停滞
調べれば調べるほどに56階層 火の山の階層の攻略方法が見つからない。
ウェイスハルトは未だかつて無いほどの、壁に突き当たっていた。
ワイバーンの素材を使ってマスクや防護服は準備した。階層階段から広場までの広い通路を冷やし、岩石を取り除いて行軍しやすい環境も整えた。
しかしそれだけだ。
『歩く火の山』がいる広場は広大で、全て冷やすことなどできはしない。
何より通路から広場へと出て散水を始めると、ドラゴンが飛んできてブレスを放ってくるのだ。しかも広場にはあちこちに溶岩溜まりが湧き出しているから、散水や氷魔法を駆使して何とか広場の一部を冷やしても、あっという間に戻ってしまう。まさに焼け石に水といった有様だった。
高温環境で活動できるポーションは無いものかとニーレンバーグが錬金術師に問い合わせたところ、『氷精の加護』という薄い氷の皮膜を生じて熱気を防ぐポーションと、『竜人薬』という過酷な環境下でも活動できる竜人という種族に近い体に変身できるポリモーフ薬の一種があるという回答が得られた。けれど『氷精の加護』は特級ポーションで錬金術師は作れないし、『竜人薬』は上級ポーションではあるが材料に赤竜の鱗が必要だ。赤竜とはまさしく56階層に住み着いているドラゴンで、うろこが手に入った時には、『竜人薬』は必要がなくなっているだろう。つまりどちらも使えない。
丁度帝都に到着した黒鉄輸送隊に連絡を取って、赤竜の鱗の情報収集を依頼しているが、Sランクの魔物の素材など、そう出回るものではないから望みは薄いだろう。
今しがたウェイスハルトの執務室を出て行った斥候部隊の報告も芳しいものではなかった。
灼熱の空間は蟲使いの蟲を焼き殺してしまうし、音使いの調査も目視結果を裏付ける程度の情報しか得られていない。新たにわかった事と言えば、溶岩の広場全域が赤竜の索敵範囲らしく、階層階段の通路から『歩く火の山』がいる広場に出たとたん、赤竜がすっ飛んでくるということだけだ。
56階層の気温を下げたのが気に入らないのか、ちょこまかと動く人間にイラついているのか、通路に向かって吐き出されたブレスによって、通路の整備作業を行っていた奴隷十数名が焼け死に、斥候及び工兵部隊にも甚大な被害がでたとの報告さえあった。甚大な被害とは、『上級ポーションでは回復できない身体欠損』である。
被害の状況から見て、赤竜はSランクでも上位の個体と見て間違いないだろう。
(この半年が順調すぎたのだ。迷宮攻略で人的被害が出るなど、当然の事ではないか。バジリスクどもにどれ程の兵が喰われたことか)
そのように考えても、割り切れるものではない。
(やはり、S,Aランク戦力を当てるしか……。しかし)
ウェイスハルトは帝国の上位冒険者の資料を取り出す。閲覧が厳しく制限された秘密資料である。
そのような機密書類にも関わらず、確認されているSランク冒険者3名のうち所在が明確なのは一人だけ。
金獅子将軍 レオンハルト・シューゼンワルド。
単騎での戦力はAランクだが、チームの能力を引き上げる『獅子咆哮』のスキルを加味して辛うじてSランクの判定を受けている、ウェイスハルトの兄だ。
残る二人のうち、『隔虚』は十年以上前に姿を消して以来消息がつかめないし、もう一人の『剣聖』は弟子達と共に帝都の北の果ての険しい山に居るらしいが、生死は不明。生きていたら100歳をとうに超えている。
Sランカーが姿を消したり、並の人間では立ち入れない秘境に身を置く理由は言わずもがなだろう。現実の迷宮討伐軍では為す術もない赤竜であるが、『隔虚』であればそのブレスを防ぎうるだろうし、全盛期の『剣聖』の剣戟は、天を往く赤竜を地に落とし息の根さえも止め得ただろう。そのような人外の力を持つ個人が平穏に暮らせるはずはないのだ。取り込もうとする権力者、取り入ろうとする野心家は後を絶つまい。
レオンハルトでさえ、辺境伯家、迷宮討伐軍将軍という立場にある公人であり、迷宮に縛られているからこそ、ある程度の自由があるにすぎない。
迷宮都市にいるAランクの戦力は迷宮討伐軍にウェイスハルトを含め数名と、黒鉄輸送隊のディック、冒険者ギルドマスター破限のハーゲイ、雷帝エルシー……。
最強戦力を当てるということは、万が一失敗すれば迷宮攻略が停止するどころか、迷宮都市自体に甚大な影響を及ぼしかねない、ということだ。赤竜に対する有効な攻撃方法があれば別なのだが、遠距離からブレスを吐いて来る赤竜に有効な攻撃は、自分の魔法かエルシーの雷撃くらいだろう。それで果たしてやつを大地に引きずり下ろせるだろうか……。
「失礼します。迷宮都市の次期の予算書をお持ちいたしました」
思案するウェイスハルトに側近が書類を届けに来る。迷宮都市の内政を取り仕切るのもウェイスハルトの仕事だ。手渡された資料を手早く可決と否決に分けていくウェイスハルト。
「ん? これは」
「不備がございましたか?」
ウェイスハルトの負担を減らすため、書類上の不備はあらかじめチェックされているのだが、抜けがあったかと側近が尋ねる。
「いや、不備ではない。孤児院の予算だが、例年に比べ少なくはないか?」
「はい。それが出産予定者の数が減少しておりまして。なんでも、市井の薬の質が向上したとかで」
「な……、その薬の出所は?」
「アグウィナス家のご令嬢が共催している薬屋が発祥のようですが、今では大抵の薬屋で入手できるようでして……、あの、販売停止命令を発令しますか?」
アグウィナス。その名を聞いたウェイスハルトは激しい頭痛に襲われたようにこめかみを押さえた。
(販売停止命令など、出せるわけが無い……)
マリエラが公開した薬の作り方、開催した勉強会は高い成果を上げていた。僅か半年足らずの期間ではあったが薬の質は向上し、薬の製法を応用した種々の効果の高い薬も売り出されるようになった。製造を助ける魔道具が幾つも開発されたことも大きかっただろう。
新たな製品の成長初期というのは開発しろが大きい分、脚を引っ張り合うよりも他者が手がけていない分野に手を伸ばしたほうがよほど儲けが大きい。それまでは効果が低いと余り使われなかった傷薬や飲み薬、魔物に効果のある煙玉といった製品は、効果が高くなった事で下級冒険者達の必須アイテムとなって消費量が増加し、良いものを作れば儲かるという理想的な図式が出来上がっていた。
迷宮都市の市民の薬に対する理解もうなぎのぼりで、病気による子供の死亡率も低下していたのだが、それ以上に顕著であったのは、出生率の低下だった。
娼婦たちが薬によって自衛するようになったのだ。
それ自体は望ましいことなのだが、人口の増加に悩む迷宮都市においてそれは長期的に見ると死活問題といえた。このところ迷宮討伐軍の迷宮討伐における死亡率は低下しているが、迷宮都市全体で見ると迷宮で命を落とす者は多いのだ。生きて迷宮から戻れたとしても怪我を負い、二度と迷宮に潜れない体になる者も少なくない。
だからこそ、倫理的に問題があろうと人口増加対策を推し進めて来たというのに。
(キャルに避妊薬の製造をやめろなどと、いえるはずが無い……!)
昨日だって、「まぁ、ウェイス様はお優しいですわ! そんなところも、私……」ともじもじと上目遣いで微笑みかけてくれたのだ。ほんのりと紅に染まった頬、潤んだ瞳のなんと愛らしかったことか!
(いや、あれは、幻睡香で見た夢だった……!)
兄レオンハルトや部下達が自分の分の幻睡香をこっそりくれるものだから、つい毎日使っているけれど、あの水煙草は危険かもしれない。本物のキャロラインにおかしな言動をとる前に使うのをやめるべきか。
そんな小さな悩みが増えたウェイスハルトだったが、この案件に関しては、取れる手だてが残されている。赤竜討伐よりよほど容易な解決法だ。
「庶民向けの学校の整備を。読み書き算数と戦闘の初歩は全員必須で。若年冒険者の負傷率、死亡率を半減できるよう、会議体を設けて検討を。初めは見切り発車で構わん。1ヵ月後には試験的にでも開校できるように至急進めよ」
人口が増えないのならば、死亡率を下げるしかない。
今までならば予算が足りずとても手が回らなかったが、帝都並みの価格でポーションが手に入るようになったお陰で、安定してバジリスクの革をはじめ迷宮深層の高価な素材が得られるようになり、少しばかりの経済的な余裕も出来た。戦闘系スキルを持たない人間でも、闘い方を習っていればゴブリンの1体くらいは倒せるものだし、階層毎の生態系と正しい対処方法を知っていれば採取なども行える。今までは、迷宮都市に住んでいても迷宮に潜った事のない市民は大勢いたが、そう言った人々が浅い層であっても迷宮に潜るようになれば、迷宮都市はもっと豊かになるかもしれない。
残る書類を次々処理していくウェイスハルト。かつて頭を悩ませた迷宮都市の内政に関する諸問題は、今ではすらすらと対処方法がわかる。けれど赤竜の攻略方法だけは、糸口さえつかめなかった。
今日もウェイスハルトの寝室からは、愉快な寝言が漏れ出して、側近たちは迷宮やらポーション以外に守らねばならない秘密が増えるのかもしれない。
火山階層の攻略に悩むウェイスに出生率が下がったとの追加連絡が。迷宮での死亡率を下げるため学校の開設を指示する。あとウェイスハルトの夢の中身が明らかに!