栄光と衰退の秘薬
マリエラの眼前で迷宮討伐軍を吹き飛ばしたのは、右手にそびえる巨大な土塊であった。
“であった”というのは断定を示すものでなく、過去の形態を示している。
土塊であったものは、今はただの土の塊ではなくて、強大な魔物の形を模しているのだから。
兵士たちを眼前で吹き飛ばされたレオンハルトの視線が、土塊であった魔物の姿をとらえる。
「また貴様か。幾度我が道に立ちふさがるのか」
それは心の底から湧き上がるような、怒りにも似た思いであった。
レオンハルトの兵士たちを強大な尾で吹き飛ばし、その力を誇示するように翼を広げて雄叫びを上げるその姿は、ドラゴン。迷宮第56階層でレオンハルトらを一時は敗退せしめ、何とか下した2戦目も苦戦を強いられた魔物であった。
形を変えた土塊は、右手にあった一つだけではなくて、視界に映るすべての土塊の表面に不均一な螺旋の亀裂が走るや、歪な造形はもともとこのように変形することを想定して、計算の上で作られていたのかと思えるように広がって、魔物の形に変わっていった。
ドラゴンの姿に。あるいはバジリスク、マンティコア、一つ目の巨人もいる。
どれもこれも巨大で強大で凶悪な魔物ばかりだ。
「ジーク! 翼を狙え! 者ども我に続け!」
レオンハルトの指示から数舜も遅れることなく、ジークの矢が放たれる。
フレイジージャの導きにより真価を発揮した『精霊眼』によって、形も得られぬ微弱な精霊がいくつもいくつも集まって、ジークの矢をまるで彗星のごとく取り巻く。
強力な魔法のように、渦巻き取り巻き光輝く矢によって、ドラゴンの翼、翼膜は射貫かれ破られる。
「ギャオアアァ!」
誇示するように開いた翼に穴を開けられ、空を制する翼をもがれたドラゴンは、怒りのままにブレスを吐こうと口を開いた。
「させん! 《飛龍昇槍》!」
レオンハルトらがドラゴンに辿り着くより前に放たれたブレスは、ディックの放った槍撃により逸らされて迷宮の大地に大穴を開けるばかりだ。
ドラゴンのもとに辿り着いたレオンハルトが、彼が率いる兵士たちの一撃が、次々にドラゴンに襲い掛かる。
「こいつらは生じたばかりの若い個体だ! 恐るるに足らん!」
剣と共に繰り出されるレオンハルトの喚呼は、兵士たちを鼓舞するための偽りではない。
ここは溶岩の階層ではなく、迷宮討伐軍は自由に動くことができるし、天井もあの溶岩の階層に比べればずっと低い。この土塊から生じたドラゴンも赤竜に比べればずっと弱い個体と言える。
事実、隙をつかれて吹き飛ばされた兵士たちは、大怪我を負いはしたものの即死を免れていて、手持ちのポーションを飲み干すや、隊列を整えドラゴンに挑みかかっている。
そう、レオンハルトの言う通り、恐れるには足りないのだ。このドラゴンが一体だけであるのなら。
この階層に幾つも存在する土塊すべてが魔物に変じ、こちらに向かってきていないなら。
倒せない相手ではないが、一撃で下せるような相手でもない。この1体を倒している間に、数多の魔物に囲まれて、今度は迷宮討伐軍が餌食となってしまうだろう。
ここまでやってきたのは、こんな穴倉の底に墓標を築くためではない。
だからレオンハルトは、一つの決断を兵士たちに下した。
「再生の秘薬の使用を許す! 今こそ竜の力を我らに! この地に辿り着きしつわものどもよ! 我が誇らしき同胞たちよ! 真の英雄として、歴史に、迷宮都市の未来にその名を刻め!」
レオンハルトは赤く輝くポーションを取り出すと、皆の前でそれを呷った。
途端に全身が輝いて、負った傷は見る間に癒え、攻撃力も防御力もその身体機能ごと大きく増加した。まるでランクが一つ上がったかのような、急激な変貌ぶりだ。
これが、マナポーションとともに錬金術師がもたらした、もう一つの奇跡。
特級のリジェネ薬の効果であった。
地属性の地竜、火属性の赤竜、水属性のフィロロイルカス、そして風属性のウィグラーツィル。4属性の竜の血から作られたこのポーションは、《命の雫》と地脈の欠片によってその力を更に高められ、回復力だけでなく、摂取した者のあらゆる能力を一定期間飛躍的に引き上げる奇跡の力を発揮した。
竜の血とは、竜種に相応しい能力を獲得した個体に宿るもの。
竜の血により竜は力を得るのではなくて、竜に相応しい力があるからこそ、その血は竜の血足りうるのだ。
これほどの効果をもたらすポーションが、たとえポーションと名の付く奇跡の薬であったとしても、矮小なる人の身に害をなさない訳がない。
強すぎる薬なのだ。同時に毒となるほどに。
この奇跡の代償として服用した者が支払うのは、鍛え上げた筋力や魔力の劣化であったり、反射神経や感覚器官の鈍化であったり、時に寿命の一部でさえあった。人によって何を失うのかは異なり分からないけれど、服用するのが1本きりならば、後の人生で取り戻せないものではないという。けれどこの秘薬に頼り過ぎ、幾本も服用を繰り返せば、その深刻な副作用は服用者の未来をも奪うだろう。
すさまじき戦果を上げ、英雄として名を刻んだ代償に、輝かしい未来は訪れ得ない。
けれど。
「大切な者たちを守り、未来を切り開いた果てに、穏やかで幸福な未来が訪れるのならば!
それを与えてやれるのならば!
腕を失い二度と剣を取れずとも、前に進む脚を失おうとも、いささかの迷いもあるものか!
我が剣は、我が身は、我が命は、我が民の為にある!」
そして、彼の志を継ぎ未来を担う子らの為に。
次々と秘薬をあおり、ドラゴンへ、その先に待ち受ける魔物どもへと立ち向かっていく迷宮討伐軍の兵士たち。
彼らの戦いは、未だ終わることはない。
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魔物の進行を食い止める、迷宮討伐軍と冒険者たちの共同戦線は、それなりの秩序を持って機能していた。
冒険者たちは、訓練され集団行動になれた迷宮討伐軍とは違う。烏合の衆に近い者たちであるから、他者に先んじ抜け駆けをしようとする者が後を絶たないのは、仕方のない事と言えた。
この作戦の中枢に冒険者ギルドを参加させたのは、そんな冒険者たちの特性を十二分に把握し、最適な配置ができるようにというウェイスハルトの考えによるものだ。
現在の迷宮は、彼らが慣れ親しんだそれと異なり、通常より多くの魔物が湧き、その中に何体か1ランク上の魔物が混じっている状態だ。冒険者たちにはそれぞれ慣れた狩場があるから、魔物の湧きが早くともそこを中心に活動するのが最も効率が良くはある。けれどそこに湧く1ランク上の魔物は対処ができない。
そこで投じられるのが、冒険者ギルドの職員や商人ギルドの職員の内、戦える者たちだ。彼らが階層内を巡回し、1ランク上の魔物を倒したり、体勢を崩した冒険者集団のサポートをして回ることで、冒険者たちの継続戦闘を可能にしていた。
特に10階層までの浅い階層は、子供や老人、店を営む街の住人といった少し前の迷宮都市ならば戦力に見なされなかった者たちが大勢詰めかけていて、ゴブリンやオーク、リザードマンといった魔物たちを数人がかりのチームプレイで倒している。
『エルバ靴店』のエルバや皮革製品を扱う店主たちが、魔物の皮の状態を品評しながらタコ殴りにしていたり、卸売市場の肉屋たちが肉切り包丁で魔物を刻んでいるのだ。ここは屠殺場か何かだろうか。
特に子供たちは、落ち着いて囲まれないように集団で戦うことを、学校で習った通りに実践しているから、それを見た大人や老人たちも無様な真似は見せられないと、この異常事態に冷静さを失わずにあたることができている。
特に、『木漏れ日』自慢のちびっ子戦隊の活躍はなかなかのもので、飛び掛かってきた魔物をパロワの盾がいなし、エミリーが魔物の弱点に応じた魔法や煙玉で隙を作り、エリオの電撃が痺れさせたところをシェリーが解体して仕留める、と言った見事な連携で10階層付近に稀に湧く1ランク上のトカゲの魔物すら倒し切っている。
通常なら19階層に生息する、リザードマンの成りそこないのような四つ足の魔物だ。
これにはガーク爺も感心した様子で、
「子供の成長は早いもんだな」
などと、年に似合わぬ斧使いでバッサバッサと魔物を切り倒しながら呟いている。
しかし、その横で見事な脚捌きで魔物を蹴り倒し、棒で打ち据え倒しているアンバーから言わせると、
「この子たちが特別なんだと思うよ、なにせ、あの賢者サマの指導だから」
ということらしい。
「きゃっ!」
「大丈夫か、シェリー!」
「シェリーちゃん!」
「お姉ちゃん、いじめるなー!」
そんな安定した戦いぶりを見せる子供たちではあったのだが、やはり無傷というわけにはいかない。
「はい、ポーション。もう残りが少ないね。休憩がてら貰いに行くことにしようか」
アンバーの提案で一行はポーションの配給場所へと向かう。
配給場所は迷宮の入り口と10階層ごとにある転移陣のそばにあって、ここからなら10階層が一番近い。
10階層ごとの階層階段の防衛とポーションの配給は、10階層は都市防衛隊が交代していて、配給所にはなぜかテルーテルが陣取っている。
当初、戦えない住人の避難誘導に当たる予定だった都市防衛隊ではあるが、避難を望む住人が想定外に少なかったのだ。避難誘導と火事場泥棒に対するための警備兵を差し引いても人手が余った都市防衛隊が、こうして10階層の警護に名乗り出たというわけだ。
もともと物資を気前よく配るのが好きなテルーテルだが、今配っているのは少し前までは貴重品であったポーションだから、その意識の抜けない彼は貴重品を配る自分も配られる彼らも、今の状況そのものが歴史的な重大事件だと極めて志の高い様子で、
「頑張ってくれたまえ!」「貴君らの奮闘と勇気に敬意を!」
などと、暑苦しい言葉をかけながらポーション配布を見守っている。
これが、褒められたり敬意を向けられることに慣れていない迷宮都市の人々にやる気を漲らせたり、どさくさ紛れにポーションをネコババしようと目論む不埒な輩に後ろめたさを感じさせて、戦闘へ誘導させているのだから、テルーテルはなかなかの働きをしていると言えるだろう。
いつもは面倒ばかりのテルーテルがこれほど活躍しているのだから、負けるわけにはいかないと、都市防衛隊のカイト隊長ほか兵士たちも、討伐を免れて階層階段を上って来る強力な魔物に集団で立ち向かっている。
より強力な魔物が出現する20階層の防衛と20階層から30階層の討伐には迷宮討伐軍の2軍が当たっていて、30階層以深の防衛と討伐は迷宮討伐軍の第4、第5部隊とハーゲイたちで対応している。
先ほどヴォイド・エルメラのシール夫妻がお散歩デートと言った様子で通り過ぎてから、30階層に上がって来る魔物はいないから、下では雷雲の中にいるような落雷の巣窟になっているのだろう。実に激しいデートではある。『雷帝』の電撃を「刺激的」の一言で済ませてしまえるのは、人外の防御力と再生力を備えた『隔虚』くらいのものだろうから、完全に二人の世界なのだろう。
この階層に湧く魔物では物足りないハーゲイが、先ほどからエルメラたちの後を追って深い階層に討伐に出かけようか、それとも今行くとデートの邪魔になるだろうかと、時間を計りかねている。
実際はデートではなく討伐に出かけているのだから、おかしな気遣いは不要であるのだが。
「こんなに深い階層に来ましたのは初めてですけれど、ここは随分落ち着いていますのね」
場違いともいえる可憐な声に、転移陣を振り返ってみれば、そこにはポーションの運搬部隊を引き連れたアグウィナス家のご令嬢、キャロラインが立っていた。
彼女の隣には護衛も兼ねているのだろう、ウェイスハルトも共にいて自ら状況の確認を行っている。
「いくらウェイスハルト副将軍と一緒でも、こんな危険なところに来るもんじゃないぜ?」
物見遊山をしている状況ではないのだと釘を刺すハーゲイに、キャロラインは「こんな状況だからこそ、この目で確認する必要があると判断いたしました」と答える。
どういった状況で、どれほどにポーションを輸送するべきか。
他に必要な物資はないか。
それを確かめるために彼女は直接やってきたのだ。
「助けてくれ! 応急処置が間に合わん!」
丁度その時、負傷した仲間を担いで駆け込んできた冒険者に、「こちらへ!」とテキパキと指示を出す。
キャロラインは貴族の令嬢ではあるが、迷宮都市で生まれ育ったこの街の住人でもある。生き物を捌いたことは無く、血に慣れているとはいいがたいけれど、ニーレンバーグに一通りの知識と、何より知識だけでは役に立たないという事実を学び、兄の務める診療所に何度も足を運んでもいる。
手慣れた治療は施せずとも、重傷者の惨状に臆して目を逸らすような失態をおかしたりしない。
伴なってきた治療の心得のある者が治療を施す様を見ながら、ポーションの種類や要望について状況を確認していくキャロライン。
その状況に「大したご令嬢様だぜ」とハーゲイは漏らす。
「あぁ。逃げてくれという私の頼みを断って、キャルはここまでやってきたのだ」
そう答えながらキャロラインをみつめるウェイスハルトは困ったようでもあり、どこか誇らしくも見えた。
「キャル、私はこの街を守らねばならない。だからどうか君だけは無事に逃げ延びてくれ」
そんなウェイスハルトの頼みを、キャロラインは笑顔で断ったのだ。
「アグウィナス家は、200年前の魔の森の氾濫の際に、真っ先に兵を伴ない駆け付けた一族です。わたくしはその血を引くことを誇りに思っております。わたくしにできることは多くはございませんが、この地で皆にポーションを届けたいと存じます」
それでも引き下がらないウェイスハルトに向かって、キャロラインはとどめの一言を発した。
「ウェイス様はこの街を御守りになられるのでしょう? でしたらここが一番安全ですわ!」
「そんな風に言われてしまっては、私が守らざるをえまい」
ハーゲイに事情を話すウェイスハルトは、一見困った風を装っているが、ただのろけているだけだ。困っているのはウェイスハルトではなくて、彼の側近ではなかろうか。兄レオンハルトが死闘を繰り広げているのだから、もう少しピシッとしてもらいたい。
そんな風にハーゲイが考えていると、状況の確認を終えたらしいキャロラインがウェイスハルトのもとにやってきた。
「ウェイス様、お連れ下さりありがとうございました。おおよその状況は把握いたしましたわ。わたくし、今から戻ってポーション運搬の手配と、お兄様の診療所の受け入れ態勢を拡充してまいります。ウェイス様は、どうぞこのまま指揮をお続けくださいまし」
ウェイスハルトより、キャロラインの方が余程しっかりしているようだ。「それでは」とこの場にそぐわぬ美しいお辞儀を披露したキャロラインは、ウェイスハルトを放置して、運搬部隊を伴なって転移陣へと消えていった。
「……さて、オレも魔物討伐に行ってくるんだぜ」
結構な危機的状況のはずなのに、ここにいるとどうにも調子が狂うとばかりに、ハーゲイは階層階段を下っていった。
ざっくりまとめ:最深部と地上部の温度差ァ!