第二十二話
「吹っ切れると勢いで撮れる……か。」
ホントかな、と呟きながら、都は大きなケヤキを見上げシャッターを切った。
「でも、それでいいわけないよね。」
それじゃまるで、在りし日の母緒の仕事パターンにそっくりじゃないかと思う。
容姿では似ていなかった母親とそんなところで繋がっていた……と、わかっても嬉しくないのは、暗に無鉄砲さを指摘された気がしたからに他ならない。
そういえば……この図書館前の広場に来るようになったのは母親が事故で死んでからだと思い出す。
自宅で仕事をすることの多かった母親が家に帰ってもいないことに気付いてから、勉強する名目で図書館に通い始めたのだ。保護者の冴にはよけいな心配をかけたくなかったし、何より図書館の静寂な空間は一人でいることを拒否されない、むしろ一人でいることを肯定してくれるのがありがたかった。
けれど今は……
「やっぱり影がキツイか。」
スカートを気にしつつ、でもスパッツを履いてるから大丈夫、と心のうちで唱えながら立ったりしゃがんだりしてアングルを決める。
ようやくシャッターを押して撮影したのは、いつしか二人の待ち合わせ場所になってしまったベンチ。
「そういえば、あれも三度目の必然だったのかな?」
竜杜に危ないところを二度助けられ、三度目に出会ったのがこの図書館だった。それは本当に偶然で、けれどそれをきっかけに彼と言葉を交わすようになった。
そしてあの日……都が黒き竜に命を奪われそうになり、彼がその命を繋いでくれた、その翌日。竜杜はそれまで束ねていた長い髪を、ばっさり切って現れ、そして都に言ったのだ。
「また会ってもらえるか?」、と。
後になって、どうして短くしたのか尋ねたが、竜杜はただ「暑かったから」と言っただけだった。けれど今考えれば、彼が髪を切ったのは都を契約という枷で繋ぎとめたことへの、彼なりの贖罪だったのではないかと思う。
そう感じたのは向こうの世界で、彼と同じように竜に乗っている男性が皆長い髪を束ねているのを見たからだ。もちろん短い人もいるが、数は少ない。
その理由を説明してくれたのはダールの妹、リィナだった。
「邪魔だからよ。ほら、空は風が強いでしょう。だから束ねるか短くしないと邪魔になっちゃうの。」
都は納得する。
と同時に、都と銀竜に絡んだこととなれば、竜杜は自分を犠牲にすることもいとわないことに改めて気付く。
そこまで自分に対して神経質にならなくても良いのに……とも思うが、それを言い出せる勇気もない。結局、自分がしっかりしていないから竜杜に面倒かけているのだと思い至る。
と、液晶画面に映り込んだ人物に、都は首を傾げた。
カメラを下ろし、その方向を見る。
「やっぱり……」と、呟く。
画面の中では小さくてわかりづらかったが、そこにあったのはにこやかに手を振って都に向かって歩いてくる宮原栄一郎の姿。チノパンにポロシャツ、黒いカバンを手にした栄一郎は、汗を拭きながら都の前にやってくる。
「ここは木陰になってていいね。もしかして撮影の邪魔しちゃった?」
都は首を振る。
「ただの練習です。それより、よくわかりましたね。」
「一目で都ちゃんってわかるよ。今日は学校?」
「部活です。まだ夏休みだから。」
そう言う都を、栄一郎は近くのチェーンのコーヒーショップに誘った。
アイスコーヒーに一息ついたところで栄一郎が言う。
「この間はお菓子ありがとう。すごく美味しかったよ。」
少し長めの髪に眼鏡の優しい笑顔。親子ほど年齢差があるのに、まるで「親戚のお兄さん」のような気安さが彼にはある。
「ラグレス家自慢の料理人さんの作ですもん。」
「あと一緒に入ってた花の香りがするお茶。あれ、笙子さんがすごく気に入ってた。」
栄一郎の妻、宮原笙子は、早瀬加津杜の同級生である。彼の妻……つまり竜杜の母とも面識があるらしく、また竜杜のことも赤ん坊の頃から知っているという。
その夫である栄一郎は、絵本作家として活動しつつ、宮原医院の小児科医として忙しい妻の生活をサポートする主夫でもある。都とは時々お茶をする甘いもの仲間、そして笙子ともども早瀬家の事情を知った上で、ときに手助けしてくれる心強い「共犯者」なのである。
「体はもう夏に戻った?」
「もー、大掃除手伝ったら完璧です。」
「ぼくのとこにも連絡来たよ。古い……戦前の絵本が出てきたけど、どこか引き取ってくれそうなところ知らないかって。」
「外国の絵本もありましたよ。」
「うん。早瀬さんのお祖父さんって戦前、輸入のお仕事してたんだってね。だから、そういうものを専門に扱ってる店を紹介しておいた。趣味が高じてお店開いた人だから、価値があるものはわかってくれると思うんだ。」
「わたし、古い電話機もらっちゃいました。」
「ダイヤル式の?」
「はい。コギンが気に入って、ずーっと遊んでるんだもん。」
「それはそれでかわいいなぁ。」うんうん、と頷く。
「店の備品も地下に移したり、大変でしたよ。」
「地下……って普通に使えるんだ。」
「門は道標があって開くものだから。道標である銀竜が道を開かなければ、普通なんだそうです。」
へぇっと目を丸くする。
「栄一郎さん、どこか出かけてたんですか?」
買い物バッグではなく、サラリーマンのような書類サイズのバッグを持っているのが珍しくて首を傾ける。
「検査結果を聞きに病院に。」
「どこか悪いんですか?」
「以前話したと思うけど、昔大病したことがあってね。言ってみれば前科者。だから定期的に検査を受けてるんだ。今回もオールグリーン。異常なし。」
その言葉に都はほっと息を漏らす。
「よかった。」
「気遣ってくれてありがとう。」
あ、いえ、と都のほうが恐縮してしまう。
「栄一郎さん……ちゃんと病気したこととか言えるの、凄いです。嫌なこと、言いたくないのが普通なのに。」
「それは、時間のおかげ。やっぱりしばらくは誰にもいえなかったよ。都ちゃんもお母さんのこと、そうだったんじゃない?」
「聞かれたら言えるようになったけど……でもまだ全然です。」
栄一郎は首をかしげる。
「落ち込んでるっぽいけど、何かあったの?」
一瞬、都は口ごもる。
「その……何かっていうか、わたし高校で何やってきたんだろう、って。写真のテーマも決まらないし、進路も決まらない。なんか中途半端で……」
「進路……そういう時期か。」
「他の友達とか、ちゃんと目標決まってて、冷静になったら本当はもっと早い段階で考えることなんだろうなって。でも、わたし考えるの避けてた……っていうか、ずっと見ないようにしてきたっていうか……」
「ゆっくりじっくり考えるのは、都ちゃんらしいと思うけど?」
「そうじゃなくて……言い訳してきたんだと思います。」
「言い訳?」
「お母さんのこと。」
ああ、と栄一郎は呟く。
「たぶんずっと……そのこと言い訳にして、ちゃんと向かい合ってこなかった気がする。リュートと知り合ってからは忙しくて余裕がなかったし……ってこれも言い訳ですよね。」
「そんなことないよ。辛いときや悲しいとき、どうやっても動けないときってあるもんだよ。都ちゃんはそれがちょっと長かった。だから今考えてる。それだけでしょ。」
「なんですけど、いろいろありすぎて。」
「全部一度に考えるから大変で、実は一つずつ考えたらそうでもないかもよ。そうだな、差し迫って考えなきゃいけないことは?」
「文化祭用の写真。いっつも間際で悩んじゃうんですよね。」
「去年も?」
「あ、はい。去年も悩んで……」言いかけて思い出す。
「そういえば、やっぱり今頃焦って撮りに行ったんだっけ。」それも竜杜と一緒に。思い起こせばそれが最初のデートだったかもしれない。
「だったら、今なら間に合うってことでしょ。」
「そう……か。」
「進路だって、自分が何をしたいか考えれば道筋が見えるんじゃないかな。」
「でも一人で考えていいのかな。」
「引っかかってるのはそこか。でも竜杜くんといずれ一緒になるとしても、都ちゃんがやりたいことなら、竜杜くんも早瀬さんも応援してくれるでしょ。」
「だから……中途半端に決められないなぁと思って。わたし今まで目の前のことでいっぱいで、何かを引き継ぐなんて考えてなかったから。」
「引き継ぐってフリューゲルを?」驚いたように目を丸くする。
「いろいろです。」そう言って、都は早瀬の母親の着物をもらったことを話す。
「それに向こうの……ラグレスさんの家はずっと銀竜を守ってるし。そう思ったら、なんか一人じゃ決められないなぁと思って。」
「でもそれを都ちゃんに強要したわけじゃないよね?」
「どうせなら、はっきり言ってくれたほうが楽なのに……」
くすりと栄一郎が笑う。
「わたし、本気で悩んでるんですけど。」
ごめんね、と眼鏡を指先で押し上げ微笑む。
「都ちゃんがそう言うと思わなかったから。でもちゃんと前に進んでるだな、って感心した。」
「前に?」
「うん。だって少し前の都ちゃんは、竜杜くんを知るので精一杯だったでしょ?」
「そうだっけ?」
「うん。でもその先を考えるようになったんだから、それはどう考えても進歩だよね。自分を謙遜するのは相変わらずだけど。」
ああ、やっぱり、とうなだれる。
「さっき波多野くんに同じこと言われちゃいました。三年生なんだからもっと堂々としてればいいって。」
「難しい?」
「だって自信ないし……冴さんにはいっつもいろいろ言われちゃうし。」
「冴さんは亡くなったお母さんの分まで、都ちゃんの保護者であろうとしてるんだよね。何かあったときに悪者になって軌道修正できるのは自分だけ、って考えてるんじゃないかな。だから厳しいこと言うし、それでも竜杜くんは屈しなかったから、今は認めてるじゃない。」
はぁ……と都は目を丸くする。
「やっぱり……栄一郎さんすごいです。」
「これは年の功。」
「その……よくわかんないけど父親とかいたら、こういうこと言ってくれるのかな。」
うーん、と栄一郎は思案する。
「ぼくが父親だったら、こんな風に話聞いてないかもしれない。」
「え?」
「だってかわいい娘、彼氏に取られるの前提でしょ。」
「と、取られるって……」
「ぼくも子供がいないからわかんないけど。父親ってそういう感情あるみたいだから。」
そっか、と都はなんとなく納得する。
「だったら相談相手が栄一郎さんでよかった。それに、なんかやること見えてきた気がします。」
「ぼくも相手が都ちゃんでよかった。明確な答えは言えないけど、吐き出して軽くなるなら、いつでも話聞くよ。」
「ありがとうございます。そだ。それとまたコギンのドラゴンシッターお願いしてもいいですか?」
活動報告かけませんでしたが、今回も無事更新です。
次回も四日後を予定していますが、ひょっとしたら、予定通りにならない可能性もあることを先に言っておきます。そのときは活動報告に書きますので、そちらを見てください。




