7.黄泉の依代
どうにも止まらぬ白菊姫の暴挙に、村人の犠牲は増えるばかり、恨みは募るばかりです。
死者の声を聞ける野菊の精神は、そんな村人たちの声に耐えきれなくなっていきます。
そして、野菊はとうとう己の巫女としての力を使い、白菊姫に罰を下すことを決めます。
その話を聞いた村人たちは、ますます白菊姫を憎んだ。
そして、恨みと憎しみに心を焦がしながら死んでいった。
死霊となった彼らの声は、野菊の心を蝕んでいった。
(憎い、憎い、白菊姫が憎い!!)
(どうか白菊姫に我々と同じ苦しみを!!)
野菊の心にも、それに抗う力は残っていなかった。
自分はこんなにがんばっているのに、白菊姫は何も分かってくれない。分かろうともしてくれない。きっと村人がみんな死んでしまっても、白菊姫は平然と菊を愛でているのだろう。
白菊姫に民の気持ちを分からせるには、同じ苦痛を味わわせるしかないのかもしれない……。
野菊自身も、ぼろぼろに傷ついた心でそう思い始めていた。
野菊は無残に骨の浮き出た体を引きずるように立ち上がり、両親に告げた。
「私……白菊に現黄泉の術を行います。
村が死ぬのを止められなかった償いに、白菊を殺して自分も黄泉に落ちます」
両親は必至で止めようとしたが、膨大な数の亡霊にとりつかれている野菊には通じるはずもなかった。
両親と妹は涙をのんで、その忌まわしい術の準備を始めた。
現黄泉の術とは、この神社の神であるイザナミの力を借りた、恐ろしい術である。
イザナミの力によって黄泉から死者の魂を引き戻し、死体に宿らせる。
そうして起き上がった死体に傷つけられて死んだ者もまた、魂が黄泉に下ることを許されず、死体としてさまよう。
しかも、傷つけた者が死ぬときに味わった苦しみと同じ苦痛を味わいながら……。
(ねえ、白菊……あなたもこの飢えと渇きを味わって……)
野菊にはもう、それが自分の意志なのか亡霊の意志なのか分からなかった。
ただ白菊姫への恨みだけが、野菊を動かしていた。
現黄泉の術には、最初に黄泉から呼び出す死者が必要だ。
しかし、今村には数百もそんな死者がいた。
野菊は、彼らに恨みを晴らす機会を与えてやることにした。
つまり、起き上がった彼らの死体に白菊姫を襲わせるのである。
その時、自らもイザナミの力を体に受け、依り代となる者が必要である。
これは、野菊自身がやることにした。
依り代になった人間もまた、命を失うことになる。
命を失ってイザナミの配下に入り、起き上がった死者たちを率いることになる。つまり、黄泉の将になるということだ。
しかし、これは野菊にふさわしい役目だった。
自分は白菊姫の友人だった、それにも関わらず白菊姫を止められなかった。
自分は村を守る巫女だった、それにも関わらず自分は村を守れなかった。
ならばせめて、白菊姫の引導は自分が渡すべきだ。
野菊の乾ききったほおに、一筋の涙が伝った。
決行は九月の満月、黄泉とつながる月の力が最も強い夜である。
その日に備えて、野菊はイザナミに祈りながら断食を始めた。
イザナミの力をより強く受けるためには、生きていてもできるだけ黄泉に近い状態になっておくことが望ましい。
野菊の体は、これが年頃の娘かと思うほどにやせこけて変わり果てていった。
しかし、その目の奥には数多の亡霊たちから受け取った恨みの炎が満ちていた。
艶を失った髪を振り乱し、枯れ木のようになった手足を振ってイザナミに祈る姿は、それ自体が黄泉から来る幽鬼に見えるほどであった。
わずかに生き残った村人たちは、そんな野菊を狂ったようにあがめた。
もうすぐ、あの白菊姫が地獄に落ちる日が来る。
それだけが、村人たちの喜びだった。
やがて、風が少し涼しくなってきた。
月も満月に近づいてきた。
そしてあと数日で満月という時、ようやく村に雨が降った。
雨はカラカラに乾ききった村を潤し、乾き切ってミイラになった死体をふやかした。
水を含んだ死体はようやく腐り始め、満月の日には村の各所から腐臭が漂っていた。
一方、白菊姫が手塩にかけて育てた菊は、今が盛りとばかりに咲き誇っていた。
今まで固く閉じていた蕾が、ここ数日の雨で一気に花開いたのだろう。自慢の菊畑には、大輪の菊が咲き乱れていた。
その日の夕方、生き残った村人たちは皆神社に集まった。
野菊が、そうしろと伝えたのだ。
村人たちが神社に入ると、野菊の両親はお神酒にひたした榊を持ち、神社をぐるりと囲うように地面をなぞって歩いた。
「今宵、ここから先は黄泉へと変わる。
命が惜しい者は、ここから一歩も出ぬように」
平坂神社の中にだけは死霊が入れないように、結界を張ったのだ。
野菊は泣いてすがってくる妹の頭を、優しく撫でながら告げた。
「これから、この平坂神社はおまえが受け継いでいくのよ。
私は白菊と一緒に、黄泉に落ちてしまうから。
おまえはこれから、この村が続く限り毎年、この日は平坂神社に結界を張りなさい。
一度発生した死霊は、今宵限りで消える訳ではないの。彼らの苦痛を思い出させる事があるたび、死霊は何度でもさまよい出てしまう。
だからおまえとその子孫は、代々この村を死霊から守るのよ」
妹は、涙ながらにうなずいた。
野菊はそれを見届けると、いよいよ祭壇の前に立った。
そして、現世の空気を名残惜しむかのように、一度大きく深呼吸した。
(さようなら、私の愛した多くの人々よ!)
野菊は枯れて死んだ榊の枝を握り、一気に黄泉へと意識を飛ばした。
ここまで閲覧ありがとうございます。
明日からついにゾンビが出るので、お楽しみに!