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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第五章 たどりつきし場所
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分水嶺

 迷宮を揺るがす爆風を遥か下方に感じながら、ウェイスハルトは迷宮を貫く階層階段を駆け上がっていた。


 56階層の赤竜は未だ復活しておらず、続く55、54階層は階層主である『黒い悪魔』、『海に浮かぶ柱』以外の魔物は存在しない階層だ。ウェイスハルトは53階層まで駆け上がってようやく、魔物が異なる階層に移動している状況をその目で観測することができた。


(……喰らいあっている?)

 住処である52階層を離れ、51階層に進行してきたバジリスクは、51階層に巣くう獣の魔物に襲い掛かかり、まるで魔の森に住まう魔物が食事をするかの如く貪り喰らっていた。


 迷宮の魔物は人を喰らう。けれど人が訪れなかったとして、魔物同士喰らい合うという話も、飢えて死を迎えるという話も聞いたことがない。迷宮に充満する魔力によってその肉体を維持しているからだと考えられていたのだが、種族が変われば捕食の対象になりうるということだろうか。


「何れにせよ、こぞって地上を目指すわけではないようだ。これならば……。今のうちに地上へ急ぐぞ!」

 ウェイスハルトは50階層まで駆け上がり、転移陣で2階層まで一気に戻った。


「魔物に転移陣を起動できるとも思えんが、念のため見張りを付けておけ! おかしな転移が確認されたら直ちに破壊するように!」

 レオンハルトらの帰路を思えば、この転移陣は残しておきたい。けれど、50階層付近の強力な魔物が2階層へいきなり現れる危険を看過できない。


「地下大水道へ続く2階層の出入り口は封鎖せよ! 地下から魔物を侵入させるな! 第5部隊は10階層、第6部隊は迷宮入り口にて防衛に付け! 冒険者は見つけ次第地上へ帰還させよ。マルローは斥候部隊半数を率いて10階層より上層の状況を調査し報告。残りは各所へ連絡を! 緊急招集だ!」

「はっ!」


 ウェイスハルトの指示のもと、直ちに行動に移る兵士たち。

 階層を移動した魔物たちが浅い魔物を喰うわずかな間に態勢を整えなければならないだろう。

 事は一刻を争う。

 200年前の魔の森の氾濫(スタンピード)の惨劇を、再びこの地に起こすわけにはいかないのだ。


 *****************************



 最初に地上に現れた迷宮の魔物は、数体のゴブリンであったという。

 冒険者を志すものならば、若き日に相対する醜悪だが倒すに易い人型の魔物だ。


 緑褐色という人ではおよそ生じえない肌の色、子供のような小柄な体躯をしているが、二足で歩き人に近い様相は、魔物と相対し屠り続けていく冒険者という生き方を選ぼうという者たちに、一種の覚悟めいた感覚を抱かせる。

 打ち倒されたその姿に、自らの行く末を感じる者も多くはないであろうから。


 そのような、ある種のなじみ深ささえ与える魔物ではあるのだが、初めて迷宮から外へ這い出たそれらは、一種異様な様子をしていた。


 肌は通常のゴブリンよりも黒く淀み、目は血走って口元は血潮に濡れそぼり、血混じりの涎が垂れて胸元までを汚している。手には迷宮で拾ったものか、哀れな犠牲者から取り上げたのか、安物の剣が握られていて、その刀身は血脂がこびりついている。


 魔の森においてもこういった異常を示す魔物というのは存在している。

 例えば、かつて黒鉄輸送隊がでくわした、黒死狼や人狼などだ。

 人を喰らい、魔力に狂い、魔物同士が喰い合って、より凶悪な個体に至る。同族同士すら喰らい合うその変貌はおよそまともな生物のそれではないが、もとより穢れた魔力が凝り固まって生じたものには相応しい進化であると言えるかもしれない。


 その場に居合わせた見張りの兵によって倒されたゴブリンたちは、並の個体よりはるかに強力で、迷宮で生じたにも関わらず倒してもその屍が消え失せることは無かったという。



「全身受肉していたのか」

 冒険者ギルドの会議室でこの報告を受けたウェイスハルトは、彼が目撃した魔物同士の共食いの理由に思い至った。


「肉体を得るために喰らい合っているわけか。して、迷宮内の魔物の発生状況は?」

 迷宮は深い階層ほど迷宮の主の魔力が濃厚に漂う。魔力の淀みより生じた迷宮の魔物のうち、特に受肉していない個体は、一定の魔力が無ければ存在できないのだろう。だから魔力を補給し受肉を果たすために、魔物同士喰らい合う。


 魔物同士喰らい合っているならば、より強力な魔物に進化するのだろうが、個体数は減少するだろう。迷宮中の魔物が雪崩のように溢れて来るわけではないのならば、抑え込み、時間を稼ぐことは可能かもしれない。


「は。10階層を防衛している第5部隊の報告によりますと、浅い階層では魔物の発生数は倍増、中に1ランク上の魔物が1割程度混じっているそうです。その個体が周囲の魔物を喰らって地上を目指して移動しているとか。10階層以降の魔物の進行は第5部隊が阻止していますが、少しずつその強さを増しているとのことです!」


 新たな魔物が次々と発生し、地上を目指して移動してくる。それは絶望的な状況とも思える。しかし、ウェイスハルトには、その報告にこそわずかな希望を見出した。

 迷宮に最も近い冒険者ギルドに本部を設けてまだ1刻と経過していない。

 これからが本番というところだろう。


「それで副将軍閣下、俺らはどう迎え撃つんだぜ?」

 冒険者ギルドのギルドマスター、ハーゲイが問う。この場に集まっているのは迷宮討伐軍だけではない。商人ギルドからはギルドマスターとエルメラ他、戦闘力の高い部門長が招集されているし、迷宮都市の警護を担う都市防衛隊だって当然出席している。大佐やカイト隊長が出席しているのは分かるのだが、テルーテル相談役は余計ではなかろうか。

 テルーテルはあこがれの『雷帝エルシー』を前にしてもいつものワクテカ顔ではなく、キリリと至極まじめな表情で状況を注視しているから、都市防衛隊での長いキャリアを発揮すべくこの場にはせ参じたのかもしれないが。


「迷宮北東側の門は閉鎖し、出入りは南西側に。迷宮都市の南西大門、西門、南門は閉鎖。都市防衛隊は防壁の警護を継続しつつ、戦えぬ住人に避難を呼び掛けろ。訓練通り避難は北東大門から山岳街道を使う」


 迷宮の周囲には、かつてエンダルジアの王城を囲んでいた城壁を利用した防壁が張り巡らされている。万一迷宮から魔物が溢れたときに堰き止めるためのものだ。この200年間、迷宮から魔物が現れたことは無くて、この城壁は迷宮都市に住まう人々に安心感を与えるためだけのものではあったが、修繕を怠らずにいたお陰で今回の最終防衛線として役立ってくれるだろう。

 出入り口は北東側と南西側の2箇所あって、住人の多い北東側は閉鎖する。迷宮都市を出て北東側に進むと山岳街道を経てドワーフたちの自治領、ロック・ウィールに辿り着けるから避難する時間を稼ぐ目的もある。

 魔物除けのポーションを使用して魔の森を抜ける経路もあるが、迷宮と連動して魔の森の魔物たちが活性化する可能性もある。有事の際の避難経路として周知されている山岳街道を使用する方が安全だろう。


「冒険者ギルドは冒険者たちを組織して迷宮で魔物の討伐を。10、20、30階層に防衛線を張り奴らの進行を食い止めつつ可能な限り殲滅する。商人ギルドには援軍と物資の提供、輸送をお願いしたい。ロイス殿、アグウィナス家にはポーションの解放を依頼する。費用は全てシューゼンワルド辺境伯家が受け持つ」


「もとよりそのつもりだが、いつまで(・・・・)戦うつもりだぜ?」

 ハーゲイが冒険者たちのまとめ役、ギルドマスターとしてウェイスハルトに問う。

 自分たちが行けと命じる戦いが、住人の命を助ける時間稼ぎなのか、それとも被害が帝都に及ばぬように、死に絶えるまで捨て駒になる戦いなのか。


 冒険者とは兵士に比べてずっと自由なものなのだ。義務が少ない代わりに保証もない。もちろんギルドに所属している者たちは、ギルドから得られる権利の代わりに一定の義務も生じるものだから、強制依頼で動員することは可能ではある。

 詳細を話さず死地へと送り込むことだってできなくはない。


 けれど、ギルドマスターの職にありながら、若手冒険者たちに講習会を開き、長く戦い方を教示してきたハーゲイだ。冒険者たちの育成を、生きて帰ってくることを望み続けた彼には、そんな真似はできはしなかった。


「俺は、奴らになんて言って送り出せばいいんだぜ?」

 ハーゲイの瞳は真剣だ。シューゼンワルド辺境伯家という権力を前にしても決してひるむことは無い。

 内に迷宮、外に魔の森。

 人の領域から隔絶されたこの地で長く冒険者を束ねる男は、彼らの守護者でもあった。


「兄上が、迷宮を斃すまでだ。ハーゲイ」

 ハーゲイの視線を真っ向から受け止めて、ウェイスハルトがそう答える。

 レオンハルトは未だ戦い続けているのだ。死者の悪夢をかいくぐり、彼の切っ先は必ずや迷宮の主に届くだろう。


「新たな魔物が生み出され、喰らい合って受肉している。

 それは、長く存在し、地上への侵攻に耐えるほどに受肉した魔物が少ないということだ。

 迷宮討伐軍や冒険者たちが長年迷宮に潜り続け、その力をそぎ続けたことは、決して無駄ではなかったのだ。

 我らの費やした時間は、犠牲は、その血の一滴、肉の一片に至るまで、すべてに価値があったのだ。


 そして今、受肉した魔物が蓄えられておらず魔物の氾濫(スタンピード)の準備が万全ではないのに、迷宮内の魔物の移動制限が解除されたのだ。迷宮には、我らの憎き宿敵には、もう()()()()()に違いない。


 兄上は、金獅子将軍レオンハルトは必ずや迷宮を斃す。


 それまでだ、ハーゲイ。

 それまで我々は、迷宮都市を、この街に住まう人々を守り、魔物を倒し迷宮の力をそぐ。


 皆も聞け。これは、終わりの見えぬ守りの戦いではない。

 我らの街を、この土地を、魔物から人の手に取り戻す戦いだ。

 

 ここが分水嶺(ぶんすいれい)と心得よ。

 我々が築き、享受する当たり前の日々を、そして明日を確かに勝ち取り、真に我らの大地で迎えるのか、それともそんな日々も、命さえ奪われ貪りつくされるのか。


 兄上は、金獅子将軍レオンハルトは迷宮を斃し、必ずこの地に戻られる。

 それまでは、共にこの地を守るのだ」


 ウェイスハルトの瞳に絶望はない。そこにあるのは確信で、民を守るという信念だ。

 それはシューゼンワルド辺境伯家に生まれた責務で、悲願で、彼の存在する意義だ。


「そうか。金獅子将軍は未だ戦っておられるのか……。ならば剣を預けよう、ウェイスハルト副将軍。我ら冒険者ギルド一同は、迷宮討伐軍とともに戦うぜ!」

 ずびし! いい笑顔でハーゲイが答える。

 シューゼンワルド兄弟が戦いを諦めていないのならば、この街は、迷宮を斃すために作られたこの迷宮都市はその目的を果たすだけだ。今がまさにその時だというのならば、剣を取らぬは冒険者でさえないだろう。


「いくぜ、野郎ども! 冒険者たちを招集だ! ここ一番の踏ん張りどころだ! 一世一代の稼ぎ時だぜ。馬鹿野郎どもがおっ死んじまわねえように、しっかりサポート忘れるな! いくぜ! チーム・ハーゲイの出番だぜ!」

 こんな状況だからこそ、血が騒ぐのは冒険者の(さが)だろうか。冒険者ギルドの幹部たちにずびしと指示するハーゲイに、この場に集まった幹部たちは口々に応じた。


「ギルマス一人で行ってください」

「冒険者たちの力量に合わせた振り分けに状況の掌握、人手はいくらあっても足りないというのに、まったく」

「あ、ギルマスの手は要りませんから、前線行って暴れてきてください」

「それと、チーム・ハーゲイなんて組織名称、誰も承認してませんから」


「お、おまえたちいぃ!?」

 折角ずびし! と決めたのに、いつもの通り台無しだ。

 緊急事態にも関わらず、冒険者ギルド職員の鋼のメンタルはビクともしないで、いつもと変わらず通常運転だ。実に安心感がある。それもこれもハーゲイの日々の薫陶(くんとう)のお陰だろう。

 ウェイスハルトの指示に従い、早速冒険者たちを招集すべく会議室を後にする冒険者ギルドの幹部たち。随分と余裕な様子で、無駄口をたたく余裕さえある。


「前々からチーム・ハーゲイの呼び名には異論があったんですよね」

「せめてチーム・破限くらいにして欲しいものです。恥ずかしい」

「いや、チーム・ハゲンではギルマスが入れないのでは? 入っていただく必要はないのですが」

「おまえたち? 俺のコレは剃ってるんだぜ?」

「む……、積極的な喪失ですか。それはなかなか新しい解釈だ。確かにハゲンと言えなくもない」


 軽口を叩き合いながらもテキパキと仕事を分担していくギルド職員たちを眺めながら、ウェイスハルトは「彼らは何の話をしているんだ?」と美しい金髪を揺らしながら小首をかしげた。


 その場で成り行きを見守っていたテルーテル相談役は、

「剃って……。実に潔し!」

 と、何事かにひどく感銘を受けていた。





ざっくりまとめ:迷宮対迷宮都市、体力勝負の始まり始まり~


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