その道の終
幾人もの冒険者たちが、兵士たちが、普段は戦闘員でさえない農夫や商人、女性や老人、子供たちまで、迷宮都市じゅうの誰もかれもが迷宮に挑んでいた。
皆が強力な魔物を倒せるわけではない。ゴブリンなどの弱い魔物を数人がかりで倒す者も多いけれど、スライム一匹、ゴブリン一匹さえ迷宮の力の一部なのだ。
倒しては生み出され、生み出されては倒されていく魔物たち。
数とは力だ。
200年前の魔の森の氾濫の日、この地を得ようと魔物が総力を挙げて押し寄せてきたように、200年後の今、自分たちの街を、暮らしを、家族を守らんがために、迷宮都市の人々が迷宮へと詰めかけた。
こんな日の訪れを、迷宮の主は予想しただろうか。
仮に迷宮の主に思考する能力があったとしても、足元まで迫った迷宮討伐軍を押し返そうとするように、階層間の移動を解放し魔物や死人を送り出したことで、逆に迷宮都市中の人間が迷宮に雪崩れ込もうなど、想像すらしなかったろう。
200年前、エンダルジア王国の規模からみれば、魔物に向かってくる冒険者たちは少数で、逃げまどう者の背を追い食い殺すのは、さぞやたやすかったろう。エンダルジアの王国内は、恒久の平和に呆けて戦い方も忘れた者ばかりだったろうから。
けれど、今は、この迷宮都市は。
子供さえ武器を手に、互いに助け合い連携し合って手向かってくる。
誰もかれもがあきらめず、その目に強い光を宿して。
その力強さに、迷宮は僅かにでも怯んだろうか。
魔物を生み出し続ける『創造の魔手』は時折宙に向かってその手を動かす。遥か上の階層で魔物を創造しているのだろう。その動作の間に生じる隙は、迷宮59階層で戦い続けるレオンハルトらにとって好機に他ならない。
迷宮に潜った街中の人々が魔物を屠っていくたびに、『創造の魔手』は上階で新たな魔物を生み出していく。その隙を逃さず捉えてレオンハルトら迷宮討伐軍は『創造の魔手』の根元へと進軍していく。
じりじりと、じりじりと。
一歩ずつ、確実に。
200年にわたる迷宮都市の、シューゼンワルド辺境伯家の迷宮討伐の歩みのように。
傷ついて傷ついて、何度も倒れ、後世に迷宮討伐の悲願を引き継いできた。
膝をつく度、地に伏せる度、何度も何度も仲間や街中の人々に助けられ支えられてきた。
丁度今、この瞬間のように。
決して、決して諦めず、進み続けたその先に。
今この瞬間に。
金獅子将軍レオンハルト・シューゼンワルドの切っ先は、今、『創造の魔手』の核をとらえた。
「ここで終わらせる……!!」
突き刺す剣と共に振り絞られたのは、レオンハルトの願いであり、確固たる意志である。
200年にわたる戦いの日々を、流された血を、失われた命を、自らの代で終わらせる。迷宮の最深部へと続く階段は、レオンハルトにとってはただの迷宮の階段ではない。仲間の骸で築かれた、血で染まった道なのだ。
「すべてを無意味になどはせぬ! 我に続きし者たちを、費やされた時間も、何もかも! 決して、決して!!」
駆け抜けた死人の階層に、迷宮討伐軍の、共に戦い死んでいった仲間たちの姿がなかったことに、レオンハルトは誰より安堵したに違いない。彼らは今なおレオンハルトと共にあるのだ。レオンハルトの剣と、迷宮を斃すというその意志と共に。
レオンハルトの切っ先が、彼に続くディックの槍が、隊長たちの剣戟が、次々と止むことなく『創造の魔手』に突き立てられる。魔物を生み出すことに特化した迷宮の主の両の手は、わなわなと震えるように枝を何度も引きつらせながら、それでも空を掴もうと震えて動いた。けれど、その手が何かを生み出すことはもはやなく、根元から切り倒されたかのように、くたりと倒れて動かなくなった。
雷に打たれた倒木のように、黒変し根元から折れて倒れた『創造の魔手』を見ながら、「勝ったのか……」とレオンハルトは自問する。
勝てる見込みも、敵を追い詰める実感も、感じてはいなかった。
前に進む以外の選択肢がなかっただけだ。
レオンハルトを、未来を信じて、彼に付き従った兵士たちと共に、必死に剣を振るう以外に道がなかっただけなのだ。
第57階層での『多脚の刃獣』との戦いに向けて、全員の武器や防具を強化していた。アダマンタイトやバジリスク、赤竜といった、今ある最強の素材を惜しげもなく使って。もちろん予備の武器もポーションなどの備えも階層主戦を数回こなせるほどの量を準備していた。
万一に備えていつもより十二分に備えてきたのだ。
『多脚の刃獣』を倒した後、下階層から溢れる死人によって、レオンハルトらは進軍する以外の選択肢を失った。第58階層は炎災の賢者が引き受けてくれたおかげで、死人を掻き分け突き進むだけで済んだものの、この第59階層での消耗は思いのほか激しかった。
万全とも思えた備えだったのに、地上に戻る選択肢を失ったレオンハルトらの予備の武器はとうになく、鎧もへこんだりつなぎ目が痛み、外れてしまった部位もある。
荷運びの奴隷やラプトルに持ってこさせた矢や投槍などの消耗品もほとんど底をついていて、ポーションに至っては運んできたものどころか、その材料の地脈の欠片さえ尽き果てている。
それでも。
この場所で、今動いているのは、レオンハルトが率いてきた迷宮討伐軍だった。
「勝ったのだ……」
レオンハルトはこぶしをにぎる。
「我々が、生き残ったのだ……!!」
声高に、勝利を宣言することは無い。ここで終わりでないことを全員が知っているからだ。レオンハルトの宿願通りすべてを終わらせるためには、この一戦で満足し立ち止まるわけにはいかない。
レオンハルトは彼の兵士を、共に戦った仲間たちを振り返る。
皆疲れ果て、大地に座り込んでいる。その数は、この階層に辿り着いた時よりさらに減ってしまっていて、怪我を負っていない者など誰もいない。
特級のリジェネ薬のお陰で、徐々に回復してはいるが、ポーションや治癒魔法が必要な重傷者もいる。
けれど、誰の目も希望を失ってはいない。ここまで来られたのだ。この階層を攻略できたのだ。次の一歩をためらう者は誰もいはしなかった。
「ニーレンバーグ、無事か」
「あぁ、将軍よりはな」
魔物と患者の血で得体のしれない色に染まった格好で、ニーレンバーグが現れる。彼も戦っていたのだろう。何気ない様子でポケットに突っ込んだ左手は肘まで酷い傷があり、特級のリジェネ薬の効果で、現在進行形で回復している。
恐らくは見えないところにも傷があり、このように歩いて来るのは辛いだろうに、何事もなかったかのように、いつもの不機嫌そうな様子でやって来る様子に、レオンハルトは感謝にも似た気持ちを覚える。
レオンハルトは将軍で、皆を率いる立場にある。誰よりも心強く、皆に頼られ皆を率いていく者だ。けれど、ニーレンバーグはレオンハルトによけいな気苦労をかけさすまいと、自らの状態を隠して平穏を装っているのだろう。そんな様子は、他の兵士たちにも見て取れて、レオンハルトは自分が今なお己の脚で立っていられるのは、皆に支えられているからなのだと、尽きた力が腹の底から湧き上がってくるのを感じた。
(まだ、やれる。まだ、剣を握れる。迷宮の主は生きているのだ……)
レオンハルトは大きく一つ呼吸をすると、剣の柄を握る手に力を込めてニーレンバーグに命令を下した。
「まだ戦えそうな兵士を中心に治療を。完了次第、先へ進む」
「……分かった」
それは非情な命令だった。けれど誰も異論を唱えはしない。他に選択肢がないことを誰もが分かっているからだ。
一旦地上に戻りたくとも、一つ上の階層はきっと死人が蠢いている。
炎災の賢者がその身を犠牲に死人を引き付けて、道を拓いてくれたけれど、一国分の死人とそれを滅ぼした魔物がいるのだ。いくら意識がおぼろげで、つぎはぎの体で能力が劣っていようとも、一人の人間が焼き滅ぼせるものではないだろう。
物資は尽きかけ、負傷者は多い。もう一戦を乗り越えられる望みは薄い。けれど、ここで引き返したら、折角ここまで弱らせた迷宮に復活する暇を与えたら、迷宮都市が生き残る可能性はきっとゼロになってしまうだろう。
ニーレンバーグの指示により、マリエラのもとに僅かばかりの地脈の欠片が集められた。どれもこの階層で倒した魔物から回収したものだ。月の魔力や《薬晶化》した材料も残り少なく、マリエラはニーレンバーグの注文に従って、重要なものから一つずつ錬成していく。
「マナポーションはこの2本で最後です……」
「それは、君たちが飲みたまえ」
「え……、でも……」
マリエラの膨大な魔力は、度重なるポーション錬成で尽きかけている。魔力切れ寸前で意識が飛びかけている状態だ。それでも、ポーションを作り終えてしまったら自分にできることは無いのだからとマリエラはぎりぎりまでマナポーションを飲まずにいた。
ジークも精霊眼を使う度に魔力を消費していて、あと何本も弓を射れないだろう。けれど、矢の数が残り少ない。剣でマリエラを守るのならば、まだ大丈夫だとマナポーションを飲まずにいた。
「飲みたまえ。君たちの仕事は、これで終わりではないはずだ」
「……はい」
「はい」
この二人を回復させる理由を知る者は、ここにはレオンハルトとニーレンバーグのほかは、当事者二人しかいない。ジークの精霊眼が復活した日に『木漏れ日』にいたメンバーだけで、理由と言っても「喰われかけたエンダルジアを助けるために、この二人が必要だ」とフレイジージャに聞かされただけだ。
ニーレンバーグも、始めは劣化速度の速いマナポーションを作るために錬金術師を同行させる必要があるのだと思っていたし、ジークに至っては単なる戦力だと思っていた。けれど、こんな迷宮の最深部に至って、それだけではないとニーレンバーグは感じていた。
論理的な根拠があるわけではない。けれどこの場所は、今感じているこの感覚は、あの夜『木漏れ日』でエンダルジアを見た、地脈の中にいた感覚にどこか似ていて、あの時“エンダルジアの命は長くない”と直感したように、エンダルジアを救うためには二人の力が必要なのだとニーレンバーグはそう確信していた。
そのような直感めいた感覚は、レオンハルトも感じているのだろう。
随分数の減ってしまった兵士たちと共に、下層へと続く階層階段を、もはや階段とも呼べない深淵への穴を見つめるレオンハルトも。
「いくぞ」
レオンハルトの号令のもと、今あるポーションや治癒魔法だけでは戦線に復帰できない重傷者を岩陰に残し、50名ほどまでに減ってしまった迷宮討伐軍とマリエラ、ジークムントは、静かに下層への階段を下っていった。
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