第十三話
「それで、話は聞けたんですか?」
「責任者が不在ということで、なにも。」
セルファ・アデルの言葉にトラン・カゥイは「でしょうね」と呟いた。
「お疲れさま、としか言いようがありませんが……」彼は書棚にかけた梯子から降りると、先にリュートに渡しておいた本を受け取った。
三人がいるのは天井まで書棚に囲まれた部屋で、けれどそこに押し込められていた膨大な量の古本は、ほとんど床や机の上に積まれている。
セルファから話は聞いていたが、その本の量と雑然とした部屋の様子に、リュートは最初足を踏み入れるのをためらったほど。しかも一見すると乱雑に積まれた本は、作業責任者のトランに言わせると「ちゃんと分類してある」状況らしく、一冊でも動かそうとすると即、トランの慌てた声が飛んでくるのだ。
「有象無象とはよく言ったものです。大学に納めるような専門書から、怪しげな写本まで、よくもまぁ集めたというべきでしょう。」眼鏡を押し上げながらトランは言う。
三十も半ばのはずなのに、寝癖の残る茶色の髪としわくちゃの服のせいで学生のように見える。
「ハンヴィク家のご当主が竜に関するあらゆるものを収集しているのは、有名な話です。しかも先代からの収集品を引き継いでいるから、古本屋も心得ているのでしょう。」
おかげでこの屋敷の主人であるキルム・ハンヴィクの元には未だ怪しげな本が持ち込まれ増えているのだと、セルファは説明した。
「確かに真贋怪しいものもありますが、それはそれで面白い。論文の一つも書けるんじゃないかな。」
竜と銀竜の伝承を研究していたトランが学者志望だったのは、同じ分野の研究仲間だった父、加津杜から聞いていた。けれど聖堂の司書官とひと悶着起して研究の道を断念し、ずっと故郷で子供相手に教師をしていたのである。そんな彼にリュートは「黒き竜を封印する方法を探してほしい」と依頼したのだ。
父親の推薦もあったが、何よりその父が自身の素性……門番であることを自ら話すほどの信頼を寄せていることが大きかった。持参した紹介状も功をなし、トランは協力することを快諾してくれた。そして彼が聖堂の書庫に出入り禁止になっているという窮状を聞いて、リュートが紹介したのがここ、ハンヴィク家だったのである。加津杜の竜隊時代からの友人で竜に関する本の収集家としても有名なハンヴィクもまた、トランの申し出を受け入れ、以来、彼は週末ごとにこの家で膨大な本と格闘しているのである。
「けれど神舎ならいざ知らず、」手にした本を注意深く開きながらトランはくくっと笑う。
「本舎に竜で乗り込むなんて……なかなかない光景ですね。向こうも驚いたんじゃないですか?」
「いや。むしろ俺たちが来ることを予想していたような口ぶりだった。」
「そうですね。私たちが神の砦での一件に関わったことを、ちゃんと認識していました。その上で……」
「担当者が不在なのでわからない、と。」セルファの言葉をリュートが引き継ぐ。
「その言葉も本当のようでした。実はあちらでガッセンディーアの司教殿のお弟子さんにも会ったのですが、彼も待ちぼうけを食わされていると言ってました。」
「つまり……戒律違反を犯した元司教に何かが起きたのは事実。でもそれが何かわからない、ということですか。」トランは無精ひげをなでながら思案する。
「ぼくも呪術は詳しくありませんが……」
それでもセルファから神の砦での一件を聞き、いくつか呪術に関する文献に目を通してみた、と前置きする。
「その元司教という人はご高齢だったんですよね?」
「見たとおりに受け止めれば。」
「呪術というのは言葉と音で大気を操り、その結果、物を変質させる行為です。もちろん対象物に向かってですが、必ずしも完全に操れるわけでなく、使った本人に少なからず影響が出た、という記述もいくつかありました。呪術が禁じられて久しいので本当かどうかわかりませんが、可能性はあると思います。」
「つまり自業自得?」
「そんなところでしょう。それより、そのことを教えてくれたガッセンディーアの司教殿は、何をどこまで知っているのでしょう?」
さぁ、とセルファは首をひねる。
「聞くことはできませんか?」
「相手はガッセンディーアの神舎で一番偉い人ですよ。」
「アデル商会の顧客なんですよね?」
「それとこれは話が別です。」アデル商会の跡取りであるセルファが眉を寄せる。
「それに私の父いわく、敵に回すと厄介だそうですから。」
「でも話を聞いた限りだと、少なくともリュートは敵とみなされてないようですね。」
「敵になるつもりもない。でも……そういえば……」ふと、リュートはマーギスとの会話を思い出す。
「何か、気になる話でもあったんですか?」
「気になるというか……」
リュートは以前、神の砦でマーギスと話したことを思い出す。
それは呪術を使った二人の処遇をリュートが尋ねたとき。マーギスは、恐らく事件を神舎が公にすることはないとほのめかした上で、呪術についてこう言ったのだ。
「今はまだ小さい雫でしかないかもしれない。けれどこれが道筋をつけた流れになったら?」と。
もちろん、それはありえないこと。あってはならないことだとリュートは答えた。
「それは神に仕えるものも、聖竜の意思を継ぐものも同じ。だから自分達で封じなければならないと本舎は判断するだろう、と言われた。」
「それはまるで……」トランが眼鏡を指先で押し上げる。
「呪術を復活させようとしている何者かの存在を、神舎が知っているような言い方ですね。」
「ああ。そのときは気に留めてなかったんだが、考えてみれば探りを入れられていたような気がしないでもない。」
「つまり、君も同じ目的を持っていると思われた?」
「可能性はありますね。」セルファも同意する。
「一族でありながら神舎に平気で出入りする人はいません。銀竜を分身のように使いこなす人も。それにリラントの瞳の色が変わったことは、評議会でもごく一部にしか知らされていませんから。」
ふうむ、とトランは呟く。
「つまり、呪術などという伝説めいたことに神経質になっているのは、この国にごくわずかしかいない。」
「そのわずかな一人と認定されたっていうのか?」
「話を聞いているとそんな気がします。」
そこまで言ってトランは何かに気付いて顔を上げ、叫んだ。
「そこから先は昨日と配置が違います!」
その声に、くすくす笑う声。
「わかってます。ちゃんとトーアが教えてくれたから。」
声の主は部屋の入り口で立ち止まると、肩に舞い降りた銀竜に頬を寄せた。
年のころはリュートと同じ二十代半ば。黒髪を首筋で束ね、灰色の瞳は真っ直ぐ前を向いている。
セルファが立ち上がり、彼女の手を取って長椅子まで案内する。
「ありがとうセルファ。」
そう言うと、彼女は手探りで座面を確かめ腰を下ろす。
「リュートも久しぶりね。カズトおじさまのお手伝いをしているんですって?」
「手伝いというか見習い。ヘンリエータもトーアも元気そうだね。」
「今日はフェスに遊んでもらったからトーアも機嫌がいいの。それにお父様も、トランが来るようになってから機嫌がいいのよ。」
「そうなのか?」とリュートはセルファを振り返る。
セルファは肩を竦めた。
「常人には理解しがたい話で盛り上がっている……ようではある。」
「母も私も相手にならないから、ちょうどいいんです。それにトーアも、トランに相手をしてもらうのが嬉しいみたい。いつも私の目の代わりでは、トーアも疲れてしまうし……」
「そんなことないと、ぼく、言いましたよね。」トランがかぶりを振る。
「トーアはあなたに大切にされていること、ちゃんとわかってます。あなたの目の代わりをすることは、トーアにとって名誉なことなんです!」
それを肯定するようにヘンリエータの膝の上の銀竜が鳴いた。
「二人ともありがとう。」
「それより彼らに用があったのではないですか?」
ヘンリエータは頷いた。
「リュートとセルファには申し訳ないのだけれど、打ち合わせが終わったら父の書斎に寄って欲しいの。アデル商会に注文したい本と、カズトおじさまに渡してもらいたい手紙があるのですって。」
「わかった。時間が空いたら伺うよ。」
「それと隣にお茶を用意したので、よかったら休んでください。トランもちゃんと食べるもの食べてくださいね。」
「仕方ありませんね。」
再びセルファが手を貸してヘンリエータを部屋の外に導く。彼女の足音が聞こえなくなると、リュートはトランに言った。
「上手くやってるようで安心した。」
「ぼくには過ぎるほどです。もっと放っておいてくれてかまわないんですが……」
「それはあなたが人間らしい態度をしないから。」とセルファ。
「時間が惜しいんです。」
まったく、と首を振り、セルファはリュートに説明する。
「ヘンリエータが声をかけなければ飲まず食わず。基本的に仮眠はここ。」
「トーアが起こしてくれるんですよ。あれは便利でいい。なにしろ授業がない安息日は限られていますから、一冊でも多くの本に目を通したいんです。思った以上に分類に時間を費やしてしまいましたし。けれどヘンリエータが手伝ってくれるので……」
「彼女が?」リュートが驚く。
「ハンヴィク氏もどこから購入したか忘れているものを、ちゃんと覚えているんです。書名と手触りで、いつどこから出たものだと教えてくれるんです。」
「ヘンリエータは目が見えない分、聞いたもの、触れたものを覚えることには長けていますからね。」
「すごい才能です。」うっとりとトランは目を細める。
「トランがすごいと言うのはすごいな。……と、そうだ。すごいついでに銀竜に関して聞きたいことがある。」
「ぼくでなくカズトさんに聞けばよいでしょう。」
「そういうことはトランがすごく詳しいと言われた。その、銀竜を使ったまじないとか儀式ってあるんだろうか?」
「それはまた……抽象的な質問ですね。たとえば古い薬の処方に、銀竜の羽根を使うというのはありますが、見るからに身体に悪そうなものです。でもどうして?」
「ちょっと不気味な話を聞いたんで。」
そう言ってリュートはキャデムに聞いた話を繰り返す。
「確かに尋常ではありませんね。公安はそれ以上の調査をしていないんですよね。」
「銀竜には持ち主はいなかったし、そもそも窃盗ではなく密輸の捜査だったんだ。それ以上公安が何を調査する?」
「でも君のお友達は気にしてるんですよね。しかもその銀竜を埋葬した。」
「見るに見かねてだったらしい。」
「確かにキャデムなら、やりそうですね。」
「セルファもその御仁と知り合いですか?」
「私と姉は小さい頃、両親の都合で一時ラグレスの家に預けられていましたから。」
「なるほど、幼馴染ですか。ではその公安巡査に詳しい話、聞くことできますね。」
「何を聞くんです?」あからさまにセルファは眉をしかめる。
「そのときの詳しい状況。」
「関係ないでしょう。」
「と、思うんですが……そもそも銀竜を簡単に殺すことはできません。たとえばある種の薬物とか、神の砦のときのように呪術の影響があれば別ですが……」
「呪術が関係していると?」
「わからないから聞くんです。」
その後、互いの進捗状況を確認し、トランが「もうちょっとで終わります」という報告書をまとめている間、リュートとセルファはハンヴィク家の当主のところに顔を出す。
全ての用件を終え竜を繰ってラグレスの家に帰り着いたのは、とっぷりと日が暮れた後だった。
リュートは竜を空に返すと、再び飛び立とうとしているセルファを振り返る。
「寄って行かないのか?」
「大義名分があるとはいえ、子供には通用しません。」
「父親は大変だな。」リュートは苦笑する。
「でも今回、ミヤコがずいぶん子供達の相手をしてくれたので、私もロミナも助かりました。その分、トランの報告書を写す作業ができます。」
「無理に引き受けなくてもいいんだが……。」
「私がやらなかったら、あなたが無理をするでしょう。そもそも今回の帰省は仕事半分、休暇半分という名目だったはず。」
「仕方ないだろう。」
「長老の件は私から連絡を入れておきます。こちらから指示するまで、よけいなことはしないように。これ以上ミヤコに愛想を着かされて、婚約破棄でもされたらたまりませんから。」
「それはありえないと思うが。」
「それを慢心と言うんです。」
いいですね、と念押しするセルファに、リュートは「わかった」とため息混じりに言った。
ハンヴィクさんちは、三作目に一度登場してますね。そしてトラン・カゥイ氏は四作目「ハザクラ咲く頃」に出ております。あ、名前だけだったらその前の幕間話にも出てますね。
次回四日後に更新です。




