第六話
「こっちがカズトの……ハヤセの印だ。それにこれがラグレス家の印。」
目の前に並べられた素描画を都は見比べる。
「小さくてよくわからなかったけど……こういう絵だったんだ。」
「それで、どんなのがいい?」
「どんなのって言われても……何が良くてなにが悪いのかわからなくて……」
「そりゃそうだ。」相手は豪快に笑った。
その日リュートに連れられて来たのは、ガッセンディーアの外れにある一軒の工房。一歩中に入ると金属を叩いたり削ったりする音が響き、片隅には出来上がったばかりの精緻な細工の小物が並んでいる。
「銀細工?すごく……きれい。」
普段は装飾品など興味のない都だが、目の前に並んだ優美な曲線を持つ、あるいは幾何学的な模様に石をはめた装飾品の美しさに思わず感嘆の声を漏らす。
ふと思いついて、襟元から華奢な首飾りを引っ張り出す。
「もしかして、これ……」
鎖の先にぶら下がっているのは開きかけた小さな銀の花で、花びらに包まれるように緑の石……一族の守り石が埋め込まれている。十七歳の誕生日にリュートから贈られたものだ。
「随分使ってくれてるようだね。」
自らも細工師の店主が野太い声で言った。
「じゃあ、やっぱりここで作ってもらったんだ。」
「守り石の細工をする工房は限られてる。」
「ラグレスの若旦那からそいつの注文を受けたとき、そんな小さくていいのか?って聞いたんだ。けどそうやって身につけてるのを見ると、確かにお嬢さんにゃ似合ってる。それで、今日は新しい印だったな。」
貫禄たっぷりの身体に作業用の前掛け姿のまま現れた店主は、机の上に素描画を広げた。
それは過去に彼が手がけた「印」と呼ばれる、一族のそれぞれの家を表す文様を描いたもの。親から子へ引き継がれる家紋のようなもので、時には印章として、時には正装時の装飾品として用いられるのだという。実際、指輪の形のそれを都は早瀬からもリュートからも見せてもらっていて、表にはそれぞれの模様が、そして裏には緑の守り石がはめ込まれていた。
「周りに書いてあるの、文字、ですか?」
「古い時代の文字だ。その家の家訓とか、模様を決めたご先祖の座右の銘だとか……」
都がリュートを振り返る。
「ラグレス家の印に書いてあるのは“永遠の約束”。意味は聞くなよ。」
「早瀬さんのは?」
「カズトのは“光の果て”。確かオレがいくつか並べて、その中から選んだんだ。何しろ親父からここを引き継いで、最初の大仕事だったからな。オレも気合が入ってたもんさ。」
「大仕事、なんですか?」
「新しく作るのは少ないから。ただカズトのようによその国の出身だとか、分家したとかって場合には必要になる。」
その例にもれず都も他国の出身扱いなので、今回新しく作ることになったのである。
店主の説明を聞きながら、彼が提案してくれた素描を元に自分の図案を決めていく。けれど小さな面積を埋めるだけなのに、どうしようと悩むことばかり。時折助けを求めるようにリュートを見たが、
「こればっかりは、都自身の印だから。」と黙って見守るだけだった。
それでもなんとか決めた部分部分を、その場で店主が木炭でさらさらとまとめあげる。
「こんな感じか?」
「あ、はい。」
「あとは周りに入れる文字だ。カズトと同じ選び方にするか?」言いながら店主は文字の並んだ紙を差し出す。
「どれも今は使われていない文句だ。」
「今は?」
「昔は使われてた。だけどその家がなくなったりその人が亡くなったり……だからこの中から選べば確実に世界に一つだけの印になる。」
そう言われて都は「うーん」と唸る。
文字と言っても都が習ったものとまるで違うから、読み方も意味もわからない。と、なるとこれはもう、勘で選ぶしかない。
そう腹をくくって、ぴっと指差す。
「これ!」
ほ、と店主がにっこり笑う。
「良いものを選んだね。」
「そうなんですか?」
「意味は?」横からリュートが尋ねる。
「再び出会うとき。」
「なんか占いみたいだけど……」
「かつて小ガラヴァルに連なる家が使っていた文句だ。」
「印の文句なんてそんなものだろう。」
リュートに言われて「そんなものか」と納得する。
そのあと店主とリュートとが事務的な打ち合わせをし、最後にもう一度「よろしくお願いします」と頭を下げる。
そのまま外に出ようとした背中に「忘れてた!」と店主が声をかけた。
何事かと振り返る二人に彼は満面の笑みで言った。
「二人とも、婚約おめでとう!」
はぁー、と都は大きく息を吐き出した。
「疲れたか?」
「ちょっと。なんか初めてのことばっかりで……でも楽しかった。」
「俺は一度分隊に寄るが……」
「わたし、聖堂にもう一度行ってもいいかな?」
「一人で、か?」
「リィナと歩いたから中の様子はわかるし、逆に外を歩くより安心かな、って。コギンには外で待っててもらう。」大丈夫だよね?と傍らを飛んでいるコギンに言い聞かせる。
「それなら……大丈夫か。」
リュートは納得すると、そのまま都を聖堂まで送ってくれた。
「帰りに迎えに来るから」と彼女の頬に軽く口づけ、足早に仕事に向かう。
一人残された都は、コギンに「待っててね」と言うと、まっすぐ“リラントの間”に向かった。
物見遊山の人々に混じってリラントの瞳を模した石の前に立つと、無意識に呟いた。
「どうやって封じ込めたんだろう?」
昨日リィナが説明を読んでから、ずっと気になっていた。
本当に、この石に邪悪な竜の魂が封じ込められているのだろうか?
けれど都は“向こうの世界”で復活した黒き竜に襲われてりるのだ。それにリュートは言った。
「竜は実体では門を通れない。」、と。
もちろんすでに実体ではないが、それでも門を通ることができるのだろうか?
それにリュートは黒き竜の動きを探るために、父親のいる世界に来た……ということは最初から「向こうの世界で黒き竜が復活する」ということが前提になっていたのではないか。言い方を変えれば、今なお黒き竜の魂は向こうの世界に留まっているのではないだろうか。
だとしたら、この瞳の役割はなんだったのだろう。
都は胸元の銀細工の花を引っ張り出す。
中に埋め込まているのは、リラントの瞳に似ていることから一族の“守り石”として使われている緑の石。具体的なことは教えてくれなかったが、細工師が言うには、古い地層から出る化石のようなものらしい。それゆえ珍重され、守り石として一族が身に着けているのだという。
迷信半分だとしても、そこまで信頼されるほど何か絶大な効果が、このリラントの瞳にあったということか。
「でも……リュートが必死で調べてること、わたしがわかるわけないか。」それ以上考えが及ばず、がっくりうなだれる。
だいたい自分はファンタジーが苦手なのだ。それに文字を勉強するのと同時進行で歴史や伝説も勉強中。まだまだ知らないことが多すぎる。
何よりこうして一人で歩いてみれば、やはり自分は異国人なのだと自覚してしまう。リィナやクラウディアの言うとおり、気にしなければそれまでなのだろう。けれどリュート・ラグレスの婚約者と位置づけられてしまうと、本当に自分でよいのかという葛藤が未だないわけではない。
「これはもう、自分の度胸の問題だよね。」呟いて、部屋の外に出た。
何となしに中庭に向かって足を進める。
羽根を休めている竜が一匹。日差しを浴びて草の上で気持ちよさそうに目を閉じている。それを眺めていると、無意識に口元がほころんだ。
背後で、こつん、と靴音が止まる。
「失礼。」
それが自分に向けられた言葉だと理解するのに、しばらくかかった。
「間違っていたらごめんなさい。あなた、リュート・ラグレスの婚約者ではなくて?」
女性の声に「え?」と振り返る。
目が合った。
深い緑の瞳に結い上げた金色の髪。すらりと高い背を引き立てる飾り気のない服に、瞳と同じ色の石がついた耳飾。小首をかしげた拍子に、華やかな香りが微かに漂う。
「違ったかしら?」
相手の瞳が曇る。
「あ、いえ……えと、そうです。」
戸惑う都に彼女は微笑む。
「ユーリ・ネッサ・ケイリー。リュートの古い友達よ。」
「ミヤコ……キジマです。」
「昨日もオーディエ・ダールの妹さんと一緒に来ていたでしょう?彼が婚約したことは聞いていたけれど……こんなに若くて可愛らしい方だとは思わなかったから、ついお声をかけてしまったの。今日は銀竜は一緒ではないのね。」
「外で待ってます。」
「あなたもずっと銀竜と一緒に暮らしていたの?」
「いいえ。コギンはラグレスの家で生まれた銀竜で……」
一瞬、驚いた表情。
そう、とため息のような声。
「あなたは平気なのね。」
「平気?」
「銀竜と一緒にいる人は少ないから、目立つでしょう。」
「でも、わたしの国ではもっと目立つから。少なくともここでは自由に飛べます。」
「もしかして、州都に来たのは初めて?」
「二度目です。」
「でも言葉はお上手ね。それともご両親のどちらかが一族に縁の方なのかしら?」
「それは……勉強してるので。」
本当は契約が成立しているから通じるのだが、本来と順番が逆なのであえて説明する必要はない、とセルファから言われている。
それにこの尋問のような質問に、都は微かな苛立ちを感じていた。
いったこの女性は何のために自分を呼び止めたのだろう。
そんな都の心中を見透かすように、相手はにっこり微笑んだ。
「彼のお父様と同じ国の方なら、きっと優秀なのでしょうね。」
その言葉の意図を取りかねて、都は無意識に眉を寄せる。
「彼は能力ある人材だわ。けれどお父様が他国の方だから立場は決して楽ではない。」
「知ってます。」
「だったら、大丈夫ね。」
「大丈夫って?」
「少なくとも、彼の迷惑になる行動は謹んでもらえるわね。」
「わたしは……別に……」
「昨日、銀竜が勝手に動き回ったそうね。」
「でも、ちゃんと手前で止めました。」
「昨日は、でしょう。彼がなんと言ってあなたを安心させているか知らないけれど、これ以上ラグレスの名を……一族である立場を貶めることのないようにして頂戴。」
「それ、わたしが迷惑をかけるってことですか?」
「そこまで言ってないわ。ただいずれ一族として名を連ねる気があるのなら、それなりの覚悟をして欲しいと言っているの。いい加減な気持ちで彼の隣に立たないで。」相手はキッパリ言うと都を真っ直ぐ見る。
都は息を呑んだ。
そうか、と気付く。
「わたし……いい加減な気持ちでここにいるんじゃありません!」
ぎゅっと掌を握りしめ、相手を見上げる。
「それに彼との事も。」
「でも、彼がここしばらく飛んでないのは本当のことよ。名目は辺境の情報収集だけど、あなたを思ってお父様のところにいるのは明白でしょう。」
「そうかもしれないけど……」
「彼は飛ぶべきよ。竜騎士の名前にふさわしい人材だわ。」
わかってる!
そう叫びたかった。
けれど言ってしまえば、自分がリュートのお荷物だと認めることになってしまう。
何よりこの場で彼女に弱みを見せたくなかった。
胸までこみ上げる重苦しいものを吐き出すように、軽く深呼吸する。
落ち着け!と自分に言い聞かせると、相手に向かって深々と頭を下げた。
「助言いただいてありがとうございます。わたし、用があるので、」失礼します!と言うと、顔を上げずにそのまま踵を返した。
足早にその場を離れる。
苦しかった。
一刻も早く外に出て、新鮮な空気を吸いたかった。
気持ちが急くのと比例して、歩みは自然に小走りになる。
と、入り口に差しかかったところで、向こうから来た軍服姿の女性が足を止めた
「やっぱりミヤコ!ここにいるって……」
にっこり笑って声をかけるクラウディアの前を、都はあっさり通り過ぎた。
「ちょ、ミヤコ?」
顔も上げずその場から走り去る彼女の後姿に、クラウディアはあっけにとられる。
一体どうしたのかといぶかりながら奥に進むと、見覚えのある人物に声をかけられた。
「お久しぶりね。クラウディア。」
ひどく機嫌のいい彼女の表情に、クラウディアはハッと思い当たる。
「ユーリ・ネッサ、もしかしてあの子に何か言った?」
「あの子?」
「リュートの婚約者。知ってるんでしょう?」
「ええ。届けは出ているもの。公然でしょう。」ユーリ・ネッサは微笑む。
「言ったのね?」
「挨拶しただけよ。」
「嘘。一体あの子に何言ったの?」
「随分かばうのね。」
「かばうも何も、あなた口出しできる立場じゃないはずよ。」
あら、と彼女は心外そうに目を丸くする。
「口出しなんて……ただ一族としての心構えを持って欲しいとお願いしただけよ。勝手に逃げ出したのは彼女だわ。」
「それを口出しっていうの!具体的な内容を聞きたいところだけど……」
少し離れたところから同僚が手招きしている。
追い討ちをかけるように背後から上司の声。
「ヘザース、遅れるなよ。」
「今行きます!」応えてから舌打ちし、口早に言う。
「いい?彼女には彼女の立場があるの!余計なこと言わないで!」
わかったわね!と叫ぶと、後ろ髪をひかれつつ会議場に向かった。
はい。次回も四日後に更新いたします。