葬列
リンクスの亡骸は、迷宮都市の東北東にある丘に運ばれて火葬によって送られた。
迷宮都市は魔の森に面していて、内に迷宮を抱えている。遺体を土葬すると、魔物に食われるか、迷宮に取り込まれるか、死してなお魔物から逃れることができなくなる。だから、炎の魔法で骨も残さずに燃やし尽くすのだ。
迷宮都市では燃料は貴重で、一般家庭が料理に使う火力さえ魔道具か生活魔法で賄われる。荼毘でさえも炎の魔法で行われるから薪は不要なのだが、薪を積み上げ天に届くほどの炎と共に送りだすほど、死者の魂は現世の穢れから解き放たれて天へと高く昇り、より良い世界の地脈へ還れると信じられていた。
この丘には故人を送り出すための祭壇が設けられていて、リンクスを送りだすために多くの人が集まっていた。この街では荼毘に付せるだけでも幸せだ。体の一部さえ戻らない者の方が多いのだから。
「献炎」
式を取り仕切るディックの合図で参列者が薪に炎を献じる。火魔法が使えなければ生活魔法でも構わない。黒鉄輸送隊と参列者たちが集めた薪はうず高く積み上げられ、送り火は重く垂れこめる雲を焦がすほど高く高く炎の柱を打ち立てた。
良い葬列だったと、こんな風に送られる故人は幸せだったと、参列者が語る言葉は、自分たち自身に向けたものだろう。空いた心の穴を埋めるために。地脈に還る故人を高く高く天へと送るのだって、死してなお、少しでも長くともに有りたいと願う気持ちの表れかもしれない。
炎の勢いが弱まって、参列者が一人、また一人と帰路についても、マリエラとジークは祭壇のそばに立ち尽くしていた。黒鉄輸送隊の面々もだ。あのラプトルですら、騒ぐことなく遠くからリンクスを送っている。やがて薪が燃え尽きて、風が残った灰すらも遠くへ運び去って行った。マリエラは、リンクスにもらった細工もののペンダントをきゅっと握りしめていた。
「マリエラさん、行きましょうか」
マルローの呼びかけにマリエラがうなずく。マリエラとジークはフードを目深に被り、ディックとマルローに警護されるようにして装甲馬車に乗り込むと、シューゼンワルド辺境伯の屋敷へと向かっていった。
マリエラは空高く上っていく煙を眺める。最後に見た、リンクスの表情を思い出す。
毎日の様に『木漏れ日』にやって来ては交わされた軽口が、もう聞けないなんて未だに信じることが出来ない。
(リンクス、私、迷宮を斃すよ……)
マリエラはリンクスが贈ったペンダントを握り締めながら、決意を胸に刻む。
『迷宮を斃せ』
リンクスが残したその言葉は、マリエラに普通の女の子として笑って暮らして欲しいという、そんな願いに基づくもので、今の状況を望むものではない。
今のマリエラの表情をみて、決して喜びなどしないのだ。
けれど、リンクスにはそれを伝える事はもはや出来ない。
マリエラとジークを乗せた装甲馬車は、シューゼンワルド辺境伯家の門扉を潜り、その高く重苦しい門扉は鈍い音を立てて堅く閉ざされた。
マリエラとジークを乗せた装甲馬車がこの扉を再び潜り『木漏れ日』へ戻る日は、二度と来はしなかった。
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「私をレオンハルト将軍閣下の下へ連れて行ってください」
マリエラとジークが黒鉄輸送隊の下を訪れたのは、あの夜が明けた昼下がりだった。
手には黒鉄輸送隊と交わした魔法契約書が握られている。魔法契約書は対となる控えと合わせて所定の手順で燃やすことで契約を破棄することができる。マリエラは黒鉄輸送隊を介してポーションの取引を行っていて、その対価の一部として黒鉄輸送隊に守秘を中心とした庇護を受けている。
マリエラがレオンハルトの傘下に入り、直接取引をするのならばこの契約は破棄する必要があるだろう。ポーションの取引が無くなることで黒鉄輸送隊に発生する損失は、『錬金術師を連れてきた』ことで補えればいいし、それで足りないのならば、今までためた金貨で支払うつもりであった。
最後にもう一度、リンクスに会っておきたかったこともある。
マリエラの話を聞いたらディックとマルローは、「ならば、共に」と答えた。
ディックやマルローにとってリンクスは隊の仲間以上のものだった。幾度も魔の森を共に駆け抜けてきた仲間だ。情報収集や斥候に長けた部下であり、「たいちょー、ふくたいちょー」と慕ってくれる可愛い弟分であり、家族だった。
デス・リザードが湧いたのは、赤竜の討伐を失敗したからだと、ディックにはわかっていた。
リンクスの死に顔は大切な人を守れた満足と、別れを惜しむ寂寥の笑みだとマルローはわかっていた。
薬草採取に行きたいと望んだマリエラを、リンクスを守りきれなかったジークを、ひたすらに愚かだったジヤを責めることは、心の安寧を得るための責任転嫁に過ぎないことをディックもマルローも理解している。
ディックは赤竜を倒しきれなかったのだし、他にいなかったとはいえジヤのような奴隷を黒鉄輸送隊に迎え入れたのはマルローだ。彼らは自らの愚を責めるより他に、成すべき事をわかっていた。
迷宮を、リンクスの仇を討つ。
二人は迷宮討伐軍へ復職する旨を伝えに出かけるところだった。
共に行くとは言っても、迷宮都市唯一の錬金術師を前触れも無く迷宮討伐軍へ連れて行くわけにはいかない。話し合いの末、リンクスを送った後に場を設ける事で話がついた。
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マリエラ達がシューゼンワルド辺境伯家を訪れると、賓客をもてなすような扱いで応接室へ通されて、待ち受けていたレオンハルト将軍とウェイスハルト副将軍に歓迎された。
「ようこそ錬金術師殿。私が迷宮討伐軍の将軍レオンハルトだ」
「はっ、ハイ。はじめまして、マリエラです」
「リンクスの事は残念だったが、その無念、共に晴らそう!」
「あの、ウェイスハルト様は、やっぱり、私が帝都じゃなくて、迷宮都市の錬金術師だと知って?」
「あぁ。勿論だ。特に前回は危険な状態だったと聞く。不徳の致すところだ。今後は今まで以上に御身の保護に努めよう。だが、こうして直接相談できるというのは実に有り難い! これからよろしくお願いしたい」
「えぇ、ハイ。よろしくお願いします?」
「話したいことは数多いが、まずは共に迷宮に対する者として友誼を深めようではないか」
レオンハルトはそういうと、一同を立派な食堂へと案内した。
食堂にはマリエラが見た事もないご馳走が並んでいて、一緒に来たディックやマルローだけでなく、身分の上、入室を禁じられる事さえあるジークまで席へと案内された。
「気楽に楽しんでくれ」
にこやかにレオンハルトが言い、短い乾杯を済ませると、給仕の女性がマリエラに食べたい料理を取り分けてくれる。普通ならば少しずつ盛り付けられた料理が出てくるものだが、ビュッフェ形式にしてあるのは少しでも気兼ねなく楽しめるようにという配慮だろうか。
「そういえば、魔の森には未だ草木の生えぬ焦土があると聞く。魔の森の氾濫のときに、『炎災の賢者』が魔物を屠って出来たものと聞くが、マリエラ殿はご存知か?」
「いえ。あまり迷宮都市の外には出ないので。昔の情勢も、疎くて……」
「私とディックは見たことがあります。黒鉄輸送隊の設立資金を稼ぐためにあの辺りへ分け入ったことがありまして」
「恐ろしいものでした。大地が溶けて固まるなど」
「うむ。だがそのような賢者殿がおられたからこそ、魔の森の氾濫から逃れ、生き延びた者達がいたのだろう。今の迷宮都市があるのもそのお陰と言えよう」
「はい、兄上。今の我々にもマリエラ殿という賢者がおります。きっと迷宮を倒し未来を切り開くことが叶いましょう」
料理はどれも素晴らしく、会話だってマリエラが知っていそうな話題を振ってくれる。うまく応えられなくても盛り下がらないよう、ディックやマルローが参加して穏やかな会話が続く。けれどマリエラの表情は晴れない。どれほど周りが慰め気遣ってくれようとも、もっと早くここへ来ていればリンクスは死ななかったかもしれないという思いから逃れることが出来ない。
「詳細は明日にでも話し合おう。今日はゆっくり休んでくれ」
晩餐が終わると、マリエラ達はウェイスハルトに屋敷の奥へと連れられていった。
シューゼンワルド辺境伯の屋敷は時代の趨勢に応じて増改築を繰り返して来たようで、屋敷の中心の最も古い部分は築100年は経過していると思われた。奥に進むにつれ綺麗な壁紙に彩られた内装は、マリエラの家のような重厚な石積みの壁へと変わって行き、いくつもの扉を抜けた先には地下へと続く階段があった。
(やっぱり、地下室か……)
マリエラの気持ちはほんの少し沈んでしまう。
予想はしていたことだ。この街に一人きりの錬金術師だ。魔物から、人から隠して守るには、地下に閉じ込めるのが一番確実だ。太陽の暖かさも月光の優しさも感じることなく、薄暗い地下室でポーションだけを作り続ける。
二度と、『木漏れ日』に戻れなくても、迷宮を斃せるのならば。
そんな決死の気持ちでレオンハルト将軍の下を訪れたのだ。今更ひるむなんて、そんな事、自分に許されるはずもない。
マリエラはウェイスハルトの後に続く。
シューゼンワルド辺境伯家の地下室は広大で、廊下の両端に小部屋が設けられていた。
廊下自体も魔物の侵入に対する防壁としてだろう、幾つも扉が設けられている。廊下の扉は開け放たれてマリエラ達の通行を阻んではいないけれど、中に入ってしまったら、堅く閉ざされてしまうだろう。
まるで、逃げ出すことの出来ない牢屋のように、マリエラには思えた。
一歩一歩奥へと進む。前にはウェイスハルト。マリエラとジークを挟むように後ろにディックとマルロー。
一行が最奥の部屋にたどり着く。
「ここだ」
扉の前には迷宮討伐軍と思われる兵士が一人立っていて、マリエラに頭を下げた。
「取次ぎは彼が行う」
ウェイスハルトの紹介に、マリエラは軽く頭を下げる。見張りはこの人一人だけだろうか。
取次ぎの兵士は緊張した様子で頭を下げると、「準備は出来ております。どうぞ中へ」と扉をあけた。
案内された部屋にマリエラは唖然とする。
「準備……? なんの……」
5人が入ると少し狭く感じてしまうほどの小部屋には、ベッドも棚も、机や椅子さえも用意されてはいなかった。床には一枚の敷き布も無く、壁には何の装飾も施されていない粗野な照明がついているだけ。
人が暮らせるどころか、魔物の襲撃に逃げ込む準備さえ、その部屋には整えられていない。
そして、何より。
「グギャギャッ」
床面に開いた下り階段の穴から、マリエラを助けて尻尾の半分をなくしたラプトルが「おそいよー」とばかりに顔を出していた。
まさか、シューゼンワルド辺境伯家の地下も、地下大水道に繋がっていたなんて思わなかった。
いや、貴人の屋敷に複数の退避経路があるのは当然なんだろうけれど。
「地下大水道にスライムが大繁殖して以来、使用できなくなっていたんだが、中級魔除けポーションとは凄いものだ。中級魔除けポーションを持つものだけが使える退避路とは安全この上ない。兄上などは迷宮討伐軍の基地に行くのも地下を使おうと仰せでね。恐らくは地下を通ったほうが近いからあのような事を言っておられるのだろうが」
はっはっはとさわやかに笑うウェイスハルト。
「『木漏れ日』の地下への経路も確認してあります。迷宮討伐軍の基地の地下と迷宮2階も地下大水道に繋がっていますので、気付かれることなく基地へもこの屋敷へも移動できますよ」
にこやかに中級魔物除けポーションを差し出すマルロー。
ディックは無言のまま中級魔物除けポーションを振り掛けると、安全経路を確保するためにさっさと地下へと降りていった。
「えー?」
顔を見合わせるマリエラとジーク。
こうして、迷宮討伐軍と迷宮討伐を目指す『木漏れ日』での生活が、あんまり代わり映えのしない感じで始まった。
ざっくりあらすじ:木漏れ日の地下からいけるところが増えた。