多脚の刃獣
「うようよいるな」
「これは、『炎災の賢者』殿」
「どれほど数がいようとあたしの敵じゃないけどね」、等と言い出しそうな余裕の表情を浮かべて、突撃の合図を出そうとするレオンハルトらの下にフレイジージャがやってくる。
マリエラに叱られて前線まで追い立てられてきた一部始終を知っているミッチェル君は、何とも言えない表情でその後ろをついてきている。
「露払いくらい、手伝おうじゃないか」
フレイジージャの申し出に、レオンハルトとウェイスハルトは視線を交わして頷く。
迷宮討伐軍に群がる刃脚獣を焼き滅ぼした先ほどの一撃は、前線からでもよく見えた。あれのお陰で縦に伸び分断されかねない状態だった陣形は整えられたし、周囲の刃脚獣を倒せたから僅かばかりとはいえ時間が稼げた。
もう直ぐ遭遇するであろう階層主は、今は靄の向こうで影しか見えないけれど大量の刃脚獣を引き連れてこちらに向かってきているから、先ほどの火力で少しでも数を減らして貰えるならばありがたい。
「では先ほどの一撃を……」
「あ、あれは打ち止め。フツーの火魔法カナー……」
明後日の方向を向きながら言うフレイジージャ。ミッチェル君の耳打ちで一部始終を把握したレオンハルトらは、それでも「ご助力感謝する」と大人な対応をしてみせた。
「んじゃ、早速。《ファイヤー・ストーム》」
ありふれた炎の魔法を靄に霞む刃脚獣たちにいきなり放つフレイジージャ。
「おぉ……」
レオンハルトや迷宮討伐軍からおこったどよめきは、お世辞などではない。命のやり取りをする迷宮討伐に、『接待討伐』なんてものはあり得ない。
フレイジージャの放った炎の魔法は、感嘆するにふさわしい、まさに炎の嵐と呼ぶべきものだった。前方一面を決壊した川からあふれる濁流がごとき炎が吹き荒れ、大地を、前列に並ぶ刃脚獣を呑み込んでいく。精霊魔法ほどの威力はないけれど、ただの炎の魔法でこれほどの威力とは。ウェイスハルトが全魔力を込めて放ったとしても及ぶかどうかの火力であろう。
ぐびぐびぐび。
炎は魔物を呑み干したのだが、フレイジージャもマリエラのところから持ってきた出来立てのマナポーションを飲み干していた。それも2本も。
「ぷはー。酒だったらいくらでも飲めるのに、ポーションは腹にたまるなぁ」
腰に左手を当ててポーションを呷るフレイジージャ。
「一撃に、全魔力をつぎ込んだのか……」
「マナポーションで腹一杯になったら打ち止めでしょう。後、3……いや2発か」
ひそひそと冷静に師匠観察結果を分析し合うレオンハルトとウェイスハルト。
戦力の分析は重要ではあるのだが、階層主を控えていささか悠長な彼らの前で、フレイジージャの放った魔法の火力によって、靄で湿気た大地は乾き、瞬時に蒸気と化した水分が上昇気流となってこの階層をけぶらせていた靄さえも払ってしまった。
晴れた視界に現れたこの巨大な魔物こそ、この階層の主『多脚の刃獣』。
偵察部隊が名付けたその名が示す通り、巨大なその体からは、一目で数えきれないほどの脚が所狭しと生えている。
(これは、まずいな……)
ウェイスハルトは『多脚の刃獣』の姿を目視し、己の作戦が最適でなかったと眉を顰める。
靄の向こうに見えた多脚も、刃脚獣より2割ほど高いその体躯も、事前に受けた報告と相違ない。しかしこの『多脚の刃獣』は、晴れた視界に「これならば遠くもよく見える」とばかりに曲げていた足をすっくと延ばし、20メートルを超える高さに至ろうとしていた。
(これでは、錬金術師に届いてしまう……!)
現状の隊列は10メートルの脚を持つ刃脚獣に相対するために組まれたものだ。刃脚を受け流しつつの遠距離攻撃。数対数の物量作戦だ。
けれど射程が20メートルともなれば、攻撃できる人数が随分と絞られてしまう。
絶え間ない弾幕で階層主の動きを牽制し、こちらは回復を挟みつつ交代で削っていく作戦であったのに、弾数が少なければ倒すのに時間がかかるばかりか、動きを牽制することもできない。その長く幾本もひしめく脚の一本でも錬金術師にあたってしまったら、この作戦だけでなく今後の迷宮攻略すらも危うい。
「第1、第2、第3部隊は前へ。部隊ごとに『多脚の刃獣』を引き付けつつ攻撃。第4、第5部隊は周囲の刃脚獣を押さえながら遊撃せよ。第7魔術師部隊は本陣の前面から『多脚の刃獣』を攻撃。距離を詰めさせるな。第6、第8部隊は本陣を守りつつ距離を取れ」
即座に作戦を変更し、矢継ぎ早に命令を下すウェイスハルト。
下された命令に迷宮討伐軍はピリリと引き締まる。
予め伝えられていた作戦は一つではない。状況に応じて幾つものパターンが想定されている。このパターンはその中でも最悪に近い。
本陣、すなわち錬金術師を死守しつつ撤退を想定した陣形だ。
その作戦が階層主に出会うなり発令されるなど……。
「シケたツラするな! ちいとデカくてキモイだけだ。脚が多かろうが狙うのは胴だ。的がデカい分、下手糞でもよくあたる! おおお!《昇槍烈破》」
「ディック隊長に続け!」
仲間を、そして自らを鼓舞するためか、それとも常に全力投球なフレイジージャの《ファイヤー・ストーム》にあてられたのか、ディックが吠えて『多脚の刃獣』に挑みかかる。彼に続く第3部隊の仲間たち。距離と威力を優先し、ペース配分など考えずに力いっぱい投じた彼らの攻撃は、はるか上空の『多脚の刃獣』の胴をとらえることはできるのだけれど、湿気た空気の抵抗と、万物を大地へ引き落とそうとする引力によって威力は随分弱められ、岩を針で突くかのようなダメージしか与えられない。
「問題ない! 削れているぞ! いつかは倒せる!」
迷宮討伐軍のメンタリティーは、この程度で折れるほど柔ではない。一体どれだけの敗戦を喫し、一体どれだけの死地をくぐりぬけてきたことか。
これはまだ、可能性のある戦いなのだ。
3つの部隊が『多脚の刃獣』の周囲をまわり、引き付けつつもじりじりと削る。本陣の前方には魔導士部隊が控えていて、射程に入るなり集中砲火を浴びせかけ『多脚の刃獣』を牽制しつつ攻撃を加える。彼方から次々と湧いて出て来る刃脚獣は遊撃部隊が押さえ、数が増え過ぎたならフレイジージャやウェイスハルト、第7部隊長であるAランク魔導士が全魔力で屠る。
どこか1部隊が消耗したなら遊撃隊がその場を代わり、その隙に本陣で治癒、回復を行うのだ。
当初の予定よりも本陣との距離が開いてしまった分、補給のたびに戦線は乱れ危うい状態に陥るのだけれど、そんな状況すら迷宮討伐軍にとっては慣れたものだ。生きてさえいたならば怪我も魔力も回復できる戦いだ。見上げるほどの敵であろうと攻めの姿勢を崩しはしない。
上空へと昇る幾筋もの攻撃、宙を染める魔法の輝き。
この戦いを遠く離れて見ていたならば、光舞飛ぶ美しいものに思えたかもしれない。まるでいつまでも終わらない花火のような。
上空から見たならば、後方に流れ、力を取り戻して再び押し寄せる人の流れに一定の規則性を見出しただろう。断続的に『多脚の刃獣』を削る攻撃の波は、ある一点を起点にしていることに、すべてを見下ろす上空からはたやすく気付くことができるだろうから。
ギギギァと、金属が軋むような音を立て関節が曲がり、『多脚の刃獣』は迷宮討伐軍に相対する側の脚をまとめて持ち上げる。打ち出される攻撃や魔法は、金属の刃のようなその脚に阻まれ、あるいは掻い潜って『多脚の刃獣』の腹にも当たる。
高く脚を持ち上げた『多脚の刃獣』は、そんな攻撃の一切を顧みず、その脚を前方、迷宮討伐軍の本陣へ向けて振り下ろし、ザクザクと大地を削りつつ移動を始めた。
「いかん! 魔導士部隊、全力で迎え撃て! 本陣は後退だ!」
本陣を指揮していたレオンハルトが叫び、魔導士部隊が全力で魔法を打ち込むも、『多脚の刃獣』は体躯が傷つき削れゆくことも厭わずに、砲撃の最中へと突き進んできた。
幾本もの刃脚が大地を貫く。
まるで鍬がそこに埋まる小石も根っこも構わずに大地を耕していくように。
ザクザク、ザクザクと、そこにいる迷宮討伐軍の兵士もろともに、大地を貫き突き進んでくる。
錬金術師を守る一団をめがけて。
うじゃうじゃと岩から足が生えたような魔物ではあるけれど、見えているのだろう。わかっているのだろう。その鋭い切っ先は真っ直ぐマリエラをとらえ、はるか上空から振り下ろされようとしていた。
マリエラの警護を任された盾戦士一同は、たとえその身を穿たれようとこの先は一寸たりと凶刃をとおさじとばかりに盾を構える。その一団の前に躍り出て、『多脚の刃獣』へと弓を引き絞るジークムント。
「精霊よ、俺に力を!」
空を裂いて『多脚の刃獣』へと放たれた矢には、不思議な光が螺旋を描いて周り、さかのぼる流星のようであった。最大限引き絞られた弓から放たれた矢は、まるでそこに風の抜け道があるかのような確かな軌道で持って、『多脚の刃獣』の1本の脚の付け根に命中した。
ドガァン。
まるで投石でもあたったかのような音を立てて突き刺さったジークの矢は、『多脚の刃獣』の付け根を完全に破壊して、マリエラを狙っていた1本の脚は付け根から外れて落下していった。
2本、3本。『多脚の刃獣』がマリエラを獲物と定めるその度に放たれたジークの矢は、確実に『多脚の刃獣』の脚をもいでいく。数本脚をもがれたとして、何十もの脚を持つ『多脚の刃獣』の致命傷になるわけではない。
けれど、迷宮討伐軍を蹂躙していく脚が、まるで櫛の歯が欠けるように折れていれば、それだけ助かる者も増えるし、錬金術師が刃脚の餌食にならないというだけで、どれほど攻撃がしやすくなるだろうか。
「やるねぇ!」
マリエラの前に立ちはだかり、迫りくる『多脚の刃獣』に動じることなく弓を射続けるジークの勇姿は、なかなかに格好の良いものだろう。最大の盾スキルで迎え撃とうと身構えていた盾戦士さえ、様相を崩して褒めるほどだ。
こんな勇姿を間近で見たら、世の女性はもれなくハートを射貫かれるに違いあるまい。
昔は鳥を射落とすようなたやすい射撃で、黄色い悲鳴をかっさらったものだ。
ジークはほんの少しだけ、マリエラの黄色い悲鳴を期待して後ろをちらりと振り返ったのだが。
「地脈の欠片と月の魔力を《錬成空間》で《命の雫》でいろいろ制御でハイ完成! でもって次、次!」
「ギャウー?」
マリエラは自分が標的になっていたことすら気付かずに、次々にやって来るオーダーに対応するため、3本同時進行でマナポーションを作りまくっていた。
当然ジークの勇姿など目に入ってはいない。ジークはちゃっちゃとポーションを高速作成するマリエラの勇姿に、「どんくさそうに見えて、実は器用だったんだな……」と、マリエラの器用さが3あったことをぼんやり思い出した。
「本陣は問題ない! 攻撃を続けられたし!」
伝令がレオンハルトの元に届けられる。
戦いは終わらない。
先ほどの『多脚の刃獣』の突進でどれだけの負傷者が出、どれだけの兵士が死んだのか。これからどれ程の血が流れるのか。
ニーレンバーグと治療部隊は負傷者を癒し、レオンハルトは戦える者をかき集め、『多脚の刃獣』へといどみかかる。
削れているのだ。かの怪物の生命を。
進んでいるのだ。この迷宮討伐は。
束ねよ、小さき者の力を。合わせよ、その矛先を。
「我に続け!」
レオンハルトが獅子の声で吠える。
彼の《獅子咆哮》は迷宮討伐軍を一個の獣に変貌せしめる。
一つの強い力へと進化させることができる。
いや、真に強靭だったのは、真に打ち砕かれないものは、彼らの心だったかもしれない。
何度目かの応酬の後だっただろうか。
ついに『多脚の刃獣』は、ただの巨岩となり果てて、迷宮第57階層の湿気た大地に落下した。
ざっくりまとめ:巨岩落ちるもマリエラ落ちず