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第六話

 高校二年の夏休み。

 来年は受験を控えて大変な時期を迎える事を考えると、気楽に過ごせる夏休みはこれが最後になるだろう。

 どんな職業に就きたいとか、どんな仕事がしたいとか、そのためにどんな大学のどの学科に進みたいとか、そういうのはまだ考えていない。でも年を越す頃には嫌でも考えなければいけなくなるだろう。

 神崎薫だった頃はただ大きくなる事を漠然と考えていた。

 それは肉体的にもそうだけど、社会的にもそうなりたいと思っていた。

 では今はどうか、というと分からない。

 “さくら”が憧れていたものは知っているけれど、それを自分が目指しても良いものかも分からない。


 まだ本領を発揮するには時間を要する陽光の下を走る電車に揺られ、隣に座る薫をちらりと見た。

 揃えた膝の上に麦藁帽子を置いて、向かいに座る原田と談笑しているコイツは以前にも増して能天気ぶりを発揮している。

 俺と同じ境遇にも関わらず、悩んでいるように見えない。

 むしろ現状を楽しんでいるような節すら窺える。


「さくらちゃん、どーしたの?」


 俺の視線に気付いたらしい薫はくりくりと大きな瞳でこちらを見上げてくる。

 その小振りな口から発せられたソプラノはこの歳にして未だ声変わりの気配すら無い。

 どれもが“俺”にとっては忌々しく、あえて殺していたもの。

 それらをコイツは逆に最大限発揮しようとしているようだ。


「どーしたもこーしたもねーだろ……なんだよ、その格好」


 半目でジトーっと睨みつけてやると、薫は「えへへ」とばつの悪そうな笑みを浮かべる。

 というのも白いチュニックに裾を八分丈で絞った淡い緑のパンツなどという、どう見ても女物を着込んでいるのだ。

 しかも相変わらずというか違和感は無く、それどころか似合っているのが非常に腹立たしい。

 肩に届くくらいに長く伸び、適度に整えられた髪も相俟ってボーイッシュな女子中学生にしか見えない。ていうか“俺”って童顔だとずっと思ったけど実は女顔だったのか、と今更ながらに気付かされた。


「まぁまぁ勘弁してあげてよ。カンちゃんを男子更衣室に入れちゃうのは酷でしょ」


 助け舟を出した原田の言に、俺も渋々矛を収める。

 男子更衣室、という単語で思い出されるのは一学期も終盤に差し掛かった頃の事だ。

 期末考査を無事に終え、夏の暑さもじりじりと本格化し始めると行われる体育の授業、水泳でそれは起こった。

 男子更衣室で響き渡る甲高い絶叫、何事かと駆けつけてみれば更衣室の壁際で薫が目に涙を一杯に溜めて蹲っていたのだ。

 最初は状況が全く飲み込めなかったが、怪訝そうな表情を浮かべ、或いは闖入してきた女子連中からそそくさと股間を隠す野郎共を見て何となく理解出来た。

 そんな事が起こって以来、薫は女子更衣室で着替えるようになったのだ。

 つまり今の格好は女子更衣室へ堂々と入っても怪しまれないためのカモフラージュといったところか。


「お前もいい加減、慣れろよな」

「そ、そんな事言ったってぇ」


 顔を赤く染めてぼそぼそと呟く薫の姿に、俺は溜息が零れるのを止められない。

 中身が入れ替わってはや四ヶ月が過ぎようというのに、コイツの精神は未だ女の子のまま変わらないらしい。


 電車からミニバスに乗り換えて二十分程度揺られ、目的地に立てられたバス停に到着。

 ほぼ満員状態のミニバスからは殆どの乗客が共に降り、彼らの足は松林と共に建ち並ぶ民宿兼海の家へとばらばらに散らばって歩いていく。

 俺たちが向かうのはそれらと共に建つコンクリート打ちっ放しの建物。これは海水浴場を訪れる観光客用に自治体が設置しているもので、中は簡易的な更衣室をはじめ水道やシャワー、トイレが備わっている。

 それほど大きな建物ではないため中は常に混雑しているし、篭った熱気も酷い。

 去年この海水浴場に来た時は男だったから、その辺の物陰でこそこそ着替えれば良かった……あの頃は楽だったなぁ。


「ストーップ! さっちゃん、先に隠しなさい!」


 吹き出た汗で肌にピッタリ張り付いたシャツが不快極まりなく、更衣スペースに入るやさっさと脱ぎ捨ててしまおうと指を掛けたところで原田に止められた。

 しかし学校での着替えでそんな風に止められた事は無く、「へ?」と間抜けな声で応じてしまう。


「こういう所って盗撮とか結構あるみたいなのよ」


 顔を寄せてそんな忠告をくれた彼女の顔はいつになく真面目だった。

 そりゃあそうだろう。俺自身も自分の表情が歪むのを自覚してしまうくらいだし。

 しかし、と思う。


「でもお――じゃなかった、私みたいなのを撮ったってすぐ消すんじゃね?」


 この三ヶ月と少しで15キロ近くの体重を絞ったとはいえ、樽からやっと特大ビール瓶になった程度だ。腹回りの寸胴ぶりは言わずもがな、二の腕も太腿も相変わらず太ましい。


「甘い! 甘いわ!」


 だが原田は俺の言をピシャリと斬り捨てる。


「世の中にはね、今のさっちゃんみたいな子にどうしようもなく萌えるって男も居るのよ。それも割と」

「マジかよ……」


 なんと業の深い事か。こんなナリだからと全く警戒してなかったわ。


「そいつら、仏像にも欲情すんじゃねーの?」

「それはさすがに無い、と思いたい」


 仏様は男だし、と笑う原田もバッグから取り出した大きめのバスタオルを片手にTシャツを脱ぎ始める。

 薫など、ゴム付きのバスタオルを首から被っててるてる坊主状態で着替えを始めている。

 俺もさっさとと着替えてしまうか、とスポーツバッグからバスタオルを取り出した。

 そして手早く着替えを終えると、この熱気から逃れるべくバッグを片手に建物をさっさと抜け出す。


「帰りもあそこに入らなきゃなんねーのかよ……」


 水を浴びたわけでもないのにぐっしょり濡れた身体にウンザリしてつい愚痴が零れると――。


「毎度の事とはいえ、ちょっと辛いわねぇ」


 ――と、疲れた顔の原田も難色を示す。


「帰りは海の家でシャワー貸して貰おうよ」


 そこで薫が提示した案に俺たち二人は同意の首肯を返した。

 多少金は払わねばならんが、疲れた中であそこに再び向かうのに比べれば遥かにマシだろう。


 建物を出て脇の小道を通り抜けると、ようやく目的の砂浜に到着だ。

 なだらかな傾斜を持った十数メートルの波打ち際の向こうには遥か彼方まで続く広大な海。そろそろ強くなってきた陽光をキラキラと反射させ、さざ波が浜に乗り上げ白く砕ける音が間断なく耳朶を擽る。

 海と防風林とを帯のように隔てる砂浜には色とりどりのパラソルが華を咲かせ、それに倍する数のレジャーシートが敷き詰められていた。

 焼けた砂をサンダルで踏み締め、俺たちは先行して来ているはずの野郎二人の姿を探す。

 一応、去年と同じ場所をと指定しておいたけど記憶は曖昧で、更にこれだけ雑多な人混みの中から探し出すのはなかなかに難しい。


「薬王寺ー! こっちだー!」


 多分こっちの方だろうと見覚えのある光景を頼りに歩いていると、松林に程近い辺りから野太い声が聞こえた。そちらへ視線を向けると、モスグリーンのTシャツと同色のハーフパンツを着た大柄な男が片手を高々と上げているのが見える。


「おー、さすがワッシー。あのでかさは一目で分かるね~」


 そう感心する原田には同意するが、あんな大声で名を呼ばれた俺もでかくて目立つし少々恥ずかしい。


「お前ら、おせーよ」


 愚痴で迎えたのは当然というか、黒部だ。

 無駄肉の無い締まった身体は細身ながらも逞しさとしなやかさを十二分に見せつけ、本人の自信の程がありありと見て取れる。

 しかし面積の少ないパンツはやり過ぎだと思うのだがどうか。

 目にも眩しいサンライトイエローとこんがり日焼けした肌はとても良くマッチしていると思うけど、何だか正視するのが気恥ずかしくなる。

 でも誰もそれにはツッコまない。ツッコむと暑苦しく語り始めて面倒なのは皆が体験している。

 二人は昨日から先行し、この近所に住む黒部の親戚の家に泊まってここの場所取りをやっていたのだ。

 この海水浴場は来客数自体はそれほど多くはないらしいのだが、遊泳可能範囲が割と狭いために人が密集する傾向がある。そのため俺たちが到着した時間くらいには大抵の良ポイントは抑えられてしまう。


「これでも結構早く出たんだぜ?」

「女の準備は時間が掛かるんだから、それくらい大目に見なさい」

「パラソル無いの?」


 黒部の愚痴に返る言葉は三者三様。いや、薫のは全く答えていないが。


「しかも揃いも揃って微妙な水着ばっかり着やがって。色気も何もねーじゃんか」

「別にクロベエみたいに見せたいワケじゃねーんだよ」


 そう答える俺の水着は目にも鮮やかなビビッドピンクのワンピースタイプだ。

 薫と原田を連れ立って買いに行った水着だけど、本当は紺色とか無難な色にしたかったのに半ば強制的にコレにされた。しかも背中が思いのほか大きく開いているという誰得仕様。日焼け跡が変な形についちまうじゃねえか、と作った奴を問い詰めたい。

 ハムかソーセージみてえ、なんてほざいたバカヤロウはとりあえず蹴り飛ばしておく。


「えー? 私、結構頑張ってると思わない?」


 不満げに口を尖らせる原田はホルターネックのトップスとパンツの黒ビキニだ。女子高生としては結構どころかかなり頑張っていると思う。

 実際、これと無難なセパレートを両手にたっぷり三十分は迷っていたし、それをレジに持っていった原田の顔は緊張のあまり引き攣っていたくらいだ。

 胸元に若干の余裕を感じさせるそれは多少背伸びした感は否めないものの、決して似合っていないワケではない。


「水着は頑張ってっけど、中身が頑張ってねー!」


 しかしというか、中身が頑張りすぎた漢はさすが格が違った。

 その一言でバッサリ斬られた原田は言葉を失って後退り、涙目になって俺の胸に飛び込んできた。


「さっちゃーんっ」

「よしよし。一緒に頑張って、来年は見返してやれば良いさ」


 泣き付く原田のショートカットを撫でてやりつつ、来年の夏は遊んでる暇あるのかね、と少々現実的な事を考えていたり。

 ここで原田の名誉のために、彼女の体形は高校二年の女子として平均水準は満たしており、かつ健康的であると補足しておく。


「ねー、クロベー。パラソルはー?」


 と、相変わらずマイペースを貫き通す小柄なヤツが一人。


「ああ、そこにある」


 そう指差した先には緑色の巨大な傘が閉じた状態で無造作に転がしてあった。


「なんで立てて開かないの?」

「おう、もうちょい焼こうと思ってな」


 こんだけ黒いのにまだ焼く気かよ、と一斉に溜息を吐いた奴らは皆同じ気持ちに違いない。


「いい機会だ、今年はお前らも焼け」


 マイペースというか、我が道を突き進むどころか周りも道連れにしようとするコイツも大概だが。

「嫌だ」と三人の声が重なると、何故かすごく寂しそうな顔をしやがった。


 そういえば、とこれだけ姦しい中で全く言葉を発していない男の存在を思い出す。

 図体ならば全校でも有数の巨漢へ視線を移してみれば、野郎は顎が外れんばかりに口を開いた驚愕の表情のまま固まっていった。

 いや、よく耳を澄ませば呻くような小さな声が喉から漏れているような気がしなくもない。

 その視線の先に居るのは水着姿の薫……あぁ、なるほど。そういうことか。

 というのも今の薫はライトブルーのセパレーツという女物の水着を着ているのだ。

 女子更衣室を使う関係から怪しまれないようにと購入したもので、トップスに仕込んだパットでささやかな膨らみを作り、一応サポーターで膨らみを隠した上で腰にダークグリーンのパレオを巻いて誤魔化している。

 そして前述のような容貌もあり、自然かつとてもよく似合っていた。

 気持ちはよく分かる。コイツに関しては俺も色んな意味で納得がいかない。考えてみれば自然体でいられる黒部の方が分からない。

 しかし筋骨隆々の大男が何時までもこんな面を晒して硬直した様は非常に見苦しい。早急に再起動させねば。


「鷲尾、パラソル広げるから手伝え」


 短髪を後ろへ撫で付けたために広く見える額に手を伸ばし、ぺしぺしと軽く叩いてみる。

 目立った反応は無い。よほどダメージが大きかったと見える。


「おーい、聞いてんのか~?」


 続いて筋肉が盛り上がった脇腹を突付いてみる。

 ピクン、と微細な反応は見られたものの大勢変わらず。

 では、こうなれば三度目の正直って事で最終手段。閉じたパラソルを引っ掴み――。


「いい加減に戻ってこーい」

「うほぉっ!?」


 ――その先端で分厚いハーフパンツで守られた股間を突付いてやった。

 そんなに強く突付いたワケではない。ちょっと触る程度だった筈だが、鷲尾はまるで飛び上がるように身体を震わせた。

 威力抜群なり。


「や、やくおう、おま……っ!」

「やっと帰ってきたか?」


 背を丸めて股間を押さえる情けない姿勢で、信じられないモノを見るような視線を向けてくる鷲尾を見下ろしつつニヒヒ、と笑う俺。

 傍らの原田が何とも微妙な苦笑いを浮かべているけど、とりあえず見なかったことにしておく。

 何か言いたげにしばらく口をパクパクさせていたが、やがて諦めたのか鷲尾は顔を顰めつつ押さえていた股間から手を離して姿勢を正した。


「もっとマシなやり方があるだろうが」

「気付かなかったお前が悪い。以前の私だったらケツを蹴り飛ばしてるところだぞ?」

「そっちの方が全然マシだ!」


 色んな意味で丸くなった、と言ったつもりなのだが、そう返されると心外である。


「ま、いいや。パラソルを立てるから手伝いな」


 そう告げると鷲尾は恨めしそうな顔で睨んでいたが、溜息を吐いて渋々といった感じでスコップを拾い上げた。

そろそろ<男の娘>と<女装>のタグをつけるべきか迷う所。

ジャンルもコメディの割にコメディになっていない気もする。

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