6.攻撃
翌日、都合がよいことに、紅林臣に中休みに呼び出された。
靴箱の中にラブレターかと思ったら、定番の呼び出しだったわけだ
ご指定の場所は体育館準備室だ。
桜花は4階建ての校舎と体育館、講堂、クラブハウスの3つの棟がコの字型に配置されている。
校舎が南側にあり、校舎の続きの西側に体育館、北側がクラブハウス、そして、東側が講堂になる。
中庭には桜が数十本植えられていて、春休みは生徒やOBで花見をするのが恒例行事だ。
校舎は1階が3年のクラスと職員室と事務室。
2階が1年のクラスと理科室と家庭科室。
3階が2年のクラスと音楽室と美術室
4階が生徒会室、資料室、風紀委員室と会議室。
講堂の上階は図書室になっていて、体育館も2階建てで、2階が体育館、1階は武道場だ。
すべての建物は、2階の通路で行き来できるようになっている。
体育館準備室は体育館に入る手前にある。
Aクラスは校舎2階の一番西側にあるので、呼び出された体育館準備室はほぼ隣といってよい場所にある。
ちなみに、桜花は私立らしく施設がかなり整っているが、とりわけ生徒に人気なのがこの体育館準備室だ。中は、男女別の更衣室とシャワー室、それにトレーニング室、トレーニング室には、飲み放題のペットボトルのドリンク類も用意されている。ちなみに、俺のときはペットボトルじゃなくて、作り置きのお茶やコーヒーやスポーツ飲料が主流だった。
まぁ、いつも飲めるわけではなく、トレーニング室は予約制でそのトレーニング室を使用した者か、体育の授業の後には1人1本利用できるという決まりだ。
紅林に呼び出されたのは、トレーニング室だった。
鍵は普段は体育館1階の体育講師室で管理しているはず。どうやって手に入れたんだか。
(さて、先方から呼び出してくれるとは、手間が省けたな)
鼻歌でも歌いたい気分で入ったトレーニング室だったが、
「つっ!」
「ちっ!」
おいおい、『ちっ!』じゃないから。
扉を開けたとたん、殴りかかってきやがった
よけざまに、3メートルほど間合いをとって振り向き体制を整えた。
(ろ、老体・・・じゃなくなったけど、鍛えていた学生時分には程遠い身体なのに、無理させんじゃないよ・・・)
「いきなり、は。卑怯だろう?」
相手に目線を合わせたつもりが、合わなかった。
なぜなら、目の前の男はこれまた185㎝ぐらいあったからだ。
もう、コンプレックス云々というのも疲れた。
「昨日、久志が世話になったみたいだから気持ちを込めた1発目だったんだぜ。よけんじゃねぇぞ。こらっ」
ほんとに、紅林か? 胸ポケットにあるプレートの名札を見てみる。
(紅林って、書いてある。まじか・・・)
いや~、ほんっっと驚いた。
変わりすぎだろう。
久志よりずいぶん大人しかったし、弱弱しかった記憶しかないんだが。
「はっ、はは。お前、規格外に育ったな~」
「ああ? てめぇ、何様だ!」
見上げなければ顔も見られない長身に育っていた事にも驚いたけど、言葉遣いの乱暴さにそれ以上の驚きだ。
小学生のときは久志にいつもくっついていて、久志の弟みたいで可愛らしかったのにな。
「はぁ~。俺は別に、仲居に挨拶しただけだし、その挨拶もきれーに無視された俺に殴りかかるのか? そりゃ、割りに合わないと思うぞ」
「貴様っ!」
「いいから、その拳を下ろせ」
「下ろすか、ぼけ」
「あ~、そっか。んじゃ、仕方ないな~」
「素直に、殴られる気になったか」
「臣くんの、過去なんか、暴露しちゃっても、いいかな~」
「はぁ?」
「さてっと、いろいろあるが、そうだな~。時津小の3年生の時の話はどうだ? 確か、友人の家にお泊りしたときに恐い夢を見たとかで、トイレにも入れずお漏らししそうになった・・・ことなんてなかったかな?」
「! ・・・おまっ、なんでっ、それっ」
俺が深夜の久志の部屋前の廊下で真っ青な顔でうろうろしているお前を見つけて、トイレの前で待っててやったからな。
ふふっ、動揺してる。よし、よし。
「ん~、それともこっちのほうがよいかな~。4年生の小学校のキャンプでのきもだめしに参加したとき、先生が演じた幽霊に腰を抜かして立てなくなって、次に来た女の子に背負ってもらって帰ってきた、とか?」
久志からの情報だから、間違いないはず。
「なん、で・・・お前が知っているんだよ。俺と久志以外、時津小出身の奴はいないのに・・・」
茫然自失?
でも、この顔は、昔見た顔だ。
変わってないところもあるじゃないか。かわいいな。
「気にするな。出所はシークレットだ」
戦意喪失した紅林の頭を背伸びしてよしよしとなでると、バシッと手を払われてしまった。
地味に痛い。
「お前、何者なんだよ」
「知っているだろう? ちょっと前に来たばかりの転校生だ。ところで落ち着いたのなら、話がある」
「アホ、俺が、落ち着いているように見えるのかよ!」
「心中は察するが、暴力に訴える気力がなくなっただけでも話やすいけどな。とにかく、話だけでも聞いてみる気はないか?」
―『とにかく、おじさんの話を先に聞いてみる気はないかい?』―
「今、・・・?」
「何だ?」
「・・・何でもない。話せよ。ただし、聞くだけだからな」
やっぱり、この子はいい子だな。
ごめんな。お前のヒミツを無断で言ったりして。
「俺は、仲居久志と友達になりたい、仲居の話をなんでもいいから教えて欲しい」
「ばっ、お、お前、はずかしくないのか!」
臣は、真っ赤になり、俺の側から飛びのいた。
「何が?」
「そんな面と向かって友達になりたいだなんて言うことが、だよ! そんなのドラマでも聞いたことないぞ」
「そうか、そんなことは言わないのか・・・知らなかったな」
俺は、肩を落として、臣に背を向けた。
心底、落ち込んでいる風に見せないとな。
「あ、いや、全く言わないわけじゃないが、俺は聞いたことがないってだけで・・・・・・」
ひどく紅林の言葉で落ち込んだと思い込んでくれたらしい。
いままでの勢いは全くなくなり、代わりにおろおろ仕出した。
(俺だって、学生時代に「オトモダチニナリタイ」なんて使ったことないよ)
騙され安いと逆に心配になってくるな。素直すぎなんだよ、この子は。
規格外に育ってしまってはいるが、本質は変わってないということか。
「いや、いいんだ。本当に友達になりたいと思っていたが、そう言われては友達になるのは無理そうだな・・・。悪かったよ」
ちょっと、震えた声を出したりもしてみる。
身体は子ども中身はおっさんの性かな、悪い大人の典型じゃないか、これ。
「ちょ、ちょっと待てよ。まだ、俺、何にも言ってないだろう」
(ちょろすぎだと思うぞ。おじさんは、お前の将来が心配だ)
「でも、協力してくれる気はないだろう?」
「・・・久志に会わせる機会を作るだけだぞ!それに、俺も同じ場所にはいるからな!」
「ありがとう。それで十分だ」
紅林がいるというだけで、おそらく久志は安心するだろう。
場所は、学食でも生徒会室でもいい。
紅林と親しくしているところを見せれば、久志も警戒を解くかもしれない。
計画はいささか安易だが、安易な方がうまくいく確立は高い。
次の日から、紅林を見かけたら話しかけるようにした。
学食でも2人を見かけるたびに、同じ席に着くようにして常に久志の視界に俺が入るようにもした。
そうして、久志との会話はないものの、毎日のように目の前にいるという好ましい状況が1週間ほど続く。
久志の警戒はなかなか解けなかったが、紅林は気軽に話しかけてくるようになった。
「なんだ、葉、それっぽっちしか食わないのか? お前やせすぎだろ。もっと食えよ」
「紅林は体格がいいな。小さいときやっていたミニバスケのおかげか?」
「・・・っ、俺その話、したことないぞ」
「これもシークレットだな」
「おまっ、いいかげんに出所を掃けよ!」
「まぁまぁ、いいだろうそんなことは。それより、仲居も小食だな。ピーマンが嫌いか。それはビタミンAが豊富だから抵抗力を強化してくれる。風邪の予防にもいい。喉が弱そうだからできるだけ食べたほうがいいけどな」
久志の学食定食のお皿の上にはピーマンだけよけられて放置されている。
「・・・うるさい」
ボソッとだけどはっきりと聞こえた。初めて返事してくれた。
久志の声を聞けて、飛び上がるほどうれしい。
「葉、おまえ母親みたいだな。なんで、ピーマンの栄養素とか効果とか知ってんだよ」
「俺、自分でメシ作ったりするからな」
「おまえが?」
「今度弁当でも作ってきてやろうか?」
「いいよ。それにお前が作ったかどうかなんてわかんないじゃん」
「親はいないからな。母親が作ったんじゃないことは確かだな」
「・・・・・・」
二人とも、びっくりし顔で俺を凝視している。
「どうした?」
「いないって、それ、」
「ああ、悪い。いきなり言う話じゃなかったか」
「俺はいいけど。でも、何でって聞いていいか?」
「いいよ。紅林と仲居ならな」
「えっ・・・・・・」
久志が一瞬なんとも言えない顔をしたが、見なかった振りをして話しをした。
「そんなにたいした話じゃないよ。本当の親については、1歳ぐらいに1人でいたところを保護されたんだけど、持ち物もなにもなかったから、親を探し当てることができなかったらしい。引き取ってくれた新しい保護者は、当時すでに60を過ぎていたけど、すごくやさしい人たちだったよ。その2人も事故で亡くなったから、今は知り合いのところにいるんだ。そこも良いところで、別に不自由はしてないよ」
本当の両親と養父母の話。
久志が産まれる前の話だ。
養父母の墓参りを小さいころから一緒にしてくれていたけど、詳しい話は初めてした。
ただ俺の両親の墓で久志が産まれる数年前に亡くなったのだとだけ、久志には話していたから。
俺は、1歳前ぐらいの時にJRの鉄道沿線にある寂れた小さな公園の真ん中で1人眠っていたらしい。
ちなみに、そのときの公園は俺が発見された後、数年して尾辻の分家の人が当時流行っていたビリヤードBARを建てた。高校から大学まで息抜きと称して尾辻と2人でだいぶんお世話になった。
今では尾辻の店になってビリヤード台は取り払い、すっかりコジャレタBARになっている。
昔と違って今は厳しいからな、高校生なんて絶対入れないし、入らせない。
尾辻目当ての綺麗なお姉さんか、お兄さんか、美中年が主流の店になっている。
モテモテだなってからかうと、女、年上は趣味じゃないっていうけどね。
そう、尾辻は俺にはカミングアウト済みだ。ちなみに、一族の中では祖父さんだけが知っている。
さて、俺を公園で見つけてくれたのは、公園の土地の所有者である尾辻の祖父さんだ。
祖父さんは警察に任せっきりにしないで祖父さん自身のツテを使って保護者を探してくれたが、ついぞ見つけることができなかった。
そして、尾辻家と付き合いのあった老夫婦が望んで俺を引き取ってくれた。
義父の仲居秀人さんは、会社を子どもに継がせて生きがいがないと背中を曲げていたらしいが、俺を引き取って見違えるように若くなったし、義母の奈々さんは美人さが増したと、祖父さんが物心ついた俺にこっそり教えてくれた。
母親や父親と名乗るには年を取りすぎているから俺に迷惑がかかる場合があると、自分たちを名前で呼ばせるような、そんな、やさしい人たちだった。
『秀人さん。今日も散歩いく?』
『まぁ、私は誘ってくれないの、葉君』
『奈々さんは、まだちょっと風邪ひいているでしょう。こじらせるからだめですよ』
『つまらないわ』
『じゃあ、お土産を買ってきますよ。二丁目の果物屋で甘夏を買ってきます。好きでしょう?』
『ええ、ありがとう。楽しみ。お風呂わかしておくわね。二人とも、いってらっしゃい、』
『葉、お前、奈々の扱いがうまくなったな』
『秀人さんゆずりですよ?』
秀人さんと奈々さん。本当に二人は仲がよかった。
二人そろって、事故で一緒に逝ってしまうほどに・・・。
今でも、感謝の言葉しかない。
(しまったな。俺がいなかったってことは、この3年の間は、2人の墓もそのままなんだろうな。草だらけか・・・。くそっ、久志のことで頭が一杯でそこまで頭が回らなかった。放課後、寺に行ってみよう)
秀人さんたちは俺を引き取るときに実子である彼らの子どもたちと大喧嘩をしていて、それ以来、実子とも親戚とも交流がなかった。
大会社の会長だっただけに、財産の相続などを考えたらまったく血のつながりのない俺を引き取るなんてとんでもないことだったんだけど、頑として譲らなかったのだ。
ほんとに、この世の中において奇跡といえるほどに人情に厚い人たちだった。
それにしても、秋は別れの季節だというが、思い返すと秀人さんたちとの別れは10月。
沙耶香と離婚したのが11月。
そして俺がこんなことになったのは、9月。
まさに、別ればかりじゃないか。は~。
「おい、葉?」
あ、いかんいかん。思い出に浸っているときじゃないだろう。
「悪い。何だ?」
久志たちに視線を戻すと、めずらしく、久志が俺をじっと見ていた。
「1人で、・・・寂しくはないのか?」
はじめて、久志が俺に話しかけてくれた。
「(久志・・・)」
こぼれるような大きな目で真剣に俺を見る。
そうだな。びっくりだよな。お前にも話したことがない話だったしね。
沙耶香と結婚したときには俺はすでに1人だったし、秀人さんたちがこの世にいないことを認めるのに随分長い時間を要したからね。
「寂しくないよ。たくさんの思い出をもらったからな。それに、今でも会える」
「会える?」
「そう。思い出せば、いつでも会える」
「そ、そんなの詭弁だろ! 思い出の中の人じゃ、ちゃんと話もできないじゃないか!」
「・・・お前、」
「久志、やめろよ。食堂だぞ。それに、葉はこの話を大声でしたくて俺らに話したわけじゃないぞ」
「・・・」
「いや、いいよ。俺の中ではすでに整理が出来ている話だしな。仲居はなくした人がいるんだな」
「え・・・・・」
「でなきゃ、そんなに剥きにならないだろう」
「俺は、俺の話はいい。俺だって、もう、整理ぐらいできている」
「そうか・・・・・」
(それは、俺の存在をもう、なかったことにしているってことかな。それは、さすがにくるな・・・・・・)
「葉?」
紅林が、心配げに見ている。言葉を返そうとして、後方が煩いことに気付いた。
「あっ! いたいた、葉!」
「田中、と引田か。どうした?」
「何だよ、俺、田中のついでみたいじゃないか。って、そうじゃなくて、どうしたじゃないだろう」
「と、言われてもなぁ」
「はは、悪い。引田がさ、もう、おまえの弁当なしじゃ生きていけない体になったって、うるさくてさ」
「おまえ、あれだけ俺を餌付けしておきながらあっさりと鞍替えしてさ。1週間がまんしたけどもう限界だ」
いや、うん。そのいい方は誤解を生むからやめてほしい。
「・・・半分だけどまだあるぞ、食べるか?」
「おうっ! 食べる、食べる」
久志たちの承諾も得ずに引田は俺の隣に座ると早速、俺の弁当を食べ始めた。
田中はその引田の前に座って、自分の弁当を空けていた。
というか、引田。おまえ、弁当なしってことは早弁したな。
「おい、こいつら」
紅林が引きつった顔で引田のほうを見ていた。うんうん。良く食べるからね、この子は。
しかも、紅林と久志の噂を知っているだろうに、おかまいなしだ。
「俺のクラスの田中と引田だ」
「もご、おうっ、紅林と仲居、よろしくな、俺は引田翼」
「ぼくは、田中輝也、よろしくね」
にっこりとほほ笑む田中の黒い笑み?に押されて、あの紅林が挨拶を返していた。
さすがだ、田中。
俺にもその技、伝授してほしいな・・・。
すいません。ちょっと字数多いですかね・・・。