5.野菊
もう一人のキーパーソンである、巫女の野菊が登場します。
白菊姫と年が近く仲の良かった野菊は、黄泉の女王を祀る神社の巫女でした。
彼女は、村人たちの願いを聞いて白菊姫との交渉に向かいますが……。
しかし、村人たちもこのまま引き下がるわけにはいかなかった。
このまま水を独占されてしまったら、自分たちは死を待つのみだ。
何か手を打たねばならない。
「神社の巫女様に相談してみたらどうだろう?」
村人の一人が言った。
この村には、大きくはないが昔からある由緒正しい神社がある。そこには当然のことながら、神主の一家が暮らしている。
迷信も信心も深かったこの時代、神職にはそれなりに力があった。
白菊姫の持つ武力に対抗できる可能性があるのは、この神職の人間である。
しかもこの神社の姉巫女は、白菊姫と歳が近く割と仲も良いというではないか。もしかしたら、この巫女の言葉になら、白菊姫は耳を貸すかもしれない。
それは今の村人たちにとって、限りない希望だった。
村人たちは白菊姫の屋敷から帰るその足で、村唯一の神社に向かった。
何とか巫女の力を借りて、白菊姫を説得してもらわなければならない。そうでなければ自分たちは、飢えと渇きで死ぬだけだ。
汗だくになって歩く村人たちの上に、今日も雲一つない青空が広がっていた。
その村にある神社は、平坂神社といった。
平坂とは、死者の世界である黄泉へとつながる道、黄泉平坂のことである。
平坂神社には、日本の最初の女神であり今は黄泉の国にある死の女神、イザナミが祀られていた。
そのため、この神社の仕事は主に人の死にまつわることである。
例えば赤ん坊が急死した時、身元不明の死体が見つかった時、近しい人が死んでから不幸が続く場合などにおはらいをするのが主な仕事だ。
また、特に霊力の高い者は死者の声を聞くこともできるという。
今この神社の巫女をしている野菊という娘も、その力を持つ一人だった。
野菊は神殿で、今日も必死に祈祷をしていた。
あかあかと燃える炎の前で、神に捧げる榊の枝を振る。
朝早くからずっと祈り続けて、それでもまだ祈り続ける。
そんな野菊を見かねたのか、母が入ってきて悲しそうに言った。
「もういいのよ、もうやめなさい。
私たちの神通力は、死者や黄泉の神々にしか通じないのよ。
だから私たちがいくら祈っても、雨土の神々には伝わらない。私たちには、雨乞いの祈祷はできないのよ!」
母に言われて、野菊はがくりと膝を折った。
「だめなの……聞こえるのよ!
黄泉の神々が、今年はもっと人が死ぬと言っている。
今年はまだまだ雨が降らない、山の水が枯れる寸前まで雨が降らない!! もう他の村ではあんなに人が死んでいるのに!!」
野菊には、すでに飢え死にした霊たちの声が聞こえていた。
だからこそ、効かないと分かっていても、祈らずにはいられなかった。
憔悴しきった野菊に、父である神主が水を持ってきて言った。
「そうだ、祈るばかりが仕事ではない。
村の者たちが、おまえに相談があるといって来ておるぞ。少し休みながら、村人たちの相談を聞いてあげなさい」
野菊が出ていくと、村人たちは一斉に野菊に頭を下げた。
自分はこんなに期待されているのにと、野菊はますます胸が痛んだ。
しかし、村人たちの相談は雨乞いのことではなかった。
村人たちの話を聞くと、野菊はがっくりと肩を落とした。
「そうですか、白菊が……」
まだ村に水はある。
川も水量は少なくなったがまだ流れているし、泉も大きなところはまだがんばっている。問題は、白菊姫が菊のためにそれを独占しようとしていることだ。
今ある水を大切に使えば、今年を乗り切ることはできるかもしれない。
しかし、白菊姫があの調子では……。
野菊は、大きなため息をついた。
(いつか、こうなるんじゃないかと思っていたわ……)
野菊は、昔から白菊姫のことをよく知っている。
野菊は昔から、白菊姫の友達だった。
この村は他の村と離れているせいで、白菊姫には同世代で同じ身分の友達ができなかった。そこで、神職の野菊が友達になったのだ。
野菊は昔から、何度も白菊姫の屋敷に遊びに行った。
白菊姫が育てた自慢の菊を見せてもらったことも、昨日のように覚えている。
しかし、長く付き合ううちに、白菊姫が菊のことになると見境をなくすこともよく分かってきた。実際、ちょっとしたことで烈火のように怒られたこともあった。
だから野菊は、白菊姫とは常に一定の距離を置いてきた。
彼女は悪意に満ちた人間ではない。
だが、彼女の考えに過度に同調してはいけない。
白菊姫はずっと狭い世界で、菊だけを見て育ってきた。
だから、白菊姫は菊をほめられることが何よりの喜びになってしまった。菊をほめられることが、自分をほめられることと同じになってしまった。
つまり、白菊姫にとっては菊が全てで、それ以外の善悪を知らないのだ。
野菊はこの村の誰よりも、そんな白菊姫の心を知っていた。
それでも、野菊は村人たちの頼みを承知して、白菊姫に会いにいった。
白菊姫を思うからこそ、忠告せずにはいられなかった。
「何、野菊が来たと?
久しぶりじゃのう、すぐわらわの部屋に案内せよ」
野菊が行くと、白菊姫は子供のようにはしゃいで出迎えてくれた。
だが、野菊の目は笑っていなかった。
野菊は神に仕える者として、村のためにここまで来たのだ。
黄ばんではいるが白い衣に真紅のはかま、頭には金箔のはがれ落ちた冠をかぶって、神事に使う宝剣を帯びていた。
野菊は白菊姫と向かい合って座ると、深く一礼して申し上げた。
「白菊様、本日はお友達の野菊ではなく、巫女の野菊としてここに来ました。
村にとって大切なことで、ご相談があります」
それを聞くと、白菊姫は少し不機嫌そうな顔になった。
村でただ一人の友達が久しぶりに遊びに来てくれて、また菊の話で盛り上がろうと思っていたのに……白菊姫の心中は、だいたいそんなところだ。
だが、野菊は恐れずに口上を述べた。
このままでは、恨まれるのは白菊姫の方だ…それが分かっているからこそ、言わずにはいられなかった。
数分後、白菊姫の屋敷に絶叫が響き渡った。
「ええい、そんな話は聞きとうない!!
その話を今すぐやめよ、やめよと言っておるのじゃ!!」
案の定、白菊姫は野菊の言葉にも耳を貸さなかった。
白菊姫にとって、菊を育てるなと言われることは自分を否定されることと同じなのだ。野菊は確かに友達だったが、そんなことを言う奴はもう友達じゃない。
結局、野菊も他の村人たちと同じように屋敷から追い出される始末だった。
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ゾンビが出るところまで行けたら嬉しいな。




