あなたの後ろに
『あたし炎災。今、門の前にいるの』
てくてく歩いて漸くたどり着いたと言うのに、門はピッタリと閉まっている。
しかも、兵士らしき連中が中にうじゃうじゃ集まっている。
(それで隠れてるつもりか? 火柱くらい珍しいモンでもないだろうに、ナニコレ? ちょーっと本数多かったかもしれないけど)
閉ざされた門を間近に眺めながら、そんな事を考えていた炎災の賢者の元に、門の小扉を空けて一人の兵士が進み出た。
「私はカイトと申します。都市防衛隊の隊長をしております。高名な冒険者とお見受けいたしますが、お名前と来訪の目的をお聞かせ願いたい」
流石はカイト隊長、貧乏くじだ。相手は敵か味方かもわからない、ウェイスハルト曰く人かすら怪しいレベルの強者だという。蟲使いが言うには言葉は通じるそうだが、魔の森に火柱を生やしながらずんずん近づいてくる得体の知れない者とのファーストコンタクトだ。未知との遭遇だ。
敵でなかった場合、失礼があっては後々に差し障るから、それなりの立場のある者が応対する必要があるが、敵だった場合は一触即発且つ即死が約束されたも同然だ。そんな状況において、カイト隊長が落ち着いた対応を見せることが出来たのは、巨大スライムに対峙して度胸がついたこともあるだろう。彼が勇敢である事に間違いはない。
しかし、それ以上に。
迷宮都市の南西大門を見上げるその人影の容姿に、彼の気持ちが大きくほぐされたことは間違いない。
迷宮第54階層で人魚もどきと闘った迷宮討伐軍の兵士であれば、見た目で判断する事は無かったのだろうが、カイトは都市防衛隊。まだまだ青いと言って良いだろう。
「あたしは、フレイジージャ。弟子を訪ねて来たんだよ。中に入れてくれるかい?」
溌剌とはちきれそうな肢体から、年のころは二十台半ばに見える。
気の強そうなつり眼がちの金の瞳にニッと口角の上がった赤い唇。長くたなびく髪は光を受けて金のようにも赤毛のようにも見える。いや、揺らめく炎のように赤やオレンジ、黄色と言った色合いが混ざり合っているのだろう。
フレイジージャと名乗った者は、炎が現し身を得たような美女であった。
「弟子というのはどなたでしょうか?」
「まどろっこしいのは嫌いなんだけどね。いれる気が無いのかい?」
ギラリと肉食獣のような光を放つ金の瞳に、カイトの背筋に冷や汗が流れる。
「とっ、とんでもないことです。ですが、貴殿は相当高位の冒険者とお見受けいたします。ここ迷宮都市は高位の冒険者を歓迎いたします。失礼が無いよう、全力でご歓待すべくお伺いしているわけでして……」
カイトの言い分に嘘はない。迷宮都市は高位の冒険者ほど厚く遇する風潮がある。犯罪奴隷であってもAランクになれば解放されるくらいだ。フレイジージャと名乗った女性が迷宮で活動してくれると言うのならば、これほどありがたい事はない。
カイトの発言に嘘が無い事を見抜いたのか、フレイジージャの瞳からは剣呑な光が消え、こう答えた。
「この街に危害を加える気はないよ。弟子の名前は『マリエラ』というんだ」
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「なっ、錬金術師だと!?」
カイト隊長とフレイジージャの会話は《聞き耳》の魔法と《念話》によって、即時レオンハルトとウェイスハルトに伝えられていた。
恐るべき火柱を上げながら迷宮都市にやってきたフレイジージャと名乗る魔道師は、会話に応じるだけの理性が有り、短気ではあるが敵対する気は無いらしい。そこまでは良かったのだが。
「同名の別人と言うこともありえます」
「……、ウェイス、本当にそう思うのか?」
レオンハルトとウェイスハルトの会話は防音の魔法によって二人以外には聞こえていない。部屋の隅では冒険者大好きテルーテルが「フレイジージャ? 初めて聞く名前ですなー。遠い異国の冒険者ですかなー」等と独り言を言っている。テルーテルが知らないのであれば、間違いはない。
帝国の周辺諸国にはフレイジージャなどと言うAランク以上の冒険者は存在しなかったのだ。少なくとも現時点までは。
突如として出現した高位の魔道師が、迷宮都市にいないはずの地脈契約の錬金術師を弟子と呼ぶ。
この二人に何の接点も無いと考えるほうが不自然だろう。
「錬金術師殿は?」
「本日は、『木漏れ日』におります」
「閉店し、店から一歩も出ないよう伝えろ。フレイジージャ殿は一番良い宿へ案内して歓待を。弟子を捜して連れてくると言って詳細を聞き出せ」
「ハッ」
レオンハルトの命令は直ちにカイトに届けられ、迷宮都市の南西大門はフレイジージャに開かれた。
「フレイジージャ殿。迷宮都市は広うございます。街で一番の宿をご用意いたしましたのでそちらでおくつろぎ下さい。最高の料理でおもてなし致します。弟子のマリエラ殿は我々が探し出してお連れ致しましょう」
深々と頭を下げるカイト隊長。
「有り難いけど、遠慮しとくよ。今日はマリエラの飯が食いたいんだ。場所なら調べがつくからさ」
けれどフレイジージャは門の中に入るなり、カイト隊長の申し出を断って聞きなれない呪文を唱えた。
「我、汝を捜し求めり。魂の同胞よ。我が呼びかけに応えよ。《魂の呼応》」
聞いた事のない呪文だ。カイト隊長は盾職で魔法に詳しいわけではない。けれどこんな詠唱は初めて聞く。なにより、特定の人物の居場所を探る魔法などと聞いたことが無かった。
「みつけた。やっぱり目覚めてんじゃん」
くすりと笑ったフレイジージャは、変わり果てた街の様子を見物しながら、目的地へ向けて迷うことなく歩き出した。
これに慌てたのはレオンハルトらだ。
機嫌を損ねぬように接待をして、錬金術師に害なすものか見定めようとしていたのに。
「兄上、私が参ります。魔道師ならば私の方が相性が良い」
急ぎ立ち上がり、部下の魔道師数名を伴って『木漏れ日』へ急ぐウェイスハルト。そして、なぜかその後をくっついていくテルーテル。新たに現れた高位冒険者を一目みたいという浅慮な行動であるのだが、あまりの緊急事態ゆえ、テルーテルを意識する者はいない。
なにやら唄を口遊みながら迷宮都市の大通りを滑るように進むフレイジージャ。その歩みはゆっくりと物見をするような脚運びであるのに、カイト隊長は小走りで付いてゆくのがやっとだ。そしてその後方を大急ぎで追いかけるウェイスハルト。都市防衛隊の詰め所に移動したのは間違いだった。迷宮討伐軍の基地であれば地下を通って先回りできただろうに。
***
『あたし炎災。今、ドアの前にいるの』
そんなウェイスハルトらの焦りを余所に、マリエラとジークはいつもの如く、じめじめじっとりと茸栽培を続けていた。いや、農家に転職した訳ではないのだが。
鍵をかけようと扉に近づいたマリエラは、鍵を閉める前にジークを振り返るとうるうるした様子で話しかける。
「ジーク……、メルルさんのお陰で自然にお店を閉められたけど、急にお店を閉めてここから出るなだなんて、何があったんだろう……。また、悪い事かな……」
「マリエラ、大丈夫だ。何があっても俺が護るから」
じっとりじとじと、じめじめしっとり。
雨季は終わったというのにこの湿っぽさ。茸が生えてくるのも時間の問題だろう。
きっと何かの菌が繁殖しているに違いない。じめじめ菌とか。消毒が必要だ。
汚物は燃え盛る炎で消毒しなければなるまい。
ばぁん!
鍵をかけ忘れた『木漏れ日』の扉が勢い良く開かれる。
扉を背に立つマリエラ。そしてその背後には……。
「マッリエラーっ!」
「ふっ、ふえええぇぇぇええぇっ!??」
いきなり背後から抱きつかれ慌てふためくマリエラと、状況を判断できずおろおろするジーク。
「マリエラー、超久しぶりー。何年ぶり? ちょっとでっかくなった?」
「ふぇっ、ま、まさかっ?」
「ちょ、貴女はいったい!?」
マリエラに後ろから抱きついてぐりぐり頬ずりする謎の女性を慌てて引き剥がすジーク。漸く解放されて振り向いたマリエラは、目も口もあんぐりと開いていた。
「しっ、ししょう!!!??? なんでっ!?」
「あっはー、寝過ごしちゃった。そういうマリエラもだろー? こーの、オッチョコチョイ!」
はっはーと全快の笑顔で笑う師匠。そして開いた口がふさがらないマリエラ。
(ほ、本当の師匠だったのか……。ということは、二人目の……!? しかし、あの攻撃力は……)
建物の陰から一部始終を見ていたウェイスハルトは錬金術師に危険が無い事を悟って安堵すると共に、事態を飲み込めずこれまた混乱の中にいた。
「つーか、マリエラ、お前身長伸びたけど他はあんま成長してないなー。って、胸じゃネーよ。錬金術だよばーか。まー、積る話は後でするとして、とりあえず、これお土産。腹減った。料理してー」
あんぐりと口を開けたまま、胸元と師匠の顔を見るマリエラに師匠は葉っぱで包んだ地竜の肉を渡す。
「こっ、これ、地竜の肉!? って、血抜きもしないで常温でおいとくとか何考えてるんですか! もったいない。えーと、こういう肉をおいしくいただく方法は……っと。あったあった。あったけど、ハーブが足りないや。ジーク、お使い行って来てー」
高級食材に即時に再起動するマリエラ。地竜の肉など卸売市場にも売ってない超のつく高級食材だ。せめて凍らせてくれていたらもっと良い調理法があったのに、師匠の杜撰さが悔やまれてならない。
「あ、あぁ、わかった」
急にしゃんとしたマリエラに、あっけに取られながらも頷くジーク。例え師匠がいたとしても、マリエラの護衛として傍を離れるわけにはいかないのだが思わず返事をしてしまう。そんなジークに気付いた師匠は、ジークムントを足の先から頭の天辺までじっくりと見定めた後、にやーりと嬉しそうに笑うとマリエラに問いかける。
「んー、なーにー、コイツ、マリエラの男? ヤダわー、色気づいちゃって」
「そ、そそそ、そんなんじゃ、師匠っ」
「いやー、最近の若い子怖いわー、こんな百戦錬磨で真っ黒っぽいの選んじゃうとか、ほんっと若い子怖いわー」
「なっ、なに言ってるんですか、マリエラのお師匠様」
「そうだよ、師匠。ジークは繊細なだけで腹黒くなんかないよ」
「そういう意味じゃねーよ。ってか、あー、マリエラが相変わらずで安心したー」
わかってるジークとわかってないマリエラ。二人の様子を見てこれまたわかったような笑顔を見せる師匠。
「お師匠様、マリエラに変な事を教えないで下さい……」
この人は危険人物だ。直感的に察知したジークは師匠をけん制しようとやんわりとたしなめるのだが。
「あ? なに言っちゃってんのかな? 真っ黒ジークくんは。あたし、マリエラの師匠。錬金術師の師匠は親も同じ。この意味わかるー? わかったらさっさと買出しに行くー」
「はっ! はいっ! 義母上。行って参ります!」
護衛はどうした。実際は『木漏れ日』周囲には護衛が待機していて、少々ジークが店を離れても問題はないのだが。ちなみにマリエラに店を閉めるよう伝えた後、いつもより厚い警備体制が敷かれていたのだが、師匠はその全てをすり抜けてしまった。一般の通行人が通るのを見過ごすような感覚で、気がつけば通り過ぎた後だったのだ。師匠の口遊む唄によるものだと気付いた者は誰もいない。
そんな事は露知らず、会って数分で師匠につかまれてしまったジークはメルル薬味草店にダッシュで買出しに行くのであった。
「血抜きしてないから、今日は煮込みにしますね、師匠。でも、ホントは焼くのが一番おいしいんですって。だから今度は、ちゃんと血抜きして凍らせて持って来て下さいね」
「えー、めんどいからマリエラも一緒にいこー?」
「……、軽く死ねるから遠慮します」
高級食材をおいしく頂くために、魔力もスキルも惜しみなく使いまくって完成した煮込み料理は、ほっぺたが落ちそうなほどにおいしかった。まさに絶品。シューゼンワルド辺境伯家で頂いた料理よりもおいしかったかもしれない。無言でがっつく三人と更けて行く夜。
(二人目の錬金術師にしてマリエラ殿の師匠、しかも高位の魔道師……。彼女の助力が得られればあるいは……)
『木漏れ日』近くの街頭で思索にふけって動かないウェイスハルトにテルーテルが声を掛ける。
「あのぅ、ウェイスハルト副将軍閣下、フレイジージャ殿にご挨拶には行かないのですかな?」
「む、テルーテルか、なぜここに……。まぁ、良い。フレイジージャ殿は再会の喜びを分かち合っている最中だ。彼女が誠に迷宮都市ゆかりのお方であったと確認できたのだ。邪魔は無粋であろう。撤退するぞ」
「はっ、はい……。それにしましても、フレイジージャとは、童話に出てくる『炎災の賢者』と名前もみわざも同じですなぁ。はっはっは」
テルーテルが何気なく発した一言は、ウェイスハルトの中でかちりとはまった。
(まさか……)
数日前、錬金術師との懇親会での話題を思い出す。200年前の魔の森の氾濫で多くの魔物を屠ったとされる『炎災の賢者』。同一人物だとでも言うのか。アグウィナス家の地下で仮死の魔法陣によって眠り続けた錬金術師たちがいたのだ。ありえないと断ずる事は出来ない。
しかし、『炎災の賢者 フレイジージャ』の名前はそれより古い童話の中にも語られているのだ。
(考えすぎだ。後の世の者が魔の森の氾濫の英雄の名を当てはめただけだろう……)
そう自分に言い聞かせるウェイスハルト。けれど、心の奥底から湧き上がるような根拠の無い考えを打ち消すことは出来なかった。ただ一つ確かな事は、エルメラの夫、ヴォイドにせよ、マリエラの師匠、フレイジージャにせよ、おろそかにしてよい相手ではないという事だけだろう。
ちなみに、「フレイジージャ殿にご挨拶を!」とわくわくしていたテルーテルは迷宮討伐軍の基地に帰るや『フレイジージャと木漏れ日に近づかず、知りえた情報を文書を含むあらゆる方法で口外しない』という誓約を結ばされてしまい、フレイジージャはおろか偶然居場所が判明した巨大スライム事件の恩人ジークにさえ近づくことが出来なくなってしまった。
その分だけ『木漏れ日』でのマリエラたちの生活は静かなものになったのだが、爆弾のような師匠が巻き起こす騒動に比べれば些細なことであった。
ざっくりあらすじ:ししょーのお陰でみんなパニック