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******の物語 その2

~******の物語 その2~


 やがて、森の精霊の女王と狩人が住まう森に、狩人の家族や友達、その家族やさらに友達が集まって、小さな村ができました。

 狩人の家族や友達は、みんな優しくていい人ばかり。


 森の魔物のように噛み付いたりはしませんし、森の獣よりもよく働いて快適なすみかをつくります。

 鳥たちよりもたくさんの歌を精霊の女王に教えてくれて、精霊の女王だけでなく友好的な森の動物たちや精霊たちとも仲良く一緒に暮らしていました。

 村に住む精霊も動物たちも、にんげんたちが大好きで、みんなが力を合わせて楽園のような村が出来上がりました。


 たくさんの仲間たちに囲まれて暮らす、精霊の女王と狩人はかわいい男の赤ちゃんにまで恵まれて、二人は幸せいっぱい。


 しかし、そんな幸せは長くは続きません。


 とてもとても残念な事に、魔物とにんげんは相容れないものなのです。

 今までは精霊の女王たちと楽しく暮らしていたのに。

 魔物達は精霊の女王たちと楽しく暮らすにんげんが憎くてたまりません。


 今までは森の一部で、自由に駆け回れていた場所は、今では村になっていて魔物は入ることができません。

 村は広い森のほんの一部だけれど、自分たちの場所を奪われた魔物たちは、にんげんが憎くてたまりません。


 怒った魔物達は、ある日、自分たちの居場所を取り戻そうと襲ってきたのです。



 *****************************



「村はどうなっちゃったのかなー?」

「村?」

「うん。精霊の村。魔物に襲われたの」

「今日、エミリーが森の精霊の女王が出てくる本を読んでくれたんだよ。母さん」

「まぁ。あのお話ね。じゃあ、続きは母様がお話してあげましょうか?」

「んーん。いい。また明日ねって約束したから」


 眠る前の他愛のない親子の会話。そんな時間を楽しんだ後、エルメラは夫ヴォイドのいる居間へと戻っていった。


「子供たちは?」

「眠ったわ」

 寄り添うようにヴォイドの隣に座るエルメラ。机上にはそれぞれに向けた令状が置かれていた。迷宮討伐軍からの2度目の赤竜討伐への参加を要請するものだ。前回はエルメラにだけ届けられた令状が今回は2通。ヴォイドの分も加わっている。


「令状にはなんて?」

「前回と同じさ。迷宮都市の未来のために助力を請うと書いてある。持参した兵士も丁寧なもので、脅しも強制もしなかったよ」

 エルメラの問いにヴォイドが書状の中身を掻い摘んで答える。


 前回の赤竜討伐は失敗に終った。駆け付けたヴォイドとレオンハルトの英断によって死者を出すことはなかったが、空を飛ぶ相手に対して手も足も出ない状態だった。あれから1月以上経過したけれど、赤竜を大地に引き摺り下ろす方法は見つけられてはいない。


 赤竜は魔法の射程をあらかた理解したようで、射程内には入ってこない。けれど赤竜のブレスは重力に従って降下するから魔法よりはるかに射程が長い。帝都からバリスタを取り寄せたりもしたけれど、赤竜の階層の出口が1か所に限定されることと素早い移動ができないことから、赤竜に狙いを定めるより先に、赤竜のブレスで焼き尽くされる有様だった。


「今回は僕が行こう」

「駄目よ、あなた! そんなことをしたら……」

 参戦を表明するヴォイドをエルメラが止める。


「大丈夫だよ、エルメラ。僕は君を忘れたりなどしない(・・・・・・・・・)から。君と過ごした時間は、出会った時から、ちゃんと覚えているからね」


 エルメラの肩を抱き、優しく語りかけるヴォイドにエルメラは体重を預ける。その顔はほんの少しの不安に揺れていた。



 *****************************



 エルメラがヴォイドに出会ったのは、この街の迷宮の深い階層だった。魔物が蠢く危険な階層で岩に腰掛けボンヤリと佇む男に、エルメラが声をかけたのだ。


「そんなところで、じっとしていると危ないわよ」


 声をかけてから、エルメラは随分と間抜けな声のかけ方だと思った。ここは迷宮の深部で、安全地帯である階層階段からも遠いから、力のない者なら生きてたどり着ける場所ではない。

 危険を承知し立ち向かう力のある者に、かける台詞ではないだろう。

 けれど男は「そうだね、君も早く帰るといいよ」と夕暮れの公園で子供に掛けるような言葉を返した。


 翌日も、その次の日も男は同じ場所に腰掛けていた。エルメラの方もなんだか男が気になって毎日様子を見に来ていたのだ。


「ねぇ、いつまでそこにいるつもり?」

 そう尋ねるエルメラに「すべて消えてなくなるまでかな」と男は答える。

 エルメラが名前を尋ねると、少し考えるしぐさをした後「ヴォイド」と答える。


 名前を問われて考える仕草から、「偽名かしら」とエルメラは思った。しかも瞳はとっても虚ろで、まるで死ぬために迷宮深くに座っている様に思えた。だから心配で様子を見に来ているのに、毎日変わらぬ様子で佇んでいる。


 ヴォイドと名乗った男は、魔物が蠢く迷宮に全く似合わないほど物静かで、けれどなぜか会話がかみ合わなかった。昨日も会ったというのに、いつも初めて会うような、そんな顔をして話すのだ。

 けれど、ヴォイドの穏やかな雰囲気を、エルメラはどんどん好きになっていった。迷宮の深部だというのに、ヴォイドのそばにいるだけでなんだかとても安心できるのだ。


『雷神の加護』に恵まれたエルメラは、常に薄く電気を纏っていて、素肌に触れれば強い静電気がはしる。彼女に気にせず触れられるのは、静電気にすっかり慣れた家族くらいのものだった。だから幼いころから戦闘時以外は素肌を見せない格好で、周囲の人間に不快な思いをさせないように常に気を使って生きてきた。

 けれどヴォイドはエルメラの静電気さえ全く気にならない様子で、エルメラを迎えてくれる。


 そんなヴォイドの秘密が明らかになるのに、さほど時間はかからなかった。


 ここは迷宮の深い層。常に強い魔物が徘徊している。そして時には常時より強い魔物が湧くこともある。

 危機に陥ったエルメラをヴォイドが文字通り身を挺してかばってくれた。そのまま魔物を倒したヴォイドの傷は致命傷に見えたのに、瞬く間にふさがって消えてしまった。襲い来る魔物のあらゆる攻撃は、ヴォイドのスキル《虚ろなる隔たり》によってすべてかき消されてしまう。

 こともなげに魔物を倒したヴォイドは、エルメラを振り返って穏やかに笑うと、

「大丈夫かい? お嬢さん(、、、、)

 と声を掛けた。


 ヴォイドは、エルメラのことも、エルメラと過ごした数日もすっかり忘れ去っていた。


『隔虚』と呼ばれるSランク冒険者について、エルメラは聞いたことがあった。鉄壁の防御と超人的な回復力を誇る無敵の盾であるという。


「体が回復するたびにね、記憶が消えていくんだよ。言葉や社会規範みたいなのは忘れないんだけどね……」

 問い詰めるエルメラに、ヴォイドはいつもと変わらず穏やかに答えてくれた。彼の手には一冊の本が握られていて、中には小さな字でぎっしりと文字がつづられていた。彼の日記だ。便宜上「忘れる」と表現しているが、記憶は忘れるのではなくて消えてしまうから、思い出したりすることはない。

 少しでも大切に感じたことを残そうと書き始めたという日記の新しいページにはエルメラのことがびっしりと書き綴られていた。


「まさか、自分の名前も忘れるなんてね」

 自分の名前を失うなんて思わなかったから、日記のどこにも書いていなくてね。そう言って笑うヴォイド。


「帝都には、僕の親兄弟だと名乗る人間が、とてもたくさんいるらしい」

 印のつけられたページには、そんなことが書かれていた。


 騙されて、騙されて、騙されて。

 騙されたことさえ忘れ去って、自分の名前さえ思い出せない。


 無敵で鉄壁、至高の盾ともてはやされても、そのすべてを覚えていない。

 敵の攻撃すべてを飲み込む《虚ろなる隔たり》の向こう側に、思いも記憶も自分を自分たらしめる全てが呑まれてしまったようだ。


 それならば、すべて呑まれてしまえばいい。そう思って迷宮(ここ)に座っているのだと、日記のページに記してあった。言葉も戦い方も自分が人であったことさえ、すべて無くしてしまうまで。


「泣かないで、エルメラ。僕は平気なんだから」

 はらはらと涙をこぼして泣くエルメラにヴォイドは優しく声を掛ける。

「それは、喜びも悲しみも、全部忘れてしまったからだわ」

 優しい人だとエルメラは思う。彼の日記からは幾度も騙され傷ついた記録が読み取れるのに、それでも傷ついたのが自分だけで良かったと、そう思える人なのだ。


「泣かないで、エルメラ。君たちは僕ほど治りが早くない。体も、心もね。だからそんなに悲しまないで」

 それは違うとエルメラは思う。傷ついた記憶さえ無くしてしまうのは、きっと傷つくことより悲しいことだ。だから、この人はこんな迷宮の奥底で一人座っているのじゃないか。


「それは違うわ!」

 感極まってヴォイドに抱き着くエルメラ。ヴォイドが悲しまないことが、彼女にとって何より悲しい。

 感受性豊かな若い娘が涙を流すほどに感情を高ぶらせているのだ。そりゃあ、雷のコントロールも甘くなろう。


 バババババリバリバリイィッ!

「あっ! ご、ごめんなさい!」


 ごめんなさいで済む電圧ではない。相手がヴォイドであったから、一瞬煙を吐き出しただけですぐに元に戻ったけれど、通常であれば治癒魔法師の元に駆け込まなければいけない惨事だ。こんなことにならないように、幼少の頃から人と距離をとって制御に努めていたというのに。


「いや、平気だよ。君はなかなか刺激的だね、エルメラ」

 けれど、ヴォイドはけろりとしたもので、にこにこと笑って許してくれた。


「え? 私の名前、憶えて?」

「あれ?」

 後は、言わずもがなの展開で、ヴォイドはエルメラと共に迷宮を後にし、素性を偽って共に暮らしてきた。エルメラは薬草部門長としても『雷帝』としても目立つ存在だったから、主夫をするヴォイドは人目を引かず誰にも訝しがられることなく今まで静かに暮らしてこられたし、エルメラと過ごした時間を忘れることもなかった。


 後日話を聞いたガーク爺は、

「言葉は忘れねえんだろ? 電撃のおかげで同じように記憶されちまったんじゃねぇか?」

 とロマンのないことを言っていたけれど、うら若き日のエルメラは、いや恐らくは2児をもうけた今ですら、愛の奇跡だと考えている。


 根拠はないし、検証など恐ろしくてできはしない。ヴォイドと2人で、やがて3人、4人と増えた家族で過ごした時間を彼が失ってしまうなんて、エルメラは考えたくもない。ヴォイドがいつから生きているのか、そんなことすらわからないのだ。エルメラが集めた情報に依れば、常識的な年数しか生きていないと思われる。けれど、ヴォイドの能力が彼の老いさえ癒さないとも限らない。一緒に暮らすようになり、ヴォイドの眼もとに薄く刻まれたしわだとか、髪にほんの少し混じった白髪などを見つける度に、エルメラは嬉しく思う。

 ヴォイドは今まで、さんざん誰かのために戦ってきたのだ。だから、あとは自分(エルメラ)が戦えばいいと思う。ヴォイドは静かに平穏に、人生を過ごしてほしいと思う。


 エルメラは、先の赤竜討伐を思い出す。ヴォイドには知らせずに出かけたのに、どうやって知ったのかエルメラの危機にヴォイドは駆け付けてきてくれた。そのおかげでエルメラは一命を取り留めたのだけれど、あの時ヴォイドはエルメラを少し不思議そうな顔で見たのだ。

 まるで誰だか忘れてしまったように。


 あの時は、どうにか思い出してくれたけれど、次は本当に記憶を無くしてしまうかもしれない。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ、エルメラ。策もなく攻撃を無力化してくれというならば僕も断る。でもね、この書状には赤竜に届く攻撃手段が見つかったと書いてあるんだ」


 愛妻を安心させるように引き寄せるヴォイド。

「僕だって、君と子どもたちとの刺激的な日々も記憶も、失いたくはないからね」


 エルメラが見上げた夫の瞳は、かつて虚ろだったそれではなくて、確かな未来が映って見えた。




ざっくりあらすじ:エルメラ夫妻はSランク防御とAランク攻撃の最強夫婦

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