時を越え明かされる事実
「師匠もランタン消し忘れ!? ランタン万能?」
「そういうマリエラも? どんくせーなー。あっはっは」
自分だってうっかり200年も眠っていたくせに、マリエラをどんくさいと爆笑する師匠。
マリエラが「なんたる理不尽!」と口を尖らせると、師匠はさらに笑い転げる。
ジーク秘蔵の『エドガンが泣き付いてきた時用の酒』は、既に何本もカラッポだ。もちろん師匠が「うーん、これぞ命の雫ぅー」とか言いながら一人で空けたのだ。酒を命の雫に例えるなど錬金術師の風上にもおけないが、酒飲みとしては正しい例えなのだろう。
『木漏れ日』の家計を預かるジークは、みるみる無くなっていく酒に、『師匠費』という予算枠を計上しようかと真剣に考えながら、倉庫から新しい酒瓶を運び出している。
マリエラを魔の森の小屋に残して師匠が出て行ってから200年と少し。
何の前触れもなくやってきた師匠は、自分の家に帰ってきたかのように寛いでマリエラにおなかが空いたと夕食をねだった。師匠が土産に持ち込んだ地竜の肉は絶品で、生き別れた師弟の奇跡の再会だと言うのに、料理が出来るなり無言で料理にかじりついてしまった。
『仮死の魔法陣』で眠っていた200年を差っぴいても数年は会っていないのだ。積る話はたくさんあるのに、数日振りにふらっと帰ってきたような師匠の様子に、200年の時を埋める二人の会話は井戸端会議のようなとりとめの無いものになっていた。
本来ならば目覚めてからの事を時系列で話していくべき所だが、師匠のインパクトが強すぎる。
「なんで200年も経ってるのに師匠が!?」
地竜の煮込みをお腹がはちきれそうになるまで食べた後、胴回りだけマルエラになりかけたマリエラが、漸く真っ当な質問をした。
「えー、200年も経ってんだー? エンダルジア王国滅びてるっぽいけど、ここ、何処の国?」
「反応軽っ!」
「帝国のシューゼンワルド辺境伯領で迷宮都市という街です」
師匠のすっとぼけぶりに、地竜の煮込みで一旦塞がったマリエラの口が再び開いてしまったので、師匠の質問にはジークが答える。
「あー、そうなったんだ。迷宮都市ねー」
へーはーほーふーんと、ジークの説明だけで納得したような師匠。
「ちょーっとまった! 師匠っ! 大体なんで師匠は200年も眠ってたんですか。卒業とか言って勝手にいなくなって、ぜんぜん帰って来なかったのに、いきなり来るとか! ていうか、よく居場所がわかりましたよね。魔の森の小屋、跡形もなくなってたのに」
「えー? ランタン消し忘れて寝過ごしたから?」
こうして冒頭の会話へと繋がるマリエラと師匠。
寝過ごして待ち合わせに遅れたかのような軽ーい師匠は、なぜなぜなんでどうなってるの!? と問い質すマリエラを愉快そうに眺めている。
「相変わらずマリエラは甘えん坊だなー。マリエラが起きてるなら近くの街にいると思ったんだよな。
魔の森の小屋は魔の森の氾濫で壊れただろーし。近くまで来りゃ、調べられるし」
師匠はまっすぐに迷宮都市にやって来たらしい。マリエラが目覚めていなかったら、それ以前に既に寿命が尽きた後だったらどうしたのだろう。どれだけ考えをめぐらせても師匠が途方にくれる様子がマリエラには思い浮かばなかった。
(なんか、もういいや。師匠だし……。もう一回会えたから、それでいいや……)
師匠はこういう人だった。これだけ思いも寄らないことが起きたって、ほんの少しの説明で全部わかったように納得して、こっちはサッパリ訳がわからないままになるのだ。
師匠に会えて嬉しくて、師匠が相変わらずで安心して、200年前と変わらないマイペースさにちょっぴり腑に落ちない気分になる。紛れもなくこの人はマリエラの師匠だ。
だからマリエラは、師匠が出て行く前と変わらない様子で、ちょっぴり本音を漏らしてしまう。
「もう、師匠に会えないと思ってちょっとは落ち込んだんですよ?」
「うわ、なにそれ、カワイーイ!」
ぎゅーっと抱きついてくる師匠。
「しっ、師匠、苦しい。あと、あつい」
師匠は体温が高いから冬以外は抱きつかれると暑いのだ。
(そういや、最近、雨降らなくなったな……。もうすぐ夏なんだ。そんな事も気付かなかった……)
師匠を引き剥がしながら、雨季が終わっていた事に漸く気がつくマリエラ。なんだかリンクスがいなくなってから、周りが見えなくなっていた気がする。思い出したように辺りを見回すと、見慣れたはずの『木漏れ日』の店内にさえ懐かしさに似た発見がある。
(すみっこの大きなガラス瓶、いろんな石鹸をいれたらかわいいと思って買ったんだった。煙玉の見分けがつきやすいように買った色紙も丸めたままになってるや)
そして、ずっと傍にいてくれたジーク。師匠に続けと抱きつく隙を窺っていた彼は、マリエラの無垢な視線にさらされてバツが悪そうに視線をさまよわせている。
「ふふ……」
とても自然に笑顔がこぼれた。
リンクスが死んでしまって、悲しくて、寂しくて、自分のせいに違いなくて、二度と笑える日なんて来ないと思っていたのに。もう二度とリンクスには会えなくて、リンクスは楽しいとか、嬉しいとか感じる事も、笑うことも出来ないのに、こんな風に笑えてしまう自分がとても酷い者のようにマリエラは感じてしまう。
「師匠……、あのね……」
「どした? マリエラ」
泣き笑いのような顔をしてマリエラはリンクスの事を師匠に話す。半年ほど前に仮死の眠りから目覚めて、魔の森で出会ってからの事を。師匠はいい加減で、普段は人の話なんてほとんど聞いちゃいないのに、こんな時はちゃんと最後まで聞いてくれるのだ。どんなに言葉に詰まっても、優しく続きを促して心に刺さった棘が抜けるまで付き合ってくれる。
「だがらね……、ヒック、わだじ、迷宮をたおじだくでね……。うっく……、わだじのせいだがらね……」
再びぐじぐじと泣きながら、その辺の台拭きを握り締めて師匠にリンクスの死を語る。
「そっかー。そんなことがあったか。で、マリエラは自分のせいでリンクスが死んだと思ってるんだな?」
よしよしと、幼子にするようにマリエラの頭を撫でつつ優しく問いかける師匠。ジークは綺麗な手拭を手に持って仲間に入りたそうにそわそわしている。
「う゛ん。だっで、わだじが……」
「んな訳あるか! 《転写》!」
「ぎゃー!!!」
二百年ぶりの《転写》だ。超痛い。急に奇声を上げたマリエラに、ジークはおろおろしている。
「しっ、師匠!? ちょ、なに? 転写とか。しかも、これ、『地脈契約した弟子を呼び戻す方法』!? ありがた……くないよ? 特級作れるようになったら《ライブラリ》に開示される内容って出てるよ? ムダじゃない? もうすぐなのに、今《転写》とか! ムダ《転写》じゃない。痛いのムダじゃないですかー! もー、師匠!!!」
ジーク以上にあわあわオタつくマリエラ。あまりの衝撃に涙はすっかり引っ込んでしまった。
「まだ特級作れるようになってない、オマエが悪い! あとは、200年たってて迷宮が倒せてないココの連中が悪い! みんなちょっとずつ悪いんだよ。取り返しのつかないことっていうのは、大抵そういう風に出来てんだ。だからな、誰が悪いってもんじゃねーの。わかった? 自分が悪いとかっていじけてる暇があるなら、リンクスってやつの分まで前向いて歩きな! オマエはもう、十分悲しんだんだよ」
ニィと笑いながら、マリエラの瞳をじっと見て師匠は言う。師匠の断言にマリエラの目はアプリオレの実のようにまん丸になっている。
「師匠、ほんとうに……?」
「あぁ。あたしを誰だと思ってるんだ?」
「……ししょぉ」
マリエラが小さい声で応えると、師匠はとても満足そうに「な? ホントだろ?」と笑った。
マリエラの心に刺さっていた棘は、師匠の《転写》の衝撃で抜けるどころか跡形もなく消し飛んでしまったらしい。師匠はすごい人だから、師匠が言うならそうなんだろう。
「師匠、私、リンクスの分も頑張るよ」
マリエラにとってリンクスはとても大切な人で、リンクスを失った事はとても悲しい。でもリンクスと過ごした時間がなくなるわけではないのだ。全部憶えている。きっと、何時までもくよくよするマリエラをリンクスは喜ばない。漸くそう思えたマリエラ。その口元は決意に引き結ばれ、瞳はまっすぐに師匠を見つめている。
「いい子だ、マリエラ。じゃー、今までサボってたぶん、ビシバシいくから覚悟しとけな!」
「へ!!???」
にっぱーと笑う師匠。いい笑顔だ。こんな笑顔の師匠は碌な事を考えていない。
(そうだった……、師匠はこういう人だった……)
すっかり平常運転に戻ってしまったマリエラは、師匠がどっかから見つけてくる難題を思うと、《転写》されたように頭が痛くなるのだった。
「はー。覚悟しときますー。あー、そうだ。ついでにこれも聞きたかったんですよー。どうして、卒業試験に仮死の魔法陣を選んだんですか?」
それはマリエラの心にずっと引っかかっていたことだった。仮死の魔法陣がありふれたものでないことはマリエラにもわかる。あれが無ければ魔の森の氾濫を生き残れはしなかった。だからこそ思ってしまう。なぜ、『仮死の魔法陣』を憶えさせたのか、と。しかし師匠の回答はこれまた思いも寄らぬものだった。
「えー? だって、アレ、自分で描くのめんどいじゃん」
「は?」
マリエラに『仮死の魔法陣』を《転写》したのは師匠だ。だから、師匠が『仮死の魔法陣』を描けないはずはない。
めんどくさいから弟子に描かせた。
師匠らしいと言えば師匠らしいのだが、そのために幼い頃から幾つもの魔法陣を《転写》され続けてきたと言うのか。
「マリエラ得意だろ? ああいう細かいの」
「いや、そうですけど……、本当に面倒くさいから私に描かせたと?」
「そうだけど?」
あっさりと答える師匠。
「何たる理不尽……」
膝から崩れ落ち落ちそうになるマリエラに師匠は追い討ちをかける。
「つーか、よく考えりゃわかるじゃん。魔法陣なんて、錬金術と関係ないじゃん」
「!!!!!」
200年の時を経て明かされる衝撃の事実。
あまりの衝撃に凍りついたまま動けなくなったマリエラを見て、ゲラゲラ笑いながら師匠は、ジークに注がせた秘蔵の酒をあおるのだった。
「もう、いいや……」
師匠をまじめに相手にした自分が馬鹿だった。師匠はこういう人だったのだ。
師匠が出て行ってから魔の森で一人暮らした数年の間に、どうやら師匠を美化しすぎていたようだ。
(一滴もお酒を飲んでいないのに頭がクラクラしてきた)
頭を抱えるマリエラに師匠が明るく止めを刺す。
「てことで、上の客間、あたしの部屋な! いやー、まっさかマリエラがこんな立派な家に住んでると思わなかったわー。あ、ジーク、後で部屋に酒運んどいて。あと風呂沸いたら呼んで」
「かしこまりました。義母上」
「師匠ここに住むの!? あと、ジーク、何その呼び方!?」
結局その日は、ジークの義母上呼びをやめさせるのが精一杯だった。
「えー、いいじゃん。マリエラ、あたしの娘みたいなもんだし」
「だから! なんで私が娘だったらジークが息子になるんですか!」
「うっわー、ちょっぴりジーク応援したくなってきたわ……」
「よろしくお願いします。義母上」
結局、師匠はジークに「フレイ様と呼ばしてやろう」とエラソーに言っていて、「師匠、偉そう」というマリエラの苦言には、「えー? あたしエライもん」と応えていた。
すっかり元の元気を取り戻したマリエラを見てジークの心の内に安堵と喪失感がせめぎ合う。それは共に悲しみの淵に沈んでいたいという怠惰な気持ちで、未だに歩き出せない自分を置いて前を向いて歩き出したマリエラがどこか遠くに行ってしまいそうだと焦る気持ちであった。
師匠、フレイジージャの黄金の瞳は、炎のように揺らめきながら、愛弟子とその護衛の青年のありようを心のうちまで見透かすようにただ映していた。
ざっくりあらすじ:師匠はめんどくさがり