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第十九話

「これで全部?」

「さすがにあるわね。窓、開けてる?」和室に積まれた引き出しを数えながら、小暮冴(こぐれさえ)(みやこ)を振り返る。

「開けたら暑いよ。」

 庭から聞こえるセミの声に、都は眉を寄せる。

「風通さないと、ホコリが辛いわよ。マンション(うち)と違って日本家屋は熱が篭らないから楽なはず。」

「それに二階に比べれば一階はまだ楽だ。」

 羽織った半袖シャツの襟を扇ぎながら和室に入ってきた竜杜(りゅうと)が顔をしかめる。

「そんなに暑いの?」

「それなりに。コギンとフェスは俺の部屋に放り込んだから、こっちは開けても大丈夫。」

 その言葉を合図に、冴はセミロングの髪をシュシュで束ね、軽く眼鏡を押し上げて気合を入れる。

「じゃあ、はじめましょうか。」

 竜杜と都が異世界から戻って数日後。

 世間的にもお盆休み真っ只中、そして昨日より夏休みに入った喫茶店フリューゲルの建物を横目に見ながら、都は保護者の冴と早瀬家の母屋(おもや)で大掃除の手伝いをしていた。以前から話はあったが、具体的な決行日は決まっていなかった。けれど都たちが不在の間に、冴と家の主人である早瀬加津杜(はやせかずと)の間で話し合いが行われたらしい。

「早瀬さんちにある開かずの箪笥(たんす)、やっつけるわよ!」

 そう宣言されたのは真冬のラグレス家から、三十度超えの東京に戻ってきた直後。当然身体が動くはずもなく、数日は木に引っかかったナマケモノのごとくダラダラ過ごしていた。

 ようやく聞く耳を持ったのは一昨日の夜。それによるとこの家の二階に着物箪笥があり、せめて一(さお)にまとめたいので冴が手伝うことになったのだという。

「冴さん、着物詳しいもんね。」

「何が出るかわかんないけどね。」そう言う彼女の声は、どこか楽しそうだった。

 実際、友人知人の結婚式には和装で出席するし、時には頼まれて着付けるほど冴は着物になじんでいる。とはいえ普段はインテリア設計事務所の所長として、自ら現場にも赴くので、動きやすい服装が鉄則。

「確かに最近ちょっと着てないけど……ま、必要に迫られれば着るでしょ。」

「むしろ意外な特技というべきか。」

「聞こえてるわよ。」

 竜杜が呟くのを、冴は聞き逃さない。

「でも今の時代、着物着るのも特技っちゃ特技かしらね。母が和裁と着付け教えてたから。見よう見まねでね。」そう言いながらも、彼女はテキパキ指示を出していく。

 早瀬家の母屋は、戦前に建てられた日本家屋である。家の敷地が商店街と生活道路に挟まれているため、商店街に面した部分に喫茶店フリューゲルの店舗である大正時代の文化住宅が、そして生活道路に沿って母屋が建てられている。二つの建物は独立しているが上から見るとL字に並んでおり、建物に囲まれた部分はゆったりした広さの庭になっている。

 二人が着いたときはまだ水滴をまとっていた緑の芝も、今は夏の日差しを受け必死で暑さに耐えている。

 庭との境界になっている母屋の縁側と一階の居間はひと続きの板張りの部屋になっていて、そこに内包される形で仏間を兼ねた和室がある。普段は仕切られているが今日は(ふすま)を開け放しているので、居間の一部のような開放的な空間になっていた。

 都は冴の指示でたとうし(・・・・)を開くと、中身を順々にハンガーにかけて鴨居(かもい)に吊していく。あっという間に、和室と居間の境目は色とりどりの布で覆われる。

「長じゅばんや浴衣は変色してるから処分するしかないわね。」

「洗い張りした生地……こりゃおばあちゃんのだな。」

「早瀬さんのおばあさま、よね?じゃあ戦前のものかしら?随分使い込んでるけど、布として使えそうね。」

「もしかして香織(かおり)さんに送るの?」

 都は冴の友人を思い出す。亡くなった母親とも付き合いがあった染織(せんしょく)作家で、以前は上京するたびに家に泊まっていたし、彼女の作品展も母親と一緒に見に行ったことがある。

「そういえば最近、東京来ないね。」

「いろいろ忙しくて、自宅の教室で手一杯みたいよ。でも布はあいつの領分だし、何らかの形で生かしてもらえればそれが一番いいって、早瀬さんも言ってくださったから。」ちゃんと連絡と了承はしてあると言う。

 相変わらずの手際のよさに感心しながら、ふと開いた包みの中にあるカラフルな色に目を奪われる。

「これ、面白い。」

「銘仙ね。」

「メイセン?」

「大正ごろから流行した普段着。色とか柄が大胆で……そうね、今だとレトロなおしゃれ着ってところかしら。」

「普段着、なんだ。」

「ワンピースみたいなものよ。あら、総絞(そうしぼ)り。これはさすがに切るのもったいない。ねぇ都ちゃん。」

「わたし着ないよ。」

「先制されたね。」と、早瀬。

「昨日から言ってるのよ。いいから羽織ってみない?」

「やだ!絶対暑い!」

「軽く着るだけ。観念しなさい。」

「って、なんでわたしなの?」

「早瀬家の一人息子とお付き合いしてるんだから、当然でしょ。」

「それは俺のせいってことか?」空いた引き出しを運んでいた竜杜が呟く。

「だって事実でしょ。姿見ある?」

「二階の古い鏡台、持っておいで。」

 早瀬に言われて竜杜は頷く。

 そこまで状況が整うと引くに引けず、結局言いくるめられてしまった。

 ただし和室は暑いので、フェスとコギン、二匹の銀竜(ぎんりゅう)のために冷房を入れっぱなしの竜杜の部屋を借りて着付ける。

「ちゃんと道具用意してきてるの。ずるいよ。」

「そりゃー念のために持ってくるわよ。」

 どうりで荷物が多かったと、都はぶつぶつ言う。

「いいから後ろ向いて。」

 冴は着せ付けた長着(ながぎ)の皺を手際よく伸ばして半幅帯(はんはばおび)を巻いた。小気味よい衣擦れの音が響く。

 傍らでは、銀竜たちが興味津々で冴の手元を見守っている。

「どーせ、七五三とかいうんだから。」

「言わないわよ。おしゃれから目を背けてるの自分でしょ。磨けば光るのに、うん。寸法もちょうどいい。」

 ぽん、と後ろから結んだ帯を叩く。そうして満足そうに頷くと、そのまま都をリビングに引っ張り出した。

 早瀬がまず目を留めて、ほう、と呟く。

 それだけでも十分恥ずかしいのに……

「さすがに雰囲気、変わるな。」

 そう竜杜に言われ見つめられ、都は(うつむ)いた。

 なんと返していいのかわからず、拗ねたように小さな縦長の鏡に自分を映す。

 全体にピンクとグレーを重ねた細かい絞りに、珊瑚色(さんごいろ)の半幅帯。

「略式よ。本当はもっとちゃんとした帯する着物だから。もしかして早瀬さんのお母さまも小柄な方だった?」

「まぁ昔の人だから、そうだね。」

 ああ、そうか、と竜杜が呟いた。

「布の面積が広いから、存在感があるんだな。」

「間違っちゃないけど、この場で冷静に分析しないでよ。」

「仕方ないだろう。見慣れてないんだから。」

「他に言うことあるでしょ。」

「もちろん、綺麗だ。」

 気負いもなくサラッと言われた言葉に、都は思わず「へっ?」と声を上げてしまった。みるみる顔が熱くなる。

「な、なんでそういうこと……ここで言うのぉ?」

「なんでって……そう思ったから。いつもと違った雰囲気でいいと思う。」優しい笑顔でそう言われたら反論できない。

 その様子に、冴がくすくす笑う。

「さすがというか、遠慮ないわね。」

「促したのはそっちだろ。」

「まぁ僕と奥さんのやり取り見て育ってるから、仕方ないんだけどね。それより都ちゃん、クールダウン。」どうぞ、と早瀬はグラスを差し出す。

「わぁ!ありがとうございます。」

 天の助けとばかりに、水滴のついたグラスを受け取る。

 クラッシュした氷をストローでしゃくしゃくかき回し、口をつける。染み渡る冷たさと甘さ、それにソーダの刺激とそれ以上の酸味にほーっと息をつく。

 半分ほど一気に飲むと、ようやく身体のほてりも顔のほてりも治まった。

「梅ソーダ?」

「うん。前に仕込み手伝ってもらった梅シロップ。あれを炭酸で割ったんだ。」

「おいしい、です。」それにほのかな甘さがちょうどいい。

「落ち着いたら次はこっちねー。」

「って、まだやるの?」

「ついでよ。ついで。」

「そういう問題じゃなくて、すごく暑いの!って聞いてる?」

「これ、(そで)を切ったのかしら?」長着(ながぎ)をひっくり返していた冴が呟く。

「袖?」

「振袖は未婚の礼装でしょ。結婚したら袖を短くして訪問着(ほうもんぎ)として着るの。友禅(ゆうぜん)かしら。」

「なんか地味?」

「落ち着いた薄緑だからね。でも派手なの好きじゃないでしょ?それに都ちゃん肌が白いから似合うと思うわよ。」

 冴はたとうし(・・・・)の中から帯と小物を拾い上げると、もう一度都を冷房の効いた部屋に引っ張っていく。

「友禅、っていうの?」

「染めの着物ね。と、長じゅばん着たら都ちゃんでも()きが短いわね。」さすが現代っ子、と冴は笑う。

「ええと、これ名古屋帯(なごやおび)だったか。でもまぁ、いっか。」ぶつぶつ言いながらお太鼓(たいこ)を背中に乗せる。

 とたんに背中が補強された感じがして、都は慌てて背筋を伸ばした。

 最後に細い髪をゴムでまとめて軽くピンで留め、襟足(えりあし)を際立たせる。

「さっきより着物っぽい。」

 引っ張っていかれた和室の鏡台の前で、都はあっちこっち映してみる。

帯揚(おびあげ)帯締(おびじ)めしたからね。帯も素敵よ。早瀬さんのお母様、いいもの見る目があったのね。」

「曽祖父という人が商売してたから、いろいろ良いもの見てたんだろうね。でもご多分に漏れず、華やかな着物は戦後食料に化けたと思うよ。」

「都ちゃんだったら帯揚(おびあげ)明るいほうがいいかしらね。」これなんかどう?と拾い上げた布を帯と着物の隙間に乗せる。たったそれだけで、全体の印象が明るいものに変わった。

 それに色は確かに地味だが、襟元(えりもと)から(すそ)にかけて描かれた草花は一続きの柄になっていて、まるで自分自身がキャンバスになったような華やかな雰囲気がある。

「これって手で描いてる……んだよね?」

「そおよ。帯の刺繍(ししゅう)も手作業のはず。」

 竜杜の言うとおり布の面積が広いというのもあるが、何より華やかでありながら日本的落ち着いた色彩に目を奪われる。

「サイズ……関係ないのかな?」

 そう呟く都の背に、冴が「ねぇ」と声をかけた。

「こちら」に戻って参りました。

それに伴い名前表記が「早瀬竜杜」に変わってます。主人公本人無自覚ですが、書く方は面倒なシステムです(^^;

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