第一話
くぁ、とそれが鳴いた。
「えーと……」
それはパタパタ浮遊すると、番台机の上に舞い降りる。
どうしたものかと首をかしげるキャデムの前に、両手でしっかり掴んでいた貨幣をコトンと置く。
「なるほど。」キャデムは頷いた。
「それで、何がご入用で?」
彼がたずねると、小さな白い竜は壁に刺さった紙の束を小さな爪で示した。
「新聞が欲しいとは革新的な銀竜だな。」
彼は手を伸ばし。まだインクの匂いが残る紙を引っ張り出す。
もとより広い店ではない。
客が四人も入ればいっぱいになる店は、曽祖父の代から村唯一の雑貨屋で、書紙から砂糖菓子、日用品が床から棚から番台机の上までいっぱい詰め込まれている。それゆえ村の年寄りから子供まで頼りにされるのは当然のこと。
しかし……
「銀竜が一人で買い物しにきたのは初めてだな。おまえいったいどこから……」
来たんだ?と言いかけたとき、店の扉が開いた。
「ああっ!やっぱり一人で勝手に来てた!」
飛び込んできたのは小柄な若い女性。
服が乱れるのも気にせず、肩で息をしながら銀竜に向かって手を差し出す。
小さな白い竜は嬉しそうに一声鳴くと、羽根を広げてその手に飛び移る。
「待っててって言ったでしょ。しかも勝手に……」そこまで言って、番台に頬杖をつき興味深げに成り行きを見守っているキャデムに気付いた。
驚いた表情。
けれどすぐに頭をぺこんと下げる。
「その、銀竜が勝手に来ちゃって、ご迷惑おかけしました。」
「こっちゃお代をいただいたし、迷惑にゃなってないよ。」言いながら彼女に新聞を差し出す。
「それよりそいつは君の銀竜?」
「あ、はい。」
「見たことない顔だが、どこぞのお客かい?」
その質問に彼女は戸惑う。
幼少からの手伝いで店番に慣れていると自負するキャデムだが、相手の反応に灰色がかった青い瞳が曇る。
けれどよく見れば、相手が若くまだ少女と呼んでも差しつかえない年齢、しかも異国の出とハッキリわかる風貌に納得する。
この国に不慣れなだけだろう、と。
華奢な容姿から判断するに十五、六歳といったところか。髪と瞳は茶色を帯びた黒で、細い髪には小さな髪留めがひとつ。肌の木目は細かく、それを引き立てる服はそこそこ仕立ての良いものと見うけられる。けれど派手ではなく、雰囲気はむしろ控えめ。
留学生だろうかと思ったが、腕に抱えている銀竜を見れば思い当たる関係者は一ヶ所のみ。
「君、もしかしてラグレスんちの……」
「ミヤコさまぁ!」
バタン!と音を立てて扉が開いた。
飛び込んできたのは、男物の外套に身を包んだズボン姿の若い女。
先に来た少女より年上なのは一目瞭然で、背中に垂らした長い赤毛の三つ編みが動きに合わせて大きく跳ねる。明るい茶色の瞳が少女を捉えると「よかったー」と安堵する。
「もーっ!いきなり飛び出してくからびっくりしましたよ!」
「ごめん。でもやっぱりコギン、ここにいたから。」
「ケィン?」キャデムは目をぱちくりさせる。
「おやまぁ、今日はケィンも一緒かい?」
突然聞こえた声にキャデムは振り返る。いつの間に戻ったのか、自身の母親が背後に立っていた。
「おはようございます、ニリニ。」赤毛のほうが言った。
「おはようケィン。ミヤコも。留守にして悪かったね。」母親は自分と同じ茶色の髪を手で整えながら、ふくよかな身体でさりげなくキャデムを押しのける。
ミヤコ、と呼ばれた少女が首を振る。
「その……コギンが先に勝手に来ちゃって。」
「よほど元気が余ってるんだねぇ。」
「銀竜は好奇心が強いから……」
「そういや、ケィンの好きな砂糖菓子が入ったよ。」
「もう子供じゃないんだから。そんなに食べませんよぉ。あ、でもおばあちゃんのお土産にしたいから後でまた来ますね!」
そうして二言三言天候についての挨拶を交わし、最後に母親が、
「エミリア奥さまによろしくね。」と付け足す。
「やっぱラグレスんちの客だったか。」
二人の姿が店の窓から見えなくなったところで、キャデムは呟いた。
「三日前から滞在してるんだよ。ああ、留守番はもういいよ。」
「リュートの親父さんに似てると思ったんだ。」
キャデムは先ほどの少女に似た黒髪黒い瞳の幼馴染と、その父親を思い出す。
「カズトと同じ国の人だって。」
「いい家のお嬢さんなのか?」
「そこまでは聞いてないけど……」
「だってケィンがミヤコさま、って。」
「婚約者なんだって。」
ふーん、と言ってからあれ?と考える。
「婚約者?」
「まだ学生だから一緒になるのは先だって話だけど……」
「じゃなくて、誰の婚約者?」
「何言ってるんだい。あの家で独り身は……」
「ケィンにイーサにビッド……」指折り数えてそのうち二人が女性、一人は男性だが少女の祖父ほどの年齢だと思い出す。とすると……
「まさかリュートの婚約者、とか言わないよな?」
「ほかに誰がいるんだい?」
「だよなー……って……ええっ!」
「そんなに驚くことかい?」
「いや……そんなに若いのが好みだったのかと思って。」
幼馴染のリュート・ハヤセ・ラグレスは自分と同じ年齢だったはず。その彼が選んだ相手が彼女だとすれば、十以上の年齢差があるのではないだろうか。
そういうキャデムに母親が笑った。
「もうすぐ十八になるそうだよ。」
「あれで、か?てーことは九歳差か。」
「話をすれば相応にしっかりした、礼儀正しいお嬢さんさ。まだこの国に慣れてないから、勉強をかねてああして買い物に来てるんだよ。大体、相手すらいないお前に、リュートのことをどうこう言う資格があるのかい?」
「あー、」矛先が自分に向いて慌てる。
「オレ、街に戻る前に探しもんがあったんだ。」
「キャデム!」
「わりぃ。その話、後で聞くわ。」
「後って、夜には街に戻るんだろ?昨日帰ってきたと思ったら……」
まったく、とニリニは深いため息をついた。
「ただいま戻りましたー。」
「コギンはみつかった?」
「はい。お待たせしてすみません。」
出迎えた相手を木島都は眩しそうに見上げた。
すらりとした長身に体の線がわかるほどピッタリした服、それに使い込まれた革の長靴。茶色の長い髪は頭の上で無造作にまとめ、胸元にはおよそ装飾品とは呼べない己の所属を示す金属板が下がるのみ。そんな男性的ないでたちにも関わらず、逆にそれが彼女の活動的でおおらかな魅力を強調している。
クラウディア・ヘザースは都の肩に止まった小さな竜の頭を指先でなでた。
「いいわよ。お茶を飲みたくて早く来たんですもの。コギンも、自由に飛ぶのが楽しいのはわかるけど、ミヤコに心配かけちゃだめよ。」
くぅ、とコギンが喉を鳴らす。
「クラウディアさま、すぐにお茶の支度しますね。」外套を脱いだケィンが家の奥に行きかけて、思い出したように足を止めた。
「そういえばキャデムが店番してました。」
「こっちに帰ってるの珍しいわね。街では時々会うけど、いっつも忙しそうよ。」
「暇だったら困ります。ニリニにたまには帰ってこいって言われたか、そんなところでしょう。」
そう言ってケィンが足早に厨房へ向かうのと入れ替わりに、声を聞きつけたこの家の元当主が姿を現す。
襟元までを覆ったブラウスにややゆったりした上着、下は足首までの服で茶色の髪は首元でまとめ、装飾は小さな耳飾と指輪だけ。それだけなのに、もう五十を超えているにもかかわらず、見るものを惹きつける凛とした美しさがある。
印象的な漆黒色の瞳が、都を見つけて優しく微笑んだ。
「お帰りなさい。飛び出していったけれど怪我はしなかった?」エミリア・ラグレスは言った。
「大丈夫です。」
「イーサが部屋で待ってるわ。荷造り、済んでいないのでしょう?」
「そうでした!今行きます。」都はたっぷり布を使った外套を脱ぐと、小さな竜を従えて階段に向かった。
その背に向かってクラウディアが叫ぶ。
「ゆっくりでいいからね。あたしは伯母さまと温室にいるから!」
そう言われても人が待っていると思えば気は急くもの。
けれど普段がワンフロア二LDKのマンション住まいなので、家の中で階段を上り下りするのがなんとも慣れず、加えて裾の長い服に足を取られないよう上るのも、ひと苦労。
そんなこんなでようやく辿り着いた部屋では、この家の使用人が彼女の荷物をほとんどまとめあげたところだった。
「すみません、イーサ!」
慌てる都に老齢の使用人は、
「でも、こんなに少なくてよろしいんですか?」と首を傾ける。
「だって四日くらいだし、アデルさんの家は何でも揃ってるっていうから。」そこまで言って、自分の持って行くべき革のカバンとは別に、持ち手のついた籠が置いてあるのに気付く。
「これは?」
「エミリアさまがシーリアさまに渡してほしいそうです。セルファ坊ちゃんのお嬢さんたちへのお菓子とか、向こうの皆様へのお土産です。」
「何から何まですみません。」
いいえ、とイーサが微笑む。
「アデルの家の皆さんは、気さくな方ばかりですから。それにシーリアお嬢さまもミヤコさまがいらっしゃるのを楽しみにしてらっしゃいますよ。」
「ちょっと、緊張するけど……でも服をいっぱい作ってもらったから、お礼言わないと。」
傍らに舞い降りたコギンがきゅる、と喉を鳴らす。
「コギンも寝床作ってもらったお礼、言わないとね。」
ようやく立ち上げることができました@五作目。今まで読んでくださった方にはお馴染みの面々が登場でございます。
先に言っておきますと、細かく話数を区切ったにもかかわらず推敲したらやっぱり各話の字数が増えました。なんででしょうねぇ?おかしいなぁ。
そんなわけで、相変わらずネットに不向きな情報量になりますが、お付き合いいただけたら幸いと思います。
軌道に乗るまで、四日に一遍をメドに更新する予定です。