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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第三章 芽吹き育つもの
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慟哭

 ラプトルに引き摺られるように階層階段へと移動するマリエラを、視界の端に捉えながらジークムントは剣を振るう。


 マリエラに向かうデス・リザードを引き付けるために、派手な魔法を打ち込んで自分に注意を引き付ける。

 マリエラを庇って腹を刺されたリンクスが、死に体の身をおして影使いのスキルでデス・リザードの動きを封じてくれるお陰で、何とか死なずに済んでいる、そんな状態だった。

 デス・リザードの爪を左腕のバジリスクの革鎧の部分で受け流す。デス・リザードより格上のSランクのバジリスク革の鎧を買い与えられていなかったら、とっくに肉片と化していただろう。バジリスク革の鎧はデス・リザードの爪の刺突を数センチ程度の深さに留め、何度も同じ場所を狙われない限り引き裂かれたりはしなかった。けれど鎧で覆われていない左上腕は何箇所も肉が削げているし、重要な臓器を傷つけてはいないけれど、腹にも背にも幾つも穴を空けられている。


 脚だけは逃げる時のために傷付き過ぎないように気をつけてはいるが、満身創痍以外に相応しい表現が無い状態ではあった。


(まだか……!)

 まろびつつも進むマリエラは、あと数歩で階層階段のあるフロアにたどり着く。


 リンクスを狙うデス・リザードに切りかかり、左2本の腕を切り落としながら、右腕の斬撃を左腕で受ける。ザグッとデス・リザードの爪が鎧を突き破って腕に刺さる。これは骨まで行っただろう。叫びだしそうな激痛を無視して、デス・リザードの右腕も切り裂き首を刎ね飛ばす。1体を葬っている間に別の二体の爪が背中に刺さる。


(まだか……!)

「ぐっ……ぷ……」

 口の中にこみ上げてくる血液を無理に飲み下す。吐きなどすればその隙に更に多くの攻撃を受けるハメになる。


(まだか……!)

 マリエラが安全圏へ退避するまでの僅か数秒の時間が、永遠のように長く感じる。

 まだかまだかと待ちながら、まだだ、まだ大丈夫だとジークムントは自らに言い聞かせる。


 迷宮都市に来た時は、マリエラに出会ってすぐのあの頃は、もっと酷い有様だった。あの状態には至っていない。だから、まだ自分は死にはしないと。自分が死なない限り、デス・リザードを引き付けていられる限り、マリエラは死ぬ事はないと、そう言い聞かせて気力を奮い立たせる。


 リンクスの動きがいよいよ怪しくなる。限界だ。そう思った瞬間、ラプトルの叫び声が聞こえ、マリエラが安全圏に逃げ延びた事を確認できた。


(リンクス! 今助ける!)

 左腕は千切れてはいないけれど、指一本も動かない。剣を離すわけにはいかないし、リンクスに迫るデス・リザードを倒す余力は既に無い。


(ままよ!)とリンクスを突き飛ばす勢いで体ごと突っ込んで、左肩に掬い上げる。すり抜けざまにデス・リザードの一撃が右足を襲い、肉がいくらか持っていかれる。


 けれど、まだ動く。まだ走れる。

 走れ! 走れ! 走れ!


 きっと間に合うから。

 マリエラが逃げ延びられたように、マリエラを助けてくれたリンクスも、きっときっと助かるから。


 マリエラを、自分の唯一の居場所を奪うかもしれない男を命がけで助けるなんて、半年前のジークならば考えもしなかっただろう。けれど、今ジークムントは心の底からリンクスに助かって欲しいと願っていた。


 マリエラに救われて素晴らしい主に出会えたと、耽溺にも似た思いに捕らわれた自分を叱責してくれた。怪我を治してもらっても、やせ細り心身ともに脆弱な奴隷風情に『マリエラの護衛』として接してくれた。

 リンクスがジークムントを『マリエラの守護者』に導いた。

 そしてなにより、アーリマン温泉での修行以降、何度も背を預けあって戦ううちに、ジークはリンクスの事を親友だと思うようになっていた。


「マリエラ! リンクスにポーションを!」

 倒れこむように安全地帯に駆け込んだジークとリンクス。



「リンクス!」

 マリエラは震える手で腰のポーチから上級ポーションを取り出して、リンクスの大穴の開いた腹部に振り掛ける。リンクスの顔色は死人のように真っ白で、血を失いすぎた体は無慈悲な迷宮の石壁のように冷たい。


(おかしい。ひからない。なおらない。きずぐちがふさがらない。

 リンクスが、目を、開けない。

 何時もなら、薄く光って傷口がふさがり、リンクスは目を開いてくれるのに)


 マリエラの心臓がバクバクと嫌な音を立てる。


「リンクスぅ……! しっかり! しっかりしてぇ! どうして、どうしてポーションが……!」

 きっとポーションが足りないんだ。

 そう思ったマリエラはもう一本取り出すと、今度はリンクスの口に注ぎ込む。ポーションは嚥下しなくとも、染み込むように体に取り込まれるものなのに、注いだポーションはそのままだらりと口からこぼれる。


(おかしい、おかしい、おかしい、おかしい。どうして、なんで、リンクスは目を覚まさないの)

 ぐるぐると回る思考にめまいがする。


「リンクス、リンクス、ねぇ、リンクスってば。起きてよ、ねぇ。お願い。ねぇってば。リンクス!」

 何本も、何本もポーションをかけてはリンクスを揺さぶるマリエラ。


「ねぇ、リンクス! ねぇ、聞こえてるんでしょう? ねぇ、やだ、やだよ。いやぁ……」

 ぼろぼろとこぼれるマリエラの涙がリンクスの頬をぬらす。


 マリエラの声が、願いが届いたのか。その時リンクスの目が薄く開いて、小さな声で呟いた。


「マ……リエ……、迷きゅ……、た……お…………、笑っ…………」


「リンクス? リンクス! リンクス、リンクス、リンクス!」

 リンクスに取りすがり、狂ったように名を呼ぶマリエラをジークがそっと制する。


「ジーク? どうして? 今、リンクス目を覚ましたじゃない。声だって……」

「マリエラ、リンクスは、もう……」

「いや……、いや、いやぁ。いやだよ、ジーク。どうして、どうしてリンクスがぁ……」


 ポーションは魔法薬。どれほど体力を失っていても、その傷をたちどころに治す。

 けれど、死者を蘇らせることは出来ない。


 ポーションさえ効かない命潰えるその瞬間に、リンクスが目を覚まし言葉を紡ぐことが出来たのは、大量に投与された上級ポーションの効果だったのだろうか。

 それとも、単に、最後に一目会いたいと、マリエラの顔が見たいと願ったリンクスの想いがなしえた奇跡だったのか――――。


「――――――――――――――――――――っ!!!!!」

泣き叫ぶマリエラの慟哭が、迷宮第23階層 常夜の湖畔に、悲しみを刻むように響き渡った。



************************************************************


 ジークムントは一本だけ残っていた上級ポーションで動ける程度に自らの傷を治し、ラプトルの尾の止血をすると、リンクスの亡骸をラプトルの背に乗せ、泣き続けるマリエラを左腕に抱きかかえるようにして迷宮を脱出した。


 迷宮の入り口で警鐘の任務に当たっていた兵士は、アーリマン温泉で顔を合わせたことのある者で、リンクスの状況を知るや、簡単な聞き取りだけでジーク達を解放し、黒鉄輸送隊に連絡するから、リンクスを連れて『木漏れ日』に帰るように言ってくれた。


 兵士の取り計らいにジークは深く頭を垂れると、未だ呆然と涙を流すマリエラを連れて、降りしきる雨の中『木漏れ日』へと歩みを進めた。


(雨が降っていて良かった)

 土砂降りの雨はヴェールのようにジーク達を覆い、その表情を隠してくれる。


『木漏れ日』に帰り着き、裏口から入ったジークたちに最初に気付いたのはアンバーだった。

 リンクスの亡骸を見、ジークから黒鉄輸送隊への連絡が迷宮討伐軍経由でなされている事だけ聞き出すと、一切を顔に出さず全てを差配してくれた。


「急用があったのよ。申し訳ないけど、今日は閉店させてもらうわ」

 そう言って常連客を帰して店を閉め、迎えの馬車が来たキャロラインに子供たちを送ってくれるように頼む。そうして『木漏れ日』から人がいなくなった後、ジークには着替えと怪我の手当てをするように言い、未だ魂が抜けたようなマリエラを風呂に入れて着替えをさせた。


 居間の一部を改築したニーレンバーグの診察台に横たえられたリンクスの顔は、少し困ったようで、けれど安心して笑っているように見えた。



 ディックを除く黒鉄輸送隊のメンバーはジークが着替えてすぐに『木漏れ日』に到着した。変わり果てたリンクスの亡骸を前に言葉を失くす一同。

 副隊長のマルローは治癒魔法使いのフランツと調教師のユーリケに素早く目配せをすると、無抵抗なジークに掴みかかるエドガンを鋭く制した。


 フランツはリンクスの亡骸の傷を検め、ユーリケはラプトルから情報を得ているのだろう。ジークに掴みかかったエドガンは、ジークの表情を見て振り上げた拳をジークに打ち付ける事も、そのまま下ろすことも出来ずにいた。


「どう、なってんだよ……」

 吐き捨てるようにジークに問うエドガン。マルローも「マリエラさんは? 無事なんでしょうね」と厳しい口調で問い詰める。


「マリエラは無事ですが、とても話せる状況ではありません。『幻睡香』をそのまま焚いて眠らせています。替わりに俺が、何があったかご説明します」

 ジークが状況を説明する。迷宮23階層にルナマギアの採取に行った事、突如現れたデス・リザード、ジヤの行動、そしてリンクスの――。

 すぐに戻ってきたフランツとユーリケがジークの証言が真実であろうと口添える。

 ラプトルはデス・リザードもジヤがマリエラを突き飛ばすところもちゃんと見ていて、その様子をユーリケに伝えていた。伝えると言っても言語で説明するほどの頭脳は無い。散逸的な画像イメージの集合体として、起こった状況をユーリケに伝えたに過ぎない。ユーリケが読み取ったラプトルの感情は、デス・リザードに対する恐怖と、ジヤに対する強い怒り、そして悲しい気持ちに満ちていた。

 リンクスが死んで悲しい。マリエラが泣いているのが悲しい。


 ラプトルが伝えた情報と、リンクスの傷の状態がジークの話を裏付けた。

「やっぱり、あの時殺しとくべきだったし?」

 吐き捨てるようにもらすユーリケ。


 遅れて駆けつけたディックはマルローから話を聞き、『デス・リザードが現れた』という辺りでギリリと奥歯を噛み締めて、血が出るほどに拳を握り締めていた。赤竜を倒せず撤退した影響だと気がついたからだ。


「今日のところは、リンクスを連れて帰ります。ジーク、あなたも疲弊しているでしょうが、自分の務めはわかっていますね? マリエラさんのフォローをなさい」

「はい」


 マリエラのフォローを申し付けるマルローにジークは深く頭を下げる。リンクスを助けられなかった、ふがいない自分にまだマリエラの守護を任せてくれる、信頼にも似たその配慮に深い感謝を感じて。




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生き残り錬金術師短編小説「輪環の短編集」はこちら(なろう内、別ページに飛びます)
改定&更新中!『俺の箱』もよろしくお願いします(なろう内、別ページに飛びます)
― 新着の感想 ―
小説だからと言って 主要人物が死なない。 なんて事は無いんでしょうが…。
[良い点] 久しぶりにWEB版を見に来ました。 やっぱりリンクスが大好きで、やっぱりここで泣いてしまいます。 何度も読んでいるのに心にきます……
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