


 飢餓や病魔の厄災を焼き清めたせいだろうか、水の世界は普通の魔物が力を増しているようで、ここへ来た頃よりも随分と大型の魚の魔物が泳いでいるのが見える。

 はるか上の方をゆったりと泳いでいるのは鯨の魔物ではなかろうか。鯨なんて、マリエラは話に聞いたことしかないけれど。


「あれ、鯨の魔物ですよねー?」

「ん? あぁ、そうだな。まだ子供のようだが……。あれは流石に無理だぞ」

「随分でっかい子供だし。10メートルくらいはあるし」

 失われたフランツの記憶を幾つも夢に見ていた割には、眠っていた時間はいつもと変わらないようで、マリエラたちは夜が来るまでの時間を少々持て余していた。


 つい先ほどまでフランツは、水中での活動特性を生かして新たに生じた塔――、北の塔への道を確認しに行ってくれていた。東西の防壁は途中で分断されていて、その中央に北の塔はそびえていたけれど、分断された壁が修復されたりはしていないようで、塔と防壁の間は飛び越えるにはいささか広く隔たったままだった。

 つまり、少なくともマリエラたちのいる北西の塔からは、北の塔へはいけないし、当然北東の塔も南側をぐるっと回らなければたどり着けない。


 フランツ一人ならば、北の塔へ辿り着くことも可能だろうが、水中で呼吸ができるわけではないから、途中で魔物魚に出会うリスクや、辿り着いたとして扉が開かない可能性を考えると、リスクが大きすぎるらしい。


「うーん、だったら、いるのはあれとあれかなー。ドニーノさんいるしあれは作ってもらうとして、あれは1階に行けば作れたはず……」

「今度は何を企んでるし?」

 あれ、あれと物忘れの激しい中年のような言動をするマリエラに首をかしげながらも、ユーリケが「必要なものがあればとって来るし?」と言ってくれる。


「ありがとう! メインは皆と合流してからになるんだけど、今のうちに紐蔦とゲプラの実――、火炎瓶の材料になるやつね、あれをありったけ集めてきて欲しいかな」

「分かったし」

「手伝おう、ユーリケ」


 二人してラプトルに乗り込み、採取に出かけるユーリケとフランツに、「何か美味しい物を作って待ってるね」と手を振るマリエラ。

 錬金術を応用したマリエラの料理は、厨房設備の整った『木漏れ日』で作るものより火加減が絶妙で美味しい。体を動かし、常では見られない珍しい景色で味付けされた旅先の料理は、平凡なものでさえ味が引き立つものだけれど、料理そのものの味が良いなら餌付け効果は抜群だ。ご飯が美味しいと、それだけでもウキウキと気分が高揚するものだ。


 北東の塔でエドガンがウキウキ言っていた頃、北西の塔にもウキウキな二人が発生だ。

 お手軽な二人を見送ったマリエラは、手早く料理の下ごしらえを済ませた後、つまみ食いの隙を伺うサラマンダーを抱き寄せて、その場に寝ころび丸くなった。


「少しだけ、教えて?」

「キュ……」

 マリエラの呟きへの答えなのだろうか。サラマンダーが小さく鳴くと一人と一匹は目を閉じた。



 *****************************




(あぁ、またあの夢だ……。やっぱり見られた)


 炎の精霊の灯火に護られて、暗い森を行く夢だ。

 前の夢からどれだけ時間が経ったのか。森はさらに深く、木々は一行に覆いかぶさろうとするかのように大きい。

 森を行く人々の行く手を遮る手のように、ねじれ曲がった枝付きは夜の暗さも手伝って一層恐ろしいものに感じられる。

 何度あの湖へ人々は通ったのか。一行の進む場所は木々の隙間を縫うように細い道ができている。


(この森、こんな感じだったっけ? 普通の森だと思っていたけど、これじゃまるで……)

 まるで見知った森のようだとマリエラが思うより早く、森を行く一行にフォレストウルフが襲い掛かる。


 ――うっとうしい犬っころ!――

 祭典用のランプに灯った炎の精霊がいらいらと揺らめきながらフォレストウルフを追い払おうと手を振るけれど、具現化したわけでもなく、ただ小さな炎に宿っただけのその力は正気を失った魔物の目をくらませ、攻撃を鈍らせるのが精一杯だ。


「フォレストウルフだ! 陣形を整えよ! 魔物除けポーションを欠かすな!」

 けれど道を行く一行の武器や防具は最初に見た夢の頃とは打って変わってしっかりしたものになっている。もちろん、迷宮都市の冒険者たちが纏っている物どころか、200年前のエンダルジア王国時代の装備と比べても不格好で、動きを阻害するような鎧だし、武器だってはるかになまくらだ。

 それでも中隊規模の軍勢がフォレストウルフ相手に後れを取るようなことは全くなくて、剣と魔法でたちまちのうちにフォレストウルフを駆逐していく。


 ――久しぶりに会えるってのに、邪魔するんじゃないよ!――

 あの湖に行くのは随分と久しぶりなのだ。

 人の技術も街もますます栄えた。飢饉に備えて食料を備蓄することも、病を癒やすポーションの錬成方法も確立し、人が精霊の力に縋ることは段々と少なくなってきた。

 街には前よりたくさんの人間が暮らすようになっていて、炎の精霊から見ると羊の群れのように狭苦しい状態だ。何より不快に感じるのは、人間の数が増えるにつれて、黒い靄のような穢れが街のそこここで見られるようになったことだ。


 人間が汚い言葉とともに吐き出す息とともに、眼から流す悲哀や憤怒の涙とともに汚らわしい黒い靄は街中に吐き出され、炎の精霊には街の空気が霞んで見えた。


 それが、怨嗟の言葉であったり、苦渋の涙であることを長く存在し続けてきた炎の精霊は理解していた。穢れが祓われず吹き溜まるととても良くないものを招くことを、炎の精霊は理解していた。

 だから、街中の灯火を転々としながら穢れの浄化に努めてきたけれど、夜通し煌々と明るく灯火の消えないこの街は、灯火以上にまばゆい金銀財宝が満ちていて、どれほど炎の精霊が街の穢れを祓っても、その黄金の隙間から、そして人々自身から吹き出すように穢れは尽きることを知らなかった。


 炎の精霊が浄化するより多くの穢れが湧き出ているのに、この人間の街の穢れは流れ出す先を持った水場のように、一定以上濃くはならない。それが、炎の精霊には気がかりでならなかった。

 湖へと急ぐ人々にまとわりつき、そして先導するように、黒い穢れが道の前にも後ろにも漂っているのが、気がかりでならなかった。


 深く静謐だったこの森の空気は、深淵へと誘う巨大な魔物の吐く息のように、暗く湿っている。穏やかだったこの森の魔物は、眼を血走らせ炎の精霊の制止も聞かずに人間たちに襲いかかる。


 ここはもう、炎の精霊の知っていた森ではないことに気が付いてはいたけれど、この先に何が待っているのか、その目で確かめずにはいられなかった。



 暗い森は、ふいに終わりを告げる。

 炎の精霊に、真実を伝えるために。


 ――どうして……――


 月の光の降り注ぐ中、夜の闇より暗い水面が静かにその身を横たえていた。月の光も炎の精霊の放つ灯火さえも呑み込むような漆黒の湖の真ん中に、墨で濡れそぼったような肢体をけだるげに動かして、あの湖の精霊がゆっくりと姿を現した。


 この湖は果たしてこんな色をしていただろうか?

 最初にここへ来た時は、水中に沈む倒木の木目さえも数えられそうなほど澄んでいたのではなかったか。病の穢れを受け入れた時は……? あの時水底は見えただろうか。


 ――久しいの。もう、失せてしもうたと思うておったぞ――

 その身が穢れで黒く染まっていても、その目が黒く淀んでいても、それでもあの湖の精霊はとても美しいと炎の精霊は思った。


 ――消えないよ。消えたりしない。これからだって。ずっと、ずっと。あたしが、あたしが穢れを祓うから……――

 そう言うや、炎の精霊は自分が導いてきた一行を振り返り、今度の『供物』を睨みつける。

 その瞬間、一行が携えてきた『供物』の箱に松明の炎が燃え移り、ゴウと激しく燃え上がった。


「うわ、火が!」

「何事だ、早く消せ!」

「しっ、しかし、乾燥していたようで火の勢いが激しく……」


 急に燃え出した『供物』の鎮火に躍起になる人々の耳には、きっと届いていないのだろう。

『タスケテ』『イタイ』『魔物ガァ』『ココヲ開ケテェ』

『供物』が上げる悲鳴が。泣き叫び、口々に助けを求める人々の叫びが。


 ――今度は魔物に襲われたか――

 ――うん。森で魔物が大量発生してね。街に雪崩れ込んだんだ。何とか追い払いはしたけど、ずいぶんたくさんの人間が死んでしまった――


 魔物に襲われ亡くなったのは、防壁の外に住む貧しい人ばかりで、輝かしい金銀財宝を持つ人々は強固な防壁の中、屈強な兵士に護られて魔物の被害から逃れることができた。

 防壁の内側に入れてくれと、助けてくれと懇願する人々の声は無視されて、魔物に生きたまま喰われる様を、富める者たちは眺めていたのだ。


 生まれてからずっと搾取されてきた貧しい者たちの恨みや怒りが。魔物に襲われ喰らわれる恐怖や嘆きが、その『供物』には収められていた。


 ――お前たちの肉体も魂も、もうこの世界にはいないんだ。そんな辛い気持ちなんて、全部あたしが焼き尽くしてやる。消し炭になって、何の色も形もないまっさらな状態に戻って、大気に解けてしまえばいい――


 ――吹けば消えそうだったお前が、強うなったの……――


 しみじみと語る湖の精霊の声に、炎の精霊は嬉しそうに笑って振り返り、そしてその笑顔を凍り付かせた。


 ――どうして? どうしてまだ、穢れが流れ込んでいるの?――

 街から湖へ続く道に延々と漂っていた黒い穢れが、真っ直ぐ湖へと流れ込んでいることに気が付いたからだ。


 ――道が、できたのだよ。

 おぬしと出会うはるか前から、人は我の下へ穢れを祓いに訪れていた。我はこの森の地脈を統べる精霊なれど、穢れを祓う力など持ち合わせてはおらぬのにな。


 何度も何度も通ううち、人共にある概念が生まれたのだろう。

 この湖は穢れの還る場所である、とな。


 だから、穢れの流れる道ができ、こうしてここへ流れて来るようになったのだろう――


 静かに語る湖の精霊に、湖を、その身を穢された怒りも悲しみも見受けられない。

 ただ、天より落ちる雨水を受け入れるように、降り注ぐ月光を、木々の落とす落葉を受け入れるように、流れ込む穢れを受け入れている。


 ――でも、でも。そんなに穢れをため込んだら――

 炎の精霊は森の木々の、魔物たちの変貌の理由を理解した。この湖は森の地脈に通じている。流れ込んだ穢れは水脈を通じて森を廻り、木々や動物たちを潤す。森に生き、森を愛する生き物は望んで湖の穢れをその身に宿してくれたのだろう。


 ――たとえ黒く変じようとも、我らの営みに変わりはあるまい。少々やんちゃになるだけだ――

 穢れた魔力が凝り固まって魔物が生じるのだという。それは、偽りなどではない。消化できないほどに穢れをその身に取り込んだ生き物は、その身を魔物に変じるのだ。


 穢れとはすなわち人の吐きだす負の感情。

 そんなものを取り込み変じてしまった魔物が人を愛するはずはない。


 魔物が人を憎むのではない。

 人が人を憎んでいるのだ。


 人がそこに居なければ、森の営みにさして変わりはないのだと、湖の精霊は炎の精霊を見て笑う。


 ――それでも! 心の内を焼く感情に苛まされない訳じゃない!――

 叫ぶ炎の精霊をみて、湖の精霊は優し気に笑う。


 ――最早仕組みは作り変えられた。案ずるな、穢れに狂わされようと、我らのありようは悠久の時の流れの中で見れば、そよ風に水面が揺れる程度のものよ。よほどのことがない限り、我らの平穏は脅かされない。もう行くがよい、炎のよ。この身には、最早汝の炎は眩しすぎる――

 その言葉を最後に、湖の精霊は湖面へと消えていき、後はどれほど炎の精霊が呼び掛けても、月も写さぬ漆黒の水面が静かに揺蕩うだけだった。


 炎の精霊は、自分に投げかけられた眩し気で優し気な優しい夜のようなまなざしと、水面へ消える瞬間に人間たちに向けられた奈落の底のような暗い瞳の色を、忘れることができなかった。




ザックリまとめ:マリエラ、寝る子は育つ的なアレ。


そして次回は、ヤツの意外な一面が……!!!

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