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死霊一揆譚~白菊姫物語  作者: 青蓮
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12.魔境の屋敷

 白菊姫の前でこの世のものならぬ力を見せつける野菊と、それでも生きようとあがく白菊姫。

 しかし白菊姫の屋敷の中は、既に死霊ばかりになっていました。


 そして必死で逃げる途中、白菊姫は思わぬものを目にします。

 突然、作左衛門の体から力が抜ける。

 と同時に、むっとするような嫌な臭いが辺りに立ち込める。

 これは、庭に押し入ってきた村人たちと同じ……?

 着物の袖で鼻と口を覆いながらちらりと視線を前にやって……白菊姫は驚愕した。

 作左衛門の背後の壁がぼろぼろに腐り落ちて穴が開き、そこに何者かが佇んでこちらを見ているのだ。

 その手には、恨めし気に燃え上がる宝剣が握られている。

 それが野菊であると気付いた途端、白菊姫は戦慄した。

「ひ、ひいいっ!」

 震えあがる白菊姫の前で、野菊はずかずかとこちらにやって来て、作左衛門の体を踏み倒した。

「はぁ……はぁ……間に合った。

 白菊は私と村人たちの仇、こんな男に汚されてなるものか!」

 見れば、作左衛門の背中の着物が一部ぼろぼろになっていた。

 その中心にある傷口から、耐え難い悪臭が漂ってくる。

 野菊は白菊姫の前で、燃える宝剣をゆっくりと振り上げた。

 その切っ先から、ひらひらと火の粉が舞い落ちる。


 その火の粉が触れた途端、畳の表が一瞬で腐った。

 燃えたのではない、腐ったのだ。


 火の粉を中心として、畳が濡れたように光り、溶けるようにほころびた穴を作った。

 それでも野菊は気にする事無く宝剣を構え、作左衛門の体に一息に突き刺した。

 その瞬間、白菊姫はあまりの悪臭に嗚咽した。

 しかし、目を逸らすことはできなかった。

 作左衛門の着物が、まるで何十年もの時が一気に過ぎたように朽ちていく。その下から現れた肌がみるみるただれて変色し、肉が醜く崩れていく。

 それは、この世のものとは思えぬおぞましい光景だった。

 白菊姫がようやく息を吐けるようになった時、作左衛門はぼろぼろの腐乱死体になっていた。


「ひ……ひぐっ……うえぇっ!」

 悲鳴もうまく上げられない白菊姫を、野菊は落ちくぼんだ目で見つめた。

 その視線は氷のように冷たいのに、焼けるような激情を帯びてもいた。

「ようやく、あなたにも分かってもらえる時が来たのね」

 そう言う野菊の顔は、笑っているようだった。

「長かった……夏の初めにあなたを諌めに来て以来かしら。

 私、ずっとあなたに分かってもらいたくて、でもあなたは全然分かってくれなくて……!

 でもそれも今日で終わり、あなたも民が味わった苦しみをその身で味わえば、きっと分かってくれると思うの」

 野菊は一人でぶつぶつと続けた。

「ねえ白菊、あなたはたくさん人を殺した。

 何の罪もない村人たちから、水と食べる物を奪って残酷に死なせた。

 だから私はこの村を守る巫女として、あなたに罰を下しに来たの。分かる?」

 野菊の口調は、まるで幼子を諭すようにゆっくりだった。

 それでも、白菊姫は答えられなかった。

 いくらゆっくり言われても、分からないものは分からない。

 こっちはいくら考えても思い当たる事なんかないのに、野菊はあんな言い方までして、そのあげく自分を殺そうとしている。

 意味が分からない。

 なぜ自分がこんな恐ろしい目に遭わなければならないのか。

 白菊姫は額に汗を浮かべたまま、こっそりと背後の壁についているかんぬきを外した。

 いや、壁ではなく扉だ。白菊姫が背にしているのは、ついさっき白菊姫がここに入る時に使った隠し扉だ。

 その直後、足元に転がっている作左衛門の体がごそりと動いた。

「あら、ようやく目が覚めたようね。

 これで彼も……」

 野菊がそちらに目を落とした瞬間、白菊姫は一気に背後の扉を開け、闇の中に身を翻した。


 何が起こっているかは、分からない。

 だが、逃げてその場がどうにかなるなら、迷わず逃げるべきだ。

 白菊姫はただ一人、魔境と化した屋敷の中に飛び出した。

 途端に、近くにいた村人たちが崩れた顔を向ける。

「どけえぇ!!」

 白菊姫ははだけた着物を引きずりながら、屋敷の中を走り抜けた。

 生きようと思うと、すごい力が出るものだ。

 それに白菊姫は元々、他の姫と呼ばれる娘と比べてだいぶ体が強い方だ。

 美しい菊を咲かせるためならば、多少の風雨をものともせずに畑を見回った。暑い日も寒い日も、輿が入れぬところは自分の足で歩き回った。

 菊を育てるために知らずして鍛えられた足腰が、皮肉にも白菊姫の命運を伸ばした。

 それに、村人たちの動きは思ったよりも鈍かった。そもそも、あんなにやせこけてしかも腐りかけた体で、速く動ける訳がない。

 そうこうして逃げるうちに、白菊姫は見知った顔に出くわした。

「おお、よく無事で……!」

 言葉は、すぐに途切れた。

 月明かりに照らされたその顔は、半分肉がひきはがされて骨が露出していた。それはもう、白菊姫が知っている使用人では有り得なかった。

 おまけにそいつは、どうもうな唸り声を上げて白菊姫に手を伸ばしてくる。

「ま、待て……返事ぐらいせよ!」

 白菊姫が怒鳴りつけても、態度は変わらなかった。

 いや、曲がり角の向こうからも同じようになった使用人が数人現れ、迫ってくる。

 そして後ろからも、ぎしぎしと床のきしむ音……恐る恐る振り返ると、そこにはすさまじい悪臭を放ちうじ虫をこぼして歩く村人たちがいた。

(こやつらは、もしや同じ……!)

 白菊姫は直感的に思った。

 どういう理由かは分からない、だが使用人たちはなぜか村人たちと同じになってしまったのだ。村人たちと同じ化け物に……。

 横のふすまを押し倒したのは、ほぼ反射的な行動だった。前と後ろを塞がれたら、横に逃げるしかない。

 それに、ここは元々白菊姫の屋敷なのだ。どの廊下の向こうにどの部屋があり、どこが出口につながっているかは勝手知ったるところだ。

 ふすまの下敷きになった村人たちを踏みつけて、白菊姫はなおも逃げた。

 もうこの家に自分の味方はいない。

 だったら少しでもここから遠くに逃げ、味方を探すしかない。

 白菊姫はほうほうの体で屋敷から飛び出し、庭に下りた。


 外は、家の中とは比べ物にならないくらい明るかった。

 一歩踏み出すと、小石が足袋ごしに足に刺さる。

(しまった、はきものを持ってくるべきであったか!)

 白菊姫は少し後悔したが、振り返る余裕はなかった。あのおぞましい化け物どもが、ぞろぞろと寄って来ていたからである。

(このまま逃げれば、足袋も着物も泥だらけじゃな……)

 痛みをこらえて走りながら、白菊姫は思った。

 屋敷の周りには、水田が広がっている。

 そのため、その辺りは道も湿っぽくて、少し油断すれば跳ね上がる泥にまとわりつかれてまだらになってしまう。

 実際、白菊姫も幼い頃よくそうなった。

 苦々しい顔をして、白菊姫は屋敷の門をくぐった。

 満月の明りが、その先の風景をくっきりと照らし出す。

 それを見た途端、白菊姫ははたと足を止めた。


「な、何じゃこれは……!」

 目の前に広がる水田の風景は、頭の中で思ったのと似ても似つかなかった。

 いつもこの時期に見られる黄金の稲穂は、見る影もなかった。いつもあぜ道を覆っているこんもりとした雑草は、影も形もなかった。

 そこにはただ、荒れ果てた道とひび割れた水田のみが広がっていた。

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