仇
「やっぱりいたな」
「こういった異常湧きはクセづくのですぞ。高位の魔物ゆえ、数は随分少ないようですが。ニコ、ヌイ、傘を。二人とも私のそばを離れないよう気を付けるのですぞ」
黒鉄輸送隊は、なにも出会いを求めるエドガンに付き合って迷宮に赴いたわけではない。エドガン自身も今日ばかりは別の目的があるのだ
黒鉄輸送隊の目的地は迷宮第23階層『常夜の湖畔』。
月光と沢を流れる水音に満ちたこの階層は、今日はメイルリザードマンたちの咆哮がけたたましく響いている。
メイルリザードマンたちは、まるで月光石の光に狂わされたかのように、全身から血を流しながら一体の白い個体に絡みついている。
同じ迷宮から生じた魔物同士であるというのに、互いを喰らい合っているのだ。
メイルリザードマンの魔石はハラワタのどこかに宿るのだろうか。何体ものメイルリザードマンに食らいつかれるのも厭わずに、その白い個体、デス・リザードはメイルリザードマンの胴体部分をぞぶりぞぶりと喰らっていた。
「ほんと、おぞましい魔物だし?」
心底忌々し気に吐き捨てるユーリケ。
大半の階層では、通常湧く魔物に混じって1ランク高い魔物が湧いていたが、デス・リザードはメイルリザードマンより2ランク高位の魔物だ。何匹ものメイルリザードマンに体中喰らい付かれてもまるで気にすることもなく、鎧のようなメイルリザードマンの鱗をまるで柔らかいもののように引き裂いて、おぞましい食事を続けるデス・リザード。強さに歴然とした開きがあることは、その様子からも見て取れる。
Aランクのデス・リザードからすると、Cランクのメイルリザードマンなどいくら喰らえど受肉するには程遠い魔物なのだろう。癒されぬ底なしの飢餓に苛まされるように、無心にメイルリザードマンを喰らいつづけている。
ぐるり。
何の前触れもなく、デス・リザードの首が半周程回転し、頭だけが後ろを振り返った。
にたぁ。
四つに裂けたデス・リザードの口元が、笑っているかのように引きつり歪む。メイルリザードマンよりもはるかに上質の餌を見つけたのだ。
人間が7人にラプトルが8体。人間の強さにばらつきはあるけれど、メイルリザードマンとは比べようもない極上の餌。黒鉄輸送隊はデス・リザードの目にそのように映ったのだろう。
メイルリザードマンを体に喰らい付かせたまま、黒鉄輸送隊にむかってくるデス・リザード。細く長い4本の手足をばたつかせながら胴体をうねらせて走り来る様子は、蜥蜴より何か得体のしれない虫を連想させる。
そんな魔物を半眼で見ながら、エドガンがデス・リザードの前へゆっくりと進み出た。
「お前がさ、リンクスを殺ったのと別の個体だってこたぁ、分かってるよ。だからこれは仇討じゃねー。ただの八つ当たりだ」
エドガンが双剣に魔力を込める。
リンクスを殺したデス・リザードは、報告を受けた迷宮討伐軍によってすでに退治されている。今この階層に湧いているデス・リザードは、今回の最深部の討伐によって新たに湧いた個体で、リンクスたちを襲ったデス・リザードとは別の個体だ。
そんなことは分かっていたけれど、迷宮に潜るのならばと黒鉄輸送隊はこの階層を選んだのだ。
リンクスを失ったあの日、ヌイとニコを除いた黒鉄輸送隊のメンバーで話し合ったのだ。
「リンクスの仇を討とう。迷宮を斃そう」と。
けれど、迷宮討伐軍の第一線で戦えるだけの戦力を有しているのは、ディックとマルロー、エドガンくらいのもので、他の者は単独の戦力としては二軍がせいぜいと言ったところだ。ユーリケはラプトルなどの獣を操ることに特化しているし、フランツは亜人の特徴を備えた外見上、迷宮討伐軍といえど人の集団に属することが難しかった。グランドル、ドニーノは迷宮討伐軍として戦っていくことに限界を感じて黒鉄輸送隊に移籍したのだ。装甲馬車があってこそ実力を発揮できると言って良い。
それに長年魔の森を抜け、迷宮都市と帝都を行き来してきた黒鉄輸送隊は、迷宮討伐軍にとっても迷宮都市にとっても重要な輸送隊になっていたから、黒鉄輸送隊の全員が迷宮討伐軍に合流して討伐に参加することが、迷宮都市全体から見て迷宮討伐に寄与しているとはいいがたかった。
だからディックとマルローだけが迷宮討伐軍にもどって直接迷宮討伐に参加し、残るメンバーは黒鉄輸送隊として陰から迷宮討伐を支援することで合意した。
ちなみに、既に戦力の上ではマルローを上回っていたエドガンが黒鉄輸送隊に残ったのは、表向きには稀にあらわれる強敵に対するためだったのだが、実際は迷宮討伐軍で浮名を流し過ぎて戻るに戻れなかったという、実にくだらない理由である。身から出た錆びと言うほかない。人の集団において対人関係が良好であるというのは重要なのだ。
そのような理由から輸送隊を続けていた一行であったが、今回の迷宮討伐軍の遠征は事前に連絡を受けていて、今日は万一に備えて迷宮都市で待機していた。
その万に一つが起こったことを、運よくと言うべきかは別として、裏方に徹していた彼らの戦力が必要な事態が起こったのだ。
「自分たちの戦力では20階層付近が関の山だろう。どうせ戦うのならば、リンクスの倒れたこの階層に行こう」
誰ともなくそう言いだして、一行はこの階層を目指したのだ。
何体ものメイルリザードマンを喰らい付かせているデス・リザードの動きは本来のものよりいくらか緩慢で、四つに裂けた口から血混じりの唾液を滴らせつつ迫りくるさまを黒鉄輸送隊の全員が認識していた。
デス・リザードを迎え撃つべくエドガンが双剣に魔力を込める。
「《我が左腕は焔の座、我が右腕は疾風の……」
「アンカーセットからの、ほい、《シールドバッシュ》。行きましたぞドニーノ」
「おうよ。《メガ・ハンマー》」
ドンからのドゴン。
エドガンが格好良くデス・リザードを倒すより早く、グランドルが傘を開いて柄に付いている持ち手代わりのアンカーを軽く地面に突き刺す。ニコが間髪入れずアンカーをハンマーで地面に打ち込んだ瞬間、飛び込んできたデス・リザードをグランドルのシールドバッシュが跳ね飛ばした。
グランドルの細身ではデス・リザードの衝撃を受けきれないため、盾代わりの傘は斜めにセットして、衝撃を分散させ、かつグランドルが受ける衝撃の大半をアンカーで地面に固定した柄側に逃がしている。デス・リザードを跳ね飛ばした衝撃でボロボロになった傘はヌイが回収し、新しい傘をグランドルに手渡している。ニコがアンカーセット、ヌイがリロード担当らしい。
シールドバッシュで跳ね飛ばされたデス・リザードは、天井にむかって跳ね飛ばされて、落ちてきたところをドニーノのハンマーが頭部をミンチにしている。
それでもまだ生きているのか、びくびくと動いているのは、流石高位の魔物と言うべきか。頭部を潰されても生きているとは、一体脳はどこにあるのか。
跳ね飛ばされ、叩き落とされた衝撃などお構いなしに、喰らい付いていたメイルリザードマンがここぞとばかりに喰らい付く咢に力を籠める。
「《過剰回復》」
フランツが喰らい付くメイルリザードマンごとデス・リザードに特殊な回復魔法をかけると、ドニーノに潰された頭部は潰された形状のまま、メイルリザードマンに喰らい付かれている傷口はメイルリザードマンごと癒着するように回復し、一個の魔物肉の塊が出来上がった。結合し、牙も爪も封じられた魔物の塊は、もはや止めを待つばかりの、生餌のようにも見える。
「いいぞ、ユーリケ」
フランツに声を掛けられたユーリケは、デス・リザードだった蠢く肉塊を汚物を見るような冷ややかな目で見降ろしたあと、自ら手のひらをナイフで傷つけ滴る自らの血でラプトルの額に何やら模様を描いていった。
「さあ、ラプトルたち。餌の時間だよ? 《我が仔らよ――、狂え》」
「ギャッギャギャギャギャギャギャアアアアアアァァァァッ!!」
調教師。帝都でも数少ない異能。
辺境の部族にのみ受け継がれるその能力は、その利便性から尊ばれ、同時にその一族はこの特性ゆえ疎まれた。
一族の特徴を備えた孤児、ユーリケが帝都のスラムで生き残れたのも、同時に寄る辺なく獣のようにスラム中をさ迷っていたのも、この能力ゆえだったろう。
フランツに引き取られ、人間らしく暮らした時間はユーリケの人生においてどれほどの長さだったろう。人の時間と獣の時間、ユーリケを構成するのはどちらの時間なのだろうか。
ユーリケによって狂化されたラプトルたちは、肉塊と化したデス・リザードに喰いかかり、その硬い表皮ごと引き裂き喰いちぎっていった。叫び声を上げながら、魔物だった肉片を喰らうラプトルは人に飼いならされたくびきから解放され、獣の性をむき出しにしていた。ひどく残酷で残忍な給餌。しかし獣とは本来このようなものなのだと、そう思わせる美しさがあった。
それは、その様子を笑みをたたえた表情で見つめるユーリケも同様で、「仲間を殺した種族を殺す」という、この救いのない報復行動をひどく原始的で正当なものに思わせた。
「ちょっ……、俺の獲物はー? えー?」
双属性剣を披露するより早く繰り広げられた連携の取れた攻撃に、完全に仲間外れになったエドガンは中途半端に魔力を込めた双剣を両手にまごまごしていた。
「エドガン、あそこに新手のデス・リザードがおりますぞ!」
「そーそー。ずーっと向こうの方ね? さっさと行ってくるし?」
「頼りにしてるよ、エドガン」
「うむ、頼んだぞ」
グランドル、ユーリケ、フランツ、ドニーノにいつものごとくあしらわれるエドガン。その実力だけは本物だから、ニコとヌイも「がんばってくだせえ」と目で応援してくれる。
一人でもデス・リザードを倒せてしまう、我らがAランカー・エドガンは、「仲間が実力を発揮する環境を整えてこそのリーダーだ」という、グランドル提唱のリーダーシップ論に基づき、皆の手に負えない複数湧いたデス・リザードを間引いたり、こちらに気付いていない遠くのデス・リザードを倒しに行ったりと、討伐数だけはAランカーに相応しい働きを繰り広げることとなった。
モテる男はつらいのだ。たぶん。
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黒鉄輸送隊が受肉しかけたデス・リザードを着実に葬っていた頃、迷宮の38階層付近ではヴォイド・エルメラ夫妻がお散歩デートよろしく、雷雲渦巻く二人の世界を繰り広げていた。
3階層浅い35階層あたりでは、再度湧き始めた異形相手にハーゲイが破限斬を繰り広げ、倒すたびに宙に向かってサムズアップをかましていた。
冒険者ギルドで若手相手に戦い方のイロハを教えているだけあって、ハーゲイはソロでも安定した戦いぶりだ。安全マージンの取り方やペース配分も完璧なのだろう。次から次へと湧き出て来る異形の魔物を淡々と捌いているのだが、どことなく元気がない。流石に疲労が蓄積してきたのだろうか。
ずびし!
返事がない。当たり前だ。この階層に人間はハーゲイ以外いはしないのだから。
「……」
ハーゲイの顔からはだんだんと笑顔が失われ、サムズアップを辞めようかというためらいが哀愁漂うその背中から見て取れる。
どうやら心が疲れて来たらしい。
ずばしと破限斬が魔物を切り裂き、倒された魔物は迷宮の魔力となって霧散する。そのよどみの向こうに佇むハーゲイが、いつものきめポーズもせず次の獲物を探そうとした時。
「これは、静かでいいですね」
「流石のギルマスも、疲れると無駄な動きが無くなるのでしょうか」
「非効率的な言動の無意味さを悟ったのだと思いたいですね」
「おっ、お前たち!?」
ハーゲイのもとに、冒険者ギルドの幹部たち、チーム・ハーゲイのメンバーが駆け付けた。
安定して戦っていたハーゲイは別にピンチのようには見えなかったけれど、彼のアイデンティティーは失われる寸前だったから、ある種のピンチではあったろう。ヒーローよろしく登場した部下たちにハーゲイは。
ずびし!
とっておきのイイ笑顔でサムズアップをぶちかましていた。
「……これならもう少しゆっくり来てもよかったですね」
「急いで仕事を片付けてばからしい……」
「ギャップがある分暑苦しさも倍増です」
うんざりだと言いたげな幹部たちは、いつもどおりの減らず口を叩きながらもハーゲイの周囲に布陣を形成する。魔物の索敵、牽制、防御を行いながらハーゲイの攻撃力を活かし、長時間の戦闘を可能にする鉄壁の布陣だ。
「いくぜ! チーム・ハーゲイの戦いはこれからだ!!」
「その名前はやめてください」
「やっぱりお一人で頑張っていただけますか?」
「なんだか不吉なフレーズです」
どこかで聞いたことのあるようなフレーズを叫びながら、テンション高く魔物の群れに挑みかかるハーゲイと、ローテンションながら付いて行くギルドの幹部たち。
彼らの戦いもまた、今迷宮で繰り広げられている数多のドラマの一部であった。
ざっくりまとめ:俺たちの戦いはこれからだ! (ちゃんと来週も更新あります)