それぞれの1週間 ~拓かれる道
ポーション瓶に関しては。
新たな瓶の製造は不可欠だった。問題となるのは材料の入手先で、マリエラのとっておきの滝の採砂場では砂の量が不足する。
採砂場の確保とガラス工場の建造は、必須の課題に挙げられた。
「レオンハルト将軍閣下より、貴重な魔物除けポーションを賜ったのだよ! これは重要な任務である! 今こそ我ら都市防衛隊の真価を見せるときだよ! 魔の森を切り開き、魔の森の氾濫に奪われし採砂場を奪還するのだよ!」
テルーテルがノリノリだ。彼の役職は相談役で、演説を行う立場にはないのだが。テルーテルの発言は従うべき命令として聞くと色々問題があるのだが、雑談として聞くとなんだかほっこりしてくるので、実害がないあいだは皆好きにさせている。
かつてマリエラとジークが板ガラスを作ったガラス工房跡地付近は、河川が地下水脈に流れ込む場所で、今尚大量の砂が流れ着く優良な採砂場だ。魔の森に呑まれているとはいえ、ヤグーの脚で数刻と迷宮都市からの距離も近い。魔の森の開拓は食糧生産を主眼に行われてきたから、採砂場の情報は忘れ去られていたけれど、マリエラとジークから話を聞いたウェイスハルトが実現性ありと計画を立案した。
採砂場までの開拓は、レオンハルト自らが都市防衛隊に命令を通達した。現大佐やカイト隊長にくっついて命令を受け取りに行ったテルーテルは、レオンハルトの「これは重要な任務だ。迷宮都市の未来はこの作戦の成否にかかっていると言っても過言ではない。可及的速やかにガラス工房跡地まで開墾したまえ」という言葉に、心が震えるほどの感動を覚えた。
重要な任務だというのは偽りではあるまい。魔物除けポーションが樽で幾つも提供されるのだ。ポーションの希少性を考えると、その重要度は計り知れない。そんな任務を与えてくれた信頼に、是が非でも応えなければ。テルーテルの顔は初めて剣を与えられた少年のように紅潮していた。
しかも、今回の開墾事業には護衛として一人の冒険者が派遣されていたのだ。
かつて、テルーテルを巨大スライムから助けた隻眼の青年だ。
「ふおおおおぉぉぉ! キミはっ! あの時のっ! ありがとう! ありがとう! また助けにきてくれたのだネッ!」
大喜びのテルーテル。ジークの手を握り締めてぶんぶんと振り回している。緊張と興奮のあまり手汗がすごい。ジークの手はじっとり濡れて、未だにうまく扱えない弓矢が滑って更にへたくそになりそうだ。
こんな状況でも作り笑顔を絶やさないジークムント。さすがは師匠に『黒い』と評される男だ。大人の対応といえよう。人脈というのは冒険者のような自らの武力しか頼れない者にとっては特に有益なのだ。しかもジークは未だ奴隷の身。その辺りを理解して、テルーテルの手汗まみれの両手を笑顔でぎゅっと握り返すジークムントは、マリエラが思っているよりはちょっぴり腹黒いのかもしれない。
ジークの派遣はフレイジージャの決定だ。裏庭で弓の練習をするジークを見かけたフレイジージャは、
「あ゛? 動かねー的相手になにやってんの? ちょうどいいや。遊んでる暇があるんだったら、開墾作業の護衛にいってきな。あ、飯は現地調達な。開墾終わるまで帰ってくんなよ」
と言って、ジークを家から蹴り出してしまったのだ。しかも、マリエラに貰ったミスリルの剣は取り上げられていて、迷宮討伐軍から支給された弓と大量の矢、リンクスの短剣しか武器がない。
「マリエラの警護が……」
「あたしが見とくから問題ない。マリエラー、ジークがオークキングの肉狩りに行くってよー」
取り付く島を探そうとするジークをフレイジージャが突き落とす。師匠に呼ばれたマリエラが奥からととととやってくる。ちょっぴり目がキラキラしている。
「わー、ジーク、オークキング狩ってきてくれるの!? 丁度、お肉なくなってたんだよね! 楽しみー!」
満面の笑顔である。マリエラが大事に取っておいた最後のオークキング肉は師匠に食べられてしまったから尚更だろう。
「ついでに、都市防衛隊の護衛もするらしいから、しばらく留守にするみたいだけど構わないよな、マリエラ? 場所は魔の森の浅い所だし都市防衛隊も一緒だから特に危ない事なんてねーからな」
「うん! ジーク、気をつけてね! あ、ポーションたくさん持って行ってね!」
流石は師匠だ。マリエラのツボを心得ている。それにジークのポイントも掴んでいるようだ。久々に見たマリエラのイイ笑顔に、ジークが嫌と言えるはずがない。
「あぁ、マリエラ。必ずオークキング肉を持って帰るからな!」
こうして、未だ上手く扱えない弓と短剣という装備で魔の森に赴き、開墾作業にあたる一団の警護をしつつ、自分と都市防衛隊、開墾作業に参加している農奴たちに肉を供給するというハードなミッションが開始された。開墾作業の参加者の食事は当然用意されているが、特に農奴は粗末な食事ばかりでどうしたって栄養が足りない。少しでも頑張ってもらうには肉を食べさせる必要があるのだ。
マリエラには笑顔を向けて出立したとはいえ、ジークムントの気は重い。
アーリマン温泉の悪夢再び。急に訪れたマリエラのいない修練の日々だ。
しかし今度は1ヶ月も時間をかけるわけにはいかない。師であるフレイジージャが付いているとはいえ、あの性格だ。マリエラの面倒を見るよりもマリエラに面倒をかけるほうが多そうだ。マリエラが再びマルエラになる前に『木漏れ日』に帰らなければならない。
ジークムントがうじうじぐだぐだ悩んでいる間にも、マリエラに菓子という魔の手が忍び寄っているに違いないし、『木漏れ日』が酒瓶で溢れかえってしまうかもしれない。錬金術師師弟にとってはパラダイスかもしれないが、外から見れば地獄絵図。『木漏れ日』がそんな状態になる前になんとしてでも帰るのだ。
アーリマン温泉ではリンクスとエドガンが共にいた。気の合う仲間と親交を深めたあの日々はジークにとって輝かしくも懐かしい思い出だ。しかし、リンクスは今はなく、エドガンは帝都から戻っていない。ジークのそばには隙あらば仲良くしようとよってくるテルーテルしかいないのだ。
テルーテルも憎めないというか、悪い男ではないのだが、友達になるにはいささか年代が上すぎて話が合わない。リンクスから託された短剣を見る度に、ジークは亡き友と過ごした時間を懐かしむ気持ちに駆られてしまう。
(1週間だ! 何としてでも、1週間で俺は帰るぞ!)
ついに目覚めたジークムント。今まで、いろいろとややこしいことを考えていたのはなんだったのか。
開墾作業に勤しむ一群の周囲を警護しつつ、食べられる魔物を中心に狩って狩って狩りまくる。弓はうまく当たらない。外れたり掠ったり。そのたびに激昂した魔物が襲ってくるが、外れたならまた射ればいい。近くに来れば短剣もあるし、矢を手で直接突き立てたって倒せるのならそれでいい。幸いポーションだけは大量に持たされているし、バジリスク革の防具も持って来られた。この辺りの魔物の攻撃など通らないし、多少の怪我を気にする必要もない。
弓が命中しないとか、上手い下手などどうでもいい。魔物除けポーションのせいで魔物はあまり寄ってこないから、弓が外れたとしても魔物がこちらに向かってくるだけでもうけものだ。とにかく量が必要なのだ。満足に肉を食べていない農奴たちにたらふく肉を食わせて、力を付けてもらわねば。
余計な事は一切考えず、ただひたすらに獲物を追い求める狩人と化したジークムント。開墾部隊のみんなから『肉の兄さん』と呼ばれるようになったころ、ジークの弓はそれなりに獲物を倒せるようになっていた。
そして、憧れのレオンハルト将軍から、直接ではないにせよ貴重なポーションと共に重要な任務を与えられ、恩人で高位の冒険者と再会できたテルーテルは。
恩人たるジークと共に、偉大なる事業に携わる歓びに、胸中に熱い思いを燃え上がらせていた。
迷宮都市において魔物除けポーションは最早稀少なものではなくて、ポーションその物の錬成よりも薬草を準備するほうが大変だったくらいなのだが、そんな事は彼は知らない。いや、知っていたとしても、テルーテルのことだから、かまわず使命感に燃えたに違いない。
テルーテルを支配する熱い思い。強い志。彼は今、非常に社会的に有益な方向で光り輝いていた。
なぜか物理的に。
頭がではない。なんだか後光が射すような様相で、周囲の者に強い《共感》を与えてしまったのだ。
「おおおおおぉ!」
実に都合の良いタイミングで進化したテルーテルのスキルによって使命に燃え上がる都市防衛隊の隊員たち。都市防衛隊の隊員と開墾作業に借り出された農奴や雇われたスラムの住人たちは、皆異様なハイテンションで、かつてマリエラとジークが板ガラスを作った工房跡地へと魔の森を切り開いていくのだった。
「我らには魔物除けポーションがある! 魔の森の魔物など、恐れるものか!」
「魔物除けポーションを振りかけていれば魔物は現れん。我らの前に広がる魔の森はただの森と変わりない!」
口々に強気な言葉を叫ぶ都市防衛隊の隊員達。魔の森は広く、深い層へいけば魔物除けポーションなど効かない強い魔物がうようよいるのだが、知らぬが華とはこのことか。
テルーテルがかなり過大評価してジークの強さを語ったことも、彼らの強気に拍車をかける。無敵の気分で木々を切り倒し、その場で枝を払って粗雑な杭に加工しては開いた道の両端に突き立てる。デイジスで作った縄を巻きつけ、杭の回りにデイジスとブロモミンテラを植えて行く。切り株や大きな石は土魔法を使えるものが地面をやわらかくし、農奴とヤグーが協力して掘り起こす。
土は粒子が細かくて、いくら均して固めても荷車が通れば流動して轍が出来てしまう。だから大きな石を大小の砂利のサイズに砕いてから地面に混ぜて締め固める。
いくら魔法が使えるとはいえ、都市防衛隊は3軍以下の集まりだ。ヤグーの足で数時間の道のりといえども道を開くのは楽な作業ではない。まれに出てくる魔物を倒し、魔力が切れれば交代し、全員が汗だくになりながら働き続ける。
疲労が一定値を超えているのに全員なぜかイイ笑顔なのが、テルーテルの《共感》の恐ろしさよ。
毎日お腹いっぱい食べられる肉がうまい。体が栄養を求めているから尚のことだろう。たくさん働き、たくさん食べる。テルーテルの熱い使命感と人間の根源的な食と労働の喜びに支配された一同は、なんと1週間という短期間で、ガラス工房跡地の採砂場まで道を開墾し、砂を迷宮都市に運び込むことに成功してしまった。
ちなみに。実に都合よく進化を見せたテルーテルのスキルであったが、進化したにもかかわらずやっぱり自分の意思で発動のコントロールができなかったし、本人も含め進化した事すら誰も気付いていなかった。テルーテルのスキルは各人の能力に影響するものではなかったから、実際はテルーテルの共感のお陰でたいそう気分良く仕事に取り組めた程度の効果しかなかった。けれど、自分たちの力で大仕事をやり遂げたという達成感は、都市防衛隊や開墾に参加した農奴たちに大きな自信をもたらした。
そして、ご機嫌で魔の森に向かっていく都市防衛隊一行を見た迷宮都市の人々は、彼らの勇猛さを褒め称え都市防衛隊の人気をかさ上げしたらしい。実利の少ない効果であったが、後日都市防衛隊はレオンハルト将軍閣下よりお褒めの言葉を賜ったから、テルーテルらしいスキルの開花だったのかもしれない。
ざっくりあらすじ:ジークの帰巣本能目覚める。テルーテル光って採砂ライン開通。