3.昔むかし
咲夜たちが話を聞きに行ったのは、戦前から生きているタエばあさんでした。
タエばあさんの家族は、かつてその白菊による惨劇に遭ったことがありました。
口を閉ざしてきた老人たち、しかし話さねばならない状況は確実に迫ってきており……重い口を開いた、老人たちの胸中とは。
さんさんと照りつける太陽の下、セミの鳴き声があちこちから響く。
その大合唱の中、咲夜たちはタエばあさんの家に向かっていた。
今日から、学校が半日だ。
他の子は大喜びで遊びまわっているが、咲夜たちは違う。
これから始まる夏休みをより楽しむために、先に自由研究を済ませてしまうのだ。夏休みの宿題は夏休みが終わるまでにすればいいのであって、夏休み前にやっても問題はないはずだ。
タエばあさんの家は、村のはずれにあった。
段々畑の中にある、相当古い家である。
タエばあさんには畑山二郎という夫がおり、戦後に結婚してから今までずっとこの家に二人で住んでいるらしい。
という事は、この家も戦争時代からあるのだろう。
だったら白菊伝説以外にも、いろいろな話が聞けるかもしれない。これは親しくなっておけば、来年の自由研究も楽に済みそうだ。
大樹は珍しくいいことを思いついた自分をほめながら、家の門をたたいた。
「おやおや、よく来たねえ~」
案の定、タエばあさんはお菓子とよく冷えた麦茶を出してくれた。
大樹はえびす顔で麦茶をごくごくと飲み干し、筆箱を取り出した。
咲夜はもうノートまで開いて、話を聞く気満々だ。浩太もやる気はなさそうだが、とりあえず宿題が楽に終わるならと自発的にノートを開いた。
「じゃあ、さっそくお願いします!」
咲夜は元気よくタエばあさんに頭を下げた。
タエばあさんは一息つくと、ありきたりな昔話の始めを語った。
「むかし昔、この村に一人のかわいらしいお姫様がおりました。
そのお姫様はたいそう菊が好きで、その美しさを菊になぞらえ、白菊姫と呼ばれておりました……」
それは、どこにでもある昔話のようで……この後に続く凄惨な物語の気配など、今は誰にも感じることはできなかった。
タエばあさんの語りが、家の中に響く。
その声に、縁側で座っていた老人の一人が顔を上げた。
「ふん、白菊姫か……あんな名前はもう聞きたくないわい!」
その顔には、どこか恐怖を交えた憎しみが染み出していた。
もう一人の老人が、それをたしなめるように肩に手を置いた。
「仕方なかよ、今は話を聞きに来るだけでも、ありがたく思わにゃいかん。
今の若いもんはみんな、白菊姫のことをただの伝説だと思っとる。死霊のことも、迷信としか思っとらん連中がほとんどだ。
このままじゃ、また同じことが起こるかもしれん」
そう言った老人、畑山二郎の目は、昔を懐かしむように遠くを見つめていた。
彼らは知っている、白菊伝説はただの伝説ではない事を。
身をもって、知っている。
「おまえだけでも、逃げるんだ!」
怯えて動けなかった二郎に、今は亡き兄はそう言ってくれた。
まぶしい程の満月の晩、村には菊が咲き乱れていたいつかの秋のことだ。ずっとずっと昔、まだタエが畑山タエではなかったころの話だ。
暗い蔵の中にタエと二人押しこめられて、朝まで震えていた。
窓から流れ込んでくる腐臭と、蔵の扉をたたく音は今でも脳にこびりついている。
外には、塚から出てきた死霊があふれていた。
兄は、逃げ遅れた妹を助けに行ったきり戻らなかった。
悲鳴は何度も聞こえたが、どれが兄のものでどれが妹のものかは分からなかった。その夜は、村中に悲鳴がこだましていたせいで。
二郎は、一晩中蔵の中で震えていることしかできなかった。
そして翌朝蔵から出た時、兄と妹の死体はなかった。死霊どもに、塚に引き込まれたのだと村の老人たちは言った。
代わりに、兄が倒したと思しき腐乱死体があちこちに転がっていた。それのほとんどはボロボロの着物を身にまとい、明らかに同世代の者ではなかった。
本当にこんな事が起こるなんて、あの時も村人の多くは半信半疑だった。
そして、後悔するのはいつも事が起こった後だ。
タエと二郎がその事件に遭ったころは、まだ多くの人が霊だの妖怪だのを信じていた。
それから村の人々は、厳重に言い伝えを守ってきた。
そして何も起こらないまま、長い時が過ぎた。
中秋の名月に、白菊塚に白菊を供えてはいけない……その言い伝えは親から子へ、子から孫へと伝えられてきた。
しかし、その理由は伝えられなかった。
惨劇に遭った者は、その恐怖から思い出すことすらも拒んだ。
それに、この村が呪われているような噂が立つのを良く思わなかった。
かくして現在、言い伝えが真実だと知る者はほとんどいない。
老人たちは毎年のように塚を見張るが、近年は何も知らずに中秋の名月の日に白菊を持ってくる子が以前より多くなった。
それに、塚を見張る老人たちも寿命には勝てず、歯が抜けるように減っていく。
万が一の事が起こった時のために公に銃を持てる者も維持してはいるが、これも高齢化がひどくなるばかりだ。
今畑山家の縁側で二郎と話している男、猟師の田吾作もその一人だ。
田吾作は、悔しそうに目を伏せてつぶやいた。
「……あんな怖い事は、わしらの代で最後にせにゃならん。
そのためにゃ、話を広めにゃならんちゅう事か」
「そうだ、それに子供の宿題の発表なら、角が立たんでいい。
うちのカミさんが、うまく教えてやってくれるで」
二郎は田吾作をなだめるように言う。
目に見えないものを信じなくなった世の中で、あの惨劇を繰り返さないためには、辛いことだが伝説を再び広めるしかない。
小学生たちが訪ねてきたのは、いい機会だ。
咲夜たちには、この伝説をしっかり聞いて、発表してもらおう。
むし暑い昼下がり、タエの語る声がとうとうと響いていた。