夜遊びと火遊びと火傷の跡と
その夜。
マリエラとジークがはちみつリモンで乾杯し、それぞれお風呂に入って歯を磨いて、薬を作ったり狩りの準備を整えて、明日も早いからお休みなさいと健全極まりない時間を過ごして眠りについたその頃。
愛の迷子エドガンが『ヤグーの跳ね橋亭』で一人寂しく枕を涙で濡らしていたその頃。
不健全なフレイジージャ師匠は酒場で行きずりの男と飲んでいた。
「あははは! わかってるね、ズビッシー。弟子は育てんのが師匠の仕事!」
「ずび……? ま、いいんだゼ! 任せてやらせてしくじった時にケツ拭いてやりゃぁいいんだゼ!」
指導方針が一致したのか、すっかり意気投合して出来上がっている。二人ともフードを被って顔を隠し、名前さえ名乗り合ってはいないのに、中の人が誰なのか、特徴的な言動で丸わかりだ。
「んじゃ、行くぜ! ファイヤー!」
「おう! 出動だ! ズビッシー!」
意気投合した男女二人が夜の街へと出動だ。既婚者ハー……ズビッシーの家庭の危機というわけではない。二人から醸し出される雰囲気は暑苦しくもよからぬ感じの指導熱だ。
熱血な指導者二人によってたった今結成された『夜遊び火遊び撲滅隊』の出動なのだ。
夜遊びや火遊びをしてるのはお前らだろうと突っ込んではいけない。二人は溢れる指導愛によって夜に迷う子羊ちゃんを救済しようと意気込んでいるのだ。
『夜遊び火遊び撲滅隊』の二人は、あっちの酒場で「魔物肉なんて食えるか! オラァ!」と荒ぶる外から来た冒険者を蹴り飛ばしては一杯ひっかけ、こっちの酒場で「俺は帝都じゃあ名の知れた冒険者なんだぜ! もっとサービスしろや、コラァ!」とタカるチンピラを殴り倒しては一杯ひっかけ、そっちの酒場で「か、かか金ならある、おま、お前と、お前、へ、へへ部屋にこ、来い」と嫌がるお姉さんに無理を通そうとしたり、「奴隷のメシ代なんて払えるか! 払うわけがない。残飯で十分だ、十分なんだ」などと言っては宿の主を困らせる商人親子を軽く火あぶりにしては一杯ひっかけて、教育的指導を繰り広げていた。
『夜遊び火遊び撲滅隊』の二人は迷える子羊ちゃんたちと肉体言語でしかオハナシしていないから、会話は全く成立していない。こんなことで更生するとは思えないけれど、戦闘力だけは迷宮都市トップクラスの二人組だ。見せしめ的な意味もあって街はちょっぴり平和になった。シューゼンワルド辺境伯も飲み代を肩代わりした甲斐があったというものだ。
何しろ酔っぱらってもAランクと推定Sランク。普通に雇うとめちゃくちゃ高い。
「ナイス、コミュニケーションだぜ! ファイヤー」
「熱く語ったな! ズビッシー!」
ずびし! ずびし!
交わされるサムズアップと鬱陶しすぎる二人のノリに、チンピラどころか衛兵さえも逃げ出す始末だ。
そんな二人がふらりと入り込んだ路地裏に、一人の男がうずくまっていた。
路地裏に置かれた空き瓶の入った木箱やごみ箱は、薄暗くても闇に慣れた目に判別がつくのに、男の容姿は黒く塗りつぶされたように判断がつかない。男のところだけ影になっているからではない。黒い、錆のような物体に塗りこめられているからだ。男の全身を覆うその黒い物体は、よく見ると小さく震えるように蠢動している。
「こりゃ、呪いだぜ。この状態、呪われたんじゃあなく、使い過ぎた反動が術師に返ってきたんだぜ」
眉をひそめるズビッシー。呪いが禁じられている理由の一つがこの反動だ。様々な魔法と異なり、呪いだけはスキルがなくとも使うことができる。
人を弱らせ狂わせる、術者の思念と魔力で練られた呪いは対人術として汎用性は高いけれど、しかし必ず術者に返る。だから呪術を使う者は呪術に対する備えを身に付けている。もちろん、返ってきた呪いをそらし、浄化し、あるいは受け止められる許容量は人によって異なる。許容量を超えたなら、この男のように全身を自らの呪いで焼かれ蝕まれてしまうのだ。
我が身が朽ち果てたとしても。邪法に身を委ねたとしても、遂げたい思いを持つものはいつの世も絶えない。
「んー、この呪い、目くらましとか、倦怠感とか、害の少ない呪いが大量に返ってきてるね」
男を一瞥しただけで、呪いを見抜くファイヤーに、ズビッシーが「わかるのか?」と問いかける。
「まぁね。どうやらこいつ、古い知り合いの血縁みたい。すまないけどズビッシー、見なかったことにして、今日は帰ってもらえないか?」
先ほどまでの酩酊ぶりはどこへやら。澄んだ金の瞳でズビッシーを見つめるファイヤー。
「そりゃぁ、ツレない話だゼ。これも何かの縁ってヤツだ。見なかったことにして、見届けることにするゼ」
ずびし! サムズアップと共にキラリと白い歯が光る。光の差し込まぬ路地裏だというのに、いったい光源はどこなのだろう。
ズビッシーの男前な返事に、ファイヤーもにやり、ずびし! と返事をした後、呪われた男に向かって右手をかざし、何やら小声で唱え始めた。ズビッシーは職業柄、呪いの解呪に立ち会ったこともある。けれど、ファイヤーと名乗ったこの女性が唱えている呪文は、はっきりと聞き取れないけれど、そのどれとも異なるようだ。
こんな呪文は聞いたことがない。けれど効果はあるようで、男の全身を覆う黒く蠢く錆のような呪いは断末魔の叫びをあげるかのようにびくびくと動いている。
(だが、この呪い、半端な量じゃぁねぇ。夜中だがウチの連中を呼んだ方がよさそうだぜ)
そうズビッシーが考えた矢先。
「ファイヤー!」
通称ファイヤーの掛け声とともに、男は炎に包まれた。
「なっ!?」
結構な火力だ。イライラして男ごと燃やしたとでもいうのだろうか。
しかし次の瞬間、男を包んでいた炎はかき消すように消えて、そこには男がうずくまっていた。あれほどの炎に包まれたというのに、男には火傷などなく服に焦げ目さえ付いてはいない。
「う……」
呻きながら目を開けこちらを見上げる男。
「こいつぁ……」
街で噂になっている療養しているはずの男、ロバート・アグウィナスがそこにいた。
「ハーイ、ロブ。ロブでいいだろ? お前らだいたいそんな感じの名前なんだ。」
「う……、貴女は?」
「あたしは、昔のロブの知り合いだ。ほんと、ソックリだねお前。あん時はさんざん奢ってもらったからな、一つお前の願いを叶えてやろう」
ロバートをのぞき込むファイヤー、いや炎災の賢者の金の瞳が妖しく揺らめく。取り込まれそうなその光に抵抗するかの如く、ロバートは目を眇め、小さくつぶやく。
「話に聞く悪魔という種族でしょうか……」
「だーれーが! 悪魔かっ! このあほう!」
ビシビシビシビシ。炎災の賢者のデコピン攻撃。
「あっ。痛っ! 痛い痛い痛い痛い、痛いですって、ゴメンナサイ」
ビシビシビシビシ、ビシバシビシビシ。ロバートが痛がって謝っているのにデコピン攻撃は止むことを知らない。猛攻撃だ。滅多打ちだ。やっぱり悪魔か何かかもしれない。
「オ、オイ、ファイヤー、その辺で……」
見かねたズビッシーの仲裁で、ようやく攻撃が止まったころには、ロバートのおでこは真っ赤になっていて、いい年した男が涙目になっている。
「ひっ、ひぃ、はぁ……」
「今度、下んねぇこと言ったら、ケツが四つに割れるまで蹴っ飛ばすからな。ほんっと、しょーもないとこまでそっくりだな、お前」
「はっ、はひ、スイマセン……」
流石は炎の教育者。錬金術スキルは低いのに、師匠をメインジョブにするだけのことはある。初対面のファイヤーと呼ばれる女性のよくわからない威圧によって、叱られた子供のようにおとなしくなるロバート。『夜遊び火遊び撲滅隊』が初めて指導らしいことをした瞬間かもしれない。
「で? 逃げて来たんだろ? こっそり家に帰る方法を探してるんじゃないか?」
「!! どうしてそれを!」
監禁されていたロバートは、『精霊の神殿』の『宝物』に偽りの呪いを仕込むために一時的に迷宮都市へと連れ出されたのだ。仕事が終わった帰り際、監視の迷宮討伐軍の緊張がほぐれた瞬間を狙って目くらましや倦怠といった、有害性は低いが抵抗されにくい呪いを振りまいて何とかここまで逃げてきた。けれど流石は迷宮討伐軍というところか、逃げおおせるのに要した呪いはロバートの限界を超えていて、その反動でここで動けなくなっていたのだ。
あれほどの呪いをあっさり浄化して見せたこの女性は何者か。悪魔ではないにせよ、只者ではあり得ない。そもそもロバートは『療養中』ということにされているし、『精霊の神殿』に関しても極秘事項だ。逃げてきたことだけでなく、その目的さえ見透かして見せる金の瞳。
これは魔性の契約か。ならば乗らぬわけにはいかない。
目的を果たすためならば、たとえこの身焼かれようとも。
呪いに、邪道の魔法薬に手を出した瞬間から、決めていたことではないか。
「どうかお願いいたします。私に力をお授けください」
ロバートは眼前に揺らめく『炎の災』に頭を垂れる。
「いいだろう。これは痛みを伴うが、人知れずお前を目的地に導くだろう」
ぶわりと音を立てて熱気を孕む風が吹きあがり、炎災の賢者のフードを払う。中から現れる炎彩の髪が暗闇の中、本物の炎のように光って巻き起こる炎のようだ。
「我、印を与える。彼方から此方へ うたかたの英知を。《刻印炎授》」
炎災の賢者の眼前に浮かび上がったのは炎でかたどられた魔法陣だった。それはくるりと半回転すると、手のひらほどのサイズに縮んでロバートの左手の手の甲に焼き付いた。
「ぐあぁっ」
肉の焼ける嫌なにおいと、激痛に顔をゆがめるロバート。
「安心しな。その火傷は1週間ほどで跡形もなく消える。刻まれた効力と共にね。あぁ、ズビッシー、悪いんだけど金貸してくんない?」
「あ? あぁ、銀貨5枚くらいしかないが、かまわんぜ?」
驚愕するズビッシー、いや冒険者ギルドのギルドマスター、ハーゲイから財布を受け取る炎災の賢者。
(職業柄、様々な不思議を目の当たりにしてきたが、こいつは桁違いかもしれないぜ……)
驚きのあまり財布ごと差し出したハーゲイと、中身を遠慮なく持っていく炎災の賢者。
「ほれ、ロブ。どうせオケラなんだろ? 貸しといてやる。夜遊びが高くつくこと、ちゃあんと覚えときな」
ハーゲイから借りた金だというのに、偉そうに銀貨を授ける炎災の賢者。
ロバートは炎災の賢者から銀貨を受け取ると深々と下げ、数歩後ろに下がる。たった数歩、路地裏の暗がりへ。それだけの動作であったというのに、ロバートの姿は路地裏の闇に溶けるかのごとく消え去っていった。
「気配まで消えたぜ。あの刻印の効果なんだぜ?」
「まぁね。でも、刻まれてすぐに使いこなすとは、器用なとこまでそっくりだ」
くすくすと笑う炎災の賢者。冒険者ギルドのギルドマスターとして彼女の話は聞いている。シューゼンワルド辺境伯と協力体制にあることと、その実力の底知れなさ、そして決して敵対しないようにという注意と共に。
しかし、先ほどの行いは。『療養中』のロバート・アグウィナスの逃亡を助けるなど、シューゼンワルド辺境伯に、いやこの迷宮都市に敵対する行為ではないのか。
「なぜ、あんな刻印を?」
ハーゲイはこの街の冒険者ギルドのギルドマスター。この街に害意があるのならば、見過ごすわけにはいかない。
「家出した迷子をちゃんと家に帰してやるのも、指導者の務めだろ?」
にやり。すべてを悟ったように笑う炎災の賢者。
(ロバート・アグウィナスを真に更生させる為だというのか?)
笑う炎の真意は読めない。けれど害意も敵意も感じられはしない。
「信じてるぜ、ファイヤー」
「まかせときな、ズビッシー」
ずびし! ずびし!
別れの挨拶を交わした二人は、それぞれの家へと帰っていった。
翌日。
「うちの師匠がお金を借りたそうで、本当にスイマセン! しっかり叱っておきましたから!」
平謝りのマリエラが冒険者ギルドに手土産持参で借りたお金を返しに来た。後ろには昨日の相棒、ファイヤーがひらひらと手を振っていて、振り返ったマリエラに「師匠! 何してんですか!」と叱られている。
有り金全部貸してしまったハーゲイは、家で追加予算を申請したけれど、財務大臣が申請を却下してしまったから本当に助かった。
かくいうハーゲイもあちこちの飲み屋での大活躍が部下たちの耳に入って、今日は朝からデスクワークで部屋から出してもらえない。DEATH苦ワークで死にそうだ。
『怒られちゃった、てへ』とばかりに笑っている炎災の賢者を見ていると、本当に信じて大丈夫なのかと不安な気持ちになってしまう。かくいうハーゲイも、部下たちに「飲み歩いてる時間があるなら、もっと仕事しましょうね!」と捕獲されている状態だ。
ハーゲイは知らない。炎災の賢者が詳しい事情など全く知らず、ロバートのことを『こじらせた大人が家出して帰りにくくなっている』程度に思っていることを。周りの誰にも気づかれず、こっそり家に帰ってから『えー? 別に家出とかしてないし?』といった顔をすりゃいいんじゃね? という浅慮によって、高度な刻印を与えてしまっていることを。
マリエラはマリエラで、師匠が「お金借りちゃったんだぜ! ずびし! どこの誰かわかんないんだぜ!」とサムズアップをかましたおかげで、ハーゲイにたどり着けただけで、師匠が夜中にどこをほっつき歩いて何をしているかなんて、これっぽっちも分かっていない。
そして、人目を欺く刻印を与えられたロバートは。
「この刻印が消える前に、この命が尽きる前に、何としてでも……」
命を対価に奇跡を得たと、最後の目的を達成するために迷宮都市の暗がりを縫うように進んでいった。
ざっくりあらすじ:夜遊び火遊び撲滅隊の教育的指導