9.死霊一揆
ついに、死霊が仇である白菊姫の館に押し寄せます。
白菊姫は作左衛門と共に逃げ出しますが、作左衛門は白菊姫への邪な想いを遂げようとチャンスを狙っていました。
白菊姫の命令に従い、数人の侍たちが村人たちに斬りかかる。
月の光を反射して白銀に輝く刃が、村人たちの腕や足を薙ぎつける。
しかし、片方の腕がなくなっても、先頭にいた男はもう片方の手で侍の袖を掴んだ。
「くそっ……放せよ!!」
侍が振りほどく前に、男はぬーっと侍の体に顔を近づけた。
「え、おい……?」
妙な動きに驚いて侍が動きを止めた次の瞬間、耳を破らんばかりの絶叫が庭に響いた。侍の胸から、勢いよく血が噴き出す。
「きゃあああ!!?」
白菊姫の側に控えていた女中たちが、あまりの恐怖に逃げ出した。
男は、侍の胸を口で食い破ったのだ。
他の侍たちも、ポカンと口を開けてそれを見ているしかなかった。
そうやって手を止めているうちに、何人もの村人たちが侍たちに掴みかかる。侍たちが気づいた時には、もう遅かった。
壁のように迫って来る村人たちの手が、めいめい勝手に侍たちの体の肉をちぎった。あれよあれよという間に、侍たちの腹が引き裂かれ、腸があふれ出す。
村人たちの手があっという間に、臓物を掴んでバラバラに引きちぎる。
そうして手に持った肉片を、村人たちは口に運んだ。
その一部始終を目にして、白菊姫はがたがたと震え出した。
今目の前で起こっている事は、にわかには信じられないが……。
(こ、こやつら……人を、食っておるのか?)
侍たちが食われている間にも、庭の仕切りの扉からは後から後から村人たちが流れ込んでくる。濁ったようなうつろな目をして、足を引きずりながら白菊姫に歩み寄ってくる。
「姫、早う逃げるんじゃ!!」
気が付けば、白菊姫の手は作左衛門に引っ張られていた。
白菊姫はそこでやっと我に返ったが、もはや庭の半分以上は村人たちに埋め尽くされていた。
「こっちじゃ!」
作左衛門は白菊姫の手を強引に引っ張って、屋敷の奥に走り出した。
「待って、わらわの菊が……!」
我に返って白菊姫が気にした事は、あいも変わらず菊の事だった。
作左衛門に手を引かれながらも、何度も何度も庭の方を振り返る。
侍たちが食われた時は、ついそちらに目がいってしまった。しかし白菊姫にとって重要なのは、村人たちに踏み荒らされた菊の事だった。
「ああ、何と言うことじゃ……あの庭の菊はまだあんなに蕾をつけておったのに!!
あれほど手塩に掛けて育てたものを……」
こんな命の瀬戸際でもうわの空の白菊姫に、作左衛門は諭すように言った。
「菊はまた来年、もっといいのを育てれば良い!
姫が生きてさえおれば、年ごとに見事な菊が見られるわい。
菊は踏まれようがむしられようが、来年になればまた芽を出す。しかし姫の命がむしられてしもうたら、もうあんな良い菊はできんのじゃ」
「作左衛門……!」
白菊姫はびっくりしたように目を丸くし、それからはにかむように目を細めて、細い指で作左衛門の手をきゅっと握った。
その感覚に、作左衛門は心臓が飛び出しそうになるほど高鳴った。
(うひょおうおう!白菊ちゃんは本当に可愛いの~!
しかし、これで白菊ちゃんはわしのものじゃ!!)
この一揆のおかげで、白菊姫の両親は死んだ。
だったら、これからは白菊姫を引き取っていつでも眺めていられるではないか。
そしていつかこの夜の恩返しに、白菊姫の抜けるように白い体をこの指で余すところなく……そう考えると、作左衛門は走りながら前かがみになっていた。
白菊姫は世間知らずで、その上他人の思惑など気にもかけない娘だ。
彼女は、ただ満足のいく菊を育てる事ができれば、その裏にどんな邪な謀があるかなど考えもしない。
菊さえきれいに花をつければ、後々自分がどんな代償を支払うかなど考えようともしない。
その結果が、まさに今のこの危機だ。
それでもまだ、白菊姫は菊の事しか頭にない。
こんな姫のことだから、きっと自分の邪な想いにもそれが叶う日まで気づかないのだろう……作左衛門は、自信たっぷりにそう思っていた。
しかし、作左衛門がその想いを叶えるには、まずこの危機を切り抜ける必要があった。
屋敷の奥に向かってひた走る作左衛門と白菊姫の後ろからは、めりめりと障子が破れ、ふすまが倒れる音が聞こえてくる。
どうやら、村人たちは追って来ているようだ。
それも、大勢で屋敷を所かまわず壊しながら。
(こりゃ、この屋敷はもうもたぬな……よし、さっそく愛しの白菊ちゃんをわしの屋敷に連れて行くとするか!)
作左衛門はこれでも、村の代官である。
そのため白菊の家より多くの兵がいるし、家の守りも固い。
これだけ条件が揃っていれば、ここで姫を連れ去っても誰も文句は言うまい。
作左衛門は汗ばんだ手で白菊姫の手を握ったまま、裏口へと続く廊下を曲がった。
そしてその先に目を向けた途端、これまでのにやけた笑みは跡形もなく消え去った。
廊下の先に、何かが佇んでいた。
始めは、それが誰だか分からなかった。
だが、障子ごしにうっすらと差し込む月明かりが、徐々に彼女の姿をあらわにしていった。
頭には古めかしい金箔のはがれ落ちた冠、身にまとうのは黄ばんだ白い衣に赤いはかま……そして手には、神社で神事に使う宝剣が握られていた。
握っている白菊姫の手が、がたがたと震え始めた。
「野菊……おぬし、野菊なのか……!?」
彼女の目は落ちくぼみ、顔も体も別人のようにやせ衰え、肌は血の気を失っていた。
いつもきれいにまとめられている髪をボサボサに振り乱し、その姿はまるで幽鬼のようだ。
それでも、白菊姫には分かった。
これは、自分の親友だった野菊だ。幼い頃に出会ってから、長い時間を共に過ごしてきた、たった一人の友だ。
野菊が病気で倒れた時も、両親の制止を振り切ってお見舞いに行った。その時の野菊は、こんな感じでやつれていたっけ。
だが、今はその時とは違う。
目の前に立ち塞がる野菊の目は、明らかな敵意を放っていた。
そして、手にしている宝剣は何か暗い炎のようなものをまとっていた。