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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第五章 たどりつきし場所
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守りし日常

 竜というのは高価な素材だ。

 それが高位の竜であるならば、その革や牙だけでなく、鱗の一枚からそれこそ血の一滴に至るまで、貴重な素材であり霊薬の材料となりうる。


 死した亡骸でさえそうなのだ。

 生きて動いている竜が、たとえ翼を失ったとて、どうして弱いと言えようか。


 吹き上がる溶岩に、勢いを取り戻したかのように赤竜は2本の足で立ち上がる。その身丈は見上げるほどに大きく、振られる尾は強力だ。


 赤竜の尾を躱し得たのは、電撃によって身体能力を強化した雷帝エルメラと、ヴォイドの二人だけだった。

 尾の軌道上にいたハーゲイは《破限斬》で尾の攻撃を受け直撃を避けたものの、10メートルほどの距離を吹き飛ばされ、同じくディックも《槍龍撃》を竜尾の衝突するタイミングに合わせて当てるという器用な方法で、衝撃を殺して吹き飛ばされる程度の衝撃でやり過ごした。やり過ごしたというのは適切さに欠けた表現かもしれない。したたかに体を打ち付けたハーゲイは「ごほっ」と血を吐き、うまく衝撃を打ち消したとはいえ、槍撃を放った腕で竜尾を受けたディックの両腕はあらぬ方向に曲がっている。


 それでも溶岩溜まりに落ちなかっただけ、二人は強運だったのだろう。

 同じく剣で衝撃をそらしたレオンハルトは溶岩溜まりへと吹き飛ばされて、間一髪のところを駆け付けたジークに受け止められていた。受け止められると言っても大の男が吹き飛ばされたのだ。騎乗したジークが体勢を崩さず受け止められる勢いではなく、打ち付けられるように吹き飛ばされたレオンハルトを受け止めたジークは、もろともに溶岩溜まりに墜落しそうになっていた。


「ギャギャ!」

 二人が多少の骨折と火傷程度の負傷で済んだのは、サラマンダーがジークと溶岩の間に滑り込み周囲の溶岩を固めてくれたおかげだろう。


「助かった」

「いえ、俺も」

「グキャ!」

 気にすんな! と言いたげなサラマンダーに思わず苦笑する二人。これほどの強敵だというのに、不思議と絶望は感じない。


「念のため『氷精の加護』を使っておけ。また来るぞ」

「はい」


 たっぷり持たされた特級ポーションと『氷精の加護』を使い直ちに戦線に復帰する二人。

 特級ポーションのお陰でハーゲイの内臓に受けたであろうダメージも、ディックの折れた腕もすぐさま完治し全員が赤竜への攻撃を再開する。

 潰した虫が再び動き出す不愉快さにか、赤竜はその顎を開けると、歯向かう虫を焼き尽くさんとブレスを吐く。


 《虚ろなる隔たり》

 しかしその絶対の火力さえ、ヴォイドの前に展開した空間に呑まれ、一人も焼き尽くすことはできない。


「グルオオオォォオ!」

 ならばいっそ喰らってくれよう。ヴォイドめがけて迫る巨大な顎は、光と闇の相克が小さな細切れモザイクのように同時に広がる空間、《虚ろなる隔たり》に阻まれヴォイドに届くことはない。


 ガヂガヂと歯を噛み鳴らす赤竜の頭蓋にエルメラの雷撃が、その左眼にはジークの矢が射かけられる。雷撃の閃光に一瞬反応の遅れた赤竜の左眼にジークの矢は見事突き刺さり、痛みにのけぞる赤竜の喉に、腹に、レオンハルトの、ディックの、ハーゲイの刃が次々と繰り出される。


 どれほど尾で振り払っても、あるものは避け、飛ばされ血を吐く者たちもすぐさま戻ってやって来る。ブレスは消され、左眼はつぶされ、少しずつ身を刻まれていく。


 度重なる攻撃に、大地に前足をついた赤竜は一体何を思ったか。

 ゆっくりと、しかし着実にこちらへ歩を進める『歩く火の山』に救いを、希望を求めたか。

 しかし、赤竜の守護すべき火の山は、まさにこの時、赤竜の眼前で最後の時を迎えようとしていた。



「完成だ。いくぞ」

 ウェイスハルトの合図と同時に、大量の魔力で集められ、形成された氷塊が火口へ向けて落下する。


 それはただの氷の魔法。正確には凍っているのは表面だけで、内部は水のままである。

 この階層を冷やすため、二つ上の第54階層、海の洞窟の階層から送られ続けた水分、水蒸気を集めて作った水の塊。


 その体積はいかほどか。

 ウェイスハルトの合図の元、一斉に退避する部隊長たちの背後で、ゆっくりと火口へ下っていく巨大な水塊。その大きさは、『歩く火の山』の三分の一にも及ぶのではないか。


 火山の恐るべき爆発の一つに、紛れ込んだ水が起こす水蒸気爆発というものがある。その爆発の程度というのは、溶岩に対する水の割合で決まると言われ、火山をこよなく愛する帝都のとある学者の説によれば、溶岩の割合に対して3割から同量程度の水分量が最も激しい爆発を招くのだという。


 まさに、ウェイスハルトらがかき集め、火口に落とした水量だ。


 その音を何と表現するべきか。吹き荒れる爆風と轟音に、とうに鼓膜は破れてしまって、熱風と共に飛んでくる石礫の衝撃ばかりが体に伝わる。

 爆発の衝撃をレオンハルトらの反対側に逃がすため、『歩く火の山』の片面にはパイルを打ち込み、爆発の方向をそらしてはいるのだが、それでも距離が近すぎる。

 山頂の火口からの爆風だけでも、無事に済む衝撃ではない。盾戦士である部隊長は盾スキルを展開し、装甲の薄いウェイスハルトと魔導士を守りながらも一塊で吹き飛ばされる。『氷精の加護』はとうに吹き飛ばされ、鎧の下は恐らく酷い火傷だろう。他の部隊長も変わらぬ有様で、したたかに地面にたたきつけられピクリとも動かない。

「しっかりしろ! まだ息はあるな!?」

 辛うじて体の動くウェイスハルトと魔導士は自らの折れた手足も顧みず、すぐさま特級ポーションや『氷精の加護』を使って、最も被害の大きい盾戦士から順に回復させていく。


「っ、はっ。今までで一番きちぃ」

「それだけ話せれば十分だ。火山はどうなった!?」

「って、前見えませんよ」


 火山からもうもうと立ち上る粉塵に、あたりは少し先まで見えない状態だ。火山の居た場所が赤く光って燃えているのは、砕けた火山から溶岩が流れ出しているのだろうか。

 けれどもう、大地を揺るがし火山が歩く地響きは聞こえてこない。


「グルオオオォォオ!」

 不明瞭な視界の中、悲しむように、怒り狂うように吠える赤竜の声が聞こえる。

「火山は倒した。兄上の元へ向かうぞ!」

 その赤竜の咆哮が、火山の死を告げているのだと、ウェイスハルトにはなぜか確信に似た感情をいだいた。



 ウェイスハルトらに壊滅するほどのダメージを与えた火山の爆発であったが、レオンハルトらは赤竜の陰にいたお陰で、むしろ少ないダメージで済んだ。弓を使うため赤竜から少し離れた場所にいたジークが吹き飛ばされ、溶岩溜まりに落ちる寸前で再びサラマンダーに助けられた程度で、いずれも負傷の度合いは特級ポーションを使うまでもないものだった。


 眼前で守るべき『歩く火の山』を倒された赤竜は、しばし呆然としたように見えた。

「グルオオオォォオ!」

 その咆哮は、怒りだろうか、哀しみだろうか。


「すまんな」

 レオンハルトの口から洩れたその言葉は、何に対するものなのだろうか。


 赤竜のわずかな隙を見逃さず、その懐に潜り込んだレオンハルトは、自らの剣にありったけの魔力を込めて、赤竜の心臓を貫いた。


 火山から噴出した水蒸気と灰は、迷宮第56階層を白く白く染め上げた。

 灰にけぶる空間の中、溶岩だまりが放つ光が灰に反射して、恐ろしくも美しい。

 遠くを見通せない白い世界は、ここが限られた迷宮の階層でなく、どこまでも続く死後の世界のようにも思える。

 そんな白い世界の中で、黒くそびえる赤竜の影は大地に倒れ伏し、そして二度と動かなかった。



「おーい!」

「皆の者、ここだ。無事か!?」

 呼び合う声に呼応するように、一人、また一人と白濁した世界に人影が浮かび上がる。

 レオンハルトのもとに集った人影は全部で12人。

 今回も全員何とか生還できたらしい。


 生還し、再びまみえた喜びに、拳をぶつけ肩をたたいて健闘をたたえ合う。

 けれど彼らに『敵』を倒した歓喜はない。

『歩く火の山』を失った赤竜の叫びを聞いたからだろうか。


 赤竜を倒し得た勝因を、生還できた要因を挙げればキリがないだろう。

 赤竜をうまく誘導し左翼を封じたことに始まり、完全に地に落とした天雷だってそうだろう。たとえ火山を倒した隙があったとしても、左眼をつぶしていなければ赤竜の懐にレオンハルトがもぐりこめはしなかったろうし、そもそも、まともに当たれば一撃であの世に送られただろう攻撃を辛うじて躱しては攻撃を加え、ダメージを蓄積していなければ、赤竜が大地に膝をつくことはなく、レオンハルトの剣は赤竜の心臓に届かなかっただろう。


 皆で勝ち取った勝利であることに、間違いはない。

 けれど、赤竜の咆哮を聞いたレオンハルトらは、『自分たちは守るべきものを守れ、赤竜は守れなかった』のだと、そんな風に感じていた。



 迷宮第56階層に降りしきる灰は、まるで声なき火山の断末魔のように、階層階段に続く洞窟の中まで白く白く染め上げた。


「ギャウギャウ」

 一体どうしてわかるのか、視界の悪い中、サラマンダーの先導で何とか上層へ上がる階段まではたどり着けたけれど、新たな階層へ続く階段を探すのは視界が落ち着いてからになりそうだ。


「今日は撤収しよう」

 レオンハルトの号令で全員が階層階段を上り始めたとき、最後尾に続くジークの右頬を、べろりとサラマンダーが舐めた。


「ギャウ!」

 最後に一声そう鳴くと、ぼふんと幾つもの炎となってサラマンダーは還って行った。丁度魔力が切れたのだろう。


「あいつにも、ずいぶん助けられたな」

 鳴き声に振り返ったレオンハルトがねぎらいの言葉を掛ける。

「はい」

 赤竜をうまく誘導できただけではない。溶岩溜まりに落ちかけたところを何度も助けてもらったのだ。サラマンダーが、そして、マリエラが守ってくれたのだ。


(あの『歩く火の山』は真っ直ぐこっちへ向かってきていた。赤竜を守ろうとしたのだろうか……)

 そんな思いを振り払うように、ジークは軽く頭を振る。

 たとえそうだったとしても、倒さないわけにはいかない。


 この迷宮の最奥に待つ『迷宮の主』を斃さなければ、この土地にジークたちの生き残る未来はない。ただ喰い殺される日を待つことだけは、ジークたちにはできないのだから。


 階層階段を上がり、転送陣を通り、地下大水道を経由して、迷宮討伐軍の拠点に戻った時には、日はすでに高くとうに昼を過ぎていた。


 灰にまみれた汚れを基地の水場で落とし、ニーレンバーグの診察を受けた後、ようやく帰宅が許される。

 火山ガスを防ぐためにマスクを着用していた者は灰を吸い込んではいないけれど、運悪くポーションを飲むために外したままで、大量の灰を吸ってしまった者は治療に少し時間がかかるらしい。少し歩き方のおかしかった盾戦士は、足が歪んでくっついていたらしく、「そのままにしておくつもりか? すぐに治してやる」と笑顔のニーレンバーグに拉致されて、赤竜に挑む前よりも悲痛な表情を浮かべていた。


 待合室代わりに準備された基地の個室には、マリエラとアンバー、付き添いの師匠が待っていた。迷宮討伐軍が気を利かせて呼んでくれたらしい。

「おかえり! ジーク、怪我はない? はい、眼帯」

「ただいま。マリエラのお陰で無事に帰って来れた」

「お疲れさーん。ジーク飯まだだろ? 『ヤグーの跳ね橋亭』でくってこーぜ」

 師匠が絡んでくるせいで、いつも通りいい雰囲気になり切れないジークとマリエラの横では、ディックとアンバー夫妻がこれまた微妙な距離感で生還を喜び合っている。こちらは大人で新婚なのだから、人目をはばからずイチャイチャしてもいいのだが、どうやらアンバーは人前でイチャイチャしない派らしい。


「とりあえず、『ヤグーの跳ね橋亭』で昼飯でも食うか! ジーク、お前らも来い!」

 このまま仕事に戻る気はないのだろう。本当はアンバーと二人で行きたいだろうに、断られそうだと思ったのか全員での昼食を提案するディック。

 その提案にのって基地を出た一同の前を、ヴォイド、エルメラのシール夫妻が通り過ぎる。


「あら、お先に」

「お疲れ様」

 酷く簡素な挨拶をして通り過ぎる二人は、いつも通り髪をまとめた眼鏡のエルメラさんと、同じく眼鏡の穏やかそうなヴォイドさんなのだが、二人は人前はばからず腕を組んで仲良くぴったりくっついている。

「ねぇ、あなた。子供たちが帰ってくる前に、デートしましょう」

「いいね。ちょうど君と行きたいお店があったんだ」

『木漏れ日』でエビフライを食べたときから分かっていたことだけれど、シール夫妻は人前でイチャイチャする派らしい。


 目の前で仲良しぶりを見せつけられたディック隊長は、左手を腰に当ててアンバーさんをチラ見してアピールしていたが、アンバーさんに()()()()()()「さ、いこっか」とせかされていた。

 マリエラは、右手でジーク、左手で師匠と手を繋ぎ、二人の後を追いかけていった。


 そして、『ヤグーの跳ね橋亭』では。

「隊長! オレ、Aランクなったんスよ! 赤竜は間接的とはいえリンクスの敵! オレも討伐に参加するっス!」


 偶然出くわしたエドガンに捕まったディック隊長が、「今倒してきた」と言い出せなくて、困った顔で目を泳がせていた。


 噴き出しそうな師匠と、「そういや、エドガンもAランクになったんだった……」という顔のジークを連れて、マリエラはそっと『ヤグーの跳ね橋亭』を後にした。

 昼食を食いっぱぐれたジークだったけれど、いつもと変わらぬ迷宮都市の喧騒は、赤竜との戦いが意味あるものであったことをジークに実感させていた。





ざっくりまとめ:討伐完了。そして変わらぬ日々。エドガンも。

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― 新着の感想 ―
56階層、意外とあっさり片付いた。 山?赤竜?どっちが階層主か良く判らんかった。 多分竜だろうけど…。 隔虚さん、記憶失くしてなさそう…(全く?) もう、 マリエラいる限り、迷宮に敵無し。
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