育つ人、 来たる人
マリエラと兵士たちの努力虚しく、師匠がタダ酒をカッ食らう日々は続いた。
ジークは一週間でオークキングを倒して無事に帰ってきたのだが、マリエラと二人暖炉のある居間で一息ついたのはほんのひと時のことだった。
ジークは師匠の晩御飯のリクエストを叶えるために、昨日は魔の森、今日は迷宮と毎日毎日出かけっぱなしだ。師匠が発行する晩御飯クエストは難易度が結構高いらしくて、大怪我をすることは無いにしろジークは毎日ぼろぼろで、その日のうちに帰ってこられればラッキーといった有様だ。
マリエラの方も師匠の火消しで手一杯で、ジークをフォローする余裕など無い。
今日も今日とてジーさんは森に魔物狩りに、マーさんは地下大水道を通ってポーションを製造しに行った。
「酒におぼれた師匠なんて、大水道に落ちてどんぶらこっこと流れていけばいいのに!」
マリエラの心の声はにゅぅと尖らせた口から駄々漏れだ。
師匠が流れて行ったなら、うまいこと迷宮最深部に流れ着いて迷宮を討伐しちゃいそうな気がする。師匠が大事そうに抱えているのは酒瓶だから、誰もお供してくれなさそうで無理かもしれないのだが。
そんな妄想はさておいて、師匠は酒をタダで準備させるためにシューゼンワルド兄弟と取引をしたに違いない。
(難しそうな話をするから、わかんなかった! まんまと師匠の策中に!)
今日も酔っぱらった師匠を連れて『木漏れ日』に帰ってきたマリエラは、くぅ、と無念の表情をする。
「どうしたの、マリエラ姉さま。なにか酸っぱい物でも召し上がったの?」
そっと甘いお茶を差し出すニーレンバーグの娘、シェリーちゃん。マリエラの無念がにじみ出る表情は、酸っぱい物を食べちゃった顔に見えるらしい。シェリーの評価こそ無念に思うべきなのだが、淹れてもらった甘いお茶にすっかり懐柔されてしまうマリエラだった。
「明日こそは! 明日こそは! 師匠に飲み足りないと言わせてみせる!」
ぎゅうっと拳を握り締めるマリエラの手を、シェリーはそっと取ると、
「がんばる姉さまには一番大きいキャンディーをどうぞ」
と、棒つきのキャンディーを握らせるのだった。
「あーっ、マリ姉ちゃん、いいなー。エミリーもお勉強がんばってるんだよ!」
マリエラの棒つきキャンディーをみて『ヤグーの跳ね橋亭』の娘、エミリーが声を上げる。
「エミリーちゃんの分もあるよ。パロワとエリオの分も。食べながら一緒に宿題やっちゃおう」
「ぼく、たべるー」
「エリオ、先に手を洗うんだぞ」
『木漏れ日』には今日も子供たちが集まっている。エルメラの息子たちも参加して、本日も学童保育が絶賛営業中だ。
迷宮都市はポーション販売に沸き立っていて話題に上がることは少ないが、ポーション販売の告知と前後して迷宮都市で学校が開設されていた。
迷宮都市の学校は帝都にある教育機関をモデルとしているが、貴族や富裕層などの上流階級を対象とした帝都の学園と違って中流以下を対象としている。
設立の目的が、将来冒険者あるいは兵士になって迷宮に潜る若者たちの死亡率の低下だから、教える内容は基本的な読み書き算数以外は、魔物の特徴や弱点だったり、薬草を始めとした各種素材の採取方法や扱い方といった実用的なカリキュラムが組まれている。武器の扱い方や身の護り方といった実技訓練まである。
開かれた学校は3校で、冒険者ギルド管轄の戦闘に適性のある子供を対象にした戦士課学校、商人ギルド管轄の生産あるいは商業に適性のある子供を対象にした生産・商業課学校、そしてシューゼンワルド辺境伯家が管轄する富裕層の家庭教師経験者を教師に迎えたバランス型の中級学校だ。
学校ごとに実技や座学の内容と配分に違いがあるが、生産・商業課学校といっても戦闘訓練があるのが迷宮都市らしい。迷宮都市の全員が武器を手にゴブリン程度は倒せるように。脳筋寄りの思想に基づいた教育方針である。
バランス型の中級学校はどっち付かずな印象を受けるが、実際は中流家庭向けの学校で、家庭教師付でなくとも、読み書き算数くらいは教えられている家の子供により高度な教育を施すことが目的だ。
勿論、他の2校の生徒であっても才能を見出されたものは転校することが出来る。
自らの才能のみを頼りに生活のすべてを一から築かねばならない子供たちと、親から引き継いだ物を活かし発展させて行くべき子供たちでは身に付けるべき技術が異なるし、才能豊かな子供を引き上げて手厚い教育を施すことは、迷宮都市の人材不足を解消する最善の方法だった。
何れの学校も、開校時間は午前中だけと短い。迷宮都市では幼くして働く子供も多いから、短時間で必要な教育を施す必要があるからだ。こういった事情も視野に入れた専門性重視の学校編成だったと言える。
シェリーたちは4人とも中級学校へ通っていた。ニーレンバーグの娘であるシェリーには家庭教師が付いていたし、エルメラの息子たちはエルメラとヴォイドが十二分な教育を施していたから、中級学校であっても行く必要は無いのだが、同年代の子供たちとの交流によって学ぶことも多かろうと通学している。
エミリーの父親は元冒険者だが、母親に似たエミリーに戦闘系の才能は無く能力的には平凡な街娘に過ぎない。しかし、本人は将来『ヤグーの跳ね橋亭』を継ぐものだと思い込んでいて、幼いころからアンバーやなじみの客から読み書きや計算を習っているから、入学できる程度の学力はあったのだ。
『とうもろこし』を『とうろもこし』と間違うことを除けば、将来有望な10歳児だろう。
仲良く宿題をする4人の子供たちと、判らない所を必要な情報と不要な情報と高度な情報を入り混ぜて教えてくれる酒臭い賢者。師匠は子供好きなのか、単に精神年齢が似通っているのか判らないが、結構楽しそうに教えている。
(師匠の面倒を見てくれてありがとう!)
シェリーたち4人に心から感謝するマリエラ。子供たちがどんな成長を遂げるのか、楽しみよりも若干心配が勝るのだけれど、『木漏れ日』の薬の補充もしないといけない。自分の時間は必要だ。
『木漏れ日』から薬を取ってしまったら、セルフサービスの喫茶店兼、ニーレンバーグの診療所兼、学童保育所になってしまう。マリエラがいる必要が無いではないか。大家さんになるのもいいが、マリエラはすでに十分お金持ちだから、不労所得は必要ないのだ。
「傷薬に、痛み止めに、熱さましに、お腹痛の薬。あとは煙玉に、石けんは3種類っと!」
人目の無い2階の工房で、複数同時の錬金術で商品を製造して行くマリエラ。
以前では考えられない製造速度なのだが、師匠の面倒を見るのに忙しいマリエラはそんなことにさえ気が付いてはいなかった。
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「やっと、やっと帰れますー!!!」
商人ギルドでエルメラが歓声を上げる。
ポーション販売の説明会が始まってから10日目くらいのことだろうか。
少しでも多くポーションを確保するために、書類の偽造も辞さない連中との応酬は、住居を持たない冒険者向けの販売方法を開示することであっさりとカタが付いた。
「迷宮の入り口で整理券をもらって、迷宮の20階層に行けばポーションが買える」
ポーション瓶製造の目処が立ったからこそ公開できた情報だ。
当面の間は低級ポーションと低級魔物除けポーション1本ずつの制約があるけれど、犯罪に手を染めるリスクに比べれば余程割のいい話だ。迷宮の20階層には魔石のコストがかかるが転移陣で移動できるし、徒歩で往復できない距離でもない。どっかの食べすぎ錬金術師がダイエットのために駆け上がらされた距離だから、迷宮都市のたいていの人間は問題なく往復できるだろう。
書類の偽造や強奪などして捕まっている間に、何本でもポーションが買えるのだから、迷宮に行くほうが余程割がいい。階段を往復するか転移陣で回数を稼ぐか。折角20階層まで行くのだから、薬草を採取するのもひとつの手だ。ちょうどそこで採れるルナマギアの買い取り価格が上がっているから、ポーションが高値で売れなかった場合に備えて、薬草採取も行ってリスクを分散するべきか。
上級ポーションの原料であるルナマギア不足を解消するため、ウェイスハルトが考え出したこの方法は思いのほかうまくいった。
迷宮の階段付近は安全地帯で魔物は来ない。20階層では戦えないが階段を往復するくらいなら出来る者はたくさんいるのだ。20階層まで来てポーション2本ではいささか割りに合わないが、薬草や素材の運搬を請け負えば小遣い稼ぎにちょうどいい。
ルナマギアの採取を行う冒険者や薬師たちも、荷を運ぶ手間が省ける上に今は買い取り価格が高いから割の良い仕事とこぞって20階層付近でルナマギア採取に勤しんでいる。
ちなみに魔物除けポーションだけならば、迷宮都市の南西門と魔の森の出口でも販売している。但しこちらは使い切り用の普通の瓶に入ったもので保存が利かない。完全に魔の森を抜けて帝都と迷宮都市を行き来する隊商向けの販売だ。
魔の森の帝都側の出口には魔物除けポーションを販売する売店が建造されていて、迷宮討伐軍の2軍兵が常駐してポーションの販売を行っている。この売店への魔物除けポーション運搬は黒鉄輸送隊が請け負っている。
「ちぃーす、まいど。魔物除けポーションの追加だよー」
「エドガンさん、ちょうど良かった。バンダール商会が迷宮都市への護衛を頼みたいそうです。ヴァントーアの村で待機してますから受けてあげてくれませんか? お客さんと一緒でいいそうですから」
「オッケー。って、客いるんだ?」
「えぇ、バンダール商会の口利きみたいですよ」
「へぇ、バンダールさん頑張ってんなー」
エドガンが兵たちと情報交換をしている間に、ヌイとニコという二人の奴隷が荷卸しを済ませる。3台の馬車に積まれた魔物除けポーションの樽は二人で下すにはいささか量が多い。初夏の蒸し暑さも手伝って、二人の奴隷はぼたぼたと滝のような汗を流す。見かねた常駐兵たちが荷卸しを手伝ってくれている。
リンクスを失って以来、黒鉄輸送隊も大きな変化を迎えていた。黒鉄輸送隊の隊長、副隊長を務めていたディックとマルローは共に迷宮討伐軍に復帰して黒鉄輸送隊はエドガンが引き継いだ。
もっともディックはアンバーの借金を返済して黒鉄輸送隊を続ける理由がなくなっていたし、この半年の間にマリエラの警備体制は強化され、ポーションを安全に製造・販売できる体制が整っていたから、黒鉄輸送隊は遅かれ早かれ現在のような状態になっていたのかもしれない。
今いるメンバーは、調教師のユーリケと治癒魔法使いのフランツ、装甲馬車のメンテナンスを行うドニーノに、盾戦士とは思えない細身のグランドル。そして奴隷のヌイとニコの合計7人だ。
フランツは亜人の血が色濃くでた外見のため普段は仮面で顔を隠しているし、ユーリケだって帝都や迷宮都市では珍しい訛りや肌の色をしている。どちらも定住より輸送隊の旅暮らしを望んでいた。
ドニーノやグランドルはもともと迷宮討伐軍に所属していたが、迷宮討伐に向く能力ではなかったため黒鉄輸送隊に参加したのだ。迷宮に潜るばかりがリンクスの敵をとる方法ではない。黒鉄輸送隊として迷宮都市に利益をもたらす道を彼らは選んだ。ヌイとニコの二人には進退を決める権限などなかったが、自分たちをひいきにしてくれるドニーノとグランドルについて来られたことを喜んでいるようだ。
そしてエドガンは。
「俺がいねぇと、戦力不足だろ」
しかたねぇなと隊長を引き継いだのだが。
「グランドル? エド兄はなんで迷宮討伐軍をやめたし?」
「ユーリケ、良い質問ですぞ。エドガンは迷宮討伐軍にいられなくなったのです。女性兵士を片っ端から口説きましてね。いやぁ、あの時は大変でした」
兵士にするには惜しい美貌の女性から、女オークかトロールかと噂される屈強な女性まで、分け隔てなく同時に愛をささやいた恋の旅人エドガンは、困難な旅路の末に安住の地を失ってしまったらしい。
紳士なグランドルはユーリケに詩的に語って聞かせるが、同時に何股もかけた挙句、野営の最中に刺されるような修羅場に突入したとかしないとか。
「迷宮討伐軍に俺の運命の人がいなかっただけサ。俺の運命のハニーは帝都にいるかもしれないと、黒鉄輸送隊に参加したんだよ」
「帝都にもいなかったし? いまだにエドガンは流離人だし?」
役者のような大げさな身振りでユーリケとグランドルの話に参加するエドガンを、ユーリケが冷たくあしらう。
「流離人……。俺にふさわしい響きだ。そう! 俺は愛の流離人なのだ!」
「迷子のように見えますぞ。さて準備はできたようです。日暮れ前にヴァントーア村まで迷わず行ってしまいますぞ」
「おうよ、グランドルさん。俺は愛の迷子だけどな、道には迷わねぇからな!」
「夏の暑さでやられたし? エドガンはずっと迷ってるといいし? ラプトルたちが迷わず連れてってくれるし?」
魔の森を抜けて魔物除けポーションを届けたら、ヴァントーア村で一泊して折り返す。帰りの積み荷は迷宮都市を目指す人たち……、とシューゼンワルド辺境伯家が注文した大量の酒。今、迷宮都市には中級以下の冒険者どころか全く戦えないものでもやれる仕事があるという。しかも魔物除けポーションが売りに出されて今までよりずっと安全にたどり着くことができる。
しかも黒鉄輸送隊が乗り合い馬車を始めている。この噂を聞きつけた食い詰め者たちが、これから馬車の出発地点であるヴァントーア村に集まるようになるだろう。
バンダール商会を始めとした、ヤグー商隊で山脈を超えて交易をしてきた商会が魔の森を抜けて帝都にやってきたことも、噂の信ぴょう性を高めている。
とはいえ、魔物除けポーションの販売は始まったばかり。いち早く魔の森経由の商売を始めたバンダール商会が初めての取引を終えて今から迷宮都市に戻るところだ。魔物除けポーションの効果は理解しているが、やはり魔の森は恐ろしい。帰りは黒鉄輸送隊と一緒に魔の森を抜けたいのだろう。
黒鉄輸送隊は今日も魔の森を往復する。魔物除けポーションを運び、帰りには新しい住人たちを運んでいく。今までとは異なる、奴隷ではない帝都の住人だ。ポーションが売り出され様相を変える迷宮都市に、さらに新たな住人が増える。
強い日差しにあぶられて迷宮都市の防壁は熱く熱を持ち、吹き込む熱を帯びた風は住む人の思考を鈍らせるかもしれない。
迷宮都市に来る人が、そして市井に出回るポーションがもたらすものは果たして良い風ばかりだろうか。
ラプトルに騎乗して装甲馬車を先導するエドガンは、迷宮都市にいる人物のことを思い出す。ベリーサちゃんでもヨアンナちゃんでもニードルエイプのナターシャちゃんでもない。ジークだ。
ジークとはリンクスを亡くして以来顔を合わせていない。ジークが悪いわけではない。そんなことはわかっているけれど、なんとなく顔を合わせづらかったのだ。
(ジーク、ちゃんと立ち直れてっかな。また今度、顔でも見に行くか)
魔の森を黒鉄の馬車が行く。迷宮都市に向かう新たな人と、新たな販路を開拓した隊商とともに。強い夏の日差しはうっそうと茂る木々に遮られ、濃い影を落としていた。
ざっくりあらすじ : エドガンの夏は日陰の予感。