17.死肉の洞窟
微グロ注意
「こりゃ、随分と片付けのなってねぇ部屋だな」
南東の塔3階、2階への階段を塞ぐ巨大な箱の前でドニーノがハンマーを握る手に力を籠める。
「何とかなりそうだし?」
「おうよ。破片が飛び散っちゃいけねぇ。お前らは4階に上がっとけ」
マリエラたちは南西の塔で夜まで仮眠を取った後、4階の通路を通ってこの南東の塔まで戻ってきた。
ラプトルの背には、マリエラとユーリケの他に火炎瓶やら食料やらが積まれていて、ドニーノが乗り込むスペースは無い。ドニーノは徒歩での移動になる上に、火炎瓶の効果か夜の時間は短いから、南東の塔に戻って来るだけで外は明るくなってしまった。
どのみち中央の神殿へ行くには、この南東の塔から2階へ下りる必要があるし、エドガンのいる北東の塔へは3階の廊下を通って辿り着けるのだ。マリエラが押し黙っているのは、南東の塔に閉じ込められているからでも、時間をロスしているからでもない。
答えが分かりかけているのに、はっきりとは分からない。そんなもどかしさを言葉に表せずにいるのだ。
(さっきの仮眠で、ドニーノさんもユーリケも夢は見てないって言ってた……)
ドニーノは「過去の夢は見なかったぜ」と言って記憶の珠を見せてくれた。これで、記憶の珠と持ち主が揃うだけでは記憶が戻らないことが証明された。もちろん、その珠がドニーノのものでないという可能性もあるけれど。
(ユーリケも、何の夢も見なかったって……)
ユーリケが夢を見なかったのなら、あの夢は一体誰の記憶で、そしてどうしてマリエラが見たのだろうか。
ドガン、ガシャン。バリ、パリ、パリン。
「うわ、こりゃひでえ」
階下から聞こえてくる破壊音と、ドニーノの声にマリエラの思考は中断される。
「ドニーノ、どうしたし?」
「ユーリケ、どうもこうも、こりゃかたすのが大変だ」
ユーリケに続いて3階に下りたマリエラは、そこに散乱する大量のポーションを見て、「あぁ、やっぱり」と、そう思った。
2階への階段を塞いでいた見上げるほどの箱いっぱいに入っていたのだ。どれほどの量かは言うまでもない。箱を破壊した衝撃で、半数以上のポーション瓶が割れて混ざっているけれど、どれも200年前売れ筋だったポーションばかりだ。
「とりあえず、乾かすね。《乾燥》」
マリエラが行使した《乾燥》で、部屋中が浸るほどだったポーションは一気に乾燥してしまう。
「おぉ、嬢ちゃんやるな」
ドニーノの感嘆の声はお世辞ではない。これだけの量の水分を一気に乾燥させるだなんて、そうそうできる芸当ではない。
これが、普通の水だったなら、強大な魔力を誇るマリエラであろうと、こうも容易く乾かせはしなかっただろう。
(やっぱり、このポーションは……)
ポーションの多くは、魔法で生成した水に《命の雫》を溶かしこんだあと、薬効を抽出することが多い。つまり、ポーションを構成する水分は、元は魔力ということになる。
どうして水を魔法で生成するのか。それは、自分の魔法で生成した方が、その後の工程で働きかけやすいからだ。
例えば、零れた水を乾燥させるのだって、汲んできた水と、魔法で作った水とでは乾かすのにかかる魔力も時間も雲泥の開きがある。
(これは、私の作ったポーションだ)
そう思ってこの部屋を見渡すと、周りの箱に詰め込まれた安価な雑貨の数々も見覚えがある。
(これはきっと、お世話になっていた孤児院の……)
マリエラは確信する。この南東の塔は、マリエラの記憶の塔なのだ。
「いたっ」
「マリエラ、ボーっとしてるから。ポーションはたくさんあるし、さっさと治すし」
割れたポーションを片付けるマリエラの手にガラスの欠片が刺さる。
ぷくりと膨らむ血の珠と、ズキズキとした痛みが、この世界が夢でないことを教えてくれる。
答えは、すぐ近くにある。
そんな確信にも似た気持ちで、ポーション瓶をわきに寄せ階下への道を拓いたマリエラたちは、2階へと降り立った。
2階は西側と同じ絨毯張りで作りも東側と同様だった。廊下には部屋が並んでいて、西側の突き当りにはエントランスが、北側の突き当りには吹き抜けの温室のような場所があるのだろう。
「突き当りの扉を空けなければ危なくはないと思うから、私は部屋を回ってポーションを作ろうと思うの」
マリエラの提案で、3人は別れてドニーノは東の塔から1階の様子を調査し、ユーリケはクーに乗って塔を登り火炎瓶と食料の補充を行うことになった。
3人と別れたマリエラは、北側の塔の一番近くにある部屋の扉を開く。
「やっぱり……」
思った通りだ。
そこは、迷宮都市にあるはずのマリエラの工房だった。
「スラーケンは、いないんだ……」
生物だからなのか、ジークが持ち出した後の状態が再現されているのかは分からないけれど、クラーケンの体細胞を使った人工スライムであるスラーケンの飼育容器は空っぽで、容器の底にスラーケンの粘液が溜まっている。
棚には《薬晶化》した様々な薬草が並んでいて、品ぞろえは恐らくどの部屋よりも充実しているだろう。迷宮が倒されて、各種素材の採取量は減ってきている。完全になくなる前に、ガーク爺やエルメラさんに頼んで可能な限り買いそろえたのだ。
それでも足りないものはある。
「この部屋があるならきっと、キャル様の工房もあるはず。ねぇ、そうでしょう?」
「キャウ」
マリエラの問いかけに、肩に乗ったサラマンダーが鳴いて答える。炎のようなたてがみをまとったこの蜥蜴はぽかぽかと温かく、共にいてくれるだけで大層心強いのだ。
小さな蜥蜴がくりくりと金の瞳を動かす様子をしばらく眺めた後、マリエラは自分の工房を一旦離れて、他の部屋を探しに行った。
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ドニーノは、東の塔と南東の塔を繋ぐ廊下にマリエラたちの姿がなく被害が及ばないことを確認してから、そっと東の塔の扉に手をかけた。
窓から差し込む光は強く、軟体状の黒い魔物の姿は見えない。代わりに窓の近くを泳ぎ去る魔物魚が廊下に差し込む光に時折影を落とす。
「この時間なら魔物が復活してるはずだ。こっち側も西側と似たようなモンなら黒いヤツは絶好調なんだろうが、鉢合わせさえしなけりゃ魔物どもに気取られてこっちにゃ気付かねぇはずだ。偵察にゃちょうどいい」
扉の向こうは静かなもので、何の音も聞こえてこない。この近くで戦闘は起こっていないのだろう。
それでも音を立てず慎重に扉を開けたドニーノは、扉の向こうの情景に、
「こりゃぁ……、どうなってる?」
と声を漏らす。
扉を開けたその先には、狭く入り組んだ洞窟が続いていた。
西側では吹き抜けになった広いドーム状のフロアだったのに、その広大な面積を埋め尽くしているのは生臭く赤黒い何かで、所々に白い物が見えている。
「こりゃあ、死肉、か?」
触れると赤黒い壁面は、弾力とひやりと冷たい温度を手袋越しに伝えて来る。体温は無いのだから、これは死んだ生き物の肉なのだろう。放した手袋の指先ににちゃりと糸を引く様に赤黒い液体がこびりつく。
「それにしてもひでぇ臭いだ」
それは生きたオークやゴブリンどもが放つ不衛生な魔物の臭いと、血と内臓の放つ臭いと、腐った肉の放つ臭いが混ざったような、何とも言えない悪臭だった。
布で口元を覆いマスクの代わりにすると、ドニーノは洞窟の中に脚を踏み入れる。
足場も肉塊でできたその洞窟は、ぐにりと柔らかく足場が良いとは言えないが、所々にある硬い物が支えになって足が沈み込むことは無い。
「骨まであんのか……」
所々から飛び出している白いものは骨なのだろう。暗視魔法を付与したゴーグルのおかげで暗い洞窟の内部が視認できる。
この洞窟を根城にするものたちのためだろう、洞窟のあちこちに血液とはまた別の、燐光を放つ液体がにじんでいるようで、肉眼では十分とは言えないが、暗視魔法の助けがあれば十分な視界が確保できる。洞窟の中を進んでいくと、ところどころで肉の色合いが変わっていて、複数の生き物が混ざり合っているようにも思える。
通路は広い所でもドニーノが立って歩けるくらいで、狭いところになると膝を曲げ、尻を落とさなければ進めないほどに狭い。こんな狭い場所で魔物に出くわしたなら、ハンマーを使うドニーノは十分には戦えないのだろうが、幸い狭い通路は長くは続かず、すぐに何とかハンマーを振り回せる程度の小さい部屋に辿り着く。部屋からはいくつも小道が分かれていたり、上下に穴状の通路が開いていて、この洞窟が縦横無尽に広がっていることが推測できる。
部屋の先には小さな小部屋がいくつかあって、そこからは、洞窟の奥からとは別種の臭気が漂ってくる。
「なんだ、ありゃ。肉が溶けてんのか?」
どろどろの、血肉が溶け混ざったような液溜まりから、ガスが吹き上がるようにごぼりと肉液が盛り上がると、気泡の一部が裂けるように開いて「アー」とも「ギャー」ともつかない叫びをあげる。
産声だ。
ずるりずるりと肉液だまりから這い出してきた肉片は見る間に手足を備え、眼を開き、不快な産声を上げながら、ドニーノのことなどまるで目に入らない様子で、洞窟のより深い場所へと這い進んでいった。
「ここは、魔物の苗床か……。あんな生まれ方をするなんざ、聞いたことがねぇが。ありゃ。ゴブリンか?」
生まれたばかりのゴブリンの後に続いて洞窟を進むにつれ、ゴブリンの数は増えていった。どの個体もドニーノのことなど洞窟の一部としか認識していない様子で、小さい個体はドニーノの足元をすり抜けて奥へと進んでいく。奥に進むにつれ洞窟は少しずつ広くなり、生まれる魔物もゴブリンに加えてオークや狼のような体の大きい個体が入り混じる。どの魔物も、魔の森や迷宮の浅い層で見かけるような、悪食で繁殖力の強い魔物ばかりだ。
蜘蛛の巣のように張り巡らされた洞窟から、この東の塔の1階の中心だろう場所に雪崩れ込むように押し寄せる魔物たち。洞窟自体や魔物たちの放つ臭気と進む先から漂ってくる耐え難い悪臭に、口元を覆っていても呼吸が苦しい。ドニーノは魔物たちと悪臭から逃れるように、少し高い場所にある穴へと潜り込んだ。
そこから、ほんの少し清涼な空気の流れを感じたからだ。こういった洞窟には空気穴があるものだ。
「ぷは、こりゃ、たまらねぇな……」
新鮮な空気の流れ込む小部屋で何とか一息ついたドニーノは悪態をつく。
その小部屋には生まれたてのゴブリンさえも通れそうにない細い空気穴が縦に伸びていて、上から下に新鮮な空気が流れ込んでいた。真っ直ぐ階下までつながる空気穴を見下ろすと、魔物たちが向かっている1階の中心部分に繋がっているようだ。
「なんだ、ありゃ」
空気穴は狭く、全景は見えない。
断片的な視界から得られた情報は、構造の詳細も分からない、真黒に塗りつぶされたような巨大な丸いものを魔物が攻撃している様子だった。
真黒な丸い物は、熟れた柘榴のようにはちきれそうに見えた。
空気穴から見えるのはその黒い柘榴の一部分だけで、それが樹木に生っているのか、見えない部分に何があるのかは分からない。
ドニーノから見えたのは、パンパンに張られた表皮にゴブリンや次々に飛びついて喰らい付いている様子で、それは地面に落とした甘い果実に蟻が群がっているようにも見えた。
ぶづり。
何の前触れもなく黒い柘榴の表皮が爆ぜる。
底からこぼれ出たのは熟れた果肉などではなくて、真っ黒いネズミのような丸い無数の生き物だ。ネズミの溢れる勢いは、堰き止めた水の決壊するが如くで、先ほどまでは魔物が黒柘榴に群がっていたのに、柘榴がはじけた一瞬の後には、大量のネズミが魔物たちを呑み込んでいた。
「こりゃ、やべえ」
がっしりとした体躯からは想像もつかないほどの俊敏さで、来た道を駆け戻るドニーノ。この洞窟は入り組んでいて、どの通路も全く同じに見えるのだけれど、来た道にはハンマーの尖った先で傷をつけている。肉がえぐり取られたような傷痕にはじっとりと赤黒い液体がにじんでいて、帰り道の目印になっているから、それを頼りに来た道を脱兎の勢いで駆け戻る。
背後から洞窟を反響する音は、魔物たちの咆哮と、ネズミたちの蠢く音、そして……。
何とか東の塔の洞窟を脱出し、マリエラたちと南東の塔で合流したドニーノの顔色を見たマリエラは、
「ドニーノさん、これ、飲んで」
と一本のポーションを差し出した。
「ふぅ、嬢ちゃん、ありがとうよ。ようやく一息ついた感じだぜ」
マリエラから受け取ったポーションの種類を確認することもなく飲み干したドニーノは、一息ついてそう言うと、さっき見た東の塔の様子を話し始めた。
「あそこに居んのは、恐らく得体の知れねぇ病魔のたぐいだ」
ドニーノはその目と耳で確認したのだ。
黒い柘榴から溢れたネズミに触れた魔物たちが、口から、鼻から、眼や耳からだけでなく毛穴という毛穴から血を吹き出しながら倒れる様子を。そしてその亡骸を喰らうネズミの咀嚼音を。
「ドニーノは感染してないし?」
心配そうに聞くユーリケに、
「さっき解毒のポーション飲んでもらったから、大丈夫だよ」
とマリエラが答える。
この先に何が待ち受けているのか、マリエラには予想がついていたのだ。
この場所が何なのか、先ほどの夢が誰の記憶か、およその察しはついているから。
「病魔に効くポーションなら、あります」
金の瞳を煌かせながら話すマリエラを見たユーリケは、まるでこの先に何が起こるのか分かっているかのようなマリエラの様子に、彼女の師匠フレイジージャの面影を垣間見た気がした。
ざっくりまとめ:疫病を閉じ込めた魔物の洞窟へGO!