第二十三話
”報告は以上。動きがあればまた連絡します。念押ししますが、トランの報告書に目を通すこと。契約の儀の時期を決めること。”
いいですね、という言葉で締めくくられる。
「これは命令だな。」
はぁ、とため息をついて竜杜は自室の天井を仰ぐ。
セルファの声を伝えた銀竜が、年季の入ったライティングデスクの上で目を開いた。
「フェス、ご苦労だったな。」
指先で頬をなでると、フェスは金色の瞳を細めて喉を鳴らす。
電話や郵便が届くはずもない異世界同士で連絡を取るには、銀竜に声を伝えてもらうしか方法はない。どういう仕組みか、この白い羽根を持つ小さな生き物は互いに思念を交わすことができ、今もルーラを通して送られたセルファの声を、フェスが受け取り竜杜に聞かせていた。リアルタイムではないが通信手段としては一番確実なのである。
「ひとまず休憩、だな。」
同意するフェスを従えて台所へ向かう。
手前のリビングダイニングに入るなり、あれ?と足を止める。
「まだ下にいたのか。」
「そっちこそ、まだ起きてたのか。」
早瀬は老眼鏡を額に押し上げると、安楽椅子の手摺に舞い降りたフェスをなでる。
いつもは早々に二階の自室に引き上げるのだが、どうやら今日は縁側続きのリビングでバーボンタイムを過ごしていたらしい。サイドテーブルにあった琥珀色の液体が入ったショットグラスを手に取り傾ける。
「疲れてるみたいだね。」
竜杜は冷蔵庫から引っ張り出したミネラルウォーターのボトルを持って父親の向かいに座る。染付のそば猪口に水を注ぐと、フェスがすぐさま寄ってきて首を突っ込み美味しそうに水を飲んだ。それを見届けるとそのままボトルを傾け、そうして一息ついたところで父親の疑問に答える
「セルファからの定期連絡。父さんの愛弟子の報告書をちゃんと読め、と言われたところだ。」
「これのことかい?」
早瀬は手にしていた紙束を持ち上げる。
「いつの間に。」
「だって戻ってきてから、ずっとその辺に放り出してたじゃないか。」
「それを読むには気力が必要だ。」
実はこちらに帰宅してすぐ数ページ読んだのだが、膨大な情報量に辟易してそのまま放り出していた。そのことをセルファに咎められ、念押しされてしまったのである。
「たしかに専門外には辛い読み物だね。でもそれもまた、トランらしい。」面白そうに早瀬は言った。
「尋常じゃない勢いだ。」
「でも彼に頼んで正解だったろう。」
「逆に、よくあんな人材を野放しにしてるな。」
「同感だ。田舎に埋もれさせるには、もったいないと思うよ。」
「今はハンヴィク家の書庫の整理と情報収集に、嬉々として取り組んでる。」
「お前にしては適切な判断だったね。キルムからも手紙で礼を言われたよ。整理が追いつかず困っていたらしい。」
「一石二鳥ってやつか。ヘンリエータやトーアとも上手くやってた。」
「そりゃよかった。ところで神舎の事実確認はとれたのかい?」
「いや。マーギス司教もここしばらく不在らしい。二人の直属の部下もなかなか捕まらないと言ってた。」
「気にはなるが……あんまり司教に頼るのもどうだろう。」
「だったらなぜ、俺に話した?」
ふうむ、と早瀬は口髭をなでる。
「僕はマーギスという人物を知らないからなぁ。何しろガッセンディーアの神舎には、ついぞ足を踏み入れなかった。」
「マーギス司教がガッセンディーアに着任したのは、たぶん父さんがこっちに戻った後だ。アデルの叔父の話だと彼は一族に対する造詣も深く、それでガッセンディーアを任されたらしい。」
「彼は南の出身かい?」
「そう言ってた。」
「神舎も地方によって色合いが違う。特に南はガラヴァルの出身地と言われるだけあって、彼を祭る習慣がある集落も存在する。そういう英雄伝説が残る地域の出身なら、聖竜リラントや一族を受け入れる気質も納得できるな。」
「それは父さんの経験?」
「そうだね。でもそれは学生だったトランと手分けして、南で調査してた頃の話だ。肝心の伝承が失われつつある今となっては、創造神の経典のほうが力があるのかもしれない。」
そういえば、と竜杜は思い出す。
「都がマーギス司教から英雄伝説をまとめた本をもらったんだ。予備知識がないから、基本的なことを教えてほしいと言ってた。」
「僕で役に立つなら。」
「俺より適任だろう。朗報は、リラントの瞳に変化がないこと。それと神の砦の予備調査が始まった。」
「君たちが見つけた遺跡だね。隊長はヘザース教授か。」
「話した覚えはないが……」竜杜は眉をひそめる。
「お前が預かってきた、ガイアナ議長の手紙に書いてあったよ。」
「書いてあったのは、それだけじゃないよな?」
「長老が僕に会いたがってる……という件かい?」
「わかってるなら対処してくれ。」
「何度も言うけど、僕はもう、一族という組織から離れてる。」
「顔を見せるくらいなら支障ないだろう。年末年始にはラグレスの家に戻ってるんだし。一日二日店を閉めたところで問題なさそうだし。それにスウェン・オーロフの墓参りも行きたいと言ってただろう。」
「やけにムキになるなぁ。」
「俺に代理を頼むな、と言ってるだけだ。セルファにも。」
「ほかに頼めそうなのは……」
「だから!父さんが行けばいいだろう。」
うーん、と唸って、早瀬は老眼鏡をテーブルに置く。
「今の長老には一族として認めてもらったし、確かにお世話になったんだけど……どうもそういうことが面倒になってきてね。」
「商店街の集まりには頻繁に行くのに?」
「いつからそんな細かくなったんだい?」
「目的は打ち合わせか、飲み会か。」
「日本式のコミュニケーションだよ。ご近所のおかげでこうして店を続けてるんだし、それを維持し守るのは最優先事項なんだ。それより、お前もガイアナ議長から何か言われてるんじゃないか?」
「それも手紙に書いてあったのか?」
まぁね、と早瀬は頷く。
「彼らは儀式という証拠が欲しいんだよ。」
「形式的なものだし時期だけでも決めろ、とセルファに言われたばかりだ。」
「都ちゃんには言ったのかい?」
「進路で悩んでるこの時期に言えると思うか?それに……無理強いさせたくない。」
「無理強いさせたくない、か。」早瀬はショットグラスを手に取り、くゆらせる。
「それはお前の本心か?」
「え?」
「建前は抜きにして、それでも彼女がいいと言うまで何年も待っていられるのか?お前の気持ちは……」
「俺のことはどうでもいい。」
「まったく、自分の感情を後回しにするところはエミリアにそっくりだ。」
早瀬はバーボンを一気に飲むと音を立ててグラスを置いた。そうして真っ直ぐに息子を見る。
「竜杜もラグレスの家で都ちゃんと過ごして、契約が互いに何をもたらすかわかったはずだ。こちらでは感じないことも、向こうでは感じただろう。」
「それは……」
「エミリアも、お前がこちらで暮らすようになって雰囲気が変わったと言ってる。契約相手と距離が近くなったことで、竜杜自身が安定しているんじゃないかと。」
「仕事に慣れたせいもある。」
「常連さんや宮原にも、随分話しやすくなったと言われたよ。以前の竜杜はもっとぴりぴりして近寄りがたかった、って。もちろん契約の力が全てとは言わない。でも影響は感じてるはずだ。」ちがうか?と問いかける。
いつにない父親の追及に、竜杜はいささか憮然とする。
「都はまだ高校生だ。」
「すぐに結婚しろと言ってるわけじゃあない。だがお前の気持ちを後回しにする必要もない。だって好きな子と一緒にいたい、一緒になりたいと思うのは当たり前なんだから。」
「そんな……」
「子供じみた考えかい?でも僕はそういう気持ちでエミリアを追いかけた。そう思わなければエミリアと一緒になることはできなかった。」そこまで言って、そうだね、と呟く。
「竜杜が我慢強いのは、僕のせいでもある、か。わがままを言いたい盛りに、君に全てを任せてしまったことは申し訳ないと思ってる。だからよけい、都ちゃんに対する気持ちまで我慢するなと思ってしまうのかもしれない。」
「別に我慢なんてしてない。」
「かといって、全力で彼女に気持ちをぶつけてるわけでもないだろう。」
「それは最初に……」
「確かに彼女との契約は強引だったけど、あれからもう一年も経ってるんだ。都ちゃんに対する気持ちだって、あの時とは違うだろう。それに今ならお前が何を言おうと、都ちゃんはキチンと受け止めてくれるはずだ。」
「やけに断言するな。」
「着物を引き継いでくれたからね。」早瀬は微笑む。
「実をいえば期待してなかったんだ。だから竜杜の口ぞえがあったにせよ、都ちゃんが引き受けると言ってくれて、凄く嬉しかったよ。」
「もし……都が引き継ぐって言わなかったら、本当に全部処分するつもりだったのか?」
「母が亡くなって、もう四十年経つんだよ。お前がこうしてこの家で暮らすのも何かの思し召しだと思うし……」
「つまり、人手があるうちってことか。」そんなことだと思った、と竜杜はため息をつく。
「父さんの母親……ってどんな……人だった?」
「優しくて静かで、どこか儚げな人だった。この家には大切な物があって、自分達はそれを守らなくてはいけないんだ、ってよく話してくれた。」
「それが門?」
「うん。でも母親もよくわかってなかったと思う。最終的に婿だったお祖父ちゃんが引き継いで、僕がラグレスと早瀬の家を行き来するようになってから守りを固めてくれてた。今となってはそれに感謝してるよ。」
「守りって……あれか。」
「本来は門を守るためのものだけど、あるいは都ちゃんを守ることもできるかもしれない。黒き竜の動きに不安を感じるなら、彼女にこの家に来てもらうことを考えてもいいのかもしれない。といっても奴の狙いがはっきりしないうちは、なんとも言えない、か。」自分で言って早瀬は苦笑する。
ふと顔を上げ、竜杜が神妙な表情をしているのに気づく。
「どうした?」
「いや……父さんがそういうこと考えてると思わなかったから。」
「僕は門番だよ。」早瀬は言った。
「この場所と、それに関わる人を守るのが役目だ。」
「そうかもしれないけど……」
「何にせよ、」
早瀬は老眼鏡を眼鏡ケースにしまうと立ち上がる。うーん、と声を出して腰を伸ばしてから空になったショットグラスを手にし、竜杜に優しい笑みを向けた。
「あんまり返事を引き伸ばしても得策じゃないぞ。それにセルファを困らせても仕方がない。腹をくくって、都ちゃんに話してごらん。」
本日も目を通していただき、ありがとうございます。
そして無事に更新できました。活動報告に書きましたように、不安定な状況ではあるのですが、ひとまず次回も四日後の更新を予定しています。
よろしくお願いいたします。




