鍛えよ剣を
むにり。
マリエラの両手がジークの顔を掴む。
初めはちゅーでもしてくれるのかとドキドキしていたジークだったが、どうやらそうではないらしい。
マリエラはちょっぴり深刻そうな顔をして、ジークの蒼い左目と緑の右目を交互にじーっと見つめているのだ。
「どうした? マリエラ」
ひとしきりジークの目を眺めた後に、「なるほどわかったぞ」とばかりにうんうんと頷いたマリエラにジークが聞いてみる。
どうせ、碌なことではないのだろうけれど。
「うん、あのね。ジークに会ったばかりの頃ね、私、ジークの蒼い目がすごく気になってたんだ。綺麗だなって。でも、それって、ラインから流れ込んできたエンダルジアの気持ちだったんだよね。」
「それは……」
ジークの思惑に反して、マリエラの回答はある種深刻なものだった。
それはつまり……。マリエラがジークに良くしてくれたのは、エンダルジアの気持ちに引きずられてのことだというのだろうか。つまり、マリエラのジークに対する感情は……。
「でも、今見ると、蒼い目も緑の目もどっちも綺麗だし、別に何色でもジークはジークかなって思った」
「! つまり、それは……」
つまりそれは、今のマリエラはエンダルジアの気持ちに影響されていなくて、今のマリエラの気持ち、それはつまり。
落とされたり上がったり、ジークの気持ちは乱高下して、その両手は自分の頬を触るマリエラの両手に重ねようか、それともマリエラ自身を抱き寄せようかと宙を掻く。
「マリエラー、買い出しいくぞー」
「はーい、師匠。すぐ行きますー」
絶妙のタイミングで入る師匠の妨害。そして、ジークから手を離しするりとジークの腕から逃れるマリエラ。Aランカーの攻撃を躱すとは恐るべき反射神経だが、マリエラにはもちろん自覚はない。完全に偶然だ。
師匠は『木漏れ日』の店内にいて、ジークとマリエラは暖炉のある居間にいるのに、どうして見ているようなタイミングで邪魔をするのか。
これが『炎災の賢者』の二つ名の由縁か。
(わざとじゃないのか……)
そんな疑念をいだきつつ、マリエラの後をついて『木漏れ日』の店内に向かうジークであったが、マリエラの話を聞いたその顔は、いつもよりちょっぴりにやけていた。
そんなつかの間の日常を楽しむ『木漏れ日』とは打って変わって、迷宮討伐軍は多忙極まる日々を送っていた。
最初に取り掛かったのは、先日討伐した赤竜の解体である。これほど高位の竜なのだ。血の一滴も無駄にできないし、時間をかけて劣化させるわけにもいかない。師匠フレイジージャにも指示を仰ぎつつ、錬金術に必要な素材や、武器・防具に加工する部位、そして肉に解体していく作業は夜を徹して行われた。
ちなみに赤竜の肉であるが、超が付く高級食材だ。
魔物除けポーションによって魔の森を通行できるようになったことで、迷宮都市には多くの物資や人が集まり、また迷宮から産出される様々な素材が迷宮都市の外、主に帝都へと運ばれていった。それ自体は迷宮都市にも帝都にも利益をもたらすことではあったのだが、急激な変化というのは管理を行う者に、難しいかじ取りを要求することになる。
迷宮討伐に専念するレオンハルトらにかわり、めんどうな貴族同士の社交を受け持ったのは領都にいる現シューゼンワルド辺境伯であるレオンハルトの父や妻だ。いくら戦に長けた辺境伯とて、幾重ものからめ手を講じる貴族たちを相手に空手ではいささか分が悪い。
そんな貴族たちとの交渉において、赤竜の肉は大いに役に立ってくれた。
赤竜の肉など希少なものは、金を積めば手に入るものではない。皇帝への献上はもちろんのこと、皇帝も口にした赤竜の肉を求める貴族は多いのだ。
「父上らが、貴族どもの介入に対して時間を稼いでくださったお陰で、今しばらくは時間も資源も迷宮攻略に費やすことができる」
「はい、兄上。しかし、あまり猶予はございますまい」
「わかっている。そのために、マロックを呼んだのだ」
二人が向かった会議室には、ドワーフたちの自治領、ロック・ウィールを治めるクンツ・マロックが机上に置かれた白い布で覆われた塊を前に、渋い表情で整えられた髭の端をいじっていた。
布の中身がなんであるのか、おおよそ把握しているのだろう。彼はドワーフと人間のハーフでドワーフの血は半分しか流れていないから、物を作る才覚は生粋のドワーフに及ばない。しかしその分目は確かなのだ。人も物も物事も、ヴェールの向こうの真実を見極める目を持っている。
「お待たせしてしまったかな、マロック殿」
にこやかに、友好的に握手を求めるレオンハルト。その様子は自らが見せつけるように置かせたはずの、布で覆われた塊など見えていないかのようで、そのあからさまな態度がわずかにマロックを苛立たせる。その感情は、うまい酒を前にして長々とあいさつをされる時のそれに似ている。
「お呼びだてしたのには訳がある。鑑定してほしい鉱石がありましてな」
鑑定してほしいなどと、そんな言葉通りに受け取るマロックではない。迷宮都市は素材の宝庫。鉱石鑑定をマロックに頼まなければならないほど、人材は不足していない。
「あれですな」
「ええ。マロック殿にお見せせよ」
控える兵士に合図を出して布覆いを外させるレオンハルト。マロックの目に晒されたそれは、固まった溶岩と金属光沢を放つ鉱石がかみ合った塊だった。
「……アダマンタイトですな。はてさて、この程度お分かりにならぬ将軍ではありますまいに。単刀直入にお聞きしたい。これをどうせよと?」
片眉をあげ、目玉だけを動かしてマロックはレオンハルトに視線を投げる。
迷宮都市周辺の山々は鉱物資源の宝庫でもある。鉄を始め多様な金属資源を産出するが、魔法金属は小規模なミスリル鉱床があるだけでアダマンタイトは産出しない。
それにこの鉱石の周りについているのは土ではなくて溶岩で、鉱山から産出したものとは考え難い。迷宮から得たと考えるのが妥当だろう。
マロックの見立て通り、この鉱石は『歩く火の山』から採れたものだ。比重の重いこの金属は、爆発で残った『歩く火の山』の底部から産出された。
アダマンタイトの融点は高い。並の鍛冶師に精錬できるものではない。また極めて硬い鉱物ではあるが、それは同時に脆いという性質にもつながる。硬いが壊れやすいのだ。
勿論、程度の問題はあるから、普通の鋼の武器と数度打ち合うくらいならば壊れたりはしないし、鋼の武器さえ斬り裂くだろう。けれど、鋼の武器を持つ敵と数人で戦うくらいの状況では質の良い鋼の武器があれば十分で、高価なアダマンタイト製の武器など必要としない。
アダマンタイトの武器が必要な戦いというのは、一人で何百何千の敵と斬り合うような戦いであるとか、鋼の武器では歯が立たないような強力な魔物と対する場合だ。
だから、長時間の戦いでも壊れることがないように、いくつかの金属と混ぜ合わせてアダマンタイト合金にして、その特性に応じた処理を行って武器に鍛え上げる。
武器の形に成形する技術の高さだけではない。その合金の配合比率や熱処理の温度、時間は極めて高位の鍛冶師でなければ調整することができないし、その次元に辿り着くにはアダマンタイトのような高度な金属の処理が必要だった。
アダマンタイトという高度な金属にふれ、その精錬に携わるだけでロック・ウィールのドワーフたちの鍛冶スキルは大きく向上し、彼らの念願とする「至高の一振り」に近づけることを、マロックは理解していた。
そして、これを自分に見せたということは、レオンハルトはロック・ウィールのドワーフにアダマンタイトを扱わせる気があるということだ。
「武器を20日で100。明細はこれだ」
マロックの要求にレオンハルトが目的だけを簡潔に伝える。
「無茶を言うな。アダマンタイトだぞ。何度で処理すると思っている。ロック・ウィールの炉を改造するだけで20日など過ぎてしまうわ」
レオンハルトの飾らない要求に、マロックも社交の仮面を外し、ドワーフ然とした歯に衣着せぬ物言いでレオンハルトの要求に否を出す。そこにはもう、駆け引きだの交渉だのという言葉の裏を読み合う様子は見られない。
「精錬は迷宮都市でしてもらう。炉材に赤竜の鱗を提供しよう。武器100程度ならばそれでもつはずだ」
淡々と答えるレオンハルトに、マロックが噛みつくような視線を向ける。
「正気か?」
「時間がないのだ」
アダマンタイトの融点は高い。並の炉では溶けてしまう。確かに赤竜の鱗を炉材として内張すれば、武器100個分のインゴットを作る間くらいは、炉をもたせることはできるだろう。耐火性能に優れた赤竜の鱗という、貴重で高価な素材を使い捨てにするなどという、ばかげた選択をすれば、である。
本心を覆い隠すようなマロックの笑顔は今はみじんも見られない。赤竜の鱗を炉材にしてでも20日で武器をそろえたいというレオンハルトの意図に思考を巡らせているのだろう。
(迷宮はそれほど危うい状況か。万が一があったとして、被害はロック・ウィールまで及ぶに違いあるまい。かの地と共に滅びるもまた我ららしくもあるのだがな)
大地から鉱物を掘り出して、溶かし、不純物を取り除き、合金を加えて固める。固めた金属を成形し、炎で赤めて冷まして鍛える。
ドワーフは様々な物を作り出すけれど、その中でも鋼を鍛えるその工程こそ、最もマロックの血を沸き立たせる。ロック・ウィールに集まるドワーフたちは皆、似たようなものだろう。資源豊かなロック・ウィールを離れて命だけ助かったとして、生を実感できる者たちではない。万一迷宮から魔物が溢れロック・ウィールに至っても、ロック・ウィールと運命を共にしようとする者ばかりに違いない。
そんなことを考えつつも、マロックはアダマンタイトに触れる。
(こいつを出された時から、答えは決まってるんだがな)
ホレた弱みというべきか、ドワーフという種族のさがというべきか。
「わかった。だが鍛冶場は俺たちの聖域だ。たとえ迷宮都市の工房だって変わりはせん。好きにやらせてもらうぜ」
「感謝する」
「なに、感謝はコレで。楽しみにしておりますわい」
右手を上げて酒を飲む仕草をしたマロックは、にやりと笑って退出していった。
いつも冷静な彼らしくもなく、速足で迷宮都市に構えた商館に戻るや通信の魔道具に向かってがなり立てる。
「野郎ども! 今すぐ迷宮都市に集合だ! 極上のアダマンタイトが待ってるぜ! 純度の高い極上の逸品だ。今すぐ打って形をくれと言わんばかりの鉱石だ。早いもん勝ちだぜ? 別嬪さんは待ってちゃくれねぇ。眠らず5日で駆け付けろ!」
らしくない。マロックは自分が興奮していることを自覚しながら魔道具の向こうの仲間に向かって声を上げる。まるで初めて赤熱した鋼を打った日のようだ。
『アダマンタイトじゃと!? うおぉ、すぐ行く! 今すぐじゃー!』
『おぉい、皆に知らせんと! マロック! 寝床なんぞ要らんから酒だけはたっぷり用意しといてくれよ!』
『アダマンタイトはどんぐらいある? 配合するコペルのインゴットを忘れるな!』
魔道具の向こう、ロック・ウィールで知らせを聞いたドワーフたちは、マロック以上の興奮振りで、通信などそっちのけでバタバタと走り回る音や、支度を急ぐあまり棚をひっくり返す音まで聞こえてくる。
「この様子じゃ4日で到着しそうだな」
仕事道具は忘れないだろうが、道中飲まず食わず休みもせずでヤグーを走らせる阿呆はいそうだ。
「酒と食い物を積んだ迎えのヤグーを差し向けろ。迷宮都市にあるドワーフ街の鍛冶工房全部貸し切れ。交渉はわしが行く。一番いい炉を中心に改造を始めるぞ。ついでにいい酒も買い占めじゃあ! 代金は全部シューゼンワルド辺境伯家持ちだ。遠慮はいらんぞ!」
がっはっは。景気よく笑いながら、マロックはこぎれいな上着を脱ぎ棄てる。今からドワーフ街の鍛冶工房に赴いて直接交渉を行うのだ。こぎれいな上着もピカピカの靴も、鍛冶場じゃ邪魔になるだけだ。
彼はしまい込んだ荷物袋から、着慣れた作業着を取り出して着替え始める。
綿の長袖のシャツと足首まであるズボン下は、ごわごわと服を盛り上げ、スマートさの欠片もない。けれど、肌をちりちり焼く輻射熱で焼けも縮みもせず、汗をよく吸ってくれるこれらは火に向かって働く者には必須の下着だ。さらに耐火性の強い革のツナギに履きなれた鋼板入りの革のブーツ。どれもガサツで、品の良いマロックのイメージとかけ離れた衣服といえる。
けれどそれらを着込んでみると、どれもひどくしっくりときた。
「あんな極上のアダマンタイト鉱石を見せられて、ケツまくれるやつぁ、ドワーフじゃねーわな」
一つの街の代表として街の護りを固めるだとか、街を捨て逃げる算段を行うだとか、他にやるべきことはあったのかもしれない。
(でも、それじゃあ、ロック・ウィールは治められんわ)
逃げるなら、アダマンタイトを打ち終えてから。それがドワーフというものだろう。
なによりも、マロック自身がアダマンタイトの鍛造に立ち会いたくて仕方ない。
(まったく、ドワーフとは難儀なものだわ)
そんな風に頭の隅で考えながらも、もはやただのドワーフにしか見えないマロックはウキウキとドワーフ街へと出かけて行った。
迷宮の第57階層に挑むため、必要な物は武器だけではない。得られた赤竜の素材も時間と人手の許す限り武器や防具に加工し、迷宮討伐軍は準備を続ける。
鍛えられた人と、彼らが纏う武器防具。
そして、もう一つ。
最後の準備を整えるため、迷宮都市の錬金術師は街を抜け険しい山へと向かっていった。
ざっくりまとめ:アダマンタイトはマジカルな超鋼(タングステンの合金)のイメージ