ジークムント:愚かさの代償
「ごめん、ジーク、おなかすいたよね?」
ポーションを作るのに夢中になって、昼ごはんを忘れていた。マリエラにとっては良くあることだが、忘れられたほうはつらいだろう。
「大丈夫です。三食、食べるなど、なかったですから。」
ジークが悲しいことを言う。おなかいっぱい食べていいんだよ。頬だってこけたまんまじゃないか、とジークの顔を見る。
「あれ?ヒゲ剃った?」
まだ、ナイフを買っていないので、今朝はジークのおヒゲがちょびちょびと生えていたのに、すっきりフェイスに戻っている。というか、表情がすっきりしている。なんかあった?
「はい。リンクスに、会いまして。しばらく、短剣を、貸してくれると。」
(おぅ、気が利かなくてごめんよ。そしてリンクスありがとう。)
食堂にリンクスの姿はなかった。昼食だけ食べにきて、仕事に戻ったのだそうだ。後でお礼を言わないと。
昼食は3色のパプリカと生ハムがたっぷりと入ったオムレツに、カリカリのバゲットだった。具沢山のオムレツなので、結構どっしりしている。生ハムのしょっぱさが卵の甘みと良くあっておいしかった。
遅めの昼食の後は、上級クラスのポーション作成が残っている。ジークに頼める仕事はもうない。午前の、仕事がなくてそわそわと落ち着かないジークの様子を思い出す。
「ジーク、昼からは、お願いしたいことがないの。身体も本調子じゃないだろうし、休んでいてほしいんだけど……」
「身体は、平気です。訓練を、しています。御用がありましたら、すぐに行きます。」
驚いた。朝は汚れ物もないのに「洗濯」とか言っていたのに。本当に何があったんだろう。良い変化には違いないので、「無理しないでね」と告げてマリエラは部屋に戻った。
(この恩に、報いるために……)
ジークムントは、リンクスから貸し与えられた短剣をぎゅっと握り締めた。
ジークムントは、魔の森に程近いとある辺境の村で生まれた。父は腕の良い狩人で、母は物心付いたときには他界していた。彼の一族には時折『精霊眼』と呼ばれる魔眼持ちが生まれた。『精霊眼』の加護は、遠見と遠距離攻撃の命中率増加、そして精霊視。精霊視は、精霊たちが望めば、微弱な精霊までも見ることができるというおまけのようなものだった。父にも祖父にも現れなかった『精霊眼』は、ジークムントの右目に宿った。
『精霊眼』による遠見と遠距離攻撃の命中率増加の加護はすさまじく、ジークムントも歴代の『精霊眼』持ちと違わず、放った矢は獲物の急所に必中し、若くして弓の名手として名を馳せた。
「『精霊眼』に恥じぬ人物となるように。」
ジークムントの父は、多くはない稼ぎから教師を雇い、ジークムントに教育を施した。その甲斐あって、ジークムントは村には珍しく読み書きや計算、礼儀作法を身につけた青年に育ったが、『精霊眼』と村人としては『特別な教育』は、ジークムントを驕った性格にしてしまった。
自分は、『『精霊眼』に相応しい、特別な人間』であると。
ジークムントの父がその思い上がりに気づくことなく、狩りの最中に魔物に襲われ他界したことは、ジークムントの不幸の始まりだったかもしれない。
いつの時代も、若く才能に溢れた青年にとって何もない辺鄙な村は退屈でしかない。父亡き後、ジークムントは村を出て、町で冒険者になった。
年の近い仲間とパーティーを組み、多くの魔物を討伐した。『精霊眼』を持つジークムントにとって、初級の冒険者が挑む魔物など敵ではなく、彼らは急激にランクを上げていった。
弓を引くほどに高まる名声、舞い込む金、群がる女たち。
自分が『精霊眼』に相応しい特別な人間であるという思いは、ジークムントの中で絶対の確信に変わっていった。
「誰のおかげで、Bランクになれたと思っている?」
事実、そんな台詞に仲間の誰もが反論できないほど、ジークムントは強かった。彼の矢に貫かれない魔物はなかったのだ。Bランクになるまでは。
ジークムント達パーティーの人間関係は対等なものではなく、強者と下僕といった様相を呈していた。それは人間関係においてだけでなく、メンバーの強さにおいても当てはまる、歪なパーティーだった。
個々の戦力で見れば、Aランクに手が届くかというジークムントと、Cランク下位の仲間たち。才能の差は歴然で、戦えば戦うほどジークムントはより強く、より傲慢になっていった。暴君さながらのジークムントに、仲間の我慢はとうに限界を超えていた。
ワイバーンは尾に毒を持つ小型の亜竜で、Bランクの冒険者であれば問題のない魔物だった。盾役が注意を引き付けている間に、ジークムントが飛膜を破って機動力を殺げば、あとは地を這うトカゲと同じ。距離をとりつつ攻撃すれば容易に倒せる。ジークムントはそう考えていた。
「ひっ、ひいぃ……」
Cランク下位程度の実力しかないパーティーの盾役はしり込みし、ワイバーンを留めておけない。メンバーの連携もばらばらで、矢を射る邪魔になる始末。挙句にワイバーンは最も装備の薄いジークムントに狙いを定めた。
ワイバーンの装甲は厚く、ジークムントの矢は迫り来るワイバーンに致命傷を与えられない。ジークムントがワイバーンを倒し得たのは、食い殺そうと開かれた顎の奥に、たまたま矢を当てることができた、それだけのことだった。
運が良かったのかはわからない。代償に、ジークムントは『精霊眼』を失った。
『精霊眼』を失ったジークムントに、手を差し伸べるものはいなかった。彼のおかげでBランクパーティーとしての恩恵を受けたであろう仲間たちもジークムントの下を去っていった。名声はかつての仲間が流した悪評に変わり、稼げないジークムントに寄り添う女はいなかった。
享楽的にすごしたジークムントに十分な財などあろうはずはなく、ワイバーンの素材を売って得たいくばくかの金を持って、ジークムントは帝都に赴いた。
帝都にいけば部位欠損を治すポーションが手に入る。
情報屋に金を払い、眼球の欠損を治す特化型の特級ポーションを作れるという錬金術師にたどり着いた。先払いだという代金は、金貨10枚。弓を、防具を質草としても到底足りない金額だ。しかし、『精霊眼』さえ取り戻せれば、稼ぎ出せない額ではない。ポーション代は借金をして工面した。
白いひげを蓄えた老齢の錬金術師は、金を受け取ると、弟子たちとともにポーションを作成して見せた。初めて見る複雑で高価そうな魔道具をあやつり、弟子たちがいくつもの練成を行う。老齢の錬金術師は、一つ一つに指示を出し、出来上がった薬品を混ぜ合わせ、完成のための魔法を行使する。
出来上がったポーションを受け取る。これでようやく『精霊眼』を取り戻せる。しばらくは金の工面に追われるだろうが、なに、少しの辛抱だ。俺にかかれば造作もない。
ジークムントはポーションを飲み干した。
『精霊眼』は戻らなかった。
「だましたのか!」
怒りに震え、飛び掛ろうとするジークムントを警備の兵が取り押さえた。老齢の錬金術師は不思議そうにジークムントの失われたままの右目を見ると、
「もしや、魔眼じゃったかの」
と問うた。
「『精霊眼』は文字通り精霊が与えたもうた魔眼。その精霊の属する地脈から作られたポーションでなければ、治すことは不可能じゃ。そんなことも知らなんだか。」
「俺は『精霊眼』に選ばれたBランクの冒険者だぞ、こんなことが許されると思うのか!」
「ほっほ。Bランクの冒険者がこの帝都に何人いると思うておる。100人は下らんわ。
ちなみに、Sランクは3名、Aランクは12名じゃったかの。知っておるか?特級ポーションを作れる錬金術師もこの帝都にはわしを含めて3名しかおらん。こやつらのように上級ポーションを作れる錬金術師は10名程度じゃ。丁度、Sランク、Aランクの冒険者と同じ数じゃの。で、そのBランク冒険者が何を言うておるのかのう?」
金を返せとわめくジークムントに、老齢の錬金術師はあざ笑うように答えた。同じBランクだという警備の兵に部屋から連れ出される際に、老齢の錬金術師はこう言った。
「『精霊眼』などという稀有な加護に恵まれながら、Bランクにしかなれなんだとは、愚かよの。」
ジークムントは魔の森のほとりの村で生まれた。200年前にエンダルジア王国が滅びて以来、かの地脈に錬金術師は誕生していない。失われた『精霊眼』は二度と元には戻らない。
そのことをようやく理解したのは、酒に女に溺れ果て、借金のカタに『借金奴隷』に落とされた後だった。
ジークムントを買ったのは、非道なやり口で財を成した傴僂の商人だった。商人は残忍な性格の持ち主で、ジークムントのような思い上がった若者を痛めつけ、屈服させることに喜びを感じる異常者だった。
ジークムントの歪な自尊心など、半年も経たぬうちに跡形もなくなった。厳しい労働と、絶え間ない暴力、屈辱と飢餓の中で、生命をつなぐのが精一杯だった。任期を終えれば生き延びられる、ただそれだけの日々があと少しで終わるという時に、それはやってきた。
「迷宮都市と商売を行う」
ここ数年のうちに有名になった黒鉄輸送隊のうわさを聞きつけたのだろう、商人の息子が魔の森を抜けると言い出したのだ。傴僂の商人が止めるのもきかず、多少頑丈な馬車と、満足な武器も与えぬ奴隷達を従えて、商人の息子は魔の森に向かった。
数時間も経たずに黒狼の群れに襲われたのは、むしろ幸運だったかもしれない。重い足取りでジークムントは最後尾を歩いていた。古い短剣ひとつでどうやって魔物と対峙するのだ。
何かに呼ばれたような気がして顔を上げると、薄ぼんやりと光る何ものかが見えた。
(森の精霊か……?)
父から話を聞いたことがある。魔物と違って精霊は人を愛し、助けてくれる存在だと。幼い頃は森に溢れるほどの精霊が見えていたのに、そういえば久しぶりに見た気がする。
森の精霊はジークに向かって手招きをしているように見えた。思わず隊列をはずれ、森の精霊に招かれるまま森へと踏み込む。その時だった。黒狼の群れが商隊に襲い掛かった。
戦闘訓練もされていない奴隷達など、魔物の前では盾にもならない。奴隷達は見る間にのど笛を噛み切られ、食い殺されていく。馬車は破られ、商人の息子が黒狼に引きずりだされる。自分だけは重装備を着込んでいるおかげで、致命傷は避けられているが、執拗な攻撃に腕や脚の防具はひしゃげてはがれ、血が流れている。なにやら叫びながらじたばたとあがいているが、長くは持つまい。
逃げなければ。ジークムントは周囲を見渡す。森の精霊の招きに従い、隊列から外れたおかげで黒狼の初撃は逃れた。黒狼たちは倒した奴隷や商人の息子に貪りつくのに忙しいが、やせ細った奴隷達だ。じきに食い終り見つかってしまうだろう。
すっ、と森の精霊が腕を上げ、一方向を指し示す。指された先には、まだ傷の浅いラプトルが馬車につながれて逃げられずにいた。駆け寄って短剣でくびきを断ち切り、ラプトルに騎乗する。すれ違いざまに商人の息子を引き上げる。
ジークムント一人戻っても命はないだろう。だが商人の息子を助ければ。商人の息子を助けたのはそんな打算からだった。
獲物を奪われた黒狼が追ってくる。鞍も手綱もないラプトルにしがみつき、出口に向けてラプトルを駆る。飛び掛る黒狼を切り捨てようと短剣を振るうが、剣の心得もなく、不安定な騎乗状態だ。当てることもできず、逆に噛み付かれる。
落としそうになる短剣を何とか左手でつかみ取り、右腕に噛み付いた黒狼につきたてる。
「ギャウッ」
一匹は振り落とせたが、まだ何匹も追ってくる。口から泡を吹きながらラプトルが駆ける。かまれた右腕に力が入らない。体ごとラプトルにしがみつく。流れる景色に目をやると、淡い光が道からそれた右のほうを指差す。
「ままよ」とばかりに、森の精霊の指し示す方にラプトルを進める。
黒狼の距離はますます近くなり、左方向から迫ってきた黒狼は左脚のふくらはぎに喰らい付く。振りほどこうと脚を振り回すと、そのまま肉を噛み千切られた。
「ぐあぁっ!」
焼け付くような痛みに意識を手放しそうになる。傷口から滴る血潮に黒狼が狂乱する。止血をする暇などない。
《ファイヤ》
自らの脚を焼く。普段は魔法さえ自由に使うことを禁じられている。傴僂の商人の利益のために、全ての魔力を使うためだ。肉を焼く臭いと、壮絶な痛みに視界が真っ白になる。
再び飛び掛る黒狼。これまでかと諦めかけたその時、黒狼との距離がすっと広くなった。
(聖樹?)
魔の森に不釣合いな、若々しい苗木が芽吹いていた。
聖樹とは、魔物を寄せ付けない神聖な木で、世界のいずこかにある世界樹の苗木とも言われている。他の樹木に比べて成長が遅い上、人の手で植樹すると枯れてしまう。どのようにして増えるのか分かってはいないが、魔の森のような瘴気の濃い場所でも、人知れず生えていたりする。この木の袂で休めば魔物に襲われることはなく、旅人に一時の安寧を与えてくれる。
黒狼は苗木を遠巻きにしながら追ってくる。三たび浮かび上がった森の精霊が、別の場所を指し示す。間違いない。助かる道を示している。精霊の指し示すまま夢中でラプトルを駆る。黒狼のうなり声が近づいては遠ざかる。どれくらい経ったろうか。
ジークムントと商人の息子を乗せたラプトルは、魔の森を抜けていた。
商人の息子を助け、何とか生き残ったジークムントだったが、商人の息子のために呼ばれた回復術師に、表面だけの軽い回復魔法をかけられただけで、そのまま馬小屋よりも不衛生な奴隷小屋に放り込まれた。黒狼の牙には瘴気毒がある。回復魔法で表皮がふさがっても、皮下では傷が癒えることなく、じくじくと痛み続ける。痛みと高熱に意識は混濁する。
目を覚ますと、自分が商人の奴隷小屋と違う場所にいることに気づいた。水と食料を与えられる。家畜の餌のような雑穀で、冷え切ってはいたが、死なないために食えるものは何でも食べる。高熱で弱った体が食べ物を受け付けず、吐いては食べ、食べては吐く。
「なんと卑しい。」
身なりの整った、見慣れない男がゴミを見るような目でジークムントを見ていた。
「回復術師から、虐待を受けている借金奴隷がいると聞いて保護してみたものの、これではまるで野良犬以下だ。人の言葉が分かるとも思えんが、告知義務があるのでな。よく聞けよ、犬。お前の元主はお前を訴えたぞ。息子を守らず怪我をさせて逃げおおせたと。この罪により、お前は犯罪奴隷になった。」
熱で頭が働かない。何を言われているのかわからない。まだ生きてはいるけれど、助かったわけではないのだと、ジークムントはうつろな頭で理解した。




