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******の物語 その1

~******の物語 その1~


 むかしむかし。

 この地に人間の国が出来るよりもずっとむかし。


 とある深い森の奥に、森の精霊の女王様が、魔物や動物たちと一緒に暮らしていました。

 森はとても豊かで、動物たちはとても優しく、魔物もほかの土地よりもよっぽど穏やかです。

 森の精霊の女王は木々の間を獣や魔物と駆け回ったり、鳥たちと一緒に歌ったり、精霊の子供たちとお花畑で踊ったりして、静かに楽しく暮らしていました。


 あるとき、精霊の子供たちに呼ばれて精霊の女王がお花畑に向かうと、そこに一人のにんげんが倒れていました。

 そのにんげんは弓で獣を捕まえて暮らす狩人で、魔物に深い傷を負わされてここまで逃げてきたようでした。


 森では小さな獣は木の実や虫を食べますし、大きな獣は小さな獣を食べて生きています。

 だから魔物がにんげんを食べるのだって、森の営みの一つです。


「ニンゲン、タベル。オレノ、エサ」

 そう言って狩人を食べようとする魔物に向かって、精霊の女王は言いました。


「私にちょうだい。ちょうど人手が必要だったのよ」

 精霊の女王はうっすらと開いた狩人の蒼い瞳をみて、一目で気に入ってしまったのです。だから、精霊の女王は狩人の傷を治してあげました。

 精霊の女王は知らなかったのです。にんげんという生き物が、森のどの生き物よりも賢く、優しく、感情豊かである事を。


「あぁ、なんてきれいなひとなんだ」

 目覚めた狩人は、精霊の女王を見て言いました。精霊の女王を見つめるその瞳は深い、深い蒼。空よりも湖よりも深くて綺麗な瞳には精霊の女王が映っています。


「まぁ、なんて綺麗な瞳。なんて素敵なひとでしょう。」

 狩人の美しい蒼い瞳に、楽しそうに話す笑顔に、くるくると変わる感情に、彼女をいたわる優しさに、様々なことを考え付く賢さに、精霊の女王は夢中になります。

 こんなに繊細で豊かないきものを精霊の女王は知りませんでした。

 気がついたときには、精霊の女王は狩人のことが大好きになっていました。

 それは狩人も同じ事。

 二人は恋に落ち、深い森の中で仲良く一緒に暮らしました。



 *****************************



「あら、エミリーちゃん、本読んでるの?」

「うん。シェリーちゃん。エミリー、このお話だーいすき!」

「英雄の話にしようぜー。ドラゴンやっつけるヤツ」

「ぼく、つづき聞きたいー」


 今日も『木漏れ日』には子供たちがたむろしていてかしましい。みんなそれぞれ言いたいことを喋っていて、会話は微妙に噛み合っていないのだが、そこはどうでもいい事らしい。話がそれぞれ別方向に向かって言っても、なぜか同じタイミングで笑い合っていて実に楽しそうだ。語学力とコミュニケーション能力は別物であるという良い例だろう。


 エミリーたちの通っている学校には、小さいながら図書室があって、シューゼンワルド辺境伯家をはじめとする貴族家や裕福な商家から寄贈された本を借りることができる。学校で少し難しい字を覚えたエミリーは、図書室の隅っこにあった古びた児童書を借りてきて、読み聞かせを行っているようだ。


 こういう場になると、どこからともなく湧いてきてうんちくを垂れ流す我らが師匠は、話が一段落した今も、『木漏れ日』の店内に姿を見せない。

 師匠は今、取り込み中なのだ。

 何しろ、揶揄(からか)いがいもシゴキがいもある愛弟子が、2階の工房で絶賛悪戦苦闘中なのだから。



「うぬーっ!!!」

「ほれ、マリエラ。もう一息! がんばーれ!」

 何日もお通じが来ていないようなうめき声をあげるマリエラと、適当な声援を送る師匠。師匠はもう一息などと言っているが、一息どころか百も千も足りていない。それでもマリエラはふんぬふんぬと顔を真っ赤にして《命の雫》と地脈の欠片が入った《錬成空間》をぎゅうぎゅうと圧縮している。


「ぬーっっっ!!!!!」

 声を上げたり顔が真っ赤になるほど力んでも、《錬成空間》の操作にはあまり関係ないのだが、声を出さずにはいられない。何しろちょっとやそっとの圧力ではないのだ。


 ボンッ。

 《錬成空間》のほんの少し薄い場所が裂けて、中の《命の雫》と地脈の欠片がはじけ飛ぶ。


 カカカカンッ

 《錬成空間》の中は高圧だったから、《錬成空間》のはじけた衝撃は爆発のようだ。《命の雫》自体は《錬成空間》から吹き出すと同時に大気に解けて消え、体積が無くなってしまうから爆風自体は大したことはないのだけれど、勢いよく飛び出した地脈の欠片は弾丸のように飛び散って、人の体くらい簡単に貫通する勢いだ。

 だから、マリエラが操作していた《錬成空間》の外側には、師匠が《錬成空間》で壁を構築してくれている。師匠が構築した見えない壁に跳ね返されて、激しく跳ねまわった地脈の欠片は《命の雫》にいくらか溶けていたせいか、じきにぽすんと割れて()けるように消えてしまった。

 マリエラの《錬成空間》では絶対に防げない弾丸のような地脈の欠片を師匠の《錬成空間》はどうしてたやすく弾くのか。そもそも師匠の作った壁は、本当に《錬成空間》なのか。一度尋ねてみたけれど、「さあ?」と真顔で首を傾げられたから、師匠にとっては無意識でマリエラには使えない何かなのかもしれない。


「また失敗……」

「はっはー。残念! まぁ、めげるな! 材料は一杯あるんだ。次行ってみよー!」

「むぅ、師匠! 何かアドバイスくださいよー! 地脈の欠片、一杯あるけど高いんですから!」


 本日何回目の失敗だろう。マリエラの工房には小指の先くらいの小さな地脈の欠片がバケツに何杯分も置いてある。すべてアグウィナス家から買い取ったものだ。

 アグウィナス家は調査・研究目的でこの200年間ずっと地脈の欠片の買い取りを行ってきた。アグウィナス家の地下で目覚めた錬金術師の中には特級ポーションが錬成できる者もいたのだが、全員がそんな高位の錬金術師だったわけではない。特にこの100年ほどは、特級ポーションがつくれる錬金術師は一人も目覚めていなかった。

 けれど、アグウィナス家には幾つか妙な家訓があって、その一つに『地脈の欠片はすべて買い取り保管せよ』とあったので、変に律儀な一族は代々地脈の欠片を買い取っては冬眠前のリスのようにせっせと穴倉にため込み続けていた。


 そう、ロバートがキャロラインを匿っていた、東の森の隠し部屋である。

 ロバートが椅子代わりに腰掛けていた箱は、地脈の欠片がたっぷりと詰まった宝箱だったのだ。


 キャロラインの誘拐事件は、表向きにはロバートが家督を引き継いだキャロラインにこの隠し財産を引き継ぐために秘密裏に連れ出したのだと記録された。キャロラインは誘拐されたのではなく、自分の意思で出かけたが、連絡の不行き届きで少し騒ぎになってしまった、という訳だ。


 引き継がれた地脈の欠片は、アグウィナス家が買い取ってきた価格に多少の利益を乗せて迷宮討伐軍とマリエラがその大半を買い取った。地脈の欠片は帝都では1粒大銀貨1枚で取引される高価な品だ。1粒で上級ポーションが買えてしまう。けれど錬金術師がいなかった迷宮都市ではただの綺麗な石ころだったから、買取価格は十分の一の銀貨1枚。討伐の苦労に見合う額ではないが、使い道のない石ころにしてはマシな値段で引き取られていた。

 それが迷宮を擁する街のおよそ100年分なのだ。何万という数の地脈の欠片が貯め込まれていて、マリエラが使い道もなくため込んでいた金貨を半分近く費やしても、その半分も買うことはできなかった。


 逆にアグウィナス家はマリエラと迷宮討伐軍の購入で、思わぬ臨時収入を得ることができた。アグウィナス家はキャロラインとウェイスハルトの婚約が決定していて、主筋にあたるウェイスハルトを婿に迎えるため、少なからぬ出費が見込まれていたから、渡りに船の収入だった。

 魔物除けポーションによって魔の森が通行できるようになったのだ。シューゼンワルド辺境伯の領都や帝都に挨拶に行く必要があるし、そうなると迷宮都市内でのお披露目のようにドレス数枚仕立てれば済むというものではない。主役のウェイスハルト、キャロラインだけでなく同行する家人の装いから、乗り込む馬車や持参する持ち物に至るまで、家格にふさわしいものを用意する必要がある。

 結婚後だって今までのようにポーションの収入があるわけではないのだから、土地を得るにせよ、事業を始めるにせよふさわしい暮らしが成り立つように、投資の元手は必要だった。


 そんなこんなで、師匠に言われるがまま景気よく金貨を費やして、地脈の欠片を買い込んだマリエラは、師匠に煽られるがまま特級ポーションの練習に励んでいた。

 毎日、百近い地脈の欠片を消費しているのだ。大変な浪費っぷりである。

 失敗した地脈の欠片は泡か煙のように消えてしまうから、バブルがはじけたという方が正確かもしれない。


 金貨がはじけ飛んでいくような有様に、毎日肉を採ってきてくれるジークのありがたみがマリエラのなかでダダ上がりである。こちらもバブルなのかもしれない。泡と消えないことを祈りたい。


「うあー! また失敗ー!」

 ジークの価値が泡と消える前に、新しくマリエラが溶かそうとした地脈の欠片がまた一つ泡と消えた。

 上級ポーションで一番難しい工程が、ベースとなるルナマギアの抽出だったのと同じように、特級ポーションでも地脈の欠片を《命の雫》に溶かす工程が一番難しいのだ。

 であるのにも関わらず、師匠の「じゃー、やってみよー」という間の抜けた呼びかけで、そういう物かと疑問も持たずにスキルだけで錬成を始めたマリエラ。

 幼いころからの習性とは恐ろしいもので、師匠が「できる」といえば、できるものだと信じてしまう。


 《命の雫》は《錬成空間》以外で物質に触れると煙のように(ほど)けて消えてしまうのだが、《錬成空間》内で取り扱うとその性質は水にも油にも溶けることを除けばほとんど水と変わらない。

 水を高温高圧にするとある温度と圧力を境に気体とも液体ともつかない状態になって、普通では水に溶けたりしない物でも溶かし、分解してしまうのだけれど、《命の雫》をこの状態にしたものに地脈の欠片は溶けるのだ。


 もっとも、ここまで温度や圧力を上げなくとも、時間を掛ければ砂だって水で溶けて固まり硬質な石に姿を変えるように、いくらか低い温度や圧力でも地脈の欠片は少しずつ《命の雫》に溶ける。この少し溶けた状態の地脈の欠片を《命の雫》の外に出してしまうと、ぷすんと弾けて消えてしまうのだ。ちなみに、地脈の欠片をたたき割ると、全体が細かい粒に弾け割れ、次の瞬間にはこれまた大気に解けてしまう。だから細かく粉砕して溶けやすくする方法もとれなくて、マリエラはこのところ毎日、地脈の欠片をいれた《命の雫》をぎゅうぎゅう圧縮しているわけだ。

 《命の雫》を圧縮するだけなら地脈の欠片を入れなくてもいいと思うのだけれど、なぜか師匠は許してくれない。


「あああああ! 難しい!」

「……あたりまえだ」


 マリエラの叫びに、思わず突っ込みを入れているのは、師匠の後ろで召し使いよろしく立たされていたロバートであった。

「そもそも……」

「ローブー、マリエラの邪魔すんなー」


 ビシビシビシビシ、ビシバシビシビシ。すかさず師匠のデコピン攻撃が炸裂する。

「あっ。痛っ! 痛い痛い痛い痛いー、痛いですって、ゴメンナサイィ!」

「お前さー、金返すまで下僕って言ったろ? わかってるー?」

「ヒィ、ハァ。ですから、お金なら爺が……」

「それは、家の金だろ? つまりキャルちゃんの金。もうお前の金じゃねーの。自分の借金、妹に返さすなんて恥ずかしい真似しねぇよなぁ?」

「で、ですが、一体いつまで……」

「ああん? お前、借金には利子が付くって知らねぇの? 細けぇこと言ってると、燃やすぞ?」

「スッ、スイマセン……」


 師匠とロバートのやり取りを呆れたように眺めるマリエラ。

 キャロラインの誘拐事件の数日後、なぜか師匠がロバートを連れてきたのだ。

「貸した金の分、働かせる」

 とか何とか言って。


 そもそも師匠がロバートに貸したお金はハーゲイに借りたものだし、ハーゲイにお金を返したのはマリエラだ。師匠は一銅貨さえ出してはいないはずなのだが……。

 初めて連れてこられた日のロバートは以前地下室で見かけた時より顔色が悪く、目の下に隈ができていて、どこか一点を見つめてはぶつぶつ何かつぶやいている、少し気持ちの悪い人だった。呪いのコントロールがもはや上手くできないのか、ふとした拍子に目が据わって、所かまわずマーキングする犬か何かのように、あっちぽろぽろこっちぽろぽろ呪いをこぼしていた。

 その度に、師匠の「ファイヤー!」やらデコピン攻撃が炸裂して叱り飛ばされていたのだから、騒がしくてかなわなかった。


 ちなみに師匠の「ファイヤー!」が炸裂するたびに、ロバートは火柱に包まれるのだが、なぜか火傷もしないし、髪もチリチリになったりしない。たまに炎に舐められ軽く肌が赤くなったり、洋服は少し焦げたりするだけだ。別に袖や裾が焦げていたってかまわないとマリエラは思うのだけれど、ロバートは我慢ができないのかそのたびに新しい、まったく同じデザインの服に着替えていて、師匠に「借金に加算しとくからな!」と言われている。利子も乗るから雪だるま式だ。

 ロバートは毎日、アグウィナス家に帰っていて、家督を継がない以外はアグウィナス家の人間であることに変わりはないし、ロバートの服はアグウィナス家が準備しているから、本当はタダなのに師匠のヤクザっぷりは大したものだ。


 けれど、師匠が「ファイヤー!」するたびに、ロバートが呪いをこぼす頻度は減ってきていて、なんだか気持ちの悪い感じも薄まってきているから、マリエラも『木漏れ日』の常連たちも師匠の好きにさせている。


 なによりも。


「えい! あ、ゴミ箱入んなかった。ロブ、入れといて」

 ゴミ箱にゴミを放り込み、外すどころかゴミ箱をひっくり返しては中身を拾わせるような、師匠の理不尽に付き合わなくて済むのは大変にありがたい。


(さーて、師匠はロバートさんに任せて、もう少しがんばるかー!)

 面倒くさくて手のかかる師匠の相手を任せられただけで満足して、マリエラは地脈の欠片を溶かす工程を再開する。

 ロバートが言いかけ、師匠が遮った情報にマリエラは気が付かない。


 帝都では、地脈の欠片を《命の雫》に溶かす工程を、《錬成空間》だけで行ったりはしないのだ。なぜなら圧力が高すぎるから。《錬成空間》は分厚い金属の容器の内側に張り巡らせるだけで、それすら錬金術師が一人以上張り付く。指が一本入る程度の穴を金属の塊に開けたような金属容器に《命の雫》と地脈の欠片を10個入れて、上からぴったり同じ内径の金属製のピストンを押し込み、上から数百キロの荷重をかける。そして金属製の容器を外側から加熱するのだ。


 マリエラが眠っていた200年の間に、容器の材質や加圧方法、加熱方法など多くの進歩が見られたけれど、容器を使い、機械的に圧力を掛けるという方式自体は変わっていない。

 そして200年の進歩によっても、地脈の欠片を完全に溶かせる温度と圧力に《命の雫》を制御することはできていない。だから、理論上では1粒で足りる地脈の欠片を10粒も使って何とか1本分の地脈の欠片を溶かしだす。

 それほどの難易度なのに、師匠はマリエラにスキルだけで地脈の欠片を完全に溶かせと指示しているのだ。


(なんだろなー、ルナマギア抽出液の時もそうだったんだけど、単に外から押さえればいいってものじゃない気がする……)


 こつん、と指先で地脈の欠片をはじくマリエラ。キラキラしてとてもきれいだ。よく見ると一つ一つ形も大きさも色や光具合も少しずつ違う。まるでラプトルやヤグーみたいだ。はじめはどれも同じに見えたけれど、仲良くなってみると個体ごとに見分けがつくようになってくる。


(あぁ、そうか……)

 なんとなく、ヒントを掴んだ気がしたマリエラは、地脈の欠片を一粒手にとり包み込むように取り握りしめた。




ざっくりあらすじ:特級チャレンジ。ロバート、師匠にしつけられる。


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