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第二話

「あたしと薫ちゃんが入れ替わってるってことですか!?」


 狭い診察室を素っ頓狂な声が突き抜ける。

 その甲高い声を発したのが“俺”ってのが色んな意味で頭が痛い。


「あ、いや。この場で『そう』だと断定するのは難しいのですが……」


 それを真っ向から浴びせられた医師は反射的に言葉を紡ぐも、語尾を濁してしどろもどろだ。

 当然だけど、そんな説明で納得できる奴が居るわけもなく――。


「二人は元に戻れるのですか?」


 ――椅子に座る“俺”の背後に立つ母ちゃんは、“俺”の言葉に引き続くように硬い声で尋ねた。


「えー……何分、前例の無い事例ですのでそれに関しても、経過を観察して対応を考えるしかないとしか言いようがありません」


 回りくどいが要するに「さっぱり分からない」という事だろう。


 あの後、教室にやってきた担任に保健室へ連れられた俺たちは、事の異常性に早々に匙を投げた保険医によって病院へと運び込まれた。

 学校から連絡を受けた母ちゃんたちとは病院で診察を受けている間に合流したのだが、二人も俺たちの現状を聞いて目を白黒させるばかり。家族しか知りえない事を並べ立てて事態を把握してくれたと思うのだけど、本当に信じているかどうかは分からない。

 何せ俺自身がこの状況を信じられないのだから。

 強く打ち付けた頭だけど不幸中の幸いというべきか表面的に赤みが差した程度で外傷は無く、骨も脳も目に見える異常は認められないとの事だった。

 しかし脳震盪に似た症状を訴えた事もあり、数日は安静にして様子を見て異常が見られれば診察を受けるように、と締め括られて診察室から追い出された。

 あんまりな対応に俺たち四人は唖然としたまま病院から家へとぼとぼ歩いている。

 俺とさくらがふざけた事を言っていると思われたのかもしれない。あぁ、春って変な人が大量に湧くからな……。


「ちょっと、さくら。何処に行くの?」


 唐突に手首を掴まれ、現実逃避気味にぼんやりしていた意識を現実に引き戻された。

 手首を掴んでいるのはさくらんトコの小母さん。見ればいつの間にかさくらの家の前に辿り着いていた。

 でも俺の家はまだもう少し先にある。別れの挨拶をする程度ならまだしも、ここに用は――と考えていると、小母さんの傍らで目を大きく開いて戸惑っている“俺”の姿が目に入る。

 俺たちは『どっち』の家に帰るべきなんだ?

 胸の内側に生じたモノが渦を巻き始め、視点が定まらずふらふらと宙を舞う。

 自分がどんな表情を浮かべているのか分からないけれど、俺たちの不安を感じ取ったのかハッとなった小母さんの手が俺の手首から離れた。

 さっきまでとは違う重い沈黙が肩に圧し掛かる。

 戻る方法が分からない以上、これからどうするかを考えなきゃいけないんだけど……。


「……とりあえず、うちにみんな集まって話し合おうかしらね」


 母ちゃんの提案に乗り、一時棚上げする事とした。


 慣れ親しんだ家に着いたが、いよいよ違和感が半端じゃなくなってきた。

 母ちゃんたちより視線が上にある事もそうだけど、何か家が狭く感じて仕方がない。

 廊下を普段通りに歩いているつもりなのに、腕や肩が壁にぶつかる。

 階段の踏み板が狭く感じ、足を滑らせてしまわないか不安になる。

 それでも自室に入ると安心感から張り詰めていた気が緩んでしまい、ベッドに腰掛けて盛大に溜息を吐いた。

 胸に溜っていたモノを吐き尽くし、やけに凝った首周りの筋肉を解す。

 今日みたいな日を厄日と呼ぶんだろうな。朝からずっと憂鬱だったし、全く以って酷い日だ。

 安静にしてろ、という事だからこのまま寝ちまうかなぁ。


 ベッドから立ってブレザーを脱ぎ、それをハンガーに掛ける。もうその辺に放っときたいところだけど、皺になったら後が面倒だ。

 今日はぽかぽか陽気のせいか、カッターシャツが汗でぐっしょりだ。これを着たまま寝るのは気が引ける。

 あれ? なんかボタンが上手く外れない。なんでだろ?

 やけに苦戦しつつもようやくボタンを外し終わり、シャツを脱ごうとしたら今度は首が絞まった。

 今度は何だ……リボンタイ? あ、スナップになってるのかコレ。

 首下のそれを外してようやくシャツを床に脱ぎ捨てると、じっとり濡れた肌が外気に触れてひんやり心地が良い――筈なんだけど、胸元がまだ暑い。

 まだ何かあるのか? といい加減うんざりしつつ視線を下げると、ベージュ色の布に包まれたでっかい餅っぽい物体がふたつあった。


「あ゛」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 壁に掛けてある鏡へ視線を向け、今度はさぁーっと頭から血の気が引く。

 そこに映ってるのは見慣れた細っこい野郎じゃなくて、ぼよんととてもふくよかな白いシルエット。下膨れのおたふく面は真っ青だ。

 何やってんだ……今の俺って“さくら”じゃねーかよ! 何で脱いでんだ、バカか俺は!?

 慌てて床に放ったシャツ、じゃなかったブラウスを掴むが、汗塗れのそれを再び着込む気になれない。

 あぁ、マジでどうしよう。

 再び鏡に目を向けると、長い髪を首の後ろで括ったさくらが整った眉を八の字にしている。

 その下は体形ゆえに色気はあまり感じないとはいえ半裸の女の子だ。

 幼い頃は一緒に風呂に入ったりしたけど、それも小学生の高学年くらいが最後だったか。

 最近じゃ水泳の授業中に見て、ぱっつんつんではちきれそうな水着が可哀想だとか心の中で思ったくらいなもんだ。

 あの時はそれくらいしか思わなかったけど、乳でかいな。小振りなメロンでも入ってんじゃないかって大きさだ。

 ちょっと前に屈んで二の腕で軽く挟んで……おお、谷間すげぇ。なんじゃこりゃ。

 これで痩せたら結構すげーんじゃねーか? うなじがもっとほっそりして、鎖骨もちゃんと見えたらすげぇエロいんじゃね?

 あ、でも痩せたら乳も減るのか……んー、なるべく乳を残して他を痩せさせる方法もあるんじゃないか?

 今はおたふく顔だけど、整ってるし痩せればイケると思うんだよな。小母さん、美人だし。


 鏡に映った“さくら”を覗き込むようにまじまじと見詰めて「なんか勿体ないなぁ」とか呟いていると、背後から深い溜息が聞こえた。

 頭から血の気が滝のように下がる音が脳内に轟く。

 恐る恐る首を後ろへ向けると、いつの間に部屋に入ってきたのか“俺”が呆れ顔でこちらをじっと見ていた。

 何の言い逃れも出来そうもないこの状況に、脳内で「オワター」と何かが大合唱している。

 それでもどうにか言い繕おうとテンパった頭を回転させていると、目の前の“俺”が再び溜息を吐いた。よく見ればその顔は怒っているようには見えず、何処か諦めたような色が濃く思えた。


「あ、汗が凄かったからちょっと着替えをだな。べ、別にやましい気持ちで脱いだわけじゃないぞ!?」


 咄嗟に弁明が口から飛び出したが、どもりながらのそれはいくらなんでも白々しい。これなら速攻土下座した方がマシなレベルだ。

 それに答えるように三度、“俺”が溜息を吐く。そこに浮かぶのは全く“俺”らしくない自嘲気味な薄い笑みだった。


「がっかりしたでしょ?」


 呟くようなその声も“俺”らしくない柔らかくて覇気の無いもの。

 正座させられて説教地獄を半ば覚悟していた俺としては肩透かしを食らった気分で、逆に訝しく思ってしまう。


「男の子だもん、そーいうのに興味が湧いちゃうのは仕方ないよ。でもあたしのなんかじゃ幻滅だよね……」


 俯き加減にぽつぽつと呟き、“俺”は自嘲したような薄い笑みを浮かべている。


「別にがっかりも幻滅もしてねーんだけど」


 なんつーか“俺”の面でそんな表情をされるのもアレだが、磨けば未来が明るそうな気配が見えてちょっとテンションが上がっていたところに水を差されたようで面白くない。

 そんな憮然とした返答に“俺”――さくらは意外そうに目を丸くして見上げてきた。


「ウソ……だって、どうやったって可愛く出来ないんだよ?」


 ずい、と一歩踏み込んでさくらが詰め寄ってくる。

 その目に薄っすらと涙が浮かんでいるのを見れば、俺が思っていた以上にこいつの悩みは深かったのだと思い知らされる。

 だからだろうか、無性にムカついたのは。


「嘘吐いてどーすんだよ」


 そう言い返すと、さくらは「だって、だって」と泣きそうな顔で繰り返し始めた。


「あ~、その顔でそんなツラすんな。マジでゲンナリする」

「……自分の顔じゃん」


 だからだよ! と吐き捨ててさくらを見下ろす。

 目元はまだ潤んでいるけど、感情の昂りはひとまず収まったみたいだ。


「おし、決めた。俺が“さくら”を改造してやる」

「は?」


 ぽかーん、と口を開けてこちらを見上げるさくらは俺が言った事をイマイチ理解していないようだ。

 それがなんだか楽しくて、両手を腰に当ててちょっと胸を張ってみる。


「俺がこの身体の魅力って奴を引き出してやるって言ってんだよ」

「え? ええっ? ちょっ、何? どーいうこと!?」

「いつ戻れるか分かんねーんだ、だったらちょっとは割り切って行動しても良いんじゃねーかと思ってさ。あ、別に変なコトをしようってんじゃないぞ? 俺のやり方でやるってだけで」


 言っている間に俺自身もなんとなく気持ちが据わった気がした。

 そうだ、いつ戻れるか分からない。

 もしかしたら今夜寝て、明日の朝起きたら戻っているかもしれないし、ずっとずっと先かもしれない。

 最悪、戻らないかもしれない。

 先の事は分からないけど、戻るのを待って何もしないのは一番マズい気がする。


 再び呆気に取られたように目を丸くしたさくらだったけど、我に返ったのか顔を顰めて眉根を指で解すように押さえ始めた。

 その反応がちょっと納得いかない。


「なんだよ、別に変なこと言ってねーだろ?」

「十分変だよ……。戻れないかもしれないってことは、薫ちゃんは薬王寺さくら、つまり女の子として生活するって事だよ? そこんトコ、ホントに分かってる?」


 あたしだって男の子の生活なんて分かんないよ、とさくらは再び俯いてしまった。

 言われてみれば、確かにその通りだ。その辺は全く考えて居なかった……でも、それも結局は同じ事じゃないか?


「何とかなる、つーか慣れるしかないだろ」

「どうしてそんなに気楽なの?」

「気楽ってワケじゃねーんだけどな……考えたって仕方ないことってあるだろ」


 顔を上げて恨みがましい視線を向けてくるさくらに、逆にニカっと思いきりイイ笑顔を返してやる。


「どうやったら元に戻るかなんて分からねーんだ。だったらもう前向きに考えていくしかないんじゃないか?」


 何度もヘッドバッドし合って元に戻るなら試してみても良いけど、医者に安静と言われている今はとりあえず自重しておこうと思う。

 しばらく睨み付けたまま口を噤んでいたさくらだったけど、根負けしたようで諦めたような溜息を吐いた。


「ホント、どうしたらそんなに前向きに考えていられるのかわかんないよ」


 それならあたしも自分の好きなようにやるよ? と、さくらは微笑を浮かべる。さっきから“俺”とは思えないような表情ばかりしやがるな……。

 とはいえ不貞腐れた様子が薄れたのは前進したってことだろう。


「おう、俺も好き勝手やらせて貰うからな。見てろよ? ぜってービックリさせてやるからさ」

「ふふっ、でもあたしの身体なんだから無茶しないでよ?」


 それから笑い合っていた俺たちだけど……「ところで」とさくらはじとーっと半目で睨みつけてきた。


「いつまでその格好でいるつもりなの?」


 ……おおぅ、しまった。

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