6.断たれた水
白菊姫は、自分の育てる菊のためにあらゆる諫言を無視して水をかき集めてしまいます。
さらに、そんな白菊姫に不純な動機で肩入れする村の有力者がいました。
そんな力を持つ者たちの暴挙で、村はどんどん荒れ果てていきます。
野菊の交渉も失敗して、村の人々はいよいよ打つ手がなくなった。
野菊の父である神主も交渉に行ったが、それでもらちが明かなかった。白菊姫の両親もまた、白菊姫の育てる菊に期待をかけていたのである。
白菊姫の家はもともと、大名家とは縁の薄い、出世をあまり望めない立場だった。
しかし、白菊姫が育てた菊の素晴らしさが知れ渡るにつれ、白菊姫の家には藩の重臣たちが訪れて目をかけるようになったのである。
願ってもない出世のチャンスに、両親はますます姫をかわいがった。
両親にとっては、白菊姫の育てる菊は出世への道そのものだったのだ。
これでは、村人たちの要望など聞けるはずもない。
そうして、何もできぬまま時は過ぎていった。
草の葉におりる露もなく、その草すら茶色く枯れかけたある日の朝、一人の村人の叫び声が響いた。
「おーい、川の水が枯れてるぞ!!」
なんと、村を流れる川の水が全くなくなってしまったのだ。
昨日まではまだそれなりに流れていたのに、一夜にして干上がってしまった。これでは、田畑に水をひくことはできない。
泉の水はもう限界だし、このままでは渇きで死ぬのは時間の問題だ。
その話は、すぐさま平坂神社にも知らされた。
「ばかな、早すぎる!
山からはまだ水が出ているはずなのに……」
野菊もすぐさま川に向かった。
野菊には、嫌な予感がした。
山から流れ出る水というものはゆるやかに減るもので、こんなに急に枯れることはないはずだ。だとしたら、何者かが人為的に水を閉ざした可能性がある。
この川の上流には、水門があったはずだ。
不幸にして、野菊の予感は当たってしまった。
「水門が……閉まってやがる……!」
野菊とともに水門を見にきた村人たちは、目の前の光景にあぜんとした。
村に流れ込む川の水門が固く閉じ、水を阻んでいる。しかもその水門の周りには、槍や刀を持った侍がうろうろしていた。
「この水門を管理してやがるのは……代官の作左衛門だ!!」
「あいつ、白菊姫に惚れてるって噂だぞ。
さては……!」
村人たちの予想どおりだった。
このままでは菊を育てるのに十分な水が手に入らないと悟った白菊姫は、水門を管理する代官の作左衛門に頼んだのだ。
作左衛門はもともと白菊姫に邪な心を抱いていたので、二つ返事で承諾した。
そして、白菊姫のために水門を閉じ、水をせき止めてしまったのだ。水門の上にたまっている水はもちろん、白菊姫のものである。
これで村の人々には、ほとんど水が手に入らなくなってしまった。
だが、侍に逆らえば殺されるだけだ。
村人たちは、固く閉ざされた水門を黙って見上げることしかできなかった。
それから数日で、村の田畑は枯れ果てた。
さらに数日で、村には死人が出始めた。
村にはもう、余分な水は一滴たりとも残っていなかった。あるのは飲み水だけで、料理や洗濯に使う水もなくなってしまった。
子供たちは飢えと渇きに耐えかねて枯れた川で死にかけのどじょうやカニを食べ、食中毒を起こし、薬も余分に飲む水もなく吐き下して死んだ。
老人は粥を柔らかく煮ることもできず、喉につまらせて死んだ。
野菊は家々の葬式とおはらいで、目が回るほど忙しくなった。
それでも野菊はひまを見つけては、死体の間をぬって白菊姫の屋敷へ走った。
「お願い聞いて白菊、村が死体でいっぱいなの! これからもたくさん人が死ぬの! あなたが水を解放すれば、みんな助かるのよ!?
白菊……あなた自分が何をしているか分かってるの?
ねえ答えて、白菊―っ!!!」
くる日もくる日も、村では人が死ぬ。
生きている人間ももはやそれを葬る力もなく、村は死体に埋め尽くされていく。
そして、餓死した人の怨念に覆い尽くされていく。
(水が欲しい、誰か、水を…!)
(うええーん、喉が渇いたよお! お腹空いたよお!)
(いやあっ私の赤ちゃんがぁーっ!!)
野菊の耳には、亡霊の声がうるさいほど聞こえ続けるようになった。
耳を塞いでも目を閉じても、野菊の高い霊力は逃れることを許してくれない。
眠りにつけば餓死した者の苦痛を夢見て目が覚め、粗末な食事を前にしても死者たちを思うと喉を通らなかった。
日に日にやつれていく野菊の姿に、家族も村人たちも皆心を痛めた。
そして、村人たちでけでは飽き足らず、それを救おうとがんばる野菊をもひどい目に遭わせる白菊姫を心の底から恨んだ。
今や村中の怨念は、白菊姫に向かっていた。
しかし、当の白菊姫はそんなことまるで理解できなかった。
今日も輿に乗って代官である作左衛門の屋敷を訪れ、水のことを感謝しつつ今年の菊について熱く語っていた。
「今年は水さえあれば、見事な菊が咲きそうじゃ。
なにしろこの日照り、日光の量は申し分ない!
菊が咲いたら、今年は作左衛門様をお月見に招待いたします。
今年の菊はほんに、作左衛門様に育てていただいたようなものじゃ!」
興奮気味に話す白菊姫の姿に、作左衛門はごくりと唾を飲んだ。
(いやあ……まことに白菊ちゃんは上玉だのう~!)
作左衛門は白菊姫に下心を持っていたが、白菊姫は気づかなかった。
というより、白菊姫は水さえもらえれば相手の気持ちなどどうでもいいのだ。
死体だらけの村で、二人は楽しげに笑いながら茶を飲んでいた。
村中が苦しんでいる中で、どうにかそれを救おうと立ち上がった者もいた。
村の庄屋が、村人たちの命には代えられぬと家財を全て売り払い、小さな箱に黄金色に輝く小判を一杯つめて作左衛門に贈ろうとしたのだ。
つまり、賄賂である。
作左衛門は強欲であるからして、この作戦は成功するかと思われた。
「お代官様、どうぞこれをお納めください。
山吹色のお菓子でございます」
庄屋が包みを開くと、まばゆいばかりの黄金の輝きが作左衛門の目を射た。
「どうかこれで、水門を開いていただきたいのです。
叶えていただければ、これからも協力は惜しみませぬぞ!」
すると、作左衛門はニヤリと悪どい笑みを浮かべた。
そして、いきなりその小判の箱を蹴とばしたのだ。
「え?」
あっけにとられる庄屋を見下ろし、作左衛門はいやらしい顔で言った。
「ふん、こんなはした金で白菊姫を捨てさせようなど、笑わせる!
貴様らにあの娘の価値が分かるものか。
白菊ちゃんの透けるように白い肌、すべすべした手、艶めかしい黒髪、それにあの鈴のような声……うほほほほ、たまらんわい!」
限りなく卑猥な顔をして、作左衛門は小判を踏みつけた。
「百姓など、いくら死んでも金をまけばまた集まってくる。
しかし、あの娘の笑顔はいくら出しても買えぬのじゃ!
あの娘と仲良くなるには菊を育てるのが一番じゃ。そのために、わしにはどうしても水が必要なのが分からんのか!!」
結局、庄屋は何の成果もなくつまみ出されてしまった。
作左衛門が白菊姫に抱いている劣情は、それほどまでに強かったのである。
庄屋が帰ったあと、作左衛門はこれ以上ないくらい鼻の下を伸ばしてつぶやいた。
「ふひひひ、これでまた白菊ちゃんと仲良くなれるわい。
いつか、可愛い白菊ちゃんのお尻の菊も見せてもらいたいもんじゃのう!」
作左衛門は、小判も効かぬほどの色気違いだったのである。