第八話
「まだ上るんですか?」息を切らしながら、都は螺旋状の狭い石段を上っていた。
普段と違って服が重いので思うような速さで上れない。
「もうちょいだ。コギンはとっくに着いてるだろうが……」後ろを歩くキャデムが石の壁に穿たれた小窓をひょいと覗く。
「いい練習です。」
「昔同じようなことリュートも言ってたな。そら、もうそこだ。」
階段を上りきった踊り場の、小さな木の扉をキャデムが開く。眩しい光が差し込む中、都は彼の手を借りて外に出た。
とたんに頬を冷たい風が撫でる。
そっと目を開くと、
「わぁ!」
思わず声を上げる。
「どうだ?」
キャデムが傍らで自慢げな表情をする。
そこに広がるのは遮るもののない、青い空。
そして手摺壁の向こうには、縮尺を小さくしたガッセンディーアの街が広がっている。
「空……広い……」
そこに自分の翼で飛んできたコギンが現れ、ふわりと都の肩に舞い降りる。
「竜の背には負けるけど、なかなかのもんだろ。」
はい、と頷いて、胸ほどまで高さのある手摺壁の下を覗き込む。
そこは先ほど通った石畳の広場。そして振り返れば、礼拝の時刻を告げる鐘がもっと上の方にある。
位置的には、地上と塔のてっぺんの中間になるのだろうか。
それでも充分、高い。
人二人すれ違うのがやっとの石のテラスは、螺旋の階段を内包した四角い塔をぐるりと囲むように設けられていて、キャデムの説明だとその昔、街の見張りに使われていた場所らしい。
「あそこがさっきミヤコと会った橋。その向こうに見える白い丸い屋根が聖堂。」指差しながらキャデムが説明する。
「わたし、結構移動してたんだ。」
「だな。リュートのいる分隊は……っと、」
「あそこですよね?」
都は聖堂の右手方向に微かに見える赤っぽい建物を指す。
「さっき、竜が飛んでいくの見えました。」
「その通り。って、気がついてたか。」
「川の向こうが新しい街で、こっちが古い街なんですよね?」
「旧市街って呼んでるが、聖堂はこの神舎より先にあったから、言い方としちゃ微妙なんだよなー。」
「そうなんですか?」
「川のこっちがいっぱいになって、仕方なく聖域の周りまで街を作った、てのが真相らしい。」
「詳しいんですね。」
キャデムは肩を竦める。
「先輩の受け売り。ガッセンディーアに着任したとき、道覚えるのが大変でさ。ほら、実家はあの通り、道があってもなくても大して困らないだろう。けど街は違う。そしたら大先輩が教えてくれたわけ。成り立ちを見れば、どこにどういう道があるかわかるだろうって。結構、歩いたぜ。歩いてはここから眺めて地図とつき合わせて、それでようやく覚えた。」
「キャデムさんがそんなんじゃ、わたしが迷子になるの当たり前ですね。ホント言うと、自分がどこにいるかわからなかったら、キャデムさんが来てくれて助かりました。」
それに、と声を潜めて付け加える。
「ああいう風に声かけられるの……苦手だから……」
「ダチの彼女が困ってたら助けるのは当たり前。それに実を言うと、あのまま川に飛び込むんじゃないかとヒヤヒヤしてたんだ。」
「えっ?」
「ひでぇ顔してたから。」
ああ、と都は納得する。
「ちょっと……やなことあったから……」
「聖堂って言ったな。あそこはガッセンディーアの中でも特別な場所だ。異国の人間はどうしても目立っちまう。リュートだってわかってただろうに。」
「聖堂に行きたいって言ったの、わたしだから。それに……言われたことは正しいんだと思います。」
そういう都にキャデムは「ふうん」とだけ応え、
「それで、いつまでガッセンディーアにいるんだ?」
「用事は済んだから、明日ラグレスの家に戻ります。」
「ケィンが張り切って待ってるな。」思い出し、キャデムは苦笑する。
「キャデムさんは……リュートの幼馴染なんですよね?」
「まぁ家も近所だし、年も一緒だし。」
「リュートって……その、もてたんですか?」
「あ?」
自分を見上げる真剣な眼差しに、キャデムは目をパチクリさせる。
「昔のこと聞いてどうすんの?」
「どうするっていうか……どうだったんだろう、って。」
「来るもの拒まずって感じかね。まぁ、もてたんだろうな。」
「そう……なんだ。」
「奴が飛んでるの、見たことある?」
「見るっていうか、一緒に飛んだことは何度か。」
「そりゃ特等席だ。奴の親父さんもそうだったけど楽しそう……というか、本当にこいつ、竜と飛ぶのが好きなんだなって思うんだよ。それを見てうっとりする女子はいたさ。でもどれも長続きはしなかった。」
「なんで?」
「リュートが自分から惚れた相手じゃなかったんだろう。それに、たいていの女は自分を一番に見てもらいたがる。」
「ええと……」
「フェスだよ。」
「ほえ?」
「リュートにとって一番はフェス。けど女からしたら銀竜より自分が劣るてのは屈辱だったんじゃないかね。」
はぁ、と都は妙な返事をする。
「まぁ実際、逢引してもフェスはくっついてくるわけだし、みんながみんな銀竜好きってわけでもない。」
「でも銀竜ですよ?それにフェスは聞き分けいいし、大人しいし……それにずっとリュートと一緒にいるんだし……」
力説する都に、キャデムは目を丸くする。そして次の瞬間、嬉しそうに大声で笑った。
「って、なんで笑うんですか!」
「あー、わりぃわりぃ。いや、リュートが腹くくった理由がわかったからさ。つまり、ミヤコにとって銀竜がいるのは当たり前、ってことなんだよな。」
「だって……そうじゃないですか。」
「うん。」
「キャデムさんだってそう思ってますよね?」
「まぁオレはガキの頃からリュートと遊んでたしラグレス家にも出入りしてた。けど普通はそうじゃない。さっきの連中見ればわかるだろう。」
「あ……」
そういえば彼らはコギンを怖がり、珍しがっていた。
「生きた銀竜を目にすることは少ない。つまり、普通の人にとって銀竜はよくわからん生き物、ってわけ。そこそこ続いた相手もいたが、完全にフェスのこと無視してたし、挙句、家が決めた相手と結婚してまんま振られちまった。と、まぁそれも随分前の話だ。」
コギンがきゅ?と都を覗き込む。小さな手で彼女の頬をプニプニ押し、細い髪を引っ張る。
「そいつ、あんたが大好きなんだな。」
「わたしが名付けたから。それにルーラの子だから、穏やかな気質を受け継いだんじゃないかって。」
「ルーラって、リュートの親父さんがよく連れてた銀竜か。」
そうか、とキャデムは頷く。
「誰に何言われたか知らないけど、あんま気にすんな。」
「でも……」
「それだけ銀竜が懐いてりゃ、ラグレスの家で充分暮らせる。それにリュートに言い寄ってきた女はごまんといるが、リュートが選んだ女はミヤコが初めてだ。」
「それ、勝手に言ってませんか?」
「だってルーラの子を任されたんだろ?」
「そうですけど……」
「リュートが認めたから、コギンはミヤコのとこに行ったんだよなぁ。」うりうりとコギンの頬を指先でなでる。
コギンも嬉しそうに身をよじると、キャデムの腕にパタパタとまとわりつく。
お!とキャデムが顔を上げた。
「竜が降りてくるぞ!」
最後の一段を降りると、都は服の裾を降ろしてほーっと息を吐き出した。
地上に降りてきた安心感と、滑りそうな石の階段を制覇した達成感。
「ありがとうございました。」
「気分転換になったか。」
「はい。それに上から見るの楽しかった。」
「聖堂まで送ってこう。と、」
人の声に気付いてキャデムは首をめぐらす。
執務室から出てきた人物を目に留めると、都に耳打ちした。
「ここで一番目と二番目に偉い人だ。ちょっと挨拶してくる!」そう言って走り出す。
「司教さま!」
「これはカイエ巡査、お久しぶりですね。」
キャデムは慌てて制帽を取った。
「ご無沙汰してます、司教さま。それとメルヴァンナ司祭さま、ありがとうございました。」
痩せぎすの司祭が小さく頷く。そうして隣にいる司教に説明するように言った。
「巡査は今日も塔に上ってたんですよ。」
ほう、と少し太り気味の司教が目を細める。
「カイエ巡査の知らない道など、もうないのではないですか?」
「いえ、今日は知り合いを案内してたんです。まだこの国に来て日が浅いので……」キャデムは少し離れたところにいる都に顔を向ける。
その視線を追って司教が振り返ったのとほぼ同時に、都は「えっ!」と声をあげた。
相手もそれに気付く。
「これはこれは……」灰色の小さな瞳が丸くなり、そして驚きを含んだ笑みに変わる。
「ミヤコさんではありませんか!」
「マーギス司教……さま?」
三作目を読んでくださった方には懐かしい御仁の登場でございます(^^
この先も、過去に出てきた方々、順次登場いたします。
そして次の更新は四日後の大晦日!まぁ風邪で倒れない限り大丈夫でしょう。