第十一話
師匠が走る月も残り僅か。
二学期の最後を締め括る終業式を終えて教室へ戻る道すがら――。
「あたしは今年もしんぐるべーる♪ きみもあなたもしんぐるべ~る♪ ケーキの予約はしたけれど、エア恋人は食べれない♪」
――にこやかに、そして朗らかに、足取りを弾ませて不穏極まりない歌詞を気持ち良く歌うおばかちんの頭を素早く叩く。
ギロッ、と注がれる鋭い視線の集中砲火。憤怒、悲哀、怨嗟、その他諸々が混ざり合い、澱み、濃縮された感情の鏃はあまりにも容赦が無く、眉間が皺を刻むのを止められない。
「ダメだよ、さくらちゃん。あんまり険しい顔ばっかりしてると、クセがついちゃうよ?」
「誰のせいか」
「ところでエア恋人と空気嫁って似てるよね?」
「知るかばかちん!」
人差し指をピン、と立ててしたり顔でほざきやがる薫の頭頂部に思いっきり手刀を落とし、蹲って悶える様を冷たく見下ろしてやる。
この悪ノリ癖は誰の影響だ……黒部か? それとも馬鹿兄貴か?
「あれ? 薬王寺、二十四日空いてんの?」
不意に掛けられた声に振り向くと隣のクラスの男子生徒が緊張と期待が入り混じった、でもそれを押し隠そうと強張ったような表情を浮かべてすぐ側に居た。
「空いてるって言えば空いてる」
そう答えると男子生徒の表情に期待の色が膨らんだのが見てとれる。
「じゃ、じゃあさっ。一緒に遊びに行こうぜ」
鼻息荒く迫ってくる男子生徒……これは下手な断り方をしたら、しつこそうだ。
「ん~……別に良いけど」
と、言葉を紡いだ瞬間そいつの表情は更に輝きを増した。
その鼻の下が伸びて目が血走って、これで引かない奴は相当の根性者か鈍感のどちらかだろう。
「コレと鷲尾も漏れなく付いてくるぞ」
傍らに手を伸ばし、首根っこを掴み上げた薫をそいつの目の前にひょい、と突き付ける。
へ? と喜色一面だった表情は一瞬で霧散し、私が告げた言葉を反芻しているのか困惑の表情はやがて苦虫を潰したように歪む。そして男子生徒は人ごみに紛れるように去って行った。
「あ~あ、フラれちゃった」
男子生徒が消えて行った方向をチラリと伺い、薫が呟く。
「全く、鬱陶しい……」
つられて零した呟きは押し殺した不機嫌が喉奥から漏れ出たかの如く、低く重い。
期末試験が終わった辺りからか、さっきみたいにアプローチを掛けてくる奴が急激に増えた。
試験が明けた開放感と差し迫る時期的なモノが奴らを突き動かすのだろうが、情欲が滾るギラギラした眼差しを四方八方から向けられるのは不快極まる。
はっきり言って拷問だ。
何が悲しゅうてつい一年前までは同性だった連中に性欲の捌け口として見られねばならんのか。
「仕方ないよ~、こんなにキレイなっちゃったんだもの」
目標体重まで残り僅か、長らく続けてきたダイエットは佳境に差し掛かった。
日頃の運動と栄養管理の相乗効果といったところか健康状態は頗る良く、肌のツヤ張りはあのお母さんにも羨ましがられた程。
ここ最近は姿身に映る身体が誇らしく、ふとすれば見入ってしまう事もある。
だが忘れてはならないのは、これらはこの身体が元から持っていたポテンシャルだということ。
凛と整った顔立ちに瑞々しく豊かなプロポーションはお母さんから、豊満な肉付きながらスラリと見せる長身、涼しげに見せる切れ長の目、癖の無い漆黒の髪はお父さんから薬王寺さくらが譲り受けたもの。
私は家族や友人らの手助けの下、それを引き出したに過ぎない。
あの日、無駄肉で魅力を包み隠したこの身体が勿体無いと思った。だから絞って鍛えて、磨き上げた。
それだけのこと。
どれほど誇らしかろうと、この身体は私のものではない。
「知った事か。器はコレでも、中身は私だぞ」
そう吐き捨てた私の内心を見通したかどうかは分からないが、私を見上げる薫の微笑みは何処か困ったように歪んでいた。
で、終業式が終わって二日。
カレンダーの上では間違いなく平日であるが、街は異様なほどに浮ついた空気で満ち溢れていた。
商業施設は白、緑、赤で飾り付けられ、街路樹には金銀様々な電飾具が巻きついて役目の時を静かに待っている。
そんなデコレーションが施された街を歩く人々は、若いカップルが圧倒的に多い。その表情は年の瀬の寒さなど気にならぬとばかりに朗らか、或いは緊張に強張るものばかり。
そんな彼らの気を引かんと赤白の特徴的な衣装に身を包んだ呼び込みが街路に立ち、彼らの声とそこかしこから聞こえる楽曲でそれはもう賑やかだ。
ここで雪でもちらつけば雰囲気的には盛り上がるだろうが、この浮ついた空気への参加資格を得られなかった者にとっては凍えた心への追い討ちにしかならないだろう。
具体的には今現在私たちへ向けて注がれている、異様なまでに鋭い視線の冷たさとかが倍増するって話だ。
居心地の悪さはこの上ないが、一々気にしても仕方ない、とここ最近とみに鍛えられているスルースキルを発揮してやり過ごしている。
隣でミルクレープを美味そうにパクついている薫は視線に気付いていないのか、口の中に広がるホイップクリームの甘みと香りに表情を綻ばせている。
そして対面に座る大男はこういう状況に慣れが無いのだろう、頻りに周囲へ視線を巡らせては眉間に皺を寄せたり肩を強張らせたりとそわそわ落ち着かない。
実際には中身と実情がアレな男女二人に男が一人という色気もへったくれも無い三人組なのだが、端から見ればガッチリと体格の良い大男が方や長身でスタイル抜群、方や小柄でゆるふわと対象的な美少女二人を侍らせているように映っているのだろう。
窓一つを隔てた外と比べて暑過ぎるくらいの暖房が掛かっている筈なのに、頬やコメカミにチクチク感じるモノは何故にこんなに冷たいのか……胸やうなじに感じる生温さも大概鬱陶しいが。
重ねて言うが、今日という日は普通に平日である。明日も平日だが、意味的にはそちらが本番だ。
なのに街はカップルでいっぱい、そして私たちが居るコーヒーショップも全席が埋まる程度に人でいっぱい。しかし外と内で違うのは、こちらは同性同士が机を囲んで呪詛の篭った視線を撒き散らしている姿が散見されるところか。
見栄を張ってわざわざこの日に休みを取った、てトコだろうな~。
「帰りてぇ……」
思わず零れた、といった鷲尾の呟きには私も賛同したいところだ。
しかし今日ばかりはそうもいかない。面倒臭い上に非常に下世話なミッションを課せられてしまったが故に。
「気持ちは分からんではないが、なぁ……」
はぁ……、と深く長い溜息を吐いて窓の外へ視線を移すと、道路を挟んだ向こう側に見知った顔を二人確認できる。
お付き合い歴二ヶ月弱の新米カップル、黒部孝之と原田真紀のお二人さんだ。
「あたしたちが今、こーしてワッシーと一緒に居るって知ったら、お父さん暴走するかもね~」
「想像出来すぎて嫌っていうか、洒落になんないんだけど?」
薫はけらけらと緊張感無く言ってくれたが、私と鷲尾にとっては笑い事では済まされない。
以前から過保護というか、男が私たちに近付くことを警戒する様子はあったが、ここ最近はそれが更に顕著になった気がするのだ。
下手をすれば冬休み中、外出禁止を言い渡される可能性すらある。
そして鷲尾に何らかのお仕置きが下ることも想像に難くない。非常にややここしくも面倒臭い話だが、私も薫もお父さんにとっては二人とも愛娘なのだ。
「あぁ、鬱だ……帰りてぇ」
更なる追い撃ちに鷲尾の表情は不景気一直線。
そんなどんよりした空気すらも羨ましいというのか、視線の矢勢は一向に緩む気配が無かった。
「あ、移動するみたい」
窓の向こうに視線を向けていた薫はそう告げると、皿に残ったケーキを慌てて口に放り込んだ。
「こら、口をもごもごさせてみっともない」
私の小言に薫は頬を膨らませたまま「むー」と唇を尖らせるが、真っ赤なポンチョを羽織る動作を止めようとはしない。
神崎家は大らかというか、こういう躾がやっぱり緩いようだ。それにも増して兄が甘やかすから、全く……。
縦に長い紙コップに残ったコーヒーを溜息ごと飲み干し、私もコートを羽織って移動支度を整える。
紙コップと皿を片付けた私たち三人は店を出ると、狭い車道を挟んだ向こう側から出てくる見知ったカップルの動向を窺った。
さて、私たちがなぜにこのように二人を監視するような行動をとっているかというと、それぞれの親に頼まれたからに他ならない。
私と薫は真紀の母親から、鷲尾は黒部の父親からといった具合に。
友人の逢瀬をコソコソ盗み見る行為は後ろめたく心苦しいが、おばさんの心配も一応分からないではないので無下には出来ず……といったところだ。
「なんか写真も撮ってきて、とか言われてんだけど」
「やめれ」
冷たい目で睨みつけると、一瞬たじろいだ鷲尾は「だよな」と苦笑を浮かべ、手に持ったスマートフォンをブルゾンのポケットにしまいなおした。
黒部の親父はいっぺん死んだほうが良いと思う。
二人の姿はウインドウショッピングで時間を潰した後、映画館に吸い込まれた。
見ているのは多分、去年の夏に放送されていた人気TVドラマの劇場版。学校やらで度々話題に上っていたし、上映スケジュールからみて間違いないだろう。
その内容は見ているこっちが痒くなるくらいにベッタベタな学園恋愛モノ……らしいが、私が観たDVDでは主人公とヒロインが槍と薙刀でガチ殺しあっていたバイオレンス。キャッチコピーは「生命のギリギリまで愛したい」、さっぱり意味が分からない。
「あの映画って前半はTVドラマ版のダイジェストで後半が本編、てか後日談なんだ」
と語ったのは意外にも鷲尾だ。
「ああ、そういえば鷲尾の叔父さんが父親役で出てたっけ」
「そうそう。若い役者さんに殺陣やらアクションをあれこれ聞かれて大変だったって言ってたよ」
「ワッシーの叔父さん、映画にも出てるの?」
「おう、なんかヒロインの親父とガチバトったらしい」
「相変わらずワケ分からん展開だ」
そうやって雑談に興じる私たちは映画館には入らず、近くのフリースペースで時間を潰した。
映画館から出た奴らが次に向かったのはアクセサリーショップ。
うちの高校ではバイトが禁止されているため、資金に余裕がないのはあの二人も同じだろう。
そう高を括っていたのだが、甘かった。
何店かを回り、石を連ねたブレスレットをなんと揃いで買っていたのだ。
「あいつら、金持ってんなぁ」
早速腕に嵌めたブレスレットを見せ合い、和やかに笑っている二人を遠目に眺めて鷲尾が意外そうに呟いた。
ジュエリーのような気取った所ではないし扱っている石も高価なものではないが、高校生の資金では十分に大きな出費の筈。喫茶店での軽食や先のチケット代も考慮すれば、中々の大盤振舞いではなかろうか。
「クロベーがドカタでバイトしてるって噂、本当だったのかも」
「真紀がメイド喫茶で、って話もあったな」
努力は認めるが前述の通り、うちの学校はバイト不可である。学校の耳に入らぬうちに手を打たねばなるまい。
そうこうしているうちに日は落ちて、空はすっかり暗くなった。
それに相対するようにイルミネーションは全て点され、街は煌びやかに彩られる。
メインストリートに面した商業ビルに描かれた白一色の巨大な聖堂は宗教にも芸術にも疎い私ですら目を奪われ、不覚にも胸が高鳴った。
「あ、さくらちゃん、ワッシー。あれ見て!」
薫が指差した先にはサンタ姿の顔文字キャラが、トナカイがふんぞり返って座るソリを困り顔で引っ張っている姿がイルミネーションで描かれていた。
「あはっ、面白いなアレ」
「しょぼーん可愛い~。ワッシー、あれ写真に撮って!」
「おう」
はしゃぐ声に周囲の人もつられ、楽しそうに表情を綻ばせる。
街路は昼間以上の人々でごった返し、カップルもそうでない人も、光の芸術は老若男女問わずその目と心に感動を刻む。
今日一日で胸の内に澱み溜った憂鬱な気分は、純白の光が綺麗に濯いでくれた。
私も携帯のカメラで光で描かれた聖堂とサンタを撮り、他にも目に付いたイルミネーションを次々レンズに収めていった。
とはいえ、役目が終わった訳ではない。むしろ今からが本番といったところか。
光の芸術に胸を躍らせながらも二人の姿は視界に収め、その足取りを付かず離れず追い続ける。
しばらく街路を歩いてイルミネーションを楽しんでいた二人だったが、ふと時計を確認した黒部が真紀に言葉を掛け、道を外れた。
そろそろ夕食、ということか。
ある意味デートのメインとも言える夕食。思い切って値の張る所を計画しているかと思ったが、入ったのは普通のファミレスだった。
「ホテルのレストランなんかに入られたらアウトだったな」
「そんな所は高校生のカップルなんて入れてくれないんじゃない?」
ファーストフード店で買ってきたハンバーガーを齧り、鷲尾に笑みを交えて言葉を返す。
「値段的にはあんまり変わらないのに、ファミレス眺めながらコレ食べてるって何か負けた気分」
薫の愚痴は分かるような分からないような。
「今日って日にシングルって時点で、みんな負けてんの」
「しかもバカップルのシアワセ振りを一日中見せ付けられる任務とか、何の罰ゲームだ」
「言わないでよ~、余計に侘しくなるじゃない」
歩道の隅に三人固まり、クスクスと笑い合った。
時間と共に冷えて萎びるポテトに愚痴を零したり、今年のクリスマス中止動画をスマートフォンで検索したり、飲み干した飲み物のお代わりを買いに行く役目を押し付けあったりと、寒空の下で他愛の無い会話を交わしているうちに時間は過ぎていく。
「お、ようやく出てきたか」
どれくらい時間が過ぎたか。会話が少なくなりイルミネーションをぼんやり見上げていると、鷲尾の溜息混じりの少し怠そうな声が耳に入った。
見ればファミレスのガラス戸の向こうに二人の姿がある。
いくら厚着をしていても、日が落ちた寒空の下でじっとしているのはさすがに寒い。身体を軽く動かして解し、悴んで怪しくなった感覚を戻していく。
「あれ? こっちに向かって来てるような……?」
いくら厚手のロングスカートにパンスト+毛糸のパンツの組み合わせでも、この寒さでじっとしてたら腰にくるな~、なんて愚痴が零れそうになったところに薫の訝しげな声が耳に入った。
それにつられてふと視線を上げてみると、二人の目はしっかりとこちらを捉えているように思える。
口の端がヒクヒクと軽く引き攣るのを止められず、暑くもないのに背筋を汗が一筋流れ落ちていった気がする。
「こんなに寒いのに律儀っていうか、あんたたちもよくやるわね」
バレた。
その事実に我を忘れて身動ぎ一つ出来ずに硬直していた私たち三人を前に、真紀が放った第一声は多分に呆れを含んでいた。
見ればその顔は怒ってはおらず、声色通りの呆れが同居した困り顔だ。
隣の黒部も色んな感情が混ざり合って一つに定められないような、そんな複雑な内心が表情に浮かんでいる。
「あ、あ~……これは、その、なんだ……」
何とか言い訳をつけようとしたのだろうが、こんな状況で機転を利かせられるほど頭は回らなければ口も巧くない。
そんな目に見えて狼狽している鷲尾を手で制した真紀は、ショルダーバッグからスマートフォンを取り出し――。
「いいよ、別に。最初から知ってたから」
――その画面をこちらに突きつけた。
「はぁ!?」
と、三人が同時に声を上げたのは無理ならぬ事だと思う。
真紀がこちらへ向けた液晶画面にはメールの受信画面が表示されており、羽目を外しすぎないように、ちゃんと見張ってるからね、といった内容が書かれていた。
送り主は真紀の母親、受信時間はお昼前……私たちが見張り始めた頃である。それを理解した瞬間、張り詰めていたモノが一気に緩んで今までにない脱力感が全身を襲った。
「えーっと……あたしたちの今日一日は全部ムダってこと?」
然しもの薫もげんなりと呟く。
「本当にバカップルの生態を一日中たっぷり見せ付けられただけだったとか……」
いうほどイチャついてはいないのだが、言葉に棘の一つや二つ含まれてしまうのは仕方がない。
後ろめたい気分が解消されたのはいいが、それを帳消しにして余りある徒労感とやるせなさは何処にぶつけたら良いものやら。
「まぁ、黒部の親父さんの出歯亀を阻止出来ただけでも良しとするか」
「ちょっと待て、そりゃ聞き捨てならねぇ」
恐らく自身を納得させようとしたであろう鷲尾の呟きに黒部が食いつく。
その気持ちは分からんではない。明日は我が身的な意味で。
「こんな所で立ち話なんて寒いだけだし、とりあえず移動しない?」
「そーだな。しばらく暖かい所でゆっくりしたい」
「もー指が冷たくてじんじんするよ~」
「あのクソ親父め……どっかで見てんじゃねーだろうなぁ!?」
「あ~、その可能性は考えてなかったわ」
がやがやと街の喧騒に一役買いながら街路を歩く。
この際だからと大晦日と元旦の予定も話し合い、ついでに今日一日の愚痴大会。真紀と黒部も尾行する私たちにはうんざりしていたみたいで、このツケは原因に支払ってもらうという事で見解は一致した。
しかし何だ。真紀たちでコレなら私や薫の時はどうなるのだろう……ちょっと想像して身が震えたのは秘密だ。