闇夜の灯
「キャル様、今日もお変わりなくお過ごしか。お疲れだろう、お茶にしよう」
迷宮討伐軍基地の薬草保管庫で、薬草の確認を行うキャロラインをウェイスハルトがねぎらう。
ポーションの市販が決定されて以来、キャロラインは午前に屋敷を出て、害虫駆除団子の工場を視察した後、迷宮討伐軍で薬草の品質管理を行う毎日だ。
『木漏れ日』には、もうずっと顔を出していない。
ポーションに関する迷宮都市内外の注意を引き付ける役目なのだ。マリエラに会いに行けるはずがない。
マリエラの様子はウェイスハルトから聞いている。
リンクスを失って以来ひどく落ち込んでいたマリエラだったが、師匠という人が訪れたお陰で元気を取り戻したのだという。
マリエラが錬金術師だという情報をウェイスハルトは漏らさないけれど、キャロラインには立ち直ったマリエラが、迷宮都市のために一人で限界までポーションを作り続けているのだと思えた。ならば少しでも手伝いたい。かつて一緒に薬を練り練りしていた時のように。
そんな思いから、薬草の品質管理を名乗り出たのだ。
ポーションと材料を保管する敷地面積があり、最も安全な場所として、迷宮討伐軍の基地がポーションの製造保管施設として選ばれている。迷宮都市の薬師たちが買い取り、乾燥などの加工をした後に商人ギルドに納めた薬草は迷宮討伐軍に運び込まれる。この時点で薬草の品質は一定以上に保たれているが、迷宮討伐軍には薬草の品質管理に詳しいものがいないのだ。折角の薬草を日光に当てたり温度や湿度が不適切な場所で管理していては、すぐにダメになってしまう。
そういった品質上の特性から在庫の量や保管期間の管理までをキャロラインが行っていて、迷宮討伐軍としてもこれ以上ないほどに助かってはいたのだが。
「今日のお茶も美味しいですわ。まぁ、このケーキ、みずみずしい果実をこんなに使って」
にこりと微笑みながらお茶を楽しむキャロラインを、ウェイスハルトは複雑な気持ちで見つめる。
『本日もお変わりないか』、『本日もご機嫌麗しく』、そんな常套句を挨拶以上の意味を込めて口にする日が来るなどと、思いもしなかった。
恋しい人に今日もあえて嬉しい。そんな単純な気持ちでは最早いられない。ウェイスハルトはキャロラインの無事をこの目で確認するために、毎日この部屋を訪れているのだ。
錬金術師から街内外の視線をそらすため、アグウィナス家を使うというのは、検討の余地がないほどに確定した事項だった。情報を操作するまでもなく、迷宮都市の住人も街の外の貴族や商人も、長らくポーションの管理と研究を重ねてきたアグウィナス家に目を向けていたのだから。
しかし、ウェイスハルトにはキャロラインを囮に使うつもりなど毛頭なかった。ちょうどロバートが『療養』という名目で隔離されていたのだ。彼を中心に情報を操作する予定だった。
まさか、キャロライン自らが名乗りを上げてくるなんて。
「アグウィナス家の者が迷宮討伐軍へ出入りしなければ、怪しむ者も現れましょう」
キャロラインの言い分は正しい。彼女が街で自由に行動し、迷宮討伐軍に出入りしなければ、迷宮討伐軍が錬金術師を監禁し、ポーション作りを強制していると勘繰るものもでただろう。迷宮都市によけいな抗争を招くことは、外から人を招こうとするこの時期に、望ましいことではなかった。
だから、キャロラインの選択は迷宮都市の運営上望ましく、戦略上正しいことだ。けれど。
(今日も無事でよかった)
こんな気持ちでキャロラインのもとを訪れることになろうとは。
キャロラインがみずみずしいと評した菓子の果実も、ウェイスハルトには、水っぽいばかりに感じられるし、紅茶の香りも心を落ち着かせてはくれない。
キャロラインには何人も護衛を張り付け、何重もの警備体制を敷いている。それでも絶対に安全などとは言い切れない。
今すぐこんな危険なことはやめて、屋敷に籠れと伝えたい。自分のそばに匿ってしまいたい。
けれどそんなことをウェイスハルトは言い出せなかった。
きっと、キャロラインは自分が危険であることも、誰を守っているのかも、分かった上でここにいるのだ。
「私は、アグウィナス家の娘です」
そう言ったキャロラインの気高さに、ウェイスハルトの心は強く捕らえられてしまったのだ。その決意を、矜持をどうして踏みにじれようか。
(必ず守る。そして……)
ウェイスハルトは自らの決意も想いも口にはしない。
今はまだ、その時ではないのだ。
なぜならば、炎災の賢者の点けた灯は、魔の森の闇を貫き迷宮都市を望む街々へと届いてしまったのだから。
闇夜の灯火に導かれるように、羽虫のごとく有象無象が迷宮都市を目指し、辿り着かんとしているのだから。
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「パ、パパ。やっやっとと、つ、ついた。め、めめ迷宮と、都市だ」
「おぉ、そうだな、そうだ。よく、頑張ったな。頑張ったんだ、息子よ」
夕暮れ前、魔の森を抜け、迷宮都市に辿り着いたとある商人一行の様子に、迷宮都市の南西門を守る衛兵は顔を顰めた。
隊商の主らしき小柄な男は、背骨が弓なりに曲がっていてまるで背中に荷物でも背負っているようにも見える。顔立ちのよく似た息子の方は、小柄ではあるけれど背筋はしゃんと伸びているのだが、過去に大けがでも負ったのか表情が常に何かに怯えているようで、キョロキョロとひっきりなしにあたりを見回しては、びくびくと痙攣するように顔の筋肉を引きつらせている。
もっとも、迷宮都市では大けがを負ったものなど珍しくもなかったから、衛兵の顔を顰めさせたのは、二人の外見上の特徴ではない。
傷一つない真新しい甲冑や高価そうな外套を纏い、媚びるように開門を要請する商人親子が引き連れてきたのは、雇った冒険者らしき護衛を除くと靴も履いていないボロボロの服を纏った男たちで、痩せて汚れた体や伸び放題の髪や髭からまともな扱いを受けていないことは明らかだった。
商人親子の甲冑は傷どころか汚れさえ付いてはいないのに、廃棄寸前の安物の武器を与えられた奴隷たちは、防具どころか靴さえ与えられてはいないから、魔の森で傷つけてしまったのかあちこちに切り傷を作って血を滲ませている。こんな状態で魔の森を抜けられたのは、入り口の詰め所で魔除けポーションを販売する迷宮都市の兵士が、同情してたっぷり魔除けポーションを使ってくれたおかげだろう。
これほど酷い扱いは、迷宮都市でそう見るものではない。犯罪奴隷かと思いきや、裂けたシャツの胸元に隷属の焼き印は確認できないのだ。
(借金奴隷にこの扱いかよ……)
魔物除けポーションの販売を開始して以来、迷宮都市で一攫千金を狙うおかしな連中が増えたと衛兵は思う。けれど今回の一行は、特にひどい。
開門の手続きを同僚に任せた衛兵は、上司に報告を行うため都市防衛隊の詰め所へと向かっていった。
「虐待の可能性がある多数の奴隷を連れた商人親子と、護衛の冒険者ですか」
「は。冒険者のレベルはCランク程度かと。後は彼らに同行したと思われる、文官風の男です」
衛兵の報告を聞くカイト隊長と、冒険者がCランクと聞いて一気に興味を無くして爪を切り始めるテルーテル相談役。テルーテルは採砂場の奪還作戦を乗り越えて以来、堅苦しい貴族らしさが抜けて、フランクになったというか、おおらかになったというか、単なるだらしないおっさんぽさが増している。人前で靴下を脱いで足の爪を切り始めるのも時間の問題だろう。
「文官風の男? 特殊なスキル持ちか?」
「スキルまではわかりませんが、黒髪で緑の瞳の20代後半の男性です。少し見た限りでは戦闘経験のある身のこなしには見えませんでした」
商人や冒険者、職人の需要は多いけれど、今の迷宮都市に伝手のない文官の働き口はない。
訝しむカイト隊長に、衛兵が特徴を伝える。
「貴重な戦闘スキル持ちの冒険者が、この時期に来る理由はないんじゃないかね」
ふーっと、やすりで削った爪のカスを吹き飛ばしながら言うテルーテル。恐ろしくやる気も興味もない様子だが、こういう時の方が的を射たことを言っていたりする。
「念のため、上に報告しておこう」
報・連・相をきっちり守る男、カイト隊長は上司の大佐に報告すべく席を立ち、「レオンハルト将軍のところに行くなら、わしも行くー」とテルーテルがその後をついて大佐の部屋へと向かうのだった。
迷宮都市の大門の中へ消える商人一行に、魔の森の木陰から鋭い視線を送る男がいた。大門が再び閉ざされたのち、男はようやく木陰から姿を現して大門横の通用門へと近づいていった。通用門に詰める都市防衛隊の衛兵は男と知り合いらしく、男が大量に背負った何羽もの鳥を見ながら気さくな様子で声をかけた。
「あ、ニークさん、お久しぶりっす。今日も大量ですね」
「今日は雨乞鳥ですか。すげぇ高いトコに住んでる鳥でしょ? 流石っすね。ニーク兄さん」
「……、獲れ過ぎたから分けようかと寄ったんだがな」
「サーセンした、ジークムントさん」
ジークが採砂場への道を拓く都市防衛隊に同行し、『肉の兄さん』として活躍したのは1週間という短期間だったが、雛に餌を運ぶ親鳥のごとく日々獲物を捕ってはみんなに食べさせていたおかげて、未だに都市防衛隊の面々はジークを見ると「食べ物をくれるんじゃないか?」と思う様子だ。完全に刷り込みが完了している。言動から「肉の兄さん、肉食べたいです」という気持ちが滲み出ている。
ジークの方も獲物を喜んでくれる衛兵たちの様子にまんざらでもないようで、必要以上に獲物が獲れた時などは、こうして大門までやってきて、肉をお裾分けしている。都市防衛隊の若者も寄宿舎住まいだったり、交代勤務の食事を寄宿舎で取る者が多いから、ジークの差し入れは寄宿舎の食堂に持ち込まれ、運のいい兵士諸氏の胃袋に収まる。
年の近い男性兵士を餌付けしてどうしようというのか。友達作ろう運動の一環か。
『木漏れ日』にやってきては、いままで散々フラれた愚痴を聞いて来た友人を放っておいて、ファイヤーファイヤー言っているエドガンに、ついに見切りをつけたのか。だとしたらエドガンが絶体絶命の大ピンチかもしれない。奴にも友達と呼べる男はジークしかいないだろうから。
昨日からエドガン始め黒鉄輸送隊のメンバーが『木漏れ日』に入り浸っていて食い扶持が増えているというのに、ジークは気前よく丸々と太った雨乞鳥を5羽も衛兵に手渡した。やっぱり、エドガンのことはジークの辞書から削除されてしまったのだろうか。
「うっは、こんなにいいんスか? 獲物半分になっちまいますよ」
「これだけあればウチは足りるからな」
「でも、雨乞鳥って高級鳥っしょ? しかもこんな丸々太った上物……」
衛兵は口では遠慮しているが、手はガッツリと雨乞鳥の脚を握って放そうとしない。雨乞鳥の肉は柔らかく臭みも癖も少なくて美味なのだ。一般に、味が同水準であれば、魔物の肉に比べて獣の肉の方が高価な値段が付けられる。ちなみに最も価格水準が低いのは二足歩行の人型の魔物肉だ。食肉用の家畜を飼う土地がない迷宮都市では、魔物肉も立派な食料とみなされるけれど、どこか人間を想像させる魔物の肉は、食料が豊かな帝都などでは忌避されて一般市民もあまり食べない。オーク肉を常食する迷宮都市では、雨乞鳥など高級品で下級兵士の食卓に上るものではない。
「……、寄宿舎の厨房にもっていってみんなで食べろよ?」
「はい! ごちになります! あー、早く見張り終わんねーかなー」
「おい、みんなでだぞ! 報告に行ったやつが帰ってきてからだからな!」
外壁の門から魔の森を見ていなければいけない衛兵たちは、もはや肉しか見ていない。
「そんなことより、さっき通ったのは、帝都から来た商人か?」
「はい、ニーク兄さん、じゃないやジークさん」
「ジークさんも見たでしょ? あの商人、自分らだけ金ぴかの鎧着込んで、安全な馬車の中だってのに! あんな鎧買う金があるんだったら、周りの連中に靴の一足でも買ってやりゃあいいのに!」
「あいつら、借金奴隷っすよね? 服破れてるやつにも刻印見えなかったし。借金奴隷にあんな扱い、アリなんすか?」
衛兵たちも奴隷を酷使していた先ほどの商人一行に良い印象を抱いてはいないようだった。
「街でトラブルを起こしそうだな。『木漏れ日』の皆に注意するよう話しておくよ。あの商人はどこに向かったんだ?」
「えぇ、気を付けてくださいね。一応上に報告はしてるんですけど、面倒ごとには近づかない方が良いですからね。えーと……」
さりげなく、商人の情報を聞き出すジーク。肉の効果は抜群だ。ニーク兄さんとまで呼ばれるほど肉を食わせた甲斐があったというものだ。
閉鎖的な迷宮都市では身内意識は比較的強い。だからトラブルの原因となりそうなよそ者の個人情報が軽視されるのは致し方ない。
お礼にと、雨乞鳥を更に1羽追加して、ジークは小門をくぐって『木漏れ日』にむかう。
「ごちそうさまです。お気をつけて」
そう言って見送る衛兵たちは、ジークの瞳が仄暗く陰っていることに気が付きはしなかった。
ざっくりあらすじ:なんか来た