第十六話
「ようやく、登場か。」
「分隊にいないと思ったら、やっぱりここに来てたか。」
リュートの言葉にダールは「これも仕事だ」と言う。
再び訪れた州都ガッセンディーアで、都はリュートと共に一族の長老、ルヴァンドリの屋敷に来ていた。そこで待ち構えていたのは先に訪れていたダール。
制服姿のままのところを見ると、業務を抜け出して来たのだろう。
「今日はあいさつ回りか?」
「そんなところだ。」
「休暇はどうだった?ミヤコはラグレスにしっかり甘えたか?」
「秘密です。」
「そりゃ残念。」どこか楽しそうにダールは言う。
「明日ミヤコが帰国するって今朝言ったら、リィナのやつ、なんでもっと早く言わなかったんだって怒りやがった。父親の代理でしばらく親戚のところに行くもんだから……」
「わたしも最後に会えなかったの残念です。だから次に来たとき、また案内してほしい……ってリィナに伝えてもらえますか。」
「ああ、言っておこう。っと……」奥から出てきた人物に気付く。
「見送りは不要と言っただろう。」
「お客様の出迎えよ。」涼やかな声で、彼女は言った。
瞳は空のように明るく、亜麻色の髪は瞳と同じ色の石をはめた髪飾りで留めている。服は紺に近い深い色だが、決して地味ではなく、むしろ彼女の白い肌を引き立てている。そして首に沿うほどの長さの金の鎖と白い石を使った装飾品。どれもが上品でシック。そして身に着けている本人と調和の取れた装いに、都は思わず見とれてしまう。
「久しぶりだね、アニエ。」
「ええ、本当に。」
言いながらアニエは小首をかしげ、品定めするようにリュートを見る。
「見慣れたせいかしら。短い髪も悪くないわ。」
「いまさら、か。」
「だって慣れなかったんですもの。そちらが噂の婚約者ね。はじめまして、アニエ・フィマージです。」
慌てて都も自己紹介する。
「彼女は長老のお孫さんだ。」
「そしておれの婚約者でもある。美人だろう。」
「いいから仕事に戻れよ。」
リュートの言葉にダールは肩を竦める。
「じゃあアニエ、また夕方立ち寄る。」ダールはアニエの頬に唇を触れると、その場を立ち去った。
「リュートはこちらへ。ミヤコはリュートが用を終えるまで、私のお茶に付き合っていただけるかしら?」
「あ、はい。」
ためらいがちに頷く都を、アニエは中庭に面した明るい部屋へ案内した。
窓際にしつらえたテーブルから見えるのはタイルのような平たい石を敷きつめた庭。石と低木を配置して、明るい印象に仕上げている。
「ラグレスのお宅ほどでないと思うけど、祖母が大切にしている庭よ。」
「綺麗です。ガッセンディーアの真ん中にこんな庭があるなんて。」
屋敷に囲まれているので、外からは想像がつかない。
「もしかして、ここにも竜、降りてくるんですか?」
「ええ。急ぎの用があるときは。そんなに緊張しなくても大丈夫よ。作法どおりに、なんて言わないから。」
その言葉に安心して、都は抹茶茶碗のようなカフェオレボウルのような茶器に口をつける。
「あれ?これ……」
「ええ。ラグレスの……エミリアさま特製のお茶。」嬉しそうにアニエは言った。
「おばあさまがお好きだから、オーディに頼んで直接譲っていただいてるの。」
「アデル商会でも人気があるって聞いてたけど……本当だったんだ。」
「花のお茶は他にもあるけれど、これは特別。エナの花は栽培が難しいからどうしても量が限られてしまうのですって。」
「わたしより詳しいです。」
「全部オーディの受け売り。あなたのこともいろいろ聞いているわ。」
「わたしのこと……ですか?」
「ええ。銀竜を名付けたこととか、大胆なところがあるとか。それに、リュートがあなたを大切にしてるって。」
「そ、そんな……」思わぬことを言われて顔が熱くなる。
そんな都に、アニエは優しい笑みを向ける。
「本当に可愛らしいわ。」
「アニエさんこそ……とってもお綺麗です。」
「ありがとう。」
「それにダールさんと仲がいいんですね。」
「オーディとは幼馴染なの。彼のお父様が私の父の部下だったから、よく顔をあわせていたわ。」
「だから婚約したんですか?」
「いいえ。むしろ父には反対された。」
えっ?と驚く。
「それでも気持ちは変わらなかった。だってオーディは私を空に連れて行ってくれたんですもの。あの頃、父や兄も忙しくて空には連れて行ってくれなくて、私も勉強ばかりで息が詰まりそうだったの。そんなとき、彼が同胞の背に乗せてくれたのよ。」
そっか、と都は納得する。
「アニエさんも、飛ぶのが好きなんですね。」
「だってご先祖は聖竜リラントと一緒に空を駆けていたのよ。嫌いなはずないじゃない。だけど私にはクラウディア・アデルのように飛ぶ術がなかった。そう言ったら、オーディが竜の背に乗せてくれたの。」
「空、気持ちよかったですか?」
「ええ、とても!彼はあとで、すごく怒られたみたいだけど。」
それでも懲りずに何度も空に連れて行ってくれたのだと、アニエは嬉しそうに話す。
「そうしたら、だんだん彼のことがわかってきたの。英雄の家系なんていう肩書きがあると、それを目当てに近づく殿方も多い。だけど彼はそうじゃない。私自身をちゃんと見てくれてるんだ、って。彼のお母様が異国の出というせいもあるのでしょうけど、彼は相手の身分や立場がどうあれ、差別することはないわ。」
確かに、と思い出す。初対面から都が異世界の人間だとわかっていたはずなのに、そのことで否定的なことは何一つ言わなかった。
「それは空の同胞に対しても同じだし、竜隊の誰に対しても同じ。それでも父はいい顔をしなくて、最後は祖父が説得してくれたの。」
「アニエさんのお祖父さん……って一族の最高責任者ですよね?」
「ええ。祖父は最初からオーディとのこと賛成してくれていたから。さすがの父も祖父に言われたら反論できないもの。でも……」とアニエの表情が曇る。
「ここのところ祖父の加減が良くなくて、私たちの契約の儀も少し先延ばしになりそうなの。」
そのため、長老を看病するために実家を出ているのだと、都はリュートから聞いていた。その話をするとアニエはそうね、と頷く。
「もちろん祖父のことは心配だし、祖母一人では大変だから……というのもあるけど、半分は実家を出るための口実かしら。」
「口実?」
「母は……夫に従順なよき妻でありよき母で、父は私にもそれを求めるの。勉強よりも行儀作法。空を飛ぶことよりもお茶会や晩餐に出席しろって。それに歴史や法律の本を読むこともダメだって言うの。」
「それ、この国では普通なんですか?」
「時代錯誤もいいところよ!」アニエは形の良い眉をひそめる。
「でもこの家にいれば、そんなこと言う人はいない。それに祖父を手伝って文書や手紙を代筆することもあるから、むしろ知らなければいけないことが沢山あるわ。兄達もそれをわかっていて、最近は父に内緒で本を差し入れてくれるの。」
「そういう勉強、大変そう。」
「そうね。でも大好きな祖父の手伝いができるんですもの。それ以上の喜びがあるわ。ミヤコだって、大変だと思って銀竜と共にいるわけではないでしょう?」
そう言われて都は確かに、と思う。
「オーディもリュートもそう。竜と共に飛ぶことは大変だけど、それを大変と思ってはいないんじゃないかしら?」
そこまで言ってアニエは庭に目を向けた。
「ちょっと外へ出ない?」
そう言って人を呼ぶと、肩掛けを持ってきてもらう。たっぷりした薄い布を羽織ると、「外は寒いから」と都の肩にも綺麗な布をかけてくれた。
掃き出し窓から外に出ると、待ち構えていたコギンとフェスが舞い降りる。
「フェスも外にいたのね。そしてあなたがコギンね!本当に綺麗!」
アニエは小さな竜に向かって軽く腰を落とす。
「私、アニエよ。よろしくね、コギン。」
コギンもかしこまってぺこんと頭を下げる。
その姿にアニエは微笑んだ。
「とてもお行儀のいい子なのね。」
「最近、人の真似することが多くて。」
「いろいろなことを覚えようとしているのね。向こうでもこんな風に外に出しているの?」
「いえ、それは……」まだ、と言いかけて都は慌てて口を押さえる。
その姿を見たアニエは、悪戯をした子供のようにそっと唇の前に人差し指を立てた。
「大丈夫よ。ハヤセの家のことは誰にも話さないから。」
その言葉に都はこくっと唾を飲み込む。
「つまり……知ってるってこと、ですよね?」
アニエは頷く。
「ハヤセの家が担っている役目も、リュートがお手伝いのために向こうに行ってることも知っているわ。それにあなたがそこを通ってこの国に来たことも、リュートとの契約が成立していることも。」
そんなに?と都は目を丸くする。
「先に契約が成立するなんて驚いたけれど、羨ましい。だってどこにいても、相手を感じることができるのでしょう?」
「それは……えと、まだ良くわからないっていうか……」
そこまで言って思いつく。
「ダールさんに聞いたんですよね?」
答えの代わりに極上の微笑み。
「家族も祖父も、私が知っているなんて思ってないはずよ。だけど私はいずれダールの家に嫁ぐんですもの。オーディとリュートが仲たがいすると思う?」
「話を聞いてるとなさそうだけど。」
「あの二人、物心つく前からの付き合いだものね。」
「でも……」都は無意識に呟く。
「なぁに?」
「あ、えと、ちょっと気になってたっていうか……たいしたことじゃなくて……」
「言ってみて。」
「それだけ付き合いが長いのに、なんで二人とも名前で呼ばないのかな、って。他の人はリュートのことはリュートだし、ダールさんのことはオーディって言うのに……」
アニエの表情がふっと曇る。
「それは……私のせい。以前は名前で呼び合っていたのだけど、オーディと私の婚約が決まったときから、リュートが彼のことダールの名で呼び始めたの。」
「どうして?」
「オーディの家も由緒正しいのだけれど、彼のお母様は異国の出だから一族の中では目立ってしまうの。リュートのお父さまも同じ。もちろん私は気にしないけれど、回りはそうじゃない。だからオーディを確固たる立場に立たせるために、自分との距離を置くためにそうしたんじゃないかって。」
「距離、ですか。」
「じかに訊いたわけではないけど。」
「でもそれって、すごくリュートらしい。」
「オーディもそう言ったわ。だから最初は反発したけど、いつしかリュートに合わせてラグレスと呼ぶようになってしまったの。付き合いは全然変わってないのにね。」おかしそうに笑う。
「でも……やっぱり異国の出って目立つんですね。」
「そんなことを言っているから、一族という枠がどんどん狭くなっていくの。英雄たちはもっと自由で、もっと寛大だったはずよ。そうでなければリラントを盟友なんて呼べないもの。それに確かにリュートは目立つけど、それは優秀だからという理由もあるの。」そこまで言って、アニエは「そうね」と思案する。
「もしかしたらミヤコのこと、詮索する人も出てくると思うわ。けれどそんな暇人に構うのはおやめなさい。」
「はっきり言っちゃうんですね。」
「だって時間の無駄だもの。それよりも、ミヤコには世界をいっぱい見てほしいの。」
「世界……ですか。」
「ええ。神の砦に行ったのよね?」
「あ、はい。」
「どうだった?」
「古くて、荘厳で、すごかったです。わたしの国とは全然違うけど、でも神様を祭る雰囲気はすごく伝わって……」
「あなたの国の神様はどんなところに祭られているの?」
「えと、ほとんど木造……木で作った建物で……」
そこまで言って、アニエがひどく嬉しそうな表情をしているのに気付く。
「こんな話でいいんですか?」
「ええ。そういう話が聞きたいの。世界のこと、竜のこと、あなたがどう感じたか、あなたの世界と比べてどうなのか。」
「わたし、凄いことなんて言えません。」
「でも今、ちゃんと教えてくれたでしょう?神の砦が自分の国とは違うって。」
「そうですけど……」
「私たちにとっては当たり前で見えないことも、あなたならきっと教えてくれる。だってミヤコじゃなきゃ、気がつかないことばかりだもの。」
そうでしょう?とアニエは微笑んだ。
リュートが長老との面会を終えたところで、アニエはリュートにもお茶を薦めた。けれど彼は「まだ行くところがあるから」と丁寧に断ると都と共に屋敷を辞した。
二人を見送ったアニエは、その足で祖父が休んでいる部屋へ向かう。
「見送り、ご苦労だったね。」しわがれた声で長老は孫娘をねぎらった。
安楽椅子に身をもたせているが、人と会ったせいで疲れの色が見える。
「リュートとお話はできました?」
「ああ。おまえはリュート・ラグレスの婚約者と会っていたのかね?」
「一緒にお茶を飲んで、お話しましたわ。」
「どんな娘さんだった?」
「若くて控えめで、とても聡明な方。名づけた銀竜も礼儀正しくて、銀竜の主人にふさわしい方ですわ。」
ほう、と長老は意外そうな表情をする。
「銀竜を名付けたのかね?」
「ええ。ラグレスの家で生まれた綺麗な銀竜よ。コギンというの。」他にもいろいろな話をしたのだと報告する。
「よほど彼女と話が合ったようだな。」
アニエは頷く。
「彼女も竜と共に飛ぶことが好きなんですって。異国の出であっても、彼女は一族を名乗るべきだと思います。」
嬉しそうな孫娘の言葉に、彼は頷く。そして言った。
「お前が言うのなら、そうなのかもしれないな。」
こっちの世界もあと少し。
次回も四日後に更新です。




