パラサイト 第三章
パ ラ サ イ ト
第三章
新 車
数ヶ月が経って、私は晃の度量を測るべく一つの提案をした。
「ねー、アキちゃん、車を買わない?私さ、今まで軽自動車で過ごして来たんだし、アキちゃんだっていつまでもあの軽トラックだけっていうわけにもいかないでしょ。ねー、ちょっといいのを買わない?私たち結婚したんだからさ、それなりのところへ行くのには、それなりの車ってのもあっていいんじゃないの?」
その時までの私たちの車と言えば、まったくそのとおりで流行遅れの私の軽乗用車と晃のボロ軽トラックだけだった。
私はあの親の子のことだから、きっと晃も守銭奴に違いないと踏んでいた。当然二の足を踏むものと読んでいたところが案に相違して、すぐ賛成してくれた。彼も彼なりに、車にはそれなりの興味とあこがれがあったのだろう。しかし決断力に欠ける彼には、これまで何のきっかけもないまま踏み出せずにいたのかも知れなかった。
「そうだな。車って大人のステイタスだよな。どうせ買うんだったら、3ナンバーの方がカッコいいな。トヨタか、ニッサンだな、アッコ、どっちがいいと思う?乗用車は、やっぱ、このどっちかだよな。」
と言って、晃はさまざまな車種を諳んじたけれど、正直なところ私には、それらの名前を聞いても頭にその具体的映像はまったく浮かばなかった。晃もやっぱり男の子だなと、変な意味で感心してしまった。
意見の一致をみて話はすぐにまとまった。早速二人でディーラーに行っていろいろな車を見た。目移りするばかりで、どれもこれもが心をくすぐり、すばらしく見えた。メーカーをトヨタ、ニッサンに限ったところで、扱う車種によって店舗はかなりの数があった。どこのセールスも新婚の二人と見てか、甘い言葉を巧みに投げかけて来た。つられて私たちの眼は、不相応な高級車ばかりに引かれていった。
先方は、若年の私たちを見て、うまくローンを組ませてできるだけ、高級車を買わせようとの腹のようだったけれど、現金で買うと言うと、信頼を置いたのか手の内を変えて無法なセールスは控えるようになった。
もっとも、かつてならいざ知らず、現代ではこのような安全牌は、もうけが少なくかえって招かざる客だったのかも知れない。
先方は、まちがいのない客と判断したのだろう。方針転換したようで、今度は言葉巧みにセミ高級車路線で攻めて来た。
結局、当方もそれに応じるような形で、落ち着く所に落ち着いてしまったけれど、それでも良識のある人から見たなら、私たちには不相応な車に見えたに違いない。
私は、ささやかながらこれで、これまでの人生での一つの夢が叶った。
国産車ながら一流メーカーの高級車を手にしたのである。資金源はもちろん晃であり、所有者の名義も晃だったけれど、采配したのは私であり、実質の管理者も私であった。
そして更に付け加えるなら、今後この車の使用者もほとんど私ということになる。
大安吉日、車が届いた時、晃も満面に笑みを浮かべて、そのことを子供のように喜んだ。その浮かれようといったら私の比ではなかった。晃は当然のことのように相談を投げかけてきた。
「アッコ、任意保険はどうする?知り合いでもいる?」
「?」
私は当初から自動車保険などに入るつもりはサラサラなかったし、その必要性もまったく認めていなかったから、この男はいったい何を考えているのかと思った。
「エッ?何?自動車保険のこと?」
「ウン…」
「ウンてさー。アキちゃん、保険屋さんて何を売って商売しているのか知ってる?保険屋さんて空気売ってんだよ。ふつうさー、なになに商店て、何か品物を売ってるから、それを手にする代わりに私たち、お金を払っているんだよね。この車だってそうよ。なのに、保険屋さんて、何の品物も寄こさずに高いお金だけとっているじゃん。事故を起こさなけりゃ丸損よ。」
「そうかなー。だって、もし事故をおこしちゃった時、その損害分オレたちに払えるか?」
「それはね、自分が注意していて加害者にならなければいいのよ。」
「だって、いくら注意してたって、事故に遭わないって保証はないだろ?」
「それは、自己責任ていうの。今の社会はすべて自己責任で成り立ってるのよ。注意していても、被害者になることはもしかしたらあるかも知れないけど、自分が気を引き締めてさえいれば加害者になることは絶対にないの、わかる?それに車検の時、強制保険には入っているんだし、3000万くらいは降りるでしょ。3000万て、大金よ。それで十分よ。」
「そうかなー…」
「そうよ。ふだん、みんなだれも自分の事故のことなんか考えもしないで車を運転しているけど、本当は車検を取っていない車だって、かなり走っているらしいのよ。特に高級車ってのが一番やっかいみたいね。警察だって、飲酒運転やシートベルトの取り締まりより、そっちの方に力を入れるべきよね。もし、そんな車に当てられたりしたら最悪ね。」
「そりゃそうだけど、オレは自分が加害者になったときの方が心配だな。」
晃は、そんな私の楽観的説明にもまだ不安が拭いきれないようだった。
「それはいいの。もしもよ。私は加害者になるってことは百%ありえないと考えているんだけど、それでももしもよ。加害者になってしまって、強制保険で払いきれなかった場合に、仮に裁判でも起こされて、いくらいくら払いなさいって命令が出されたって、払うものがなかったらいったいどうするの?」
「?」
「いくら裁判所が払えって言ったって、払うべきものがなかったらそれっきりじゃん。これは加害者になっても、被害者になってもおんなじことよ。だから、任意保険なんて入らなくていいってこと。私は、日本の道を走っている車の半分近くはそんなんだと思っているわ。事故に遭ったらどっちにしても、運が悪いと思うしかないわね。だからその分、絶対、安全運転だけはしないとね。」
「そうかなー…」
「そうよ。ただね。一番気をつけなければならないのは外車の高級車よ。あれは、ぶつけて取られて、ぶつけられて取られるからね。一見、外車ってお金持ちの車と見られているけど、そんなのはほんの一部で、大半は頭にヤの付く人と、無一文のプータローでしょ。こんなのにかかわった日には、取られるだけ取られて、取るものなんて何もないからね。保険があってもなくても取られることは全くおんなじ。これだけには、絶対かかわらないようにしないとね…。」
「それは、薄々オレも感じているけど…。」
私のたたみかけるような話のパーツパーツにはある程度同意しながらも、善人の見本のようなこの男はまだ吹っ切れない様子だった。
「そう、それがわかっているなら、大丈夫よ。それにアキちゃん、お酒あまり飲まないから、飲酒運転絶対しないでしょ。だから、被害者にはなってもまず加害者になることはないのよ。だから、任意保険はやめましょ、ね。」
晃はまだ納得がいかない様子だったが、結局希望的確率に賭けた私の理屈に従った。
更に、生真面目の標本のような晃がかけていた、軽トラックの微々たる任意保険さえ、今年度の満期をもって、解約させることにした。
また、念願の高級車を手にして私は、今まで経済的理由から、しかたなく乗っていた貧相な愛車も処分した。
これについては何の感慨もなかった。長年さんざんお世話になっていながら、お別れの写真一枚撮ることさえしなかった。
私は車の任意保険は、端からまったく無視したけれど、折角晃が長年払ってくれていた生命保険には敬意を表し、継続することにした。まさに、もしもの時の保険だから。
「でも、アキちゃんの生命保険は別よ。いつ何が起るからわからないからね。これがほんとうの保険よ。ただ、受取人はお義父さんではなくて、妻である私に名義変更しておいてもらわないとね…。」
晃は了解した。
生活変化
車の購入で、一度に私の年収に相当するほどの大金が吹っ飛んだけれど、これは私たち二人の門出を再認識するための必要経費だと、私はプラス思考で考えた。二人で働いているのだし、月々の給料はコンスタントに入って来た。世間一般の若夫婦もきっと同じような生活をしているのだろうと思った。
ただ、これまでと何かが違うと漠然と感じたのは、私がこれまで一度も体験したことのない「ぜいたく」という禁断の果実の味を占めてしまったことだった。
晃の方は、相も変らず作業衣と例のオンボロ軽トラックでの生活を送っていたけれど、本当は自分はいい車を持っているんだ、という子供じみた誇りを満たしているかのように見えた。
車の話をすると自らは、その得意げな様子を覚られまいとしながらも、話の合間々々に、小鼻がプクッとふくれてしまい、その得意さ加減がおもてに出てしまうところが妙におかしかった。
しかし、晃の不思議さは、そのDNAゆえなのか、通常ならそのことが引き金になって、お金遣いが少しは荒くなりそうなものだけれど、決して浪費に走らないことだった。
一方私はといえば、新しい車に乗ることによって、人が変わったようにお金持ちになったような錯覚に陥った。
新居に越した時もそうだった。新しい近代的なアパートに入った時にも、やはりそれなりに相応した調度品を備えなければならないという、本来なら何の必然性もないはずの見えない強迫観念に襲われた。
まだまだ使えるはずの家具類も、もったいないとどこか心の隅では思いながら処分したし、新たにそれなりの高級品を揃えたのだった。
今回もそれに近かった。高級自動車を買えば当然それなりの経費がかかるのである。
高価なものならその出費した分、維持費が安くて済むというのであれば、これほど合理的な話はないのだけれども、大型車で車本体が高ければ、通常燃費も相応して当然ガソリン代も高くつく。
自動車税も軽自動車の比ではない。しかも、買う時に仕方なく払った自動車取得税などという税金に関しては、私はその存在すら知らなかった。
要は、世の中の仕組みは、一ポイント生活をレベルアップすると、連動して他の経費も加算されるということである。
収入は必ずしも追いつかずとも経済というものはそうして回転して行き、トータルで国の経済は成長するのだろう。
まず通常人なら多かれ少なかれ、その原則から外れることはない。
例外的にその原則に反して生きていけるのは、私の知る限りまず晃一家だけだろう。彼らには、見栄とか外聞とかの観念がないから、そういう生活が可能なのである。
私にはとてもそんな芸当はできない。この経済原則に最も忠実な典型が私で、最もなじまない代表が晃一家ということになるのだろう。
夕 鶴
「東京はどうだった?お祭だった?」
と言って、私は思わずクスリと笑った。
晃に限らず、この業界の人たちには祭好きな人が多く、にぎやかなことをやたら「祭」と言うのだ。
「祭のようだ」ではなく、「のようだ」の語尾は省いて、ごく簡潔に言うのである。私は初め、何の祭なのかと思ったけれど、にぎやかなことは祭と同義なのだと知って、また何と単純なと、あきれながらも納得してしまった。
「ウン、すげー祭。大祭だったぞ。」
そして、晃は続けた。
「祭も祭だったけど、それより出発前から大騒ぎしちまった。電車に乗るのが十何年ぶりかで、そもそも切符の買い方からしてよくわからなくて、後ろには何人も大勢の人に並ばれるし、まごまごしていたら近くの人が見るに見かねて教えてくれたんだ。田舎者が東京へ行くのに、そもそもその田舎の駅からの乗り方さえわからないんだから、まったく笑い話だったよ。オレ、切符が自動販売機になってから電車に乗ったの、もしかしたら初めてだったかもな。」
と言って笑った。
今回の珍道中は、晃の社長(親方)がある実業家から腕を見込まれ、そのお宅を新築するための商談に、晃をお供に連れて東京に出かけたものだった。
当初は、車で行くつもりだったらしいのだけれど、東京で道に迷ってしまうと面倒なので、たまには話のタネにということもあって、二人で電車で出かけたのだった。社長だって、電車に乗るのはずいぶんと久し振りらしかった。
「アッコ、夕鶴って知ってるか?」
何を思ったのか、晃が急に思いもかけない話題を持ち出した。
「え?いきなり何のこと?ゆうづる?」
「芝居の話。」
「ああ、鶴の恩返しのこと?」
「へー、アッコも知ってるんだ。」
「だって、それ有名な話よ。それくらい私だって知ってるわよ。木下順二の夕鶴のことでしょ。中学の頃、授業でやらなかった?劇かなんかでさ。私たちね、国語の時間にグループに分かれて、お芝居のまねごとやらされたから、忘れようにも忘れられないのよ。みんなの前では、恥ずかしくてうまくできなかったし…。」
晃が、夕鶴の話を急に持ち出したのは、次のような経緯だった。
久し振りに電車に乗った二人は、この頃よく世間で噂に聞く、車内で化粧をする女子高校生やOLに実際に出くわして、衝撃を受けたらしかった。
本来の商談が済み、帰りに食事に寄ったレストランで、社長が晃に言った。
「話にゃ聞いていたが、あんな連中が本当にいるってのには、まったくたまげたな。あの娘たちには羞恥心てのが、ないのかな。」
「しゅうちしん?」
「恥ずかしいって気持だよ。化粧ってのは、着替えとおんなじだぜ。女の人にとっては、絶対に他人に見せちゃならないマル秘事項なんだ。」
「そうですね。やっぱり、ホントは隠し事なんでしょうね…。」
「たとえば、女優に代表されるような本当に美しい人はな、絶対に化ける過程を他人に見せやしない。もし見せちまったら、自分で自分の商品価値を下げちまうことになるだろう。あの人は何と美しいんだろう、何で美しいんだろうって、神秘的に思わせる方がよっぽど付加価値が増すからな。
なーんだ、あーして、こーして、そこまでするから、そんでもってこーまでなるのかとタネあかしされたら、スターへの憧れも半減どころか幻滅しちまうってもんだ。まー、手品やマジックの舞台裏をわざわざ見せてやるようなもんだわな。おまえ、夕鶴って話知ってるか?」
「ゆうづるですか?」
「ああ、夕鶴。」
「何ですか?それ。」
「鶴の恩返しだよ。学校のとき教科書かなんかに出て来なかったか。まー、いい。昔、その夕鶴って演劇でな。ヒロインのおつう役を何百回も演じた山本安英って大女優はな、早い話が、自分がおばあさんになってしまっても、おつうを演る限りはいつも初々しくなければならないっていう信念で、化粧の仕方どころか、自分の年齢さえ他人には本当のことを教えなかったっていうんだ。素顔を知られて、自分の芝居を見てくれる人を幻滅させてはいけないと言ってな。」
「年なりの素顔ですか?」
「ああ、本当の素顔ってのもあるけど、それよりもっと広い意味合いで年齢さえ隠して、おつうの役柄の自分を俗世間からまったく超越さしてしまうってことかな。すごい女優魂だろう。こんな女性が他人に化粧をするところを見せると思うか。この人がもし、自分の化粧するところを他人に見られたとしたら、きっと、芝居の中でのつう、ま、つまり、鶴が機織をしているところを見られてしまったのと同じくらいの屈辱を感じるだろうな。」
「女の人の化粧もたいへんなもんですね。」
「ああ、別に大女優でなくったって、ちょっと前の話なら、女の人ってのは誰でもそれに近い奥ゆかしさを持っていたもんさ。奥ゆかしさってのは、羞恥心の裏返しなんだろうな。それにしても、何でこんな情けない世の中になっちまったんかなー。」
「そんな難しい話は、よくわかんないっすけど、そもそもオレらの頃には、化粧する女生徒なんか、いませんでしたよ。タバコだの、ピアスだの、化粧だってのが見つかれば、生徒指導の先生にこっぴどくやられましたからね。」
「俺なんかの時代にゃ、そんなのは考えもしなかったことだけれども、もし見つかれば停学。ヘタをすれば退学とかにもなっちまったかもな。今時そんなことで、いちいち退学なんかにしてた日にゃ、学校に生徒がいなくなっちまうもんな。」
「今の世の中、何でもありですからね。」
「そもそも高校生が化粧することなんかないわな。十七、八の娘を見てみろな。顔の細工に出来、不出来はあるにしたって、みんなそれなりにきれいだぜ。人生のうちで一番肌が自然に輝いている時に、むりやりその上に漆喰を塗っちゃあもったいないよ。」
「漆喰ですか。しっくいね…。ハハハ、親方、うまいこと言いますね。漆喰ね、やっぱり、建築のプロって違いますね。」
「ああ、だけどこれもみんな、戦後の教育が悪いんだろうな。民主主義ってのを錦の御旗に掲げてよ、個の尊重などときれいごとを言いながら、権利だけを主張して義務は果たさないってな恥知らずな利己主義者を、半世紀以上に渡って大量生産して来たんだからな。
他人に迷惑を掛けなければ何をやってもかってでしょ。そんなこと、あなたには関係ないでしょって理屈で、傍若無人な振る舞いは大いばりでするが、自分にとって都合の悪い他人の行為は、徹底的に非難攻撃する。そんなふうに育って来た世代が親になって、今度はそんな親からあんな娘たちが生まれる、というよりも育つ。そもそも、周囲の人が眉をひそめたくなるような行為は、権利でもなんでもありゃしない。公共の場でのモラルを欠いた行為は、周囲の人が許しちゃいけないんだ。もっとも、オレもな、あの娘たちには何も言えなかったけどよ。」
「誰だって、あの現場じゃそんなこと言えませんよ。言ってみて、ハイ私がまちがってましたって、聞いてくれるような相手なら、注意のしがいもありますけどね。もし、あそこで注意でもした日にゃ、とんだ騒動になったかも知れませんよ。」
「そうかもな。ほんとはな、小さい頃から躾がきちんとされていれば、誰が見ていようがいまいが恥知らずな行動はとらなくなる、というよりもとれなくなる。神様が見てるよ、お日様だって見てるよって、教えられた子は本当にそう信じるだろうし、その子は大きくなったって、心の中では必ずしも神様の存在は否定しないはずだ。自分の行為は自分自身が見ている、自分が知っているということが、神様やお日様の代りを果たすに違いないからな。昔は、物がなくてどんなに貧しくたって、日本全国どこの家庭でも、そんな教育や躾がされていたんだよ。
中には何で電車内の化粧にそんなに目くじらを立てるのかって人もいるだろう。だけどな、それはな、長い間蓄積されて来た日本人の歪んだ精神の塊の中から表に出て来た膿のほんの一部に過ぎやしない。うっちゃっておけば、あの行為から別の新たな節度の無い行為が生まれるんだよ。
上に立つ人がよっぽど腰をすえて、教育を初めとした国のかじ取りをしないと、あと何年もしないうちに日本は、とんでもなく情けない国になっちまうかもな…。たかが電車内の高校生の化粧くらいで、天下国家を心配するほどのこともないけどよ。」
晃の夕鶴話は、こんな天下国家論だった。
「とんだ夕鶴だったのね。だけどね。高校生がお化粧するって、そんなに悪いこと?私は個性の主張だと思うけどな。かえって校則で縛られた横並びの金太郎アメなんかよりはるかにいいことよ。今時学生だからお化粧しちゃいけないなんてまったくナンセンスよ。」
私がそう言うと、普段はあまり断定的な表現をしない晃が反論した。
「だけど、電車の中だぞ。知らない人がみんな見てるんだぞ。」
「知らない人でしょ。知らない人なら見なきゃいいじゃん。そんな人はわざわざ見るから気に障るんでしょ。おせっかいね。」
「そんなこと言ったって、見苦しいよ。」
「見苦しいとか見苦しくないとか、そんなのは主観の問題でしょ。だったら、近くにいた別の女子高生に聞いてみたら良かったじゃない。あの娘たちが見苦しいかって。きっと、そうは思わないって言うはずよ。」
「だけど、みんな見苦しいって、言ってたぜ。」
「みんなって、あんたんとこの社長だけでしょ。ほかの誰かにも聞いてみた?」
「そりゃ、聞いちゃいないけどさ…」
「ほら、みなさい。仮に、見苦しいって人がいたって、それは、お年寄りたちだけの話よ。電車の中は、みんなの共有空間でしょ。だから、みんなが誰にも干渉しないで、お互い無視しあうことの方がお互いの尊重になるんじゃないの…。化粧品を自分の洋服に付けられたりしたらそりゃ困るけど、そうでなけりゃ別に害になるわけじゃないんだし…。」
私たちの話は、結局平行線だった。
ただ、おかしなことに、東京まで出かけて行って、本当は大きな商談をまとめて来たはずなのに、晃はそのことにはちょっとしか触れず、唯一の東京土産が夕鶴談義だった。
示 唆
家計を任されて以来、私はその切り盛りでいつも家賃に疑問をいだいていた。
当時私たちは、毎月々アパート代を何やかやと8万円近く支払っていた。これを単純に計算すると、年に96万、10年で960万、30年で考えたなら2880万にもなる。
これは明らかに理不尽に思えた。
3000万近くを投資しても、その対象はいつまで経っても他人様のものでしかなく、決して自分のものにはならないからである。そこで私はこれをちょっと視点を変えて考えてみた。もしもそれだけの投資で、マイホームを購入してみたらどうだろう。
仮に坪単価20万の敷地50坪に、坪単価60万の30坪の家を建てたとしても、単純計算で2800万で済む。今のままの借家なら30年間コツコツ3000万支払ったところで何にも残らないけれど、思い切ってマイホームにそれと同程度の投資をすれば、その不動産が当然のこととして自分たちの財産として残るのである。
この損得はごく単純で、そのどちらが有利かは小学生でもわかる道理だと思う。
このことを晃に話したらどんな反応を示すだろうか、少なからず懸念があったけれど、私は思い切って切り出してみた。
「ねー、私たちどれくらい家賃払っているか知ってる?」
「7、8万だろ?」
「ウン、そうだけど、その意味よ。」
「その意味って、どういう意味だ?」
「もし、それをずっと払い続けるとしたら、最終的にそれがどれだけの額になるかってこと。」
「…?」
「わかりやすく、端数は切ってのことよ。仮に月8万とすると、1年で96万、十年で960万、三十年なら2880万にもなるの。早い話が30年で3000万よ。これだけ払っても、私たちの手元に何も残らないなんて、なんか変じゃない。私たちが、それだけ投資するんだから、その物件は私たちのものになって当然じゃないの?そう思わない?」
「…」
「買い物ってさー。あるものを買う方が、それを売って下さいって言って、お金を払うとお店屋さんがその代価として、その品物をくれるわけでしょ?何か、むつかしいことはわかんないけど、これも契約っていうのかなー? 3000万も払って、手元になんにも残んないなんておかしいよ。絶対に変よ。ネ、でしょ?」
「…そうだよな。ウン、変だよな。」
一本気で他人を疑うことを知らない彼は、素直に私の正当論に迷うことなく賛同した。
「確かにおかしいよな、それって。もしうちの親方に三千万で家の新築を頼んだら、ちょっとした御殿ができるもんなー…」
「でしょー?」
ペースは、私の方に向いて来た。
「だからこの際思い切って、家を買っちゃわない?それだってローンを組めば、きっと、アパート代と同じようなもんよ。それで、その家が私たちのものになっちゃうんだから。こんないいことないじゃん?ネ!」
「…そうだよな。どう考えても、買っちゃう方が得かもな…」
しかし、口ではそう言いながら、いくら判断能力が一般の人よりもはるかに劣る晃であっても、一世一代の買い物を、私の一方的説明一つでそんな簡単に決めることには、ためらいがあるようだった。
彼は自分では、最も初歩的な足し算、引き算で理解できるその単純明快な結論について納得していながらも、確かなその裏付けを求めていた。
裏付けとは、例によって、自分より上位にいる身内たちのアドバイスである。
助 言
晃は、マイホーム購入には基本的には賛成だが、結論を出すには少し時間が欲しいと私に言った。彼にしては、めずらしいほどの能動的熟慮ぶりだった。
それから晃は、休みの日など時をみては、いへじょの従兄さん、東京の叔父さん、上村の従兄さんや加茂川の従兄さんのところへ、それぞれ個別に相談に行ったらしかった。
この相談は、彼にとってはいわば「おみくじ」のようなもので、四回のうち、一回でもいいから、「大吉」とは言わないまでも「吉」が出て欲しかったのだろう。誰か一人でもいいから「晃、それは名案だよ。」と言ってもらいたかったに違いない。
しかし、期待もむなしく、引いたクジはすべて「凶」と出た。頼りにする後見人は四人が四人とも誰として賛同してくれなかった。 互いが事前の打ち合わせをしたはずではないにもかかわらず、皆が晃に諭してくれた内容というのは、大同小異で概ね次のようなものであったらしい。
あのな、おまえには、父ちゃんと母ちゃんがいて、あんなボロ家だけれども先祖伝来のうちがある。あのうちの中には代々のご先祖様も祀られている。おまえはあの親方のもとで、立派な腕を受け継ごうとしている大工だろう。近い将来、その自分の腕で自分の家を建て直したらいいじゃないか。
おまえたち若夫婦が、あの変わり者の親たちと同居したくないなら、こじんまりとした別棟でも建てて、そこを親たちの隠居所にでもすればいい。敷地ならそれでもまだ十分過ぎるほどあるだろ。それで、親たちと食事だけでも共同にしてみろ。別の家を持つより、その方がよっぽど経済的だぞ。
それに、子供ができた時のことを考えたことがあるのか。いくら変わり者のあの親たちだって、実の孫が可愛くないはずはない。何かあれば、窓を開けて「母ちゃーん、父ちゃーん。ちょっとー!」と呼ぶだけで、絶対力になってくれる。
もし、思いつきで今そんな中途半端な家を買っちまったら、あのうちはどうするんだ。新しい家を買ったとしても、あのうちはどんなことがあったってつぶせないぞ。父ちゃん、母ちゃんだってこれから何十年も元気でいられるはずがない。結局は、近い将来あのうちはおまえが見なけりゃならないことになる。
おまえの力で、二軒の家を維持できるのか。しばらくは、何の気兼ねもなくのんびりアパート暮らしでもして、そのうちに親方に助けてもらい、自分の力を思う存分発揮して、自分たちの好きな家を建てればいいじゃないか。
アパート暮らしはいいぞ。今住んでいるところが傷んだり、古びたりして気に入らなくなったって次をさがせばいい。あれこれ補修の心配のいらないのが一番いい。
そうだろう?
それに、今の建売住宅なんていうのは、たいてい二、三十年で使い物にならなくなるようにできているんだ。そのことは、おまえの方がプロなんだから俺たちよりもよっぽど知ってんだろ。
そりゃー、おまえの親方の建てる家は、百年や二百年平気で持つだろうが、一般の建売は、一世代持てばいいという発想だ。たぶん今の時代、子供が親の家に愛着を持たず、そのあとを継ぐなんてことはナンセンスと考える風潮もあるんだろうな。
ところが、おまえのうちのあのボロ家だって、少なくとも七、八十年は経っている。本当の家というものはそうでなくちゃいけない。中途半端な買物は、銭失いと相場が決まってるんだ。
それにな。おまえも知ってるだろうが、バブル景気ってのがはじけて、今土地の価格がどんどん下がり続けている。
そもそも、こんな田舎の二足三文の土地までが、あんなに高くなってしまったことの方がおかしかったんだ。資産のこの暴落状態は、たぶんこれからも続く。オレなんかには実のところ、それがどこまで続くのかわからない。きっと、元の当たり前の状態になるまで続くんだろうな。
だからな、今、土地付きの建売住宅を買うってのは、絶対損に決まっているということだ。自前の土地に家を建てるっていうならまだいいが、今わざわざ土地付きを買うってのは、誰が考えたって無駄な投資だ。
その土地の価格は、来年になれば九割になる。再来年には更にその九割になる。それが、ずーっと続いて、当たり前の状態になったらそれが止まる。それが今の五割なのか、三割なのかオレにはわからない。きっと、不動産屋だって、経済学者だって分からないだろうな。
ただ一つ確かなことは、今買うのは絶対損ということだ。バブル景気で笑いが止まらなかった不動産屋も、今頃はこの状況変化に真っ青になって、カモになりそうなヤツに早いところ手持ちの物件、トランプにたとえるならババのようなものだ、それをさばいちまおうと、あの手この手を使ってきっと、詐欺まがいのうまい話を持ちかけるんだろうな。
な、晃、だからそんなんには絶対引っ掛かるな。もうちょっと、我慢しろ。
おまえは「尺蠖の屈は、以て信を求むるなり」ということわざを知ってるか?尺蠖ってのは尺取虫のことだ。尺取虫が縮むのは、ただ縮むんじゃない、これから伸びようとするために縮むんだ。
な、晃、まさにおまえがその尺取虫だ。しばらくジーっと我慢して明子さんとアパートで縮んでろ。そんで、時が来たらビョーンと伸びればいい。
晃は、しょぼくれて帰って来た。
最後の砦、一番年齢が近くて、もしかしたら賛同してくれるかも知れないとかすかな期待を抱いていた加茂川の従兄さんにまで同様な説教をされて、その上、最も頼りにしている母親代わりの加茂川の伯母さんにまで、
「兄ちゃんの言うとおりだぞ。おまえは、父ちゃんと同じで与三坊だから一番危ねー。虻みたいな不動産屋なんかに、絶対引っ掛かんじゃねーぞ。」
と、トドメを刺されてグーの音も出なかったらしい。
叔父さんや従兄さんたちは、皆年齢の違いはもちろんのこと、学問やそれなりの地位もあって、そもそも社会勉強の度合いが晃とははるかに違う。
話の内容が理路整然としていて、反論の余地を持たないことから晃は、何を疑うこともなく、全くそのとおりだと納得してその場では「ウン、わかりました。」というところに落ち着いてしまったようだ。
しかし、帰って来て、私と二人きりになると、話がまた振り出しに戻る。
晃は晃なりに、アパート代をこのまま払い続けるなら、その分をマイホームのローンに切替えた方が得ではないかと、叔父さんたちの助言にその場では納得しながらも、悶々と考え続けていたらしい。
それは、必ずしも私の入れ知恵ばかりではない。
誘蛾灯
晃は、バカ正直というのか、人柄に裏がないというのか、あきれるほどまでに詳しく、叔父さんたちとのそれまでの経緯を私に話してくれた。
私は、「そう…」と相槌を打ちながら、彼が自分自身の意思でとった行動と、今、彼が悶々と抱いている疑問とを肯定的に受け止めた。
むろん私は、彼の考えと同様、というよりも私が彼の意思を内面で操作したように、最終的にはマイホームを絶対購入するつもりでいた。しかし、あくまでそれは晃自身に意思表示してもらわなければならなかった。私は心理学上のむつかしいことはわからないけれども、彼に対してサブリミナル・マインドコントロールとかいうのをやっていたのかも知れない。
だから、私は、晃の行動や言動で、彼の親戚の人たちに私の腹の底を見透かされているのではないかと、常に危惧の念を抱いていたけれど、晃の今度の話の内容では、そんな様子はまったく感じられなかった。
クジはすべて凶と出てしまったから、あとはもう私たち自らで判断、決断するしかなかった。そして、それはあくまで、「晃の意思」という形で成立させる必要があった。
私はこれまでに増して、マインドコントロールに力を入れることにした。
以降、気にし始めると、新聞の折込みには毎日のように不動産物件の広告が入って来た。いやそれは、新たに入って来たのではなく、今までも同様だったのだけれど、単に私たちが気づかなかっただけのことなのかも知れない。
車で道路を走っていても、いたるところに不動産屋の看板はあった。周りの景色さえ気の持ちようで変わってしまったかのように感じられた。
私は、それら手にする不動産広告を毎日のようにさりげなく、テーブルの一番目立つ所に置いた。
晃は一応新聞には目を通すけれど、彼の場合スポーツ欄を見れば良い方で、あとはテレビ番組だけである。
その分、カラフルな広告は、自分に直接関係ないものまでよく見ていた。そもそも広告は、不特定多数の人の目を引くように作られているのだから、彼のように単純で純真な者は特に引き付けられるのだろう。
自分では行きもしないのに、どこそこにパチンコ屋が開店したとか、どこそこではリニューアルしたとか、どうでもいいような情報には詳しかった。休みの日には、どこそこのスーパーが安いとか言って、私を引っ張って行くこともあった。私が都合が悪いと言えば、広告のその一品をわざわざ買いに行ってくれた。
新聞というものは中身をじっくり読む人にとっては、この上もなく安いものらしいけれど、読まない者にとってはこれほど無駄なものはない。早い話が彼のような者にとっては、使わない部屋に毎日電灯を点けっぱなしにしているようなものだろう。
読まなくても、新聞屋さんは毎日届けてくれて、月に何がしかの料金を集金に来る。先方にとっては、きっと一人の熟読者よりも彼のような顧客が多ければ多いほどありがたいに違いない。
だから、各紙の新聞屋さんは、新たに越して来る人に対してはその購読を景品で誘い、それを心得ている転居者は信念もなく、複数の新聞屋さんからもらえるものだけはもらって、次から次へと浮気をするのである。私たちはその典型と言っていい。
いずれ私は、テレビ番組と広告だけの用だけしかなさない新聞をとるのはやめるつもりでいたけれど、しばらくはこの折込広告を有効利用する必要があった。
「なー、アッコ、この頃、住宅の広告がいやに多くないか?」
「そうお?今までもいろいろ入ってたんじゃなーい?ただ気がつかなかっただけなんじゃないの?」
「そうかも知んないけど、なんかこの頃いやに目につくんだよな…。」
「そんなことって、アキちゃんの方が建築のプロなんだから、よく知ってるでしょ。住宅がよく売れるとか?この頃注文が増えたとか、少なくなったとか…そんなこと。」
「オレには、そんなことわかんねーなー。うちの親方んとこには、コンスタントに注文が入ってくるからな。だいたいが、うちのお客さんは景気に関係のない金持ちが多いから、あんまし、あのバブルってのも影響ないようだし…。」
「そのバブルってのがはじけて、土地は下がっているみたいね。その所為で、新しく造成したところは、値下げして売り出しているのかもね。もしかしたら掘り出し物があるかも知んないし、めぼしい広告はとりあえずとっといたら。」
「そうだな。車のカタログとおんなじだよな。見てるだけでも楽しいし、ま、いろんなもんをとっておいて、比べるのもおもしろいよな。」
私たちは、目についた住宅に関する情報はひととおりとっておくことにした。
ある程度期間をかけて、ない頭を二人でしぼってそれなりに検討の上、場所、価格、規模の点から、一応三候補を選んだ。
そして、私は思い切ってその中からかねて目をつけていたベストと思える物件を指し、晃に提案した。
「ねえ、これいいんじゃない?土地が220平方メートルもあって、家は120平方メートルの4LDK+2Sだって…。この2Sってのは納戸のことらしいんだけど、それで2990万よ。駅への距離もまーまーだし、それにお義父さん、お義母さんとこにも比較的近いしね。」
晃は言われるままにじっと見入った。
「うん、かなりいいみたいだな。でもその値段はどうなのかな?」
「いいんじゃない。ちょうどこないだ私たちが今のアパート代を30年間払い込むと仮定して計算したのと丁度トントンくらいよ。でも、3000万でなくて、2990万てのが、何だかとても大きな買い物なのに、スーパーの売り出しみたいでおもしろいね。」
と言って私は笑った。晃もニヤリとして
「120平米って36坪だろ?土地は販売価格のまずその三分の一くらいってとこか?そうすると建物はまず2000万てとこだろな?坪単価ざっと55万か?」
あまり経済観念のない男が、さすが専門家だけあって電卓も使わずに、右の手のひらを左の中指でトントン突きながら、上目遣いに目をキョロキョロさせたかと思うとすぐに算出した。私は、改めてこの男の才能に感心した。
「ねえ、これに当ってみない。」
当該物件の説明書きには「即入居可能」との注記があった。
私はあせっていた。この物件が誰かに先に買われてしまうのではないかという懸念とともに、もしこれを逃してぐずぐずしていたら、親戚中からこぞって新居購入反対の声があがるのではないかとの不安があった。私はできるだけ急ぎたかった。
「そうだな。行ってみるか?」
もう、身内には相談できなかったし、前に進むには、広告を頼りにその不動産屋さんに賭けるしかなかった。すでに後には引けない博打のようなものだった。
決 断
二人して、思い切ってドアを叩いた。
二人と言っても、この段階に至っては、晃は大黒柱というにはほど遠く、とても交渉などできる性分ではないから、海千山千の不動産屋さんと渡り合うには私が一人で頑張るしかないと心に決めた。
私は、連れ合いがこんな木偶のような男であることを少なからず恨みに思った。ある時、口の悪いおじさんが「あいつぁ、屁のつっかい棒にもなんねーヤツだよ」と言っていたのを思い出した。
まったくそのとおりだと思った。人の良さとまじめさは天下一品なんだけれど、この男には判断力とか決断力といった一人前の大人が備えていなければならない能力が著しく欠けている。それでもたった一人で乗り込むよりは、いくらか心強かった。
二人して呼吸も荒く気負って店内に入って行ったところ、きれいな女性社員が親切に迎えてくれた。来意を告げると、奥に案内され、今度はロマンスグレーの優しそうで柔和な感じの年配のおじさんが応対してくれた。
私は、気負いの出ばなをくじかれたようで、ふっと気が抜けてしまった。
あとでわかったことだけど、その男性がそこの社長さんだった。本当はそもそも第一印象で受けたその雰囲気そのものが、この店の営業テクニックなのだろうけれども、私はその好意的な商法に全面的な信頼を寄せた。
社長さんは、何よりもまず物件をごらんになるのが一番でしょうと、ご本人みずからが即日現地を案内してくれた。
私は現物を案内してもらって、それまで抱いていた一抹の不安も吹き飛んだ。物件と社長さんの人柄を改めて信頼した。ひと巡りしてみて、一日も早くここに住んでみたい、きっと今までより数倍レベルアップした生活ができるに違いないと私は確信した。
晃は晃なりに別の視点から随所を食い入るように観察していたけれど特に反論もなく、テンションの上がった私の意向にそのまま引っ張られるような形になった。
お店にもどって、契約の相談をした。
私はもう何のためらいもなく、購入することには決めてしまったけれど、そのための大金をどうやって精算していくのか、その面での不安は相変わらず消えなかった。
社長さんは、
「ローンを組むのでしたら、銀行ローンと、もうひとつ住宅金融公庫から借りる方法とがあります。お客様の場合、収入をお伺いした限り、当該物件でのローンは十分組むことが可能です。もちろんローンですから当然金利はかかりますが、その面でのご心配はまったくございません。具体的には、変動金利と固定金利というものになりますが、そのいずれかをお客様ご自身の生活設計によって選択することができます。」
と、契約に関してはまったく問題はないと太鼓判を押してくれた。
そして、いろいろアドバイスを受けてみて、資金対策は住宅金融公庫の方が良いだろうということになった。
次の週改めて同店で、公庫の担当の方と支払いに当る窓口銀行の担当の方との同席のもとに具体策を検討した。
銀行の人は、「お客様の場合、初めてのローンなので今回の住宅購入にローンをフルに活用できます。」と説明してくれた。
私には、その言葉の意味するところが即座に理解できず、恐る恐る聞き返してみた。その意味するところは、もし他に車とかのローンが組んであった場合には、今回の借入額とそれが合算されてしまうことになり、今回の住宅購入分の枠そのものが小さくなってしまうということだった。
私は今更ながらに、新車を購入する際、無理をしてでも思い切って現金で払っておいて良かったと思った。
住宅金融公庫の人は、「35年の長期固定金利住宅ローンという商品がございますが、いかがでしょうか。」とごく負担の少ないプランを紹介してくれた。今どきは、この返済方法が一般的で人気なのだそうだ。
変動金利の方は活用の仕方によっては、有利になる可能性も十分にあるけれど、金利が上昇した時の対処方法なんかも事前に検討しておく必要があるとかで、そんなリスクを考えるなら、私たちは固定金利の方が無難だろうと、そのお奨めプランを選択した。
返済方法については、「元金均等」と「元利均等」との二種類があるとの説明を受けた。何やら耳で聞いただけでは、名前の区別さえむつかしいような感じがして、私は思わず身構えてしまった。
その人の説明によれば、「元金均等」というのは、月々返済する元金を最初から最後まで均等にして、利子をそれに上乗せをするのだそうだ。当初は返済額にマックスの利子が上乗せされ、返済が進むにつれて元金が少なくなるから、加算される利子もだんだん少なくなるという仕組みである。
将来を考えたら、こちらの方が理想的だけど、当初がかなりきつい。
それに対して、「元利均等」というのは、元金と利子とを込みにした形で、最初から最後まで月々の返済金を一定額にするという返済方法である。
返済額は毎月々同じでもその内訳を見れば、当初は利子の割合が高く、返済が進むにつれて元金の占める割合が高くなっていくというわけである。銀行側も「元利均等」の方が返済に無理がないため、こちらを勧めることが多く、一般的だということだった。
ただ、トータル的にはこちらの返済方法の方が実は利子が割高になるということも、隠したりせずに良心的に教えてくれた。それでも、常識的に考えるならこちらの方がまず無難だ。
そこまで話が進んだところで、
「それなら実際問題として、3000万近いローンを組んでもらうとした場合、その返済方法は具体的にはどうなるんですか?」
私は、一番気になっている点を思い切って聞いてみた。
すると、担当者の方はすぐに電卓ではじいてくれた。
「金利2%で、35年は420ヶ月ですから、およそ月9万9300円の420回払いで合計は4170万円ほどになります。」
私は、それを聞いて驚いた。月々の支払いが10万を切るというのはまずまずかなと思ったけれど、それじゃ利子が1170万にもなるということじゃない。世の中なかなか甘くない。
これまで、私たちは漠然と3000万の物件のローンなら、その額に数%の利子を加算して返せばいいのだろうぐらいに考えていたからそのギャップに吃驚した。住宅ローンの金利は仮に年2%としても、35年もの長い間、その借り入れ残高に対してかかるものなのだからこのような高額になるのだという。
それはそうだ、早い話が人生の半分近くもの間、他人様が大金を貸し続けてくれるのだから、それも当然のことなのだろう。
今更驚いたってしかたがない。私は、もうそれでも何のためらいもなく契約するつもりになっていた。
ところが困ったことにそこへ来て、先方からひとつの課題が提案された。そしてそれは、私たちに少なからず高いハードルとしてのしかかった。
頭金を入れてもらえると、顧客としての信頼度が増すのでたいへんありがたいという申し出である。
これは、一見やわらかな物言いではあったけれども、かなり強制的な意味合いが感じられた。たぶんこれが、公務員とかのお固いサラリーマンかなんかだったら、もっとゆるやかになるのだろうけれども、晃の場合はその収入の不安定さを担保するために求められたらしかった。
頭金のことはまったく考えないでもなかったけれど、これまでの話の進展具合からしてクリアできたのではないかとの希望的観測に立っていたから、ちょっと頭がクラっとした。
気を取り直して、金額的にはどの程度が妥当なのかビクビクしながら尋ねてみると、一割相当が相場とのことだった。もちろん頭金を入れてもらえれば、当然月々の返済金もそれに相当して減額されるので、将来的にはずっと楽になるとのアドバイスを受けた。
そんなことは私にだってわかる理屈だけど、今手元にそんな資金の余裕なんてない。正直なところ困った。
ただ、ひとつ救われたのは、最近ではこんなに大きな契約でも保証人を立てる必要がないということである。
保証人については、私は最悪の場合、晃に頼み込んでもらってお義姉さんのご主人にでも引き受けてもらう以外に手はないだろうと考えていた。ところが、最近では契約の際に当事者が信用保証会社に保証料を支払うことによって、もしもの場合が保証されるのだという。
こっちの方はこれで肩の荷がひとつおりた。
いずれにしても即決はできないので、ちょっと考えさせて欲しいと、その日は契約を保留した。
岐 路
私は、何とか頭金を工面する方法はないものかと考えた。
確かに頭金を入れれば、月々の返済額が少なくなるわけだから、当初の考えどおりアパートの賃料にやや上乗せする程度で済むはずである。
「ねー、アキちゃん、そこんとこ何とかならないかしら?」
「何とかならないかしらって、手持ちは決まりきってるんだから、手はひとつしかないだろ。」
「ひとつって?」
「定期解約するしかないよ。」
「ウウン、ここは踏ん張りどころよ。これから先、何があるかわかんないから預金は今、手をつけない方がいいと思うの…。」
「そんなこと言ったって、どうしようもないじゃん?身動きとれないよ。」
「そうね。そんな虫のいい話なんてないよね…。でも、なんか手ないかな…。せっかくいい掘り出しもんを見つけたんだからさ。ぐずぐずしていると、よその人に持ってかれちゃうよ。」
「ウン、ここまで来てあれを他人様にとられるのは、やっぱ、くやしいよな。」
「…でしょう?」
所詮ない袖は振れないのだけれど、堂々巡りしながら晃も彼なりに考えていた。
「叔父さんたちは、マイホーム購入に全員反対だからとても相談なんかできっこない。親方に給料の前借するにしたって、額が大き過ぎるし、第一前借しちまったら、ローンそのものが成り立たなくなっちまう。それに親方だって、マイホーム購入反対派だから、相談すれば、きっと説教されて結局はあきらめるしかなくなっちまうもんな…。」
「そうだよね。ない袖は振れないもんね。でもさ、マイホームは何も今買わなくたって、別に困ることないんだしさ。やっぱし、あきらめよか?」
「ウウン、ここまで来たら、ダメ元でぶつかってみるさ。しょうがねーや。親父に相談してみる。我家に婿に来て以来、あのボロ家を後生大事に守って来て、出すものは何でも惜しんで来た変わりもんの親だけど、息子の一世一代の頼みと言ったら、もしかしたら聞いてくれるかも知んない…。」
そう言って晃は出かけて行った。
時々は帰るけれども、改めて金の無心という立場で帰ってみると、「我家は相変わらずだなー」と思ったと晃は言っていた。
物心ついて以来、全く手を加えていない家。どんな不器用な人だって、3、40年も同じ家に住んでいれば、使い勝手を考えて日曜大工程度になら手を加えるであろうし、でなかったら伝を頼ってでも、幾らかでも住みやすいように少しぐらいの投資はするだろう。
しかし、この家は一切そのような手を加えることはなかった。大工さんにお願いすることもない。ましてや本人たちが日曜大工ができないほど不器用というのでもない。この家の当主の連れ合いと息子は、並よりはるかに優れた大工職人なのである。この家は、それでも一切手を加えることはしなかった。
そんな家に育って、改めて帰ってみて、今流行りの分譲住宅を購入するための軍資金をその親に頼み込むというのは、どう考えても見当はずれといえた。
私に大見得を切って、親父に頼んでみると言ったことを晃は、成り行きとはいえ何とバカな約束をしたものだと悔いたらしい。
「父ちゃん、忙しい?そろそろ秋の取り入れも始まるだろう。オレも親方のところの仕事が忙しくてなかなか…。毎年のことだけど、休みの日には、農作業機械を動かすことくらいならやるからな。」
「あれだけの百姓だ、おまえが休みの日に機械だけ動かしてくれればわけはない。ただ、一人でやるには、手間食ってなー。何のかのと言ったって、稼ぎだわな。米だって、野菜だって、作れるもんなら何だって作った方がいい。他人様の手をわずらわせずに済むなら、それが一番いい。他人様を頼めばそれだけ出るからな。」
いくらお人好しの晃にしても、そんなことを言い出す父親に、金の無心は言い出せなかったという。
結局、頭金の資金は定期を解約せざるを得なかった。
そして、それは私たちのこれからの生活設計において、ひとつの留め金がはずされたことを意味した。
私たちにとって、また新たな生活が始まった。
人形師
大安吉日、今日は日曜。
娘麻耶のおひな様が届く日とあって、私は、年甲斐もなく胸がワクワクした。長女麻耶が生まれて、早いもので半年になる。
むろん主役である摩耶当人には、そんなおめでたさも分かりはしない。その分私が成り代わってしまったかのような感じだった。
おひな様は、義父が初節句のお祝いに買ってくれた。購入先はその辺のデパートなんかじゃない。なにやら加茂川の伯父さんの関係で、人形師に知り合いがいるとかで、直接その人が納めてくれることになった。ただ、いくら購入先の身元が確かとはいえ、モノは確認した方が良いだろうとの助言もあって、晃と私が見学がてら後学のためにも現物を見に行くことになった。
おひな様の下見に行って驚いた。
看板はあるものの、これでどこがお人形屋さんなのかと思ってしまうほどに、外見はごく普通の住宅だった。
ところが中に入ってみると、次から次へとどこの部屋にも、見るからに豪華そうな人形がいくつも厳かに飾られていて、圧倒された。お正月が過ぎ、季節がやってくるとおひな様は、毎年デパートとかでも飾られる。
その中には、素晴らしいのがたくさんあって、第三者的に見ている時なんかは、つい高級なものに目が行ってしまって、目移りすることが多いけれど、どうもそんな感じとは明らかに違う雰囲気だった。
そこには、人形以外のものが一切展示されていなかった所為か、ある種不思議な異次元のオーラのようなものが漂っていた。
私と同じように息を呑むようにしてしばらく黙っていた晃が、突然私の耳元でささやいた。
「あのな…、夜中になって、ここに人の気配が全くなくなったら、もしかしたらここは今とは全然違う別の世界になっちまって、このおひな様たち、動き出したりするんじゃないか…。」
この男はいったい何を考えているのだろうか。まったく子供じみたことを言い出してと、私は笑いたくなったけれど、なるほどそこには、そんな想像をかきたてられても不思議でないような神秘的な雰囲気があった。
私も思わずペースを合わせてしまい、晃に言った。
「そうね、もしかしたら、このおひな様たちって、今は黙っていて私たちに見られているけど、本当は私たちの方が見られているのかもね。夜中になったら、みんなでわいわい今日は変なのが来たぞうなんて、昼間のことを話し合ったりなんかして…。そいでもって明け方の四時か五時頃になったら、ここんちの人たちが起き出す前に、今の自分たちの居場所にちゃっかり納まるのかもね…。」
内緒話のつもりが、私たちのこんな子供じみた会話を聞かれてしまい、近くにいた別のお客さんたちがクスクス笑った。私たちも、つられて声を出して笑ってしまった。
しばらくしてから、店主の方が説明してくれた。
「私は人形師です。人形師と言っても人形の顔、頭を作る方です。業界では、頭師と呼ばれています。頭作りはすべて手作業で、まず桐粉で地型を作り、ニカワで溶いたある貝の粉、この貝の名前は企業秘密で言えないんですけれど、その粉末を何回も丹念に塗り上げて形を整えていきます。
このため、作るたびに人形の表情が微妙に違ってくるんです。一時期、テレビのコマーシャルなんかでやっていましたが『人形は顔が命…』という、まああれです。私たち人形師仲間の間では、デパートなどで売られているホンモノ…、この表現が適切かどうかわかりませんが、それなりのモノは顔を見て、誰の作なのかすぐわかります…。」
職人としての人形師さんの話は、とても興味深いものだった。
「すごいですね。そんな表情があるなんておひな様って、本当に人とおんなじなんですね。そんなお人形をお作りになられる人形師さんは、きっと私たちが考えも及ばないところで非常な神経をお使いになるんでしょうね。一番のポイントというのは、どんなところにございますか。」
いかにも上品な奥様という感じの初老のご婦人が、少女のように目を輝かせながら静かに聞いた。
「そうですね。私たちが顔を作っていて、一番神経を使うのはやはり目ですかね。すべての過程がそれなりに重要ですが、目の切り出しという作業がやっぱり一番のポイントになるかと思います。延々と積み重ねてきた作業の最後の仕上げのこの過程で、人形に生命を吹きこむことになるわけですから…。」
「それじゃ、やっぱりここのおひな様たちには、命があるんですね…。」
私は思わず、聞いてしまった。
「そうですね。ここの人形には皆息吹きが感じられると思います。私は、見たことはありませんが、さっきのおひな様の夜の世界の話、あるいは本当にあるかも知れませんね…。」
その答えに、他のお客さんたちも微笑みを浮かべながら、皆うなずいた。
「ですが、人形が高価だから、生命が宿るというわけでもありませんよ。本当は持つ人の心、気持ちなんでしょうね。たとえ、ビニール製の金銭的には安い人形にだって生命は宿ります。私らは戦後の貧しい時代に育ちましたから、私の妹なんか物心がつくかつかない頃に親から買ってもらった小さなキューピーの人形をずいぶんと大事にしていましたね。男の私には、あんな薄よごれた人形のどこがいいのかわかりませんでしたが、きっとそんなことだったんだろうなと今になって思います…。」
「そんなお話を伺うと、これまでおみやげにいただいたコケシなんか、ちょっと粗末にし過ぎて、かわいそうなことをしてしまったかな、なんて反省させられますね…。」
と、誰かが言った。
すると今度は別の人が言った。
「ところで、人形師のプロの方としては、売る方の側からして、壇飾りのおひな様と親王飾りのおひな様のどちらを一般にお奨めになります?」
「そうですね。それはお求めになる方のご希望ですから、こちら側としては何とも言えませんが、基準はご予算と、人形を飾られる場所の問題でしょうか。ご予算と申し上げましてもいろいろです。親王飾り二体で、立派な檀飾りの数倍もするような高価なものもあります。必ずしも壇飾りの方が高価というわけではございません。
ですから、お選びの基準はどちらかと言えば、お住まいの方のご事情になるでしょうか。最近の若いご夫婦は、親御さんとは別のマンションとかにお住まいになられるケースが多いので、ここのところは、壇飾りよりも親王飾りの方の比率が高くなっています。男の子のお節句で、最近はこいのぼりよりも内飾りの方が多くなっているのと同じような事情があるようです。
それに、壇飾りの方はそれは豪華ですが、飾るまでに手間がかかり、またしまうのにもたいへん気を使わなければならないので、お祝いされるご当人のお嬢様が成長されるに従って、飾ってあげる側の親御さんの方が先に息切れしてしまって、せっかく高価なものをお求め戴いても、早々と押入れの主として納められたままというケースも多いようです。
私どもとしては、すべてのお客様がお嬢様のすこやかなご成長を願い、私どもの人形を末永く、お飾り戴ければたいへんありがたいのですが、もし、身内に奨めるのでしたら、そのような事情を加味して、やはり親王飾りの方でしょうか…。」
おひな様
人形師みずからが我家に直接おひな様を届けてくれてからほぼ二週間が経った。
土曜、友引。
私は特に用事があるわけでもないけれど、一日中家を空けた。
普段なら晃も土曜日は仕事のはずだけれど、先日上棟式に向けた急ぎの仕事があり、日曜日に出勤した関係で、その日はたまたま代休がとれ、家にいた。
案の定、親戚の何軒かから、麻耶に初節句のお祝いが届いた。その中に、加茂川の従兄さんもいた。
晃は、麻耶をだっこして迎えたらしい。
「マヤちゃん、おひなまつりおめでとう。加茂川のおじちゃんが、お祝いと野菜持ってきたぞー。もっとも、金主元は、加茂川のじーちゃん、ばーちゃんだけどな…。」
と言って、従兄さんは祝袋を麻耶に持たせ、自宅で採れた野菜類がいっぱい入った手提げ袋を玄関脇に置いた。
晃は、いつもと同じ口癖のように言った。
「いつも、伯父さんと伯母さんにすいません…。」
「おまえは知らないだろうけど、こうして見ると、麻耶は、おもしろいくらいに千秋の小さい時にそっくりだな。」
「そんなに、姉ちゃんに似ていますか?みんながそう言うんです。」
「ああ、この目のたれぐあいと、ほっぺのポチャッとしたとこがな。おまけにこの鼻ペチャもな。決して美人じゃないが、愛嬌があっていい。大人になっても、まー、損する顔じゃないな。どー見ても、こりゃ、まず尾野家の顔だな。」
と言って、加茂川の従兄さんは笑った。
晃は、親戚の人たちがみんなしてそう言うので、血のつながりってのは不思議なものだと私にもよく言う。
晃が、ペットボトルのお茶とおせんべいのお茶菓子を出したところで、従兄さんが聞いた。
「明子さんは?」
「ちょっと、出かけてますけど…。」
「そうか…。あれのことなんだけどな…。」
従兄さんは、おひな様を指差してそう言ったらしい。
「おまえたちは、せっかく父ちゃんがあんな立派なおひな様を買ってくれたのに、わざわざまた別のを買ったのか。叔父さん、この間、我家に来てこぼしていたぞー。せっかく、あんなにいいのを祝ってやったのに、倅どもは、また別のひな様を買ったとか言ってな…。」
義父の嘆きの元になった話の経緯というのはこうである。
二週間前に、わざわざ人形師さんがおひな様を直々に届けてくれたとき、私は本当にうれしかった。
先日あの人形屋さんで、たくさんの種類のおひな様を見せてもらい、いろいろな説明を受け、私たちの家には過ぎると思えるような品を選んで戴いた。出資元は義父であるから、私はちょっと背伸びさせてもらった。
当然そのことに不満があるはずもなく、それどころか譬えていうなら両手いっぱい拡げたほどの感謝をしても足りないくらいの気持を抱いていた。しかし、そんな気持とはうらはらに、私にはひとつ心残りがあった。
私たち二人はあの場で、話の成り行きと雰囲気から何の不思議さもなく、檀飾りではなく親王飾りを購入することに決めた。しかし私には、高級品だとかそうでないとかではなく、子供時代の苦い思い出から、段々にたくさん並んだおひな様に、人には言えないような憧れがあった。
子供の頃、春のやわらかな陽射しが何となく目に心地良くなってくる季節、毎年、保育園や学校でおひなまつりの歌をうたったり、お遊戯会をしたり、とても楽しい時を過ごした。
きらびやかな大勢の人形たちから受ける華やかさのゆえか、それともゆったりとしたあの歌のメロディの所為なのか、私は、おひな祭が好きだった。ボソボソして薄甘いだけで何の栄養価もなさそうな、あのひなあられもカラフルさが可愛くて何となく好きだった。
ただ、友達の家にはたいていどこでもみな、たくさんのおひな様がいく段にも美しく飾られていたのに、私の家にはガラスケースに入った小さなおひな様しかなかった。それでも私にとってはやはり一番大事なおひな様であることには変わりなく、あの人形師さんに尋ねたなら、あなたのそのおひな様にもきっと生命が宿っていましたよと、言ってくれるに違いないと思うけど、やはり子供の私にはちょっと淋しかった。
私は、たまたま遊びに行った友だちの家で見たおひな様たちの持っているさまざまな小さな道具をさわってみたい気がした。こんなかわいいお道具をひとつひとつお人形さんに持たせて飾るのって、楽しいだろうなと何度も思った。
二週間前、人形師さんが注文の品を直々(じきじき)に届けてくれて、おひな様の顔の向く方角にまで細かく注意を払って、飾ってくれた時には本当に感激した。しかし、人形師さんが帰ったあと、親子三人でおひな様と水入らずで向き合った時、感無量ともいえる満足感と共に、ふと何とも言えない一抹の淋しさが私を襲った。
その人形は、確かに上品で美しかったけれども、高価な造りのものの裏返しなのだろうか、幾分地味な印象を受けた。
お人形屋さんで、いくつもの種類のものが並んだ中に納まっている時には、そんな感じは全く受けなかったけれど、自宅では違った。
「ねー、このおひな様、上品で立派だけど、少し淋しくない?」
しばらくしてから、晃に私は言った。
「そうか?オレはこんな立派なおひな様なんて、めったにないと思うけどな。」
「それはそうなんだけど…。お内裏様とおひな様だけって、ちょっと静か過ぎる感じがしない?ってこと…。」
「だって、いっぱい飾るのって毎年たいへんで面倒だし、しまう場所にも困るから、この形にしたんだろう?」
「そりゃそうだけど、それにあの時は、壇飾りの方がいいなんて言い出せる雰囲気じゃなかったしさ…。」
「だって、このおひな様二人で、ふつうの檀飾りと同じくらいの値段なんだぜ。」
「そんなことはわかってるの。でもね、麻耶がもう少し大きくなってさ、お友達の家の段々飾りのおひな様を見たりしたとき、何で我家のおひな様は二人しかいないの?なんてうらやましがったりしないかなと思ってさ。小さい子にはいくら説明したって、品物の良し悪しなんてわかりっこないんだし…。」
「それはそうだけど、じきにわかるようになるさ。加茂川のお姉ちゃんだって、このパターンだったんだぜ。小さい頃には、わたしのおひな様少ししかないなんて、ふくれていたこともあったらしいけど、大きくなって実態がわかるようになると、逆にこっちの方で良かったなんて言ってるんだって。友だちの家では、とっくにおひな様なんて飾らなくなって久しいのに、加茂川の家ではお姉ちゃんが高校生になってもまだ飾ってるっていうから、本当にいいんだよ。こっちの方が…。」
「でも加茂川は加茂川よ。あの家の場合は、我家とおんなじ親王飾りなんていうけど、本当は、あの熊手を持ったおじいさんとおばあさんだって、ほらなんだっけ?」
「ああ、あれな…、あれ…、高砂だっけか…。」
「そうそう、その高砂でしょ、そのほかにもえーと、八重垣とか…汐汲だとかいう、そんなガラスケースに入ったお人形さんもいっぱいあって、にぎやかなんでしょ…。ほかに市松人形なんかもあったなんて言ってたじゃない。だけど我家はこのたった二人きりじゃん。」
「すっきりしていていいさ。この辺にはめったにない高級品だと思えばいいじゃないか。」
「だって、それって私たちだけの自己満足でしょ。いちいち他人には説明しないとわからないことよ。その都度、これはその辺の檀飾りよりずっと高いんですからね、とでも説明するつもり?それとも、人形の脇に値札でも付けておく?しかも、これは人形師から直接購入したもので、デパートなんかで買えばその二倍はしますって、注意書きでもする?」
「そんなのどうだっていいよ。自分の気持だけ済めばいいじゃないか。」
「だから、それじゃ自分の気持が済まないから、こうして相談しているんじゃないの。」
「じゃ、どうすればいいって言うんだよ。」
「麻耶に周りのことがわかるようになってから、私のおひな様ってすごいなって思えるようにしたいのよ。」
「じゃ、これを返して、檀飾りに代えて下さいなんてお願いでもするのか?」
「そうじゃないの。お義父さんには、こんな立派なおひな様を買ってもらって、本当にありがたいのよ。こんなのってなかなか買えるもんじゃないし、それにもし、このおひな様たちがてっぺんに飾られた檀飾りなんて言ったら、とんでもない金額の品物になっちゃうんだし、だから、これはこのままにして、別に安いものでいいから、三人官女とか、五人囃子とかを買って、これにくっつけてしまわない?ってこと。」
「そういうことか。それならわからないこともないな。でもそれって、何かバカくさくないか?」
「安物でいいのよ。もう本体はすごく立派なのがあるんだし、あとは見た目がそろっていればそれでいいの。それで、麻耶のおひな様はもう完璧でしょ。誰が何と言おうと、もう誰にも負けないわよ。あの緋毛氈て、かなり広いのよね。あれを広げれば何とかなるでしょ。そうね、パパは建築のプロなんだから、三段飾り作ってよ。」
「わかったよ。そんなことなら簡単なこった。じゃ、そういうことにするか。」
案外、晃は簡単に折れた。
数日後、早速安価品を買うつもりで二人して近くのデパートに行き、三人官女やら五人囃子やらをながめてみたが、なかなかそう簡単なわけにはいかなかった。やはり目移りがしてしまう。
それに、人形の数が増えれば増えるほど、それに合わせようと付属品の小物までが目に入ってしまうのである。
結局、予定の三人官女と五人囃子のほかに、随身二人を加え、更に牛車や籠までも買ってしまう羽目になり、結果的に我家のおひな様は五段飾りという豪華なものになってしまった。私は子供の時からの夢がかない、心底満足した。これは、単に麻耶のためばかりではない、本当は自分のためなのだとつくづく思った。
そして、そんなおひな様が新たに並んだところに、加茂川の従兄さんが来たのである。
晃は、従兄さんの問いに答えた。
「あ、そのことですか。別に新しいおひな様を買ったってわけじゃないんです。親父には、立派な親王飾りを買ってもらって本当に感謝してるんです。ただアッコが、これはすごいおひな様だけど二人だけじゃ、麻耶が淋しがりやしないかって言うんで、お供を買い足したんですよ。ほんの安物なんです。」
そう晃は弁解したらしい。本当は、それなりのモノが出てしまったのだけれども…。
「そうか、でもな、ここんとこ新しい車に変えたり、家も買ったりしただろう。麻耶だって、これから保育園にでも上がればそれなりのかかりが出る。更に小学校、中学、高校ともなれば、予定していた以上のものが出てしまうってことに相場が決まってるんだ。あんまり無意味な無駄遣いはするなよ。」
加茂川の従兄さんは、お祝いとありがたい言葉を遺して行ってくれた。
(第四章へ続く)